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明治二年(1869年)四月十一日
九日に五稜郭を出陣した俺たちは二股口の台場山に到着。ここは春から敵襲に備え、いくつかの塹壕と土嚢を並べた胸壁が築かれていた。
「んじゃ、まずはここの手入れだ。旦那、はいこれ。」
そう言ったトシに手渡されたのは鍬。
「えっ?」
「えっ?」
「なに? 俺も掘るの?」
「あったりめえだろ? ただでさえ旦那のとこはみんな銃が使えねえんだ。いまのいくさは銃の撃ち合い。始まっちまえば旦那たちはそこらでタバコでも吸ってんのが関の山。だったらその前に働いたってバチは当たらねえさ。」
事実を的確に指摘されてしまった俺は、言い返すこともできず、みんなと一緒に鍬をふるう。トシはあちこち見回り不備を指摘していった。
「ちっ、トシのくせに偉そうに。」
「仕方ありませんよ、新さん。ここでは土方さんが大将なんですから。」
「けどさあ、今井さん。穴掘りってのはあんまりじゃね?」
俺は今井さんにぶつぶつ言いながら鍬をふるう。もともと幕府歩兵士官で洋式調練を受けている大川さんは部下を指揮しながら自らも穴を掘っていた。トシはフランス人の教官、フォルタンと地図を見ながらあれこれ話し合っている。
「いいか、下手すりゃここは長いくさになる。しっかり胸壁をこしらえとけよ?」
トシはそう言い残し、他の場所を見に行った。その姿が見えなくなると俺はさっそくうちの連中と今井さんを集め、会議を開く。
「聞いた? 長いくさだって。冗談きついぜ、まったく。」
「ですよね、越後の朝日山、あんなのはもう、こりごりです。」
「そうどすな、お風呂も入れんやったし。寝るとこもずっと野宿で。」
「そう、それだよ一郎! 寝るとこはともかく、風呂は必要だよね。よし、決定! 俺らは風呂を作ります! こっちは今井さんがやっといてよ。」
「えーっ! 私もお風呂づくりがいいです!」
「じゃ、今井さんは部下の誰かにここを任せなよ。トシが来てもちゃんと言い訳できる人ね。」
「ええ、しっかりと。」
話はそう決まり、俺は一郎以下、うちの隊二十五人と今井さんを連れて持ち場を離れた。それを見た大川さんは俺たちを指さして何かを言おうとしたが、関わり合いになるのが嫌だったのか、そのまま作業を続けた。
「ここらでええんちゃいます?」
塹壕の後方、岩場の陰になったあたりに風呂を作ることに決め、俺たちは手分けして岩を集め、穴を掘る。そこに胸壁に使っていた大きな桶を据え付け、下にはかまどを作った。さっそくとばかりに近くの小川から水を汲み、桶に入れていく。そして集めた枯れ枝をかまどに入れ、火をつけた。
「うん、とりあえずはこんなものかな、いい仕事したね。」
「全くですよ。けど、この大きさじゃせいぜい二人くらいしか入れませんね。」
「ま、これは俺たちの分って事で。他の連中も欲しけりゃ自分で拵えるさ。」
「ですよねー。」
そう今井さんと顔を見合わせ後ろを振り返るとそこに一郎たちの姿はなかった。おや?っと思って首を元に戻すとそこには鬼がいた。
「「うわぁぁ!」」
トシは目をいっぱいに見開いて俺たちを見下ろし、フランス人のフォルタンは首を掻き切るしぐさをして見せた。
「でっ、こりゃどういうことだ? 旦那。」
「あ、こ、これはね。」
「当然持ち場を離れてまでやる必要のある事なんだよな?」
「あ、あったりまえじゃん! 俺と今井さんはね、お前と違って野外での長いくさのキツさを知ってんの! 寝るのは野宿、風呂だって入れない。そうなりゃ病気になるやつも出てくんだよ! ねえ、今井さん?」
「ええ、長岡城争奪戦で私たちはひと月あまりも野陣を張りましたから。」
「そういうこと、俺たちは経験を元にお前が気づかないとこを埋めてやってんだよ。だよね、今井さん?」
「「ねー。」」
「ほう、言うねえ、たいしたご高説だ。兵を任せりゃ俺を出し抜いて金を奪うし、ちょっと目をはなしゃこの体たらく。本来であれば軍法に照らして罰を、と言いてえとこだが、あんたらの話にも一理ある。」
トシは軍法だの法度だのが大好きだから困る。
「ま、今回は大目に見てやる。けどな、言い出したことはやってもらうぜ? 風呂をこしらえるならこれだけじゃ足りねえからな。あと十個は作ってもらう。あんたらだけでな!」
「えっ、それはちょっと。」
「ですよねえ。」
「ほかの連中にはやることが山ほどあるんだよ! いいか、明日の日暮れまでに十個だ。こりゃ、奉行としての命だぜ?」
トシはそう言い捨てて苦々しい顔のフォルタンと共に去っていく。残された俺たちはしぶしぶと作業を始めた。そして日暮れ頃に夕飯の握り飯を届けに来た一郎を拉致。作業員を一名増やすことに成功する。
「ひどい、あんまりや!」
「いいから手を動かせよ! 明日の日暮れまでに十個作らなきゃいけないんだから!」
「そうですよ、私たちを見捨てて逃げるなんてひどいじゃないですか!」
「隊長はんも今井さんも勘働きが鈍いんどす! ああいうときはパッと逃げな。安さんも敏郎もみんなも気づいたっちゅうのに。」
「だって。」
「ま、お二人ともお強いから土方はんを脅威と感じなかったんやろうけど。あれが熊ならお陀仏どすえ?」
「あーもう、やめやめ! 今日はここまで。真っ暗な中で風呂づくり? バカじゃないの。」
「せっかくですから風呂を沸かしなおして入りましょうか。」
「そうどすなぁ。」
俺たちはわいわいと風呂に浸かったあと、岩を平らに敷き詰め、そのうえで雑魚寝した。
「こないにしてると思い出しますわ、京の頃を。」
「京都見廻組、ですか。懐かしいですね。」
「そうだね、只さんがいつも口をとんがらかして文句ばっかり。」
「佐々木さんも大変でしたもんね。」
「んで、今は土方はんが苦労しとるっちゅう訳どす。」
「けど、私は佐々木さんより土方さんの方が好ましいですね。なんだかんだで融通が利いて。」
「そうどすなぁ、面倒事もやってくれはるし、佐々木先生のように文句も言わずに。」
「ま、トシは古い友達だからね。バカでどうしようもない奴だけど、死なせるわけにはいかないさ。なんせあいつにはおたまじゃくしに似たお琴が待ってる。仲人としちゃ、後家にするわけにもいかないだろ?」
「そうどすえ、あの嫁さんなら僕も納得ですわ。」
「そう、ですね。生きて江戸に帰るのは当然。土方さんも死なせない。ま、私たちなら簡単にできますよ。でしょ? 新さん。」
「そういうこと。なんせ俺たちゃ元、京都見廻組だ。薩長の官軍を斬るのは勤め。あんな奴らにやられちゃ見廻組の名折れだし、あの世に行ったら只さんが口をとんがらせて文句言うに決まってる。先に倒れた吉太郎たちに笑われない為にもここは頑張らなきゃな。」
そんな話をしながらその日は眠りについた。
翌朝、朝飯を届けに来た敏郎を拉致、さらに作業員を増やした俺たちはまじめに風呂づくりに取り組んだ。敏郎の話ではあっちはあっちで大変らしい。ともかくもその日の夕方、トシに言われた通り、十個の風呂を作り終えた。
「ほう、旦那にしちゃあ頑張った。ま、よくやってくれたさ。陣場のこしらえも終わったとこだし、あとはゆっくりしてていいぜ。」
トシからそんなお褒めの言葉をいただき、俺たちは作業から解放される。その夜は交代で風呂を使い、みなさっぱりとした顔をしていた。
ちなみに俺は、市川で頭をそり上げて以来、ずっと坊主頭で通している。さすがにそり上げてはいないが長くなると五分刈りに刈ってもらっている。なんせ手がかからなくて楽なのだ。髪を結う必要もなければ洗うのだってすぐ終わる。今井さんは総髪で、長い髪を後ろで結わいていたし、俺と同じく髪をそり上げた一郎は今は童貞らしく流行りの七三分け。童貞ってやたらに髪型とかにこだわるもんね。ごつい顔の安次郎も、敏郎も一郎をまねていた。
身ぎれいになった俺たちは万全の体制で官軍を迎え撃つ支度を整えた。その官軍が姿を現したのは四月十三日、午後の事だった。
江差山道から姿を現した官軍はおよそ600、そしてこちらは130と半分どころか三分の一にも満たない数だ。官軍は物見を置いていた天狗山を攻略すると、下二股川を挟んだ挟んだ対岸に布陣。陣地を構築し始めた。そして数の優位を見込んでか、正面から渡河を開始する。
もちろんそれをただ見ているはずもなく、トシの命令の元一斉に銃が打ち鳴らされる。こうして二股口の戦いは始まった。
「弾なんかは腐るほどありやがんだ! 官軍の奴らに目いっぱい食らわせてやれ!」
トシはそんな言葉で士気を鼓舞しながら中央の塹壕に陣取り戦況を見ていた。俺たちはそのトシの護衛、本隊として配置された。左右には今井さんの衝鋒隊と大川さんの伝習隊。両方洋式調練を受けた精鋭たちだ。そのうえ陣場は選び抜いた地形にこしらえただけあって圧倒的に有利。数の劣勢をものともせずに戦闘を優位に進めていく。フランス人教官のフォルタンは優位なうちに撤退を、とトシに進言したがトシは強い口調でそれを拒否。フォルタンは肩をすくめて笑うと自らも小銃を手に取って胸壁の間から銃撃を開始した。
そして俺たちはいつもの通り、座り込んで胸壁に寄りかかり、シガーを吸ったり鮭の干物をかじったり。一郎と敏郎は楽しそうに銃を撃ち放っていたが。そもそもだ、その一郎と敏郎以外のうちの隊士は全員講武所上がり。ということはかつて俺と今井さんが横浜で買ってきたピストルを海軍の船に向かって撃ったことがある。銃が使えない、というわけではなく、興味がないのだ、俺も含めて。
とはいえこのままでは退屈極まりない。なので安次郎をそばに呼んで、全員に海舟からもらった最新式の後込め銃を持たせた。
「銃、ですか? ま、暇つぶしとでも思ってやってみますか。」
そういう安次郎たちとともに俺も銃を受け取り胸壁の間に構えた。
パン、と軽い音がして官軍の兵がすっころぶ。これはこれでなかなか、そう思っていると安次郎たちも俺に負けじと銃を撃つ。
「はは、ハズレね。俺は一人撃ったからね。」
「まだまだこれからですよ! 隊長殿!」
「めずらしいやん、安さんたちが銃を持つなんて。えっ? 隊長はんまで?」
「どうせ暇だしね。ま、剣でも銃でも俺が一番だろうけど?」
「それは捨て置けまへんな。な? 敏郎?」
「そうですよ! 銃で負けたら俺、いいとこないじゃないですか!」
しばらくそんなことを言いながら銃を撃っていたがすぐに飽きてしまう。安次郎たちも同様らしく、気づいた時にはみんな元の姿勢で座りこんでいた。
「なんというか、その、殺した実感がありませんな。面白くない。」
「ですね。せめて奴らが川を越えてくれれば切り込むんですけど。」
「所詮銃など弱者の武器、そういうことでしょうな。」
「ま、飛び道具なんてのはこんなものでしょうよ。」
「ははっ、そうだよね。やっぱり斬った感触がないと。」
「ですな、命を奪い合う、その刹那の時が何より楽しいのに。」
そんなことを言いながら久しぶりにキセルに火を入れる。シガーもいいが、慣れ親しんだキセルも悪くないのだ。
「……あのね、旦那。俺たちは今、いくさしてんの。わかる?」
戦況をにらんでいたトシが突然そんなこと当たり前の事を言い出した。何言ってんだ? こいつ。
「うん。見りゃわかるよ、そんな事。」
「今まで旦那たちは銃が使えねえ、そう思ってたから何も言わなかったが、」
「ははっ、俺たちは講武所の出だぜ? 銃ぐらい撃ったことはあるさ。」
「だったら撃てよ! いい? 官軍に川を渡らせちゃやべえの! 数が違うんだからよ!」
「高々三倍だろ? 一人が三人斬ればいいじゃねえか。なあ? 安次郎。」
「ですな、川を渡れば我らが突入を。土方さん、できれば射撃をやめてほしいくらいだ。」
「あーもういい、わかった、わかりました。旦那たちは奴らが川を越えた時には頼むわ。それまではゆっくりしといてくれや。」
はははっと乾いた笑いを浮かべ、トシはまた戦況を見守った。
その日、銃撃戦は夜を通して行われたが結局官軍は川を越えることができず、俺たちの出番もなかった。そして翌朝、目の下にびっしりと濃いクマを作ったトシに叩き起こされる。
「ほら旦那、呑気に寝てんじゃねーよ! 官軍は引いてった。今回は俺たちの勝ちだ!」
寝ぼけ眼をこすりながらトシの音頭に合わせ、「えい、えい、おー!」っと勝鬨を上げた。