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長岡城は西に信濃川があり、南北と東を東山山地に源流がある赤川(現在の柿川)が三方を囲むように流れ、信濃川と合流している。
北には広大な沼の八丁沖があり、それを天然の守りにしていた。ただし、守備側は天領であった小千谷との境にある朝日山、榎峠を確保することが必須条件で、攻守ともにこの南方高地を制圧した側が城を手にすると言われている。
五月九日、同盟軍は軍議を開き小千谷の朝日山、それに榎峠を敵に先んじて確保することを決めた。その陣容は長岡、会津、桑名の各隊に加え、今井さんのいる衝鋒隊、それに游軍として俺の隊がいる。
そして十一日、ついに官軍と激突する。武装は良いが、戦闘経験のない長岡藩兵の出遅れもあって朝日山は官軍に制圧された。山頂から降り注ぐ銃弾に阻まれ容易に近づけない。そこで軍を二手に分けた。正面から当たるのは会津、長岡の藩兵、そしてそちらに官軍が気を取られた隙に今井さんたち衝鋒隊が背後から山を駆け上り、朝日山の奪還に成功した。
その間に会津からは良くない報告がいくつも届く。まず白河城が官軍に奪還され、同盟軍はそれを取り戻すべくいくさを続けているのだという。二千五百の兵が七百の官軍に敗れたのだ。同盟軍にとっては痛恨の敗北である。その後もいくさを続けてはいるが劣勢であるようだ。そして会津の横山副総督、仙台の主将である参謀の坂本大炊など、たくさんの将校が討ち死に。そんな報告を佐川さんから受けた容保さまは沈鬱な顔をした。
「喜徳を出陣させよ。」
「はっ! 」
容保さまは短くそう言い、佐川さんは短くそう答えた。喜徳とは容保さまの養子、水戸の出で慶喜公の弟にあたる。容保さまの隠居を受け、今は会津の当主であった。年は十三。まだ幼君だ。
「さて、松坂、白河が敗れたならばこちらで勝たねばな。」
「ですね。」
動きがあったのは五月十三日、早朝、朝霧の中、長州勢が参謀補佐を務める時山直八を先頭に攻め寄せてきた。
「撃てぇ! 撃て、撃てぇ! 」
各隊がそれに応じ一斉に鉄砲を打ち鳴らす。霧が濃くて大砲は使えない。それぞれ小銃をもって戦った。
「今だ、突撃! 己の雷神を解放せよ! 」
立見さんの声が響き、純潔の戦士たちが突撃する。しばらく銃声が響きやがてそれは歓声に変わる。
「敵の大将、時山討ち取った! 」
おぉぉ! とどよめきが上がり、各隊は一斉に攻勢に出る。時山を狙撃した雷神隊は乗りに乗って進んでいった。それから数日、雨の中激戦が繰り広げられ、全体的には俺たちが有利。そんな状況だった。ところが十九日の夕方、情勢は一変する。朝日山を固めていた俺たちはその隙を突かれ、長岡城を官軍に占拠されてしまったのだ。だが河井さんはそれにめげず、すぐさま官軍の拠点となっていた各村に奇襲をかけた。城を取られこそしたが同盟した各藩からの支援もあり、俺たちの士気は高かった。
だが白河では相変わらずの苦戦続き、それに江戸では彰義隊が上野の山で挙兵したがあっという間に鎮圧されたという。鐘屋の事も心配だし、はじめちゃんの事も不安だったが今はここを何とかしなければならない。
俺も士気は高いものの一向に出番がないまま過ごし、本当の意味での遊軍となっていた。そして純潔の戦士たち、雷神隊は大活躍にもかかわらず、城下の女たちが避難してしまったのでチヤホヤされることもなく憤懣やるかたない表情をしていた。
そして季節は夏を迎え、七月になっていた。
その二十四日、ついに河井さんは長岡城奪還に動き出す。会津、桑名の諸隊に正面を攻めさせて、長岡兵は北の底なし沼とも言われる八丁沖から夜間に奇襲をかけた。長岡城を見事奪還、そして官軍に壊滅的な被害を与えることに成功する。「ウハハハハ! 」と笑いながら自らガトリングガンを操作して敵を薙ぎ払う河井さんはうらやましいほど恰好よかった。
大いに武名をなした河井さん、それに長岡藩兵、そして立見さんの雷神隊は城の奪還を祝って宴を張った。朝日山乗り取りで活躍した今井さんたち衝鋒隊も機嫌よく飲んでいる。それなりに活躍した佐川さんたち会津藩兵も楽しげだ。
そしてまったくいいところのなかった俺たちと容保さまは広間の隅でちびちびと酒をすする。
「あーあ、全然いいところなかったですよね、俺たち。」
「仕方あるまい。銃の間合いでは我らにできることはないのだ。」
「せやけど容保さま? なんもせんかったっちゅうのはよろしゅないどすえ? 」
「うむ、そうだな。わしとしても恰好がつかん。次は我らが。いいな? 松坂、渡辺。」
「「ハイ。」」
翌二十五日、ふらふらと偵察に出た河井さんが狙撃され、足に被弾。命に別状こそないものの前線指揮は無理。そしてさらに悪い報せが。同盟の新発田藩に薩摩兵が船で乗り付け上陸、新発田藩は開城したという。そして二十九日、新潟港に駐屯していた米沢、会津、仙台の兵を蹴散らして新潟港を占拠。ここに会津、いや、奥羽列藩同盟の戦略が大きく狂うことになる。
その二十九日、官軍は再び長岡城の占拠をもくろみ押し寄せる。こちらは城を捨て、栃尾、八十里越えをして会津に向かう。官軍の追撃は厳しいものがあった。五十嵐川と言うところを越えると容保さまがぼそっとつぶやいた。
「ふむ、ここだな。我らの見せ場は。」
「ですね。」
撤退する味方をどんどん先に送り、俺たちは藪に潜んだ。そして敵が間近に来るのを息をひそめて待つ。
「隊長はん、流石にこれはあかんかもしれまへんな? 」
「ばっか、余裕だよ。」
そう言ってさっと手を振り上げる。すると今まで出番がなくじれていたうちの連中が一斉に官軍に襲い掛かった。俺も刀を抜いてその中に躍り込む。目についた奴を袈裟懸けに斬り、振り向きざまにそこにいたやつに一閃。例のごとく「コロース!」と吠えながら安次郎たちが次々に敵を屠っていく。次々と敵を斬るが敵はそれこそ雲霞のごとくだ。せまい山道だからこそ戦えるが、囲まれたらお終いだ。
「疲れたやつはいったん下がれ! その間は俺たちが支える! 」
そう言ってみたが誰も下がらない。「コロース! 」と叫びながら次々と敵兵を斬っていった。いつもならそろそろ弱音を吐きそうな一郎と敏郎の声がしない、もう討たれてしまったのだろう。ならばその仇も討ってやらねばと、俺は官軍の兵の頭を刎ね、そして胴を両断する。こんな派手に切らなくても人は死ぬのだが、派手に斬ればそれを見たやつは躊躇うもの。その一瞬でも息がつけるのだ。
もう何人斬ったのだろうか、俺の体は人を斬る機械のように考えなくても敵兵を斬っていく。体が鉛のように重く、そして苦しい。体力に自信のある俺も肩で息をしていた。隣では安次郎が同じように苦し気に息をしながらもニヤリと笑い、敵を斬る。はは、どいつもこいつも頭がおかしく出来てやがる。その時に狭い山道を上がってくる黒熊を被った薩摩の士官の姿が遠目に見えた。どうせ死ぬならあいつまで。
そう自分にノルマを課した俺は重い体を動かして敵兵を斬り進む。
体は重く、意識はもうろう、そして視界は狭くなり、何事かを叫んでいる自分の声も聞こえない。脳裏にはうっすらと親父殿の顔と律の顔が浮かんだ。
二人はよくやった、そう言ってくれるだろうか? ごめん、流石にもう無理。そう思って重たい腕を下げた。うわっと白刃の群れが迫りくる。俺を討ち取るのはどの面だろう、それを見てやろう。そう思って覚悟を決めた。
その時、俺の頬の横をすごい轟音が駆け抜けた。その衝撃でちりっと髪が焼ける音がする。そしてそれは俺に刃を向けた奴に当たり、その頭を破裂させる。その後ろの何人かも頭を貫かれて倒れこむ。
時が止まり、誰もが顔を見合わせる。えっ? 何。
「アクション! 」
聞きなれた声が響き、後ろを振り返ると天を指さす容保さま。そしてその後ろには佐川さんたち会津藩兵が手に三味線や鼓を持っていた。軽快な楽曲が響き、容保様がステップを刻みながらレールガンを発射する。その一発ごとに数人の官軍兵の命が失われ、阿鼻叫喚の渦が巻き起こる。それを満足そうに眺めながら軽やかなステップで前進し、くたくたと膝をついた俺の頭にかぶっていた帽子を乗せる。
そこにガラガラとガトリングガンを引いてきた一郎と敏郎が現れ、容保さまを見てポカーンと口を開ける。
「これ、いらなかったみたいやね。」
「そうですね。」
二人はそう言うと俺たちにたくさん吊り下げてきた竹筒を渡す。冷たい水がそれこそ甘露のように体に染み渡った。
その間も容保さまは絶好調。コートの前を開いたり閉じたりしてポーズを決めながらレールガンを撃ち放つ。そして曲が変わり、サンバっぽいものになると容保さまのステップもそれに合わせたものになる。
「女はいつもミステリーだ! 」
そう言いながら電光の構えを見せてぐっと力を籠める。日の光が容保さまの爪に反射し、キラリと光った。
「ワオ! 」
そう言って撃ちだされたレールガンはズガガガガと官軍の兵を貫いていく。
「「うわぁぁぁ! 」」
狭い山道を押し合い圧し合いしながら官軍兵が逃げていく。その後ろから黒熊を被り、軍服の上に赤い陣羽織を羽織った男が逃げる味方をかき分けながら前に出る。その体はまさに雄偉、がっしりとして、顔は近藤さんのように顎が張ってしっかりしていた。そしてその目だけはどこまでも優し気で人の好さそうな色。
「見事ないくさぶりでごわった。オイは西郷吉二郎。薩摩ん兵児でごわず。ここはオイが相手を務めもんそ。」
とはいうもののその男は武器を何一つ持っていなかった。
「ふむ、よい覚悟である。西郷、と言ったか? お前もその体を武器とするものか? 」
「オイは刀やら槍やらはよう使えもはん。」
「ならばわしが相手をしよう。薩摩のつわものよ。佐川、あの曲を! 」
「はっ! 」
それは今まで聞いたことのない曲だった。軽妙でいて、それでいてずっしりと響くものがある。そんな曲。
「「おっくせんまん! おっくせんまん! 」」
佐川さんたちのコーラスに乗り、容保さまはステップを刻む。そして一気に距離を詰めるとターンを決め、その西郷吉二郎にゴールドフィンガーをぶちかます。
「エキゾチーック! 」
ズドンと音がして、西郷と言う大男は草鞋で土を削りながら後ろに弾かれる。だが、倒れることなく歯を食いしばり、ぐっと一歩を踏み出した。
「おはんらは手を出したらいかん。これはオイの戦いでごわず! 」
そう言われた官軍の兵たちは「もちろんですとも」と言わんばかりに鉄砲を胸に抱えてうんうんと頷いた。
「やるのう、西郷とやら。」
「オイの兄サァは官軍の総督、西郷吉之助! 弟のオイが恥ずかしか姿見せっわけにいかん! 」
「ほう、あの西郷のな。立派なものだ、なあ、松坂。」
「ハイ。」
そう答えながら西郷さんなら今頃泣いてただろうなっと思った。
「松坂、松坂いうたら、あの松坂新九郎様? 」
「あ、はい。」
「兄サァがいつも言うちょった。松坂サァといくさ場で当たったらすぐに逃げろち。なるほど、兄サァの言う事はまちがっちょらんかった! 」
はははと笑いながらも西郷吉二郎はその場でクラウチングスタートの構えをとった。そして容保さまに向かってダッシュを決めるとその熊のように大きな体をぶち当てる。それを容保さまは正面から受け止めた。ガシッと音がして容保さまのブーツがガリガリと地を削る。その突進を完全に受け止めた容保さまはにやりと笑った。その口元につつっと血の筋が。
「なかなか良いぞ、だが西郷、わしは相撲の心得もあるのだ。」
そう言われた西郷吉二郎はギロリと容保さまを見上げた。
「まだまだ! まだ甘い! ミュージック! 」
息をのんで見守っていた佐川さんたちがまた別の曲を奏で始めた。
「セクシー・ユー! 」
ぐわしゃっと交通事故のような音がして、西郷吉二郎が土を削って数間ほど後ずさる。そして西郷のぶちかまし。そんなことが数度にわたって繰り返され、官軍も俺たちもその場に腰を下ろし、それを見ていた。そして一郎と敏郎は素早く掛札をこしらえるとそれを官軍の連中に売り歩く。
「なあ、あんた、どっちに賭けた? 」
「オイは当然吉二郎サァ、ち、言いたかとこじゃっど、あっちの方も見事じゃっで。」
「どっちだよ。もったいぶらずに言えよ。」
「あっちの方で。」
「ははは、そうだよね。普通じゃないもの。ま、吉二郎さんもだけど。」
その西郷吉二郎がゆっくり倒れこむのと容保さまの爪が割れ、そこから血が噴き出たのは同時だった。
「引き分けって事か。」
俺がそう言うと一郎たちはちっと舌打ちして払い戻しに応じていた。
「爪が割れた時はこうすっといいでごわす。」
すぐに身を起こした西郷吉二郎はそう言って容保さまの爪に包帯を巻いていた。俺たちも官軍も普通にそこで飯を食っていた。
「ふむ、しかし西郷よ、お前の武勇は天下一かもしれんな。で、あろう? 松坂。」
「ですね。少なくとも俺は及びませんよ。」
だって刀で斬ったくらいじゃ死にそうにないもの。
「そげなこつ言われたら照れます。」
「いや、お前の力はこの先、この国の為、役立てよ。今は敵味方であるがいつか、力を合わせ、そういう日が来るとよいな、西郷。」
「はい! 失礼ぐゎんどんお名前を聞かせっ頂いても? 」
そう言われた容保さまはバシッとポーズを決めた。
「わしは松平容保である! 西郷、そして官軍の皆よ、いずれまた。」
そう言うと官軍の兵は皆、その場に正座して頭を下げた。
容保さまは俺たちを率いてその場を後にする。官軍の兵もそこで追撃をやめ、みな、帰っていった。西郷吉二郎はその場で最後まで頭を下げていた。
「ふむ、敵とは言え気持ちの良い者たちであったな。」
「ですね。」
会津に入り、只見村と言うところで先に引いた軍勢に落ち合った。河井さんの銃創はこの夏の気候もあって破傷風となり、会津から駆けつけた松本良順先生の見立てでは手遅れ、との事だった。
「塾頭、それがしは存分に生き、そして存分に戦うことができた。そうですな? 」
「そうさ、河井さんは誰よりも武名を挙げた。うらやましいくらいに。」
「ならば思い残すことはもう。しかし。」
「ん? 」
「結果としては負け、ですな。」
「まあね。だけど俺たちはまだ戦うさ。河井さんの分までね。」
ふふっと河井さんは笑うとその場にいた皆をゆっくりと見回した。そして、
「ダメだこりゃ! 」
と、得意の変顔をして見せた。一同は大爆笑。それが最後に見た河井さんの姿だった。