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 ところで、なんで桑名藩主の定敬さだあきさまが越後にいるのかと言うと、この柏崎には桑名藩の飛び地があるからだ。越後のあちこちに点在する飛び地を合計すると三万石。会津も同じようにこの越後に十万石の飛び地を持っている。

 本拠である桑名を開城させた定敬さまは自領である柏崎でお過ごしになっていた、と言うわけだ。その越後には高田藩十五万石、新発田藩十万石、そして七万四千石の長岡藩と言う三つの大きな藩がある。この辺りは三月に今井さんたちが各藩を恐喝。軍資金を出させていたが信州方面に軍を向けたところで高田藩の裏切りに会い、部隊は壊滅。それを立て直して宇都宮に来たらしい。

 その後、高田藩、それに新発田藩は官軍に恭順。つまりは敵になっている。そして長岡藩はかつて五月塾で一緒だった河井さんが藩を仕切り、中立を表明しているのだという。


 そして会津にとってもこの越後は生命線である。プロイセン出身で、今は会津の軍事顧問ともなっているスネル兄弟。このスネル兄弟が上海や香港から武器弾薬を新潟港に運び込んでいるのだ。兄のヘンリーは容保さまより平松武兵衛の名をもらい、会津の城下に屋敷をも構え、さらには会津の女を妻に迎えている。弟のエドワルドは船で武器を運び込む役目を果たしていた。ちなみにこのスネル兄弟を会津に仲

介したのが河井さん。自身の長岡藩にもアームストロング砲、ガトリングガン、それに二千丁ものエンフィールド銃、それにスナイドル銃と言った後込め式の最新兵器を買い集めた。その金は江戸藩邸を処分、そして家宝を売却、暴落した米を買いあさり、函館で売り、さらには外国との為替にまで手を出して資金を集めたのだという。

 武装中立。それが河井さんのもくろみのようだ。当然、それだけの兵器を抱えた長岡藩が味方になれば大きい訳で、会津も佐川官兵衛という若年寄を派遣して交渉に当たらせている。


「立見さん、っていうか、魚まだー? 」


「こないだ出したじゃないですか! 鯛もエビも! 」


「えー、他にもあるんじゃないの? 」


「いい加減にしてくださいよ! 私だって忙しいんです! 」


 ヒステリックにそう怒鳴る立見さんに容保さまがぼそっとつぶやく。


「わしはアワビが食べたい。松坂、立見が忙しいというなら定敬に言えばいいのだ。」


「わ、わかりましたから、私が何とかしますから! 」


 そう言って立見さんはぷいっとどこかに行ってしまった。


「ふむ、やはり童貞はいかんな。気持ちに余裕がなくて、カリカリして。」


「ですよね。」


 そんな話をしている間にも事態はどんどん動いていく。白石城に集まった会津討伐の奥州諸侯。会津は恭順しているのに官軍のやりようはあんまりだと、さらに鎮撫使参謀の世良修蔵の傍若無人なふるまいへの反発もあって、彼らは鎮撫使総督九条道孝を兵で囲み、会津救済の嘆願書を受理させる。要は人質にとっちゃったというわけです。これを主導したのが仙台藩。伊達政宗の子孫たる藩主伊達慶邦はその血

を抑えきれなかったのかついにはっちゃけた。


 さらに閏四月十九日、その伊達慶邦率いる仙台藩は鎮撫使参謀、世良修蔵をばっさり殺してしまう。しかも阿武隈川の河原で斬首。もう一人の参謀、薩摩の大山綱良は追放。そして軟禁している九条道孝を祭り上げ、奥羽列藩同盟を作り上げた。

 

 奥羽列藩同盟、彼らは帝をこの国の元首としてその使者たる九条道孝の指図には従う。ただし、薩長とは敵対する。最終的には薩長をうち滅ぼして政権を奪取するんだと気勢を上げた。当然会津もそれに加わっている。


「容保さま、なんかえらいことになっちゃいましたね。」


「ふふ、こういうことは派手に行かねばな。奥州の諸侯もようやく重い腰を上げた。あの世良とか言うろくでなしを送り込んできた長州の無能さのおかげでもあるな。」


「でも長州はなんだってあんなバカを? 」


「さあな、官軍の威光、それとわがままを通すことの違いを判らなかったのであろうな。これでまた長州は薩摩に比べて格を落とした。長州を主導する木戸とやらは器において西郷、大久保の足元にも及ばぬ、そういう訳だな。」


「木戸ですか? 」


「元は桂とか言ったかな、突然現れ、長州の首魁となったらしいぞ? 」


「か、桂って、あの? 」


「なんだ、松坂、知っているのか? 」


「ええ、どうしようもない奴で、気位ばかり高くて、みんなに嫌われてて。高杉は変だってけどすごい奴でしたが。」


「まあ、長州は多くの人材を失ったからな。逆にこちらには手つかずで人が残っている。薩摩は強固だが長州はそうではない、まだやりようはあるさ。」


 まあ、そうだよね、容保さまがいれば世界を敵に回しても勝てそうだもの。


 その後、会津、仙台藩は会津の入り口である白河城を占拠する。ここを固めて奥羽の守りとする。越後、そしてこの白河が対官軍の最前線と言うわけだ。白河には会津藩家老、西郷頼母を総督とし、最近では山口次郎と名乗りを変えたはじめちゃんたち新選組もここに配備された。会津藩兵千五百、仙台藩兵千の二千五百が集っている。


 閏四月二十四日、官軍は白河城奪還のため、宇都宮城で勝利した伊地知正治の軍を差し向けた。白河城にはまだ総督の西郷頼母も副総督の横山主税も到着しておらず、現地の将校が防衛に当たる。先鋒としてはじめちゃんこと山口次郎率いる新選組が飛び出して散々に斬り立て、新潟から届いたばかりの最新式の銃や大砲で官軍を打ち払う大勝利となった。


 そしてそのころには越後へも官軍の手が伸びていた。表向き恭順の桑名、そして恭順を表明している高田、新発田はいいとして武装中立を言立てる長岡藩討伐の為である。このころには会津からも数隊が到着していて、上州方面の三国峠にも部隊を割いていた。

 官軍の編成は海道から本隊として薩摩、黒田了介、長州、山県狂介の両参謀に率いられ二千五百の兵力をもって進む。さらに上州方面からも上州諸藩の兵を率いた官軍の東山道軍が千五百の兵でやってくる。


 対するこちらは桑名、会津、それに水戸からの脱藩者を加えても六百かそこらである。ははっ、やったね。だがしかし、こちらには戦略兵器である容保さまがいる。さらには近寄るものはみんな敵、そんな感じの河井さん率いる長岡藩。大丈夫、いけるイケル!


 戦端が開かれたのは閏四月二十七日早朝。鯨波と言うところに陣取った桑名藩兵は官軍と衝突、官軍の洋式大砲二門の苛烈な砲撃を浴び、小河内山に引いた。強い風雨にさらされながらも高所に陣取った桑名藩兵は粘りを見せ、敵を一歩も通さない。激戦に次ぐ激戦である。

 だが官軍の別動隊、それに三国峠を守っていた会津藩兵の敗走を受けて、後方との連絡を脅かされた俺たちは柏崎を放棄、後方に撤退する。激戦とはいっても鉄砲の撃ち合い、斬りこむことしかできない俺たちに出番はなかった。

 敗走した俺たちは同じく逃げ延びた会津藩兵、それに三国峠に颯爽と現れ三倍の敵と戦い善戦した今井さんたち幕府歩兵とも合流した。


「いやあ、まったく、ひどい目にあいましたよ。」


「俺たちもさ。雨の中、鉄砲の撃ち合いじゃ出番もなくてね。」


 今井さんは相変わらず、飄々としてにこやかだった。


 妙法寺村、と言うところに落ち延びた俺たちはそこで人心地着く、今井さんたち幕府歩兵は会津の衝鋒隊しょうほうたいと一緒になり、これからは衝鋒隊と名乗ることになった。隊長は従来どおり古屋さん。今井さんは副長である。


 さてそこに一緒に逃れてきた水戸の脱藩者たち、彼らは諸生派と言い、天狗党とは対立するグループなのだという。王政復古により天狗党が再び実権を手に入れ、対立する諸生派の家族を処刑しているらしい。そこから逃れ出てきたのが彼ら、と言うわけだ。

 その水戸脱藩者たちは近くの椎名藩に東軍、と呼ばれた俺たちに加盟するよう脅迫に行く。だが、椎名藩の陣屋はもぬけの殻、柏崎から官軍がやってきてあっという間に水戸脱藩者はやられてしまう。民家に火を放って散り散りになった水戸脱藩者、最後までなんだかなあ、と思わせる連中だった。


「ねえ、松坂さん。」


 そこで俺は会津の佐川官兵衛に声をかけられた。


「なんです? 」


「あんた、長岡の河井とは塾で同門なんだろ? ちょっと、俺と一緒にあいつを説得してみちゃくれないか? あいつ、あったま硬くって何度も道理を説いたって首を縦に振らねえんだ。」


「長岡藩の去就は今後の趨勢を決めることともなろうな。松坂、佐川について行ってやれ。」


 容保さまにそう言われちゃ仕方ないので俺は佐川と共に長岡城に向かった。ぞんざいな言い方をするこの男だが別に嫌いではない。会津の重鎮ともなれば旗本の俺とも同格でもあるし、年もいくつか上。会津の特殊教育を受けたこの男には俺にへりくだることなどできないのだ。だが、その分表情は和やかだし、あれこれとうちの隊の世話もしてくれる。見た目こそ工事現場で働くおっさんっぽいが悪い人ではないのだ。


「まずは俺が、どうしても話がつかねえ時はあんたを呼ぶ。それまではここで。」


「うん、そうしとく。」


 控えの間に俺を残して佐川さんは座敷に滑り込む。そして佐川さんと懐かしい河井さんの声が聞こえた。


「河井さん、あんたがうんと言ってくれれば俺たちは薩長に勝てるんですよ。うまくやれば天下だってひっくり返るんだ! 」


「君の申し分には虚勢がある。我らは精兵、それに砲兵をすでに配置済み、いかなる軍であろうとこの長岡には立ち入らせん。私たちは先に述べたように中立であり、それは不変である。君は迅速にここを去るべきだ。」


「兵の勢いを止めるべきじゃないんです! あんた、本気で言ってんのか? 」


「無論、本気だ。」


「なら仕方ねえ、こっちも隠し玉を出すしかねえか。」


 そう言って佐川さんは襖を開く。俺はまっすぐに飛び出て刀を抜くと河井さんに押し当てた。


「ったく、佐川さんも何やってんのさ。」


「って? あーっ! 塾頭! ちょっと、やめて、死んじゃうから! 」


「だったらあんたが気持ちよく頷いてくれりゃいいの。わかる? 」


「その、だな、我らにも都合があるっていうか、そうだ! 二人きりで話を、ね? おいしいお菓子も用意するから。」


「あー、んじゃそうしようか。佐川さん、あんたはその辺で待ってて。」


「うん、わかった。」


 佐川さんは気持ちよく返事をすると座敷を後にした。俺は刀を収め、河井さんが慌ただしく用意してくれたお茶とお菓子を口にする。


「久しぶりですな、塾頭。」


「うん、河井さんも元気だった? ずいぶん出世したみたいだけど。」


「うちは小さな藩なので。今はそれがしが総督、全権を預かっている。」


 しばらくの間俺たちは思い出話に花を咲かせた。吉田さんの事、象山先生の事、そして龍馬の事。


「しかし、坂本も余計なことをしてくれたものだ。」


「本当だよね。偉そうに出しゃばってさ。」


「勝殿もほかにやりようがなかったのは判るが、江戸を開城、あの時は流石に。」


「江戸にいたの? 」


「それがしは定敬さまたちと一緒にこちらに。その後は金策に武器の買い付け。それは忙しくて。塾頭。全権を任せられた身としては殿を朝敵、そうするわけには行かぬのだ。だから中立。今はそういう形を。それに、」


「それに? 」


「あの佐川は好かん! 」


「はははっ! そう言うのってあるよねー。すっごくわかる。で、どうするつもり? 」


「ともかくも官軍と一度交渉を。我らの言い分が通らねば会津に付くしか無かろう。それがしも所詮は臣下の身、主をないがしろにしては武士の矜持が立ちませんからな。」


「うん、もっともな意見だね。俺はさ、河井さん。その武士の矜持の為に戦ってる。これは勝ち負けの問題じゃないんだ。頭のいいあんたは判ってると思うけど、この国はもう薩長主導の新政府で動き出してる。」


「そうですな。もはや覆すことは無理かと。」


「そう、覆らない。けど、納得のいかないことには抗うべきだ。俺は容保さまを斬首、そう言った官軍を許せない。だから戦う。許せない、そう思う事を許す必要はないだろ? 」


「官軍は誰かを罰することでその正義と威光を示したい。慶喜公はもう殺せない。だから会津候を。」


「そうだね、俺には何もできないかも知れない。容保さまを守ることも、けど、容保さまの首が高くつく、そう薩長の奴らに教えてやる事くらいはできるかなって。なんせ今や奥羽の大名はみんな奴らの言う賊軍だ。官軍も勝ったところで二十数藩の殿様並べて斬首と言う訳にもいくまいさ。」


「それをやっては奥羽は永遠に薩長を、新政府を敵視することになり、世はいつまでも収まらん。」


「そう言う事、こちらの望む落としどころを官軍に飲ませるために俺は戦う。黙って恭順じゃ官軍はますます調子に乗るさ。」


「なるほど、負ける為の戦いと言うわけか。塾頭、あなたは先生の言われたように、物事の本質を理解しておられる。」


「ははっ、そんな大したもんじゃないよ、それにどうしても官軍が嫌と言うなら、」


「言うなら? 」


「この国にいる外人をみんな斬ってやる。そうすりゃ新政府は世界を敵に回してお終いさ。」


「ははっ、恐ろしい。判りました、塾頭。私も交渉において頭は下げません。それで官軍が否と言うなら、あなたと共に。」


「いいねえ、その時はガトリングガンっての、俺にも撃たせてよ。」


「その折には存分に。」


 月が替わり五月二日、河井さんは小千谷まで進出してきた官軍の本陣に乗り込み、官軍の軍監、土佐の岩村精一郎と会談。交渉とは名ばかりで河井さんは派手に官軍の悪口を言い募ってわずか四半刻で決裂。これにより最新の武装で固めた長岡藩は奥羽列藩同盟に加わった。そしてそれに追随するように新発田をはじめとした越後の六藩が加盟。そして俺たちも長岡城に収容された。


「その岩村と言う男がまた嫌な奴でしてな。それがしはガツンと言うてやりました。」


 河井さんが諸将を前に会談のあらましを話すと、みな歓声を上げた。さあ、これであとは戦うだけ。今回はこちらも五千の兵がいる。さあこれで存分に戦える。みな、そんな顔をしていた。


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