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 さて、五十里いかり宿に着いたはいいが、そこで俺たちがどう動くかが問題となる。会津藩兵と合流した俺たち旧幕兵には様々な情報がもたらされたのだ。

 会津藩兵を率いるのは海外留学の経験もあり、鳥羽伏見も戦い抜いた山川与七郎。若干二十四歳にして藩の若年寄を務める英才である。

その山川より、桑名藩主、松平定敬さまが越後の柏崎に逗留していると聞き、立見さんたち桑名兵、数を大きく減らした八十はそちらに向かうという。

 古屋に率いられ、今井さんが副頭取を務める幕府脱走兵たちは上州方面に侵攻を決め、そして大鳥さんたち伝習兵を中心とした主力はここからほど近い、今市と言うところで官軍を迎え撃つ構え。


 形上の上官であるトシは足の指を撃たれて板倉様と共に会津に。残った俺たちはどこについていくか迷っていた。


「新さん、やはりここは私たちと。上州の味噌でおいしい鍋を作ってあげますよ? 」


 そう言うのは今井さん。今井さんの事は好きだがその上官の古屋と言うのはよく知らない。


「ちょっと、今井さん? 松坂さんは元々は土方隊。土方さんはいなくなりましたが編成はそのままです。ですよね? 松坂さん。それに越後に行けばおいしい魚が。あー、きっと脂が乗ってうまいんでしょうねえ。」


 立見さんはそう言って越後に俺を誘った。


「何言ってるんです? お二方とも。土方隊は当然編成替え。桑名兵が越後に行くならば松坂さんは我が第二大隊に。当然ですよね? 」


 大川さんはそう言うが、ここに残ってもおいしいものはなさそうだ。


「やっぱ、アレちゃいます? 鍋は飽きたし、ここは魚と言う事で。」


「ちょっと! 一郎さん? 私の鍋に文句があるとでも? 」


「さすが同志! わが心の友よ! そうですよね、渡辺さん、ここは私と。」


 揉めに揉めた結果、ここはやはり北の魚、そう言う事になって俺たちは立見さんたち桑名兵と越後に向かう。ところがその途上で桑名の藩論が恭順、そうわかると立見さんは越後ではなく会津に向かう。


「ねえ、どうなってんの? 」


「今、越後に向かえば我らは切腹、そうなるかもしれません。何せ藩のお偉方が恭順、ともなればこれまで官軍と戦い続けてきた私たちの首はもってこいの手土産でしょうし。恭順するつもりだったが一部の物が暴発して、その言い訳に首打たれるのは真っ平ですからね。」


「定敬さまは? 」


「殿は無論抗戦のおつもりかと。必ずや恭順派を排して藩論を主戦に。それまでは会津候のお膝元で、と言う事ですよ。一応、土方さんの具合も気になりますしね。」


「ま、定敬さまにも京では迷惑かけたことだし、付き合うさ。けど、魚、間違いないんだろうね? 」


「私も伊勢の桑名藩士ですよ? 幼いころから海のそばで育ってますから魚の目利きはお任せあれ。」


 そんな話をしながら会津に着いたのは翌月、閏四月の四日の事だった。



「松坂、それに立見、よう来た。お前たちの働きは聞いておる。」


「「ははっ! 」」


 久しぶりの容保さまは上機嫌でそう言い、立見さんの話を興味深げに聞いていた。


「うむ、定敬の事だ、いかなる手を使っても必ずや主戦論でまとめるはず。あ奴はわしの弟であり、幼き頃から一番腕白でもあったからな。ま、それまではいくさの疲れを休めるがよい。」


「はっ! 」


 立見さんを下がらせると容保さまは人払いを命じ、俺と二人きりになる。


「松坂、お前も立見と? 」


「ええ、まあ。定敬さまにも迷惑かけてますから。」


「まあそうよな。あ奴も苦労しておったわ。それはともかくだ、」


 そう言って容保さまは会津、そして東北諸藩の現状を語り始めた。


 会津藩は幕府が恭順したのでうちも、と容保さまが隠居し、官軍へ嘆願書を送った。ところが官軍の返答は、会津の明け渡し、そして容保さまの斬首を求めているのだという。調子に乗った官軍は大名を斬首、そういうことまで言うようになっていた。また、近隣の仙台伊達藩、それに、米沢の上杉藩に会津討伐をも命じている。三月中旬、船で仙台に乗り付けた奥州鎮撫総督、九条道孝、それにその参謀として長州藩士の世良修蔵、薩摩藩士の大山綱良が五百の兵と共にやってきたのだ。

 仙台藩はその鎮撫使たる薩長の横柄さ、それに長年隣国としてうまくやってきた会津への義理、それに武門の意地も相まって藩論が定まらない。とはいえ勅命に逆らえるはずもなく、会津国境に兵を出した。


「ところがな、これがすべて事前に示し合わせた狂言よ。空砲を撃ち合い、結局のところ一人の死者も怪我人も出すことなくグダグダのまま。その間にわしは同じく朝敵、とされた庄内藩と手を結び、近日中にも仙台、米沢と会合を持つ。」


「なるほど、そこで両藩がひっくりかえりゃ一発逆転、そういう訳ですか。」


「まあ、どこまでやれるかは判らんがな、首打たれる身、ともあれば最後まであがいてみたくもなろうよ。」


「ですよね。」


「奥羽が一つとなれば西郷も大久保もまた頭を抱える事となろうさ。それはそれとしてだ、松坂。」


「はい。」


「越後に行くならわしも連れていけ。ここにいても退屈でな。前に言うたであろう? 次があればわしも前に出る、と。」


「そりゃかまわないですけど、藩の重役方がうんとは言わんでしょ? 」


「はは、そのような事気にする必要はない。これはな、勝つ為の戦いではないのだ。意地を通すため、力を見せつけるための戦い。慶喜公はああであったが幕府の力は、侍の力はそうではない。後世の者たちに、武士と言うものの力を伝えておかねばな。」


「なるほど、それであればこの松坂新九郎、お供を。」


「うむ、頼む。」


 御前を退出し、俺は城下、七日町の清水屋と言う宿で療養に努めるトシを訪ねた。


「いよう、軟弱もの。」


「かぁ、一言目がそれかよ。普通心配したとか何とかいうだろ? 」


「だって足の指に弾がかすったくらいで歩けないとか。」


「マジで痛えの! あとちょっとずれてたら一生歩けなかったかもって良順先生も言ってたの! 」


「あ、そっか良順先生がいるのか。」


「ま、しばらくは大人しくしとくきゃねえとさ。それより旦那、近藤さんの事、聞いたか? 」


「近藤さん? ああ、何かあった? 」


「板橋で斬首されたんだと。罪人として。武士としての切腹じゃなくて、衆の見てる前で。さすがにな、ちょっとばかし後ろめたい。」


「薩長もさ、調子に乗りすぎ。所詮は下級藩士の成り上がりだもんね。相手を尊重するなんてできないんだろ? なんぜ、容保さまでさえ斬首だなんだと言われてるらしい。要はさ、舐められてんだよ。」


「かも、知れねえな。ま、とっ捕まりゃああなるって事さ。旦那も俺も斉藤も。」


「はは、俺は捕まるくらいならその前に西郷さん、大久保さん、それに桂ぐらいは殺してやるさ。」


「まったく、官軍もとんでもねえのを敵にしたもんだ。」


「俺はね、トシ、国の先行きとかそう言うことは判らないし興味もない。幕府がつぶれた、それはもうどうしようもない。それにここも直に戦争に。それも仕方のない事さ。けどね、近藤さんはともかく、大名たる容保さまを斬首、そういうおごりを許せるほど俺は人間が出来ちゃいない。それにね、容保さまは仰った、武士の世が終わるなら、その武士の力を後世に語り継がれるほどに見せてやるのだと。俺もまったく同意見だね。」


「そうだな、俺も七十俵取りの武士、ま、一度も禄を受けちゃいねえが。」


「その分は薩長から頂けばいいだけ。世が落ち着いた時、食うに困らないだけの金をね。」


「だな、俺たちは武士としての意地を。そして幕府をつぶしやがったあいつらからその分の食い扶持を頂かねえと。」


「ま、とりあえずお前はここでうだうだしてろ。ところではじめちゃんは? 」


「ああ、あいつは隊士を率いて仙台藩とインチキいくさの最中さ。何をするにもあいつなら任せられるさ。」


「そうだね。はじめちゃんは強いから。」


 その翌日、柏崎から桑名の主戦派が会津に逃げ延び、立見さんをはじめとした会津にいる桑名の人たちと会合を持った。それによればこの三日、定敬さまは恭順派の首魁である家老、吉村権左衛門を暗殺、残りの恭順派も排斥する意向を示したという。

 早速とばかりに立見さんたちは兵を引き連れ柏崎に向かった。その中には俺の隊も、そしてそれに紛れた容保さまもいた。


 その容保さまの恰好は俺と同じく軍服のズボンとブーツ、それに金糸のあしらわれた派手な鎖帷子を着込み、トシから取り上げたコートを羽織っていた。トシは涙目だったが。頭にはつばのついた洋式の帽子を被り、一見地味なようでものすごく派手。帽子には羽飾りまでついてる。


「ふふ、お前の姿をみてな、お忍びで出陣するならばこの格好と決めていたのだ。どうだ似合うか? 」


「はは、よくお似合いですよ。」


 とりあえず、誰も容保さまとは思わない、それで十分だった。真実を知るものは俺たちと立見さんだけ。立見さんはそれを知った時ぴしっと固まっていた。そしてその容保さまはうちの連中と気が合うらしく、一緒にわいわい言いながら歩いていた。


「ちょっと、松坂さん? どれだけ私に心労をかければ気が済むんですか! もうね、寿命がゴリゴリ削れていくのがわかるんです! 」


「別にいいじゃん。」


「あの方に何かあればすべてが終わるんですよ? 護衛だって大変じゃないですか! 」


「護衛? そんなものいらないって。容保さまはね、普通に俺より強いから。守られることはあっても守ることはないよ。」


「えっ、マジですか? 」


「マジマジ、そのうち嫌でもわかるから。ま、強い助っ人が来たと思えばいいさ。」


 柏崎に着いたのは閏四月の十三日。兵を引き連れた立見さんたちはあっという間に恭順派を追放、定敬さまもお褒めになられた。その後すぐに軍制が定められる。桑名藩兵三百五十名は大砲の一隊と歩兵三隊に編成され、入れ札によりその隊長が決められた。


 雷神隊七十五名。隊長は立見さん。気のせいか若い連中が多く見受けられた。そして神風隊、隊長は立見さんの実兄、町田老之丞で五十七名。ほかに致人隊六十五名が編成された。残りが大砲隊と言うわけだ。そのほかに友軍として俺たち臙脂隊二十六名、+容保さまがいる。


 陣割が済んで落ち着くと俺は定敬さまに呼ばれ、容保さまと共に奥の座敷に通される。


「松坂、お前の参陣、心強く思う、それに、ってあーっ! 兄貴! 何でいるの? 」


「定敬よ。無論戦うためだ。少しばかり腕を確かめたくなってな。無論他言は無用。ここにいる間は松坂の配下として扱え。」


「いや、でもさ、流石に。」


「わしはタダで首打たれるなど真っ平だ。その役は尾張の兄こそ相応しいというに。」


「まあ、それはそうだけど。御三家だし、長州征伐じゃ総督だったしね。」


 ちなみにこの兄弟は元は尾張家の生まれ。長兄と四兄は夭折。次兄の慶勝さまは尾張家を継ぎ、三兄は石見浜田藩の越智松平を継いだが二十三歳で死去、五兄の茂徳さまは兄、慶勝が安政の大獄で失失脚した折、一時尾張家を継いだが、兄の謹慎が解け、慶喜公が徳川本家を継ぐとその後の一橋を継いでいる。その下が容保さま、そして定敬さまとなるわけだ。


 その定敬さまは非常に闊達で、幼いころは悪ガキだったそうだ。そしておそらく、多分、天下最強の容保さまは結構病気がち。


「ともかく此度は全力で当たらねばな。」


「わかってるさ、兄貴。」


 二人はとても大名とは思えない好戦的な笑みを浮かべていた。


「いいか! 貴様たちも私も童貞である! それを笑われ、悔しい思いを! だがそれもこれまでだ。我らが童貞であったのはその身に宿した雷神を薩長どもにぶつける為! これまでの口惜しさ、憤り、恨み、そうしたものをわが身の雷神と見立て奴らに存分にぶつけてやれ! 薩長は、薩長は、今や官軍! で、あれば京でも、道中でも女に言い寄られているに違いないのだ! いいや、奴らは故郷にも女がいるに決まっている! このいくさが終わったら祝言あげるんだ、とか言って! これを許していいはずがない! そうだろう? 

 もてる男は確実に殺せ、卑怯? 汚い? そんなものは軍略だ。何一つ恥じることはない!奴らを殺せ、そうすれば女が余る。その女を手に入れるのは我々である。その身の雷神を奮い立たせろ! 」


 雷神隊隊長、立見鑑三郎は隊士たちにそう演説をしていた。


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