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四月十九日未明、俺たちは宇都宮城近く、砂田村を守る彦根藩兵を急襲、あっという間に追い散らかした。この彦根藩兵は先日十八日、同じ下野の小山で大鳥圭介率いる旧幕府軍の本隊に散々に敗れた後だという。その本隊は壬生から栃木、そして鹿沼へと向かっている。
「旦那、この城をうまく落とせりゃ旧幕軍も俺たちに靡こうってもんさ。ここはいいとこ見せとかなきゃな。」
「あのね、すっごく頭が寒いの。」
「あーもう、ここは大事なとこなんだからよ、しっかりしてくれよ。」
宇都宮城下に入り、俺たちは町に火をつけながら進軍する。そして田川にかかる簗瀬橋を渡ると、俺たちは三つに分かれる。秋月隊は城の北東、中河原門を、回天隊は南の南館門、そして俺たち土方隊はその間にある南東の下河原門を攻めることになった。その途中、寺町に放火していると英厳寺と言う寺の中で顔見知りを発見した。
元老中、板倉勝静である。以前、薩摩の大久保一蔵さんと談判したとき、その側役を務めたことがあるのだ。
「あっ! あーっ! 松坂! 松坂ではないか! どうしたのだ、その頭は、プスス。」
助けられておいてこれである。
「板倉さま? 何でこんなところに。」
「あのね、聞いてくれる? わしの備中松山藩、いつの間にかわしをクビにして親族を藩主に立ててんの。もうね、わしは江戸から帰れないし、それで日光山に押し込めって事になったのに今度は宇都宮に。ひどいと思わない? 」
「あー、今戦争中だから、後ででいいですかね? 」
「嫌! 絶対に嫌! わしは松坂から離れませんっ! 」
たいして親しくもなかったのに今やべったりである。そしていくさも始まりみんな大忙しだ。
「トシ! ちょっとトシ! 」
「なんだ旦那! 今忙しい、見て分かんだろ! ってか誰だそれ。」
「老中だった板倉さまだよ! お前が大将なんだから何とかしろよな! 」
「えっと、その、板倉さま? しばらくはこの松坂殿が面倒見ますんで。」
「うん、うん、よい処置であるな! 」
「じゃ、そういうことで旦那、邪魔にならねえとこに居てくれや。いくさの方は一郎さんにやってもらうからよ。」
そう言ってトシは前に出て督戦を始めてしまう。
「松坂! 松坂! ここは大丈夫なんじゃろうな? 危なくないよね? 」
「もー、危なくなったら腹でもなんでも斬ればいいじゃないですか! あんただってご老中なんでしょ? 」
「今はちがいますぅ、それにね、松坂。大名が腹切るなんてのは講談の世界の話よ? 忠臣蔵の浅野内匠頭じゃないんだから。わしらはね生きて責任を果たすの! あーんな痛そうなことできるわけないじゃん。馬鹿じゃないの? 」
「そんなんだから薩摩の大久保に舐められるの! もう、どうなってんの幕閣ってのは! 」
「あ、そういう事言っちゃう? いいよ、わしが死んだらあの世で男谷殿に言いつけてやるから。松坂は男谷殿の婿なのに老中だったわしに腹切れって言ったって! 」
「はいはい、わかった、わかりました。親父殿の名前だされちゃ何も言えませんよ。んじゃ、お茶でも沸かしていくさ見物でもしましょうかね。」
「あ、それならわしがやってあげる。ここの暮らしも慣れてるからね。菓子は煎餅でいい? 」
「じゃ、それで。」
板倉さまと一緒に焼け残った寺の屋根に上がって茶を飲んだ。城門では激しい激戦。パンパンと鉄砲を打ち合い、悲鳴が上がる。
「でね、松坂、わしはさ婿養子だったからそりゃもう大変。だからこういう時にはクビにもされちゃうわけよ。」
「そうなんですか。俺は家は独立してるからそういう苦労もなかったですけど。」
「ほんと、それなら婿なんかとるなよ、って言いたいもの。まあ、白河の松平にいてもつまんなかっただろうけど。」
「部屋住みはキッツいですもんね。俺なんか病で寝込んでたのに誰も看病すらしてくれなくて。」
「そうそう、部屋住みはきつい、けど婿養子もきついし、幕閣もきついんだこれが。わしなんか井伊大老に反対意見述べて一回クビになってるからね、幕閣。もうね、胃がきりきりすんのよ、あの御用部屋にいーるーと。その点勝はいいよ。あいつは気さくで話しやすくて。」
「あー、そう! その海舟なんですけど、聞いてくださいよ! あいつ酷いんですよ! 」
俺たちは煎餅をポリポリとかじりながら茶を飲んでそんな話をしていた。
「ほら突っ込めー! 下がんな! 前に出ろ、前に! 」
下ではトシが刀を指揮杖代わりに振りながら必死な顔で指揮を執っていた。その時、一人の幕兵が激しい撃ち合いに恐怖を覚え、わぁぁっと声を上げながら逃げてきた。トシはすかさずのその兵を斬り捨てた。
「逃げる奴ぁみんなこうしてやる! 殺されたくなきゃ前に出ろ! 」
「あらら、あの人残酷だね。松坂。」
「あれはね、血も涙もない奴なんですよ、聞いたことあるでしょ? 新選組の鬼の副長。」
「あれがか。なるほどな。」
「つか、何やってんだトシのバカは。ちょっと行ってきますね。」
「ダメ、わしを置いていかないで! 」
「んーなら仕方ないか。」
俺は屋根の隅まで下りていき、下にいた一郎に声をかける。
「一郎、ほら、右腕を開放する時間だろ? いつまでもこんなところにいたくないからとっとと行ってケリをつけろ。」
「けど土方はんが。」
「あんなのはどうでもいいんだよ。突っ込んで中の奴らをぶった切って生きて戻るだけ、簡単だろ? 」
「もうほんま、簡単すぎて嫌になりますわ。安さん。いけまっか? 」
「コロース! 」
安次郎がそういうと、臙脂隊の皆が「「コロース! 」」と唱和した。
「ほな行ってきますわ。」
そう言って一郎は腕の包帯を解いた。
「キタキタキター! 僕の中の鬼がすべてを滅せよっちゅうて暴れとる! 」
「そうそう、城の奴らはみんな、この後イチャイチャする予定だから。皆殺しにしとかないと。風紀が乱れるからね。」
「殺したりますわ! いくでぇ! 」
そう言って一郎たちは「コロース! 」と言いながら飛び込んでいった。何しろ彼らは鉄砲が怖くないのだ。あっという間に城門に取り着き、鉄砲玉の降り注ぐ中を梯子をかけて登っていく。しばらくすると城内の抵抗が止み、内側から門が開かれた。そこに立見さんたち桑名藩兵がなだれ込む。トシは刀を手にその場で呆然としていた。
「ほら、トシ、何やってんだよ。今夜寝るところがなかったら許さないからね? 」
「あ、うん。行ってくる。」
「さて板倉さま、俺たちも城内に。」
「そうじゃな。きっと中にはうまいお菓子もあるはず。いや、そろそろ酒の時間かのう? 松坂。」
「いいですね、ソレ。」
不思議なことに、うちの隊には海舟から最新式の鉄砲が渡されていたはずなのだが誰もそれをもっていかない。トシに命じられた新選組の隊士が、置いていかれた鉄砲を拾い集めていた。
夕方になると守備に就いていた宇都宮藩兵や、新政府軍は二の丸に火をかけて古河や館林に退却を開始。俺たちは一日で城を落とした。
「松坂、まずは蔵の確認じゃ! 急げ! 」
城が落ちると板倉さまは人が違ったように指導性を発揮、うちの隊で蔵を押え、そこに三万両もの金と数千の米俵を見つけた。
「松坂、ここを抑えてしまえば我らの一番手柄は確実じゃな。」
「あはは、そうですね。」
早速俺たちは蔵に入り込み千両箱に名前を書いていく。
「これはうちのと、板倉さま、いくつぐらい持っていきます? うちはとりあえず五つほどもらったけど。」
「わしはそれほどは。そうじゃな、一つ頂いておこうかの。」
「ダメだからね、そういうのだめ、板倉さまも旦那も大概にしとかねえとな? 」
「なんでだよ。トシ、あ、お前も欲しい? 」
「んじゃ、三つほどってそうじゃねえよ! ここはな、信用を買うとこだ。金をくすねちゃ大鳥さんたちが面白くねえだろ? 今は俺たちが清廉だってとこを見せとくべきなの! 」
「えー、別にどう思われてもいいじゃん。ねえ、板倉さま? 」
「いや、松坂、土方の申し分にも一理あるぞい。実質ここは松坂の手勢で落としたようなもの。だからと言って勝利の権利を殊更に主張すればひがむものもおろうて。ここは土方の申すようにあのくそ真面目な大鳥にすべて預けたほうが良いの。さすれば大鳥とて我らに物申す時は気を遣おうよ。」
「さすが元ご老中だ。旦那、そういうのも必要な駆け引きって奴なんだよ。」
「いや、それはいいけど我ら、って板倉さま、ついてくるの? 」
「えっ! まさかわしを見捨てたりしないよね、松坂。」
「はは、そういう事だ、板倉さまの警護は旦那の仕事な。んじゃこっちは任せとけ。後はうまくやるからよ。」
「ふむ、それは良いが土方。本丸はしばし誰も入れるでないぞ? 」
「ああ、そりゃかまわねえですけど? 」
「松坂、隊士と共に本丸に行くぞ! 」
「探せ! よいか、天井裏、そして床下、金目のものは見過ごすでないぞ! 」
宇都宮城の本丸御殿。生き生きとした板倉さまの指揮のもと、俺たちは金目の物を探すのに必死だった。
「あの状況じゃ、いくらも持ちだせんかったはず。戸田のお家は戦国より続く大名の家柄じゃ、売るに売れぬ家宝などもたんとあろうよ。それに比べれば金蔵の金など、全部やったところで惜しくはないわ。」
刀剣、絵画、それに茶道具、いろんなものが見つかってそれをわからぬように梱包し、荷車に積み込んだ。
「いやぁ、いい仕事ができたのう、松坂、うひょひょひょひょ。」
「ですね、何をするにも先立つものは金ですし。」
「アシが付きそうな名品は異国の連中に売りつければいいのじゃ。奴らはこの国の物をありがたがって買うでの。」
「さすが板倉さま。」
この本丸御殿は俺たちが占拠。トシや桑名藩兵は一緒に入れたが本多の伝習隊は入れてやらなかった。回天隊? 誰それ。
トシはこのいくさで大いに名を上げた。わずか一日で宇都宮城を落とした軍略家、やっぱり新選組の副長はちがうわ。みんなトシをそんな目で見ていた。
俺たちは飯を食い、そして御殿の風呂を使う。さすがは大名の住まう御殿、何もかもが驚くほどに豪華だった。そして適当に布団をしいて寝転がる。板倉さまもなぜか雑魚寝していた。するとうちの隊士たちは懐から手紙を取り出し、それをにやにやしながら見つめだす。江戸を立つ前日にお千佳が気を利かせて赤坂の勝邸に届けさせた妻たちからの手紙だ。
「あ、俺、厠に。」
「次俺ね。」
そう言って次々と厠に立っては、ふう、と言って戻ってくるのだ。そして幸せそうな顔で眠りにつく。当然我らが臙脂隊からは死者も怪我人も出なかった。まずは幸先の良い勝利だったと言える。
「城内に一人も女が残ってないっちゅんはどういうことや! 」
「私の雷神が! 私の中の雷神が暴れている! 」
と二人ほど荒れている人がいたがそれはまあ、いいだろう。