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 下総市川に集結した旧幕府軍。その数は二千余り。主力は大鳥圭介配下の伝習隊である。会津藩士秋月登之助率いる第一大隊七百名、そして本多幸七郎率いる第二大隊六百名。それに砲兵隊が二百五十名。ほかに幕府歩兵第七連隊三百五十名が加わっていた。

 彼らは洋式の隊服に後込め式のエンフィールド銃を装備、そしてフランス式の洋式調練を十分に受けた、まさに精鋭。その中には将校として旧知の大川正次郎も居て、伝習隊第二大隊の歩兵指図役とされていた。


 そのほかにやはり洋式兵装の桑名藩兵二百人、こちらも旧知の立見鑑三郎が率いている。そしてトシが連れている新選組隊士が六名。これも洋式兵装。


 問題である。なんと俺たち以外はみんな洋式。俺たちだけが臙脂羽織の旧来の恰好をしていた。なんかすっごく取り残されたような気がする。すぐさま俺は一郎に荷車に積んできた海舟からもらった軍服に着替えるように指示を出した。


「なんや着なれん物着ると、こうこそばゆいもんがありますなぁ。」


「けどさ、みんな洋風で俺たちだけ、っていうのもなんかね。」


「まあ、そうどすけど。」


 その一郎は何やら右腕に包帯を巻いていた。


「どしたの、それ? ケガ? 」


「いや、僕の右腕には鬼が住み着いとるんどす。この世のすべてを滅する鬼が。せやからこうして封印を。」


「ふーん、大変だね。」


 俺がそういうと後ろから敏郎がこっそりと耳打ちする。


「あの人は童貞を拗らせてしまったんですよ。」


 それはそうと、海舟が俺用にくれた軍服はやたらに派手だ。袖の階級線は六重の金線でやたらに太く、複雑な模様。すっごく偉そうだ。とりあえずそれを着て、本営に顔を出すと一同がぎょっとした顔をする。そうだよね、驚くよね、だって俺たちは相も変わらず講武所風の髷、軍服とそれが決定的に似合わなかった。


「その、松坂殿? 」


「あはは、似合わないよね、この頭じゃ。」


 俺は大鳥さんの問いかけに軽い感じでそう答える。その向こうでトシがあちゃーっと言う顔をして額を抑えた。大川さんも立見さんも苦笑いで俺を見て、顔を知らない伝習隊の隊長たちはムッとした顔をしていた。


「えっと、何? そんな顔するほどに似合わない? 」


「その、ですな、松坂殿。」


 大鳥さんがばっちゃばっちゃ目を泳がせながら口を開く。


「すっごく、すっごく言いづらいのですが、その軍服は将官用。いわば、ご老中や、幕閣の方々がお召しになるものでして。」


「は? 何、普通に海舟がこれがいいって選んでくれたんだけど。」


「その、そういうの着られちゃうと私の立場とか全部ふっとんじゃうんで。」


 くそっ! 道理で派手だと思ったよ! 一郎のは二本線、安二郎は一本なのに俺だけ六本線だもの! 海舟の事だ、絶対わかってやったに違いない! だってあいつは陸軍総裁だもの! 階級章くらい知ってるよね、当然。


 恥ずかしくていたたまれなくなった俺はすぐさま善後策を講じた。


「じゃあさ、大鳥さん、あんたのととっ変えてよ。あんたがここじゃ大将格なんだから。」


「あ、いや、その恐れ多いって言うか、それに伝習隊は独自の隊服だから。」


「なら、立見さん。あんたがとっかえろよ。桑名藩士はこのくらいの物を着ておかなきゃ! だろ? 」


「ちょっと待ってくださいよ! そうやって私に面倒事振るのやめて! 」


 ちっと舌打ちして大川さんを探すと、大川さんはすでにそこにはいなかった。


「あはは、旦那、こっちこい! この人の事は俺が何とかしますんで。」


 トシがみんなにそう言って俺を奥に連れ込んだ。


「もう旦那、来て早々勘弁してくれよ。」


「文句は海舟に言えよ! あいつ絶対わかってやったに決まってる! 」


「ったくあの先生もなんだって余計な仕込みをするかなあ。とにかくそれは脱げって。」


「だって、これしか持ってきてないんだよ? みんな制服着てんのに俺だけ羽織袴ってのもさ! 」


「あーわかってる。俺が何とかしてやるから。」


「だっさい格好したくないの! 」


「はいはい、わかってるよ。」


 軍服を脱がされシャツに黒のスラックスと言うサラリーマン見たいな姿で待たされる。派手な軍服はトシが持ち去ってしまった。これにブーツをはくのだ。ともかくも現状は問題点でいっぱいである。まず髪形を何とかしなければ。


 しばらくするとトシがやってきて、俺の赤い鎖帷子を着せる。


「え、鎖なんかどうすんのさ。」


「いいからいいから。」


 そしてその上に自分の予備に持ってきた前開きのコートを着せた。


「ほれ、どうだ? 鎖の赤がよく映える。これなら文句ねえだろ。」


 なるほど、トシはモテる男だけあってセンスがいい。鎖は襟が立っていてかっこいいものだし、できれば着込んでいたかった。なんせ親父殿の形見でもある。


 機嫌を直した俺はトシと共に広間に行った。みんな俺の姿を見て、「おぉ! 」っと感嘆の声を上げる。


「いいじゃないですか、松坂さん。」


「うんうん、かっこいいですよ。」


「武人とはこうでなければ。」


 大鳥さん、それに立見さん、そして姿をくらましていた大川さんがそう言って俺を称賛した。


「いやぁ、それほどでも。」


 恥ずかし気に頭をかいてトシの上座に座った。その後は編成を決める会議である。


 まず先発隊として会津藩士秋月登之助を大将、土方歳三を参謀とした一軍が編成される。伝習隊第一大隊、それに桑名藩兵、幕臣有志の回天隊、合わせて約千人。


 そして本隊として大鳥圭介を大将に、本多幸七郎を副官とした伝習隊第二大隊、約六百。大川さんはそこに配属された。


 後軍としては山瀬主馬率いる幕府歩兵第七連隊、それに砲兵隊が加わりやはり六百となる。


「旦那、旦那、ほれ、起きろ。」


「ん? 決まった? 」


「ああ、旦那のとこは俺のとこと一緒だ。それでいいな? 」


「別にいいけど。」


 ま、そうなれば面倒事はすべてトシに。いい編成じゃない?



「それはそうと松坂殿、貴殿らは隊名をどうなさるおつもりか? 見廻る場所もないのに見廻組、と言う訳にも行きますまい? わずか二十五名とはいえ、名がなくては呼ぶにも困る。」


 少し嫌味っぽく本多幸七郎がそう言った。それにほかの隊長たちが乗っかって、はははっと見下すような笑いを漏らす。ま、なんだか判らない男が突然最上位の軍服を着て現れ、その上、新選組で名をはせた土方歳三の上座、つまり大鳥さんの次の席に座っているのだ。彼らにしてみりゃ面白くないのもわかる。

 だが、バカにされて黙っていられるほど人間が出来ていない俺はゆっくりと腰を浮かす。それをトシが抑え込み、立見さんと大川さんがすかさず俺の前をふさいだ。


 それを見て大鳥さんは思うところがあったのか、俺に声をかけた。


「確かに本多の言うように呼ぶべき隊名がなければ齟齬を。聞けば貴殿の隊は京においても、鳥羽伏見においてもその臙脂の羽織をもって抜群の働きを。いかかですかな、松坂殿、そのまま、臙脂隊と名乗られては? 」


「え、別にいいですけど。」


「なればそれで。本多、松坂殿の隊は特別第一小隊、臙脂隊、そう記しておけ。」


「はっ! 」


 何が特別でいくつあるうちの第一なのかは判らないけど何となく恰好よかったのでそれにすることに決めた。


「はは、よかったな、旦那。後は俺が全部やるから旦那はゆっくりくつろいでてくれ。」


「え、いいの? 会議はまだ。」


「だいじょうぶだから。面倒事は俺が、そうだろ? 立見さん、大川さん。」


 トシがそういうと二人はうんうんと頷いた。


 広間を追い出された俺は宿所に戻りみんなの姿を見る。うーんやっぱりこの頭にこの格好は。


「ハイみんな、集合! 」


 そういうとごろごろしてた連中が集まってくる。


「なんですの? 隊長はん。」


「えっと、この隊は今日から特別第一小隊、臙脂隊となりました。」


「へえ、かっこええですやん。」


「んで、問題がありまーす。ぶっちゃけね、この講武所風の頭とこの格好、完全に似合ってないからね。もう、ぷって吹き出すから。そこでこの問題の解決策を求めます。」


「まあ、そうどすな。安次郎はん、なんかいい案ないどすやろか? 」


 そう言われた安次郎は腕を組んで考え込み、ぼつりと言った。


「やはりここは坊主頭でありましょうな。」


「え、坊主にすんの? 」


「隊長殿、我らの月代は講武所風、狭くそり上げているのです。このまま伸ばせばどうなるか。」


「確かに、ものすっごいおかしなことになりそうだよね。」


「幸いにも軍服には帽子が。坊主にしても目立たぬかと。」


「そうどすな、安次郎はんの言う通りや。善は急げいうますし、早速。」


「「応! 」」


 こうして俺たちはみんな丸坊主に。それを隠すため、みんな帽子を被った。そして俺の帽子はトシに取り上げられていた。


「えっ、俺だけ帽子ないじゃん! 」


「ま、しばらくの辛抱どす。あはは。」


「そうですな。髪などすぐに生えてきます。あはは。」


 夕方になるとトシがやってきて坊主頭の俺たちを見てぎょっとする。


「一郎さんよ、こりゃなんだ? 」


「隊長はんが講武所風は軍服に似合わん言うから。」


「あ、っそ。」


「トシ、俺の帽子返せよ、あれがなきゃ俺は坊主頭をさらして歩くことになる。」


「あーありゃあダメだ。なんせもう焼いちまった。」


「は? 」


「軍帽にも階級線が縫い付けてあったろ? あんなもん被らしちゃまた、あれこれ言われんだよ。」


「ってことは? 」


「旦那はそのまんまだな。頭が寂しきゃほっかむりでもしとけ。」


「ざっけんな! ならお前も坊主になれよ! 」


「なんで? 勝手に坊主にしたんだろうが! 」


「一人じゃ恥ずかしいだろ! 決まり、新選組は全員坊主ね! 」


「ぜってー嫌だ! 俺はこの髪型気に入ってんだよ! 」


「まあまあ、ええやないどすか、ほんの少しの辛抱だす。」


「そうだよ、ちっとぐらい我慢しろ。」


「ちぇ、海舟がろくでもねえことすっから。」


「ま、それはそれとしてだ、俺たちは先鋒として早速出立することになった。」


「えー、もう? 」


「はいはい、ぐずぐず言わねえで行くぞ、一郎さん? 」


「そしたらいきますか。」


 仕方なしに俺はトシに引きずられながら宿舎を出た。



 俺たちが向かうのは日光。そのついでに道中の藩から軍資金や兵糧をせしめてしまおうというわけだ。先鋒軍は二手に分かれ一手は秋月率いる伝習隊。これは下妻を経由する。俺たちはトシを大将にして桑名の立見さんたちと下館に向かった。


 下館藩主、石川総管いしかわふさかねはかつて幕府の陸軍奉行、陸軍副総裁を務めたこともある人だがこの時は病を言い立て表にも出てこなかった。トシが交渉に当たっているがもう長い時間何の返事もない。


「もう、トシも何やってんだか。」


「はは、鳥羽伏見での佐々木さんを思い出しますね。」


「そうそう、そういやあそこで立見さんの童貞が発覚したんだっけ。」


「違うって言ってるでしょ! 」


 そういう立見さんの手を、一郎がしっかりと握った。


「ええ、ええんどす。そのやるせなさ、僕が誰よりもわかりますから。」


「渡辺さん! だから私は違うと! 」


「心に巣食う鬼、おりますやろ? この世の全てが憎くてたまらない。そんなふつふつと湧き上がる思い、ありますやろ? 」


 しばらくじっと考え込んでいた立見さんは、ぐっと一郎の手を取った。


「渡辺さん、私はその思いを『雷神』と名付けています。」


 こうして立見さんの童貞疑惑は立証された。


「もうさ、鬼でも雷神でもなんでもいいけど、とりあえず行こうか。トシに任せておいたら日が暮れる。」


「そうですな、わが雷神を解き放つべき時が! 」


「僕の右手、もう抑えがきかへんとこやった! 」


 一郎と立見さんを引き連れてトシのいる陣屋の門の前に行く。


「あーっ! 止まって、そこまで! な、今話しついたとこだから! はいはい、いい子だから戻りましょうねぇ。」


 ふと見ればトシの配下の新選組がちょうど荷車を陣屋から運び出していた。交渉の結果、下館藩より軍資金と兵糧を得られたらしい。


「うぉぉ! 僕の右手がぁ! 」


「渡辺さん! 急いで封印を! 」


 そんなコントをトシと二人で見ていた。


「何アレ。」


「ん、立見さんは一郎と同類だった。ま、仲良さそうでいいじゃん。」


 そのあと秋月の隊と合流し、十八日に、宇都宮を目指して北上した。


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