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 慶応四年三月十二日、俺は海舟の名代として、戦いに敗れ、負傷者を治療している医学館に新選組を訪ねた。トシ、それにはじめちゃん。新選組には二人の友がいる。


「ははっ、きれいさっぱりやられちまったみてえだ、旦那。俺は敵の面さえ拝めねえまんまさ。」


「ま、話にならなかったもんね。」


 トシとはじめちゃん、二人の無事を確認し、ほっと一息ついた。


「ま、生きてりゃなんとでもなるさ。ケガもなくて何よりだったよ。」


 二人の肩を抱き、生還を祝う。その時慌ただしく駆け込んでくる一団があった。


「内藤殿、これはどういうことか? 集合場所は大久保主膳正邸のはずでは? 」


 固い口調でそういうのは原田左之助。隣で永倉新八がぶすっとした顔で立っていた。


「あ、ああ、すまねえな。ケガしたやつらを一刻も早くと思ってな。」


「それはそうと我らは大久保殿にはかりたきことがある。大久保殿は? 」


「奥にいるぜ。」


「失礼を。」


 そう言って永倉、原田は俺の前をすり抜けていった。


「なにあれ? 」


「もうよ、いろいろとあんだよ。うちは。」


「嫌われてるもんね、大久保。」


「だがな、あんなのでも一応うちの大将だ。立ててやらなきゃならねえんだよ。」


「ふーん、でもいつか斬ることになりそうだね。例えばこの後、とか。」


「おいおい、物騒な事言うんじゃねえよ。斉藤。」


「そうならなきゃいいとは思ってるよ。内藤さん? 」


 そうこういう間に奥では争う声が、俺たちもそこに向かった。そこは洋室で椅子に腰かけた大久保さんと、同じく椅子に座った永倉、原田がいた。


「んじゃ、あんたはどうしても会津にはいかねえ、そういう事かい? 大久保さん。」


「拙者は若年寄格。江戸を捨て、会津に参るわけには行かん。」


 永倉は今にもつかみかからんばかりの勢いで、近藤さんに詰め寄った。


「なら、あんたは! あんたは! あんなみっともねえ戦いで終わるつもりか! 伏見も鳥羽も、そして甲州もみんなみんな負け戦! 源さんだって死んじまった! それでいいのか! 」


「よせ、永倉。言うだけ無駄だ。俺たちは会津に。それでいい。」


 原田がそう言って、二人が憎々し気に近藤さんを見る。そして部屋を出ようとした時に大久保さんが片頬を上げた。


「貴殿らが、拙者の家臣となりて忠義を尽くす、そう申すのであれば拙者から幕閣に許諾も得よう。」


 その言葉に二人は心底呆れた顔をした。そして永倉が何か可哀そうなものでも見るように口を開く。


「それがしは、将軍家直臣でありますゆえ、お手前に仕えるわけには行き申さぬ。壮健であられよ、若年寄殿。」


 そう揶揄するように言って二人は出ていった。大久保さんはよほど腹に据えかねたのか、そこにあったテーブルを蹴り飛ばした。そして俺と目が合うと残酷、と言うか、何か意地悪い顔になってこう言った。


「これは松坂殿。間の悪いところをお見せした。ですが、城を失ったとは言え当方は大名格。その拙者に挨拶の一つもないとはいかなる事ですかな? 確かに以前は貴殿が格上。ですが今はそうではない。そうであろう? 松坂。」


 そう大久保大和、いや、近藤さんが俺を呼び捨てた時、後ろではじめちゃんがカチャっと刀の鯉口を切った。俺はそれを手で押しとどめる。


「なるほどなるほど、確かにお手前の言われる通り。しかし、今のわが身は勝安房の名代である。頭が高い! 」


 自分で言い出した以上近藤さんはどうすることもできず、ぎりぎりと張った顎を噛みしめながら洋室の床に座り、頭を下げた。


「殊勝であるな、近藤、いや大久保とやら。勝は貴殿らに見舞いとして金五十両を遣わす。ありがたく受け取れ。」


 そう言って俺は這いつくばる近藤さんの頭の上で切り餅の帯を解き、バラバラと頭の上に小判を散らしてやった。


「用件は以上、邪魔をしたな。内藤、斉藤、帰りの共をせよ。」


「「はっ! 」」


 俺は偉そうにトシとはじめちゃんを従えて外に出る。そして医学館の門を出た時、はじめちゃんがぷくくっと笑いを漏らした。


「もう、新さん最高! あいつさあ、完全にのぼせ上ってるもん。」


「旦那も斉藤もいい加減にしてくれよ。俺は肝が冷えっぱなしだ。」


「まあまあ、せっかくだからそばでも食おうぜ。殴らなかっただけ俺も大人になったって事さ。」


「ったく、悪知恵ばかりは働きやがる。勝先生の名代と言われちゃ近藤さんにはなんもできねえよ。」


「あはは、大久保じゃなかったっけ? 内藤さん。」


「もうそういうのもめんどくせえだろ? 俺も土方って呼ばれたほうがしっくりくるし。」


 近くのそばやで座敷を借りて、天ぷらそばと冷酒を頼んだ。


「見ての通り新選組はバラバラだ。けど俺には奴らを引き込んだ責任ってのがある。斉藤、悪いがもうちっと付き合ってもらうぜ? 」


「別にやることないからいいけど。でも、新さんはどうするの? 」


「んー海舟が江戸にいろって。俺にさせたいことがあるらしい。それが済んだら俺も会津、かな? 」


「おいおい、旦那は俺たちと違うんだ。西郷だってなんだって知り合いなんだろ? うまく頭を下げりゃ許してもらえんじゃねえか? 」


「トシ、俺にそんなことできると思う? 」


「ま、無理な話だろうな。あんたを這いつくばらせるにはあの世から男谷先生を呼んでこなくちゃならねえし、その男谷先生だってよくやった、って言いかねねえ。あはは。」


「そうそう、新さんはこんなところで自分を折らない。男谷の男だし、奥方様からも悔いのないようにって言われてるもんね。」


「ま、海舟がどう話をつけるかは知らないけど、幕府はすっぽり無くなることは確実さ。その後は誰の為でもない、俺の為に戦うつもり。容保さまには恩があるしね。」


「んじゃ今少しは楽しめるって訳だな。」


「けど土方さん、そのためには近藤をどうにかしないとね。」


「ま、その辺もな。うまいことやるしかねえさ。」


 トシたちと別れて勝邸に。そこには客が長蛇の列をなしていた。誰もかれも明日がどうなるか、海舟の見解を聞きたいのだ。


「さすがにこれだけ賑わっちゃオイラもきつい。新九郎、明日はいよいよおめえの出番だ。今日はしっかり飯食って、しっかり眠っとけ。厳しい場面になるだろうからよ。」


「ま、厳しいのは今更さ。あんたの親父に比べれば薩長の軍勢だって菩薩に見えるさ。」


「はは、ちげえねえ。んじゃ明日な。」


「ああ。」


 離れに戻るとそこに難しい顔した一郎が待っていた。


「どしたの一郎。また敏郎と喧嘩? 」


「いや、それもしましたけど、今日、佐々木さんの組にいた伍長の大塚、大塚霍之丞ってのが訪ねて来はったんどす。」


「誰それ。」


「僕もよう覚えとらんのですけど。なんせ、松坂隊はいっつも別行動やったさかい。」


「んで? 」


「その大塚が言うには一橋の家臣らが上方帰りの諸隊の連中に声かけて、彰義隊っちゅうのをこしらえるとか。」


「へえ。」


「それで僕らにも入らんかって。隊長はんの知り合いの天野やらいうんもいるらしいんどす。」


「天野ねえ、どうだったかな。」


「ほんで、その大塚は岩田から彰義隊の組頭に任じられたとか。全部で三百は居るらしいんどす。」


「ま、いいじゃん、そいつらはそいつらで。うちはどこにもつかないし、増えることも減ることもないさ。」


「そうどすな。」


 翌十三日、俺は朝から海舟に連れられて高輪にある薩摩藩邸に向かった。お忍びであるらしく供は俺一人。何せ敵陣に二人で乗り込むのだ。いざともなれば海舟はあてにならない。俺がすべて斬ることになるだろう。そう覚悟を決めていた。



「お腰のもんを。」


 そういう薩摩藩士を無視して上がる。かつて島津久光も佩刀したまま将軍に拝謁した。向こうがやったことをこっちがやって悪いはずもない。


「新九郎、おめえはここで。用があったら呼び入れる。いいな? 」


「あいよ。そん時はみんな斬り殺してでもあんたを連れだしてやるさ。ま、五体満足とはいかないかもだけど。」


「おいおい、勘弁してくれよ。そうならねえようきちんと話をつけてやる。おめえは俺の隠し玉、いいとこで出番、って訳だ。」


 そう言って海舟は座敷に入り、俺は次の間で出された茶をすすり、キセルに火を入れた。


 西郷さんは興奮気味に「ごわす! ごわす! 」と吠えたてる。話の内容までは判らないが、あまりうまい具合には進んでなさそうだ。

 しばらくすると海舟の声で「おう、入ってこい! 」と声がかかった。俺は襖を力いっぱい開けて刀に手をかけながらどう立ち回るか素早く考える。


「おめえ、何してんだ、一人で。」


「えっ? 」


「ちょっと、やだ、新さんじゃない! 何でここに? 勝さんも、そういうのやめてよね。」


「っていうか、みんな斬ればいいんだよね? 」


「ばっか、話し合いだって言ってんだろうが。いいから座れ! 」


「あ、うん、そう、話し合い。だからね、そんな怖い顔しちゃ嫌。ほら、誰かお茶もってきて! お菓子もね、甘い奴! 」


 なんだかわからないがとりあえず海舟の隣に座り、出された茶と菓子を頂いた。襖がぱたりと閉じられると海舟がニヤリとして話し出す。


「新九郎、ま、大体のところは話がついてる。江戸城は明け渡し、徳川家は田安の亀之助が継いでそれなりの石高で大名にって話だ。」


「ふーん、で、問題は? 」


「慶喜公だよ。あれに腹を切らせろって西郷は聞かねえんだ。」


「だってだよ新さん? このまんま江戸城明け渡し、徳川は残ります。慶喜公も手を着けません、じゃみんな納得しないもの。オイさんもね、べつにいくさがしたい訳じゃないの。江戸を攻めて民を敵に回せば新政府は立ち行かない、そのくらい判ってんの。だけどさ、みんな一戦構えるつもりでここに来てる。それがそんな肩透かしじゃ。せめて慶喜公の首でもあれば。」


「だから、そいつをやっちゃ武士の一分が立たねえんだよ! 」


「そりゃ、山岡さんもそう言ってたけど、逆の立場で島津の殿の首を差し出せるかって。まあ、無理だよね。久光公ならどうぞうどうぞってなもんだけど忠義公は無理だもの。けどね、その無理を押し通すためにいくさしてるの。」


「んじゃいくつか無理を増やしてやろうじゃねえか。いいか、西郷、おめえらが江戸に攻め寄せたらどうなると思う? 」


「そりゃあ、激戦になるでしょ。」


「そうじゃねえ、おめえらは負けるんだよ。」


「ちょっと勝さん、そりゃ認めたくないのはわかるけど。」


「いいか、オイラだってただ遊んでたわけじゃねえ。幕府にあっておめえらにねえもんはなんだ? 」


「うーん、船? 」


「そうだ、船だ。いざいくさ、ってなったら江戸の民は房州に避難する。それこそ船でな。」


「あ、それ助かる。民を巻き込むのは本意じゃないし。」


「んでな、江戸の八百八町はみんな火の海、跡形も残さずに焼いちまう。するとどうなる? 」


「えっ、そうされると兵の泊まる場所もなくて、建物を建てようにも誰もいない。兵糧だって苦しくなるよね。えっ? 」


「そこに持ってきて江戸城は天下第一の堅城だ。武器もなんもうなるほどありやがる。おめえらが船で兵糧弾薬を運ぼうにも船のいくさじゃこっちに分がある。こいつはな、フランスのナポレオンって将軍がロシアにやられたやり方だ。冬は凍死、夏は疫病。飯も弾も届かねえ、となりゃあとは反乱騒ぎだ。」


「はぁ、それでもさ、いくさ、となれば引けないよ。御旗を立てた官軍が朝敵に負けるわけには行かないし。勝さん、オイさんたちを甘く見すぎ。帝を担いだ以上、どうあっても引けない。」


「ははっ、だろうな。だがオイラを甘く見てんのはおめえだな。西郷、おめえは最近パークスと話をしたか? 」


「エゲレスの? いや、それどころじゃなくて。」


「エゲレスだけじゃねえ、西洋ってとこじゃ、恭順決め込んだらそれ以上は手を出さねえって決まりがある。パークスは言ってたぜ? これ以上慶喜を追い込むなら外国に亡命させるって。そうなりゃ数年の後は黒船に囲まれておめえらもこの国も帝も、なんもかんもお終いだな。後には異国の傀儡となった慶喜が座るって訳だ。」


「――勝さん。それをやられちゃオイさんたちだって。」


「おうっ! 西郷、こちとら三百年も侍稼業やってんだ。その侍の一分を踏みつぶそうってんなら諸共全部ぶっ壊してやる。いいか、この先はおめえらがこの国を守るんだ。んで俺たちは昔のおめえらみたいに攘夷だなんだと異国人を斬って回るかもしれねえ。公家だのなんだのも天誅だったら斬っていいんだろ? 全部おめえらがやってきたことだ。そのケツが拭けんのか!? おめえら新政府によ! 」


 西郷さんは脂汗を浮かべて考え込んだ。そしてしばらくすると、ぶるるるっと唇を震わせた。


「はは、無理、そんなことされたらこの国がつぶれちゃう。」


「そういうこったな。西郷、今回の事はこの新九郎への借りを返した、そういうことにして飲んじゃくれねえか? 」


「もう、わかった、わかりましたぁ。慶喜公は謹慎。それでオイさんがみんなを納得させるから。」


 そう言って西郷さんは海舟の条件を飲んだ。


「えっと、西郷さん。んじゃあんたへの貸しはあと一つね。あとは一蔵さんにひとつと、村田さんの分があった。」


「ちょっとちょっと、新さん? こーんなでっかい貸しを後三つ? 今ので全部でいいじゃない? 」


「ダメ。それとね、上野にうちの店があるから。鐘屋っていうの。そこを燃やしたり手を出したりしたら許さないからね。」


「え、許さないって具体的には? 」


「そうだねえ、薩摩藩士を語って横浜で十人くらい異人斬り? 船を乗っ取るってのもいいなあ。伊牟田の時は賠償金、通訳一人でいくらだっけ。生麦の時は? 」


「あーそうだな、ヒュースケンの時は洋銀で一万ドル。ま、七千両ってとこか? 生麦の時は十万ポンド。ざっと三十万両だな。」


「んじゃ十人も斬ればずいぶんと景気のいい話になりそうだね。」


「だな、エゲレス人はそういうとこきっちりしてるからな。」


「やめて、そういうのやめて。お願いだから。」


「いい? 西郷さん、うちの店、鐘屋、しっかり覚えた? そこが焼けたり奉公人が殺されたりしたら必ずやるから。例え誰の手によるものでもね。」


「ひどい! そんなのってあんまり! オイさんが責任もって守ればいいんでしょ! 」


「そういう事、ここから先は俺たちが不逞浪士ね。要人とか異人とかバンバン斬っちゃうんだから。天誅! ってね。けど西郷さんとか一蔵さんは斬らないであげる。約束したし、責任取る人がいなくなると困るでしょ? 」


「ねえねえ、勝さん。なんか言って! 普通はここで、手を取り合って一緒に国を、そういう流れでしょ? 」


「ま、オイラはそうするつもりだが、新九郎の事はとやかく言えねえさ。男谷の矜持が許さねえってんならこいつはなんだってする。そいつを止めちゃオイラが男谷の男を外されて斬られちまうさ。西郷さんよ、いっくら兵を率いてようがこういうやつには敵わねえ。オイラはむかし、よく親父に言われたもんさ。バカには勝てねえってな。」


「新さん? オイさんたちは友達だよね? そーんな悪い事しちゃだめ。わかるよねぇ? 」


「あ、そっか、今度は俺たちが悪者なんだ。ま、いいけど。悪者ってのもかっこいいじゃん? 西郷さん、もう会うこともないかもしれないから最後に見せてあげる。」


「なにそれ、一文銭じゃない。」


「これをこうしてこうするの。」


 俺は雷光の構えを取り、指先で一文銭を弾いた。その一文銭は西郷さんの頬をかすめ、後ろの柱にズドンと音を立ててめり込んだ。俺は次々と一文銭を撃ちだし、都合五枚の銭が柱に埋まる。


「どう? ピストルよりもいいでしょ。人の頭なんかも撃ちぬけるよ? 」


「あは、あはは。新さん、オイさんはね、何があっても新さんを敵に回さないから。友達だもんね。」


「そうそう、友達。んじゃ海舟、話が付いたならそろそろ行こうか。」


「だな。んじゃ西郷、明日には書付にしといてくれよ? 約定をたがえるならこっちはやることやるのみだ。だろ? 薩摩藩士の新九郎。」


「そいでごわす。異人などチェストーとオイが斬り捨てもんそ。なんてね。あはは。」


 西郷さんは何かを言い駆けて膝立ちになるが、くたくたっとその場にふさぎ込んだ。


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