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 慶応四年二月十二日、徳川慶喜は江戸城をでて上野寛永寺大慈院に居を移した。すでに官位を朝廷に奪われ、ただの徳川家の当主となった徳川慶喜。大阪で家臣を捨て、今また徳川幕府の象徴ともいえる江戸城を捨てた。


「ま、こうなっちゃどうしようもねえな。小栗さんも罷免されちまったし、幕府、いや旧幕府には誰も残っちゃいねえ。後片付けを任されたのがオイラって訳だ。」


 海舟の語る状況は最悪。桑名藩はすでに開城、所司代だった松平定敬さまは深川で謹慎。そして容保さまは大阪脱出の責を取り隠居した。そして幕府歩兵がまたもや脱走。古屋とか言うのを頭に今井さんたちがそれを取り締まりに行っている。


「んで、どうすんの? 」


「オイラも男谷の男さ。何がどうあろうが慶喜さまだけは守って見せらあ。いっくら気に入らねえ主君であっても、はいそうですかって新政府に慶喜さまの首を差し出しちゃあ、あんまりにも幕臣としての甲斐がねえ。」


「江戸城は? 」


「江戸城、それに艦隊。つかえるもんはなんだって使って交渉するさ。そのためには余計な奴らは江戸から出さねえとな。この期に及んで主戦論を唱えるのは無駄で、無理で、迷惑だ。江戸には町人、商人が山ほどいる。そいつらを巻き込んでのいくさなんぞできるかってんだ! 」


「けどさあ、それじゃあんまりにも不甲斐ない。旗本八万騎、まだ健在だろ? それに洋式調練を受けた幕府歩兵も。」


「いいか、新九郎。交渉ってのはこっちが力を持ってるうちじゃなきゃできねえ。矢が尽きて刀が折れてからじゃ何を言おうが降伏だ。こっちの言い分なんか通らねえ。徳川って名の付くもんはみんな斬首。俺たち幕臣だってなんもかんも巻き上げられてお終えだ。こっちの言うこと聞いてくれねえなら考えがあるぜ? そう言える状況じゃねえとまずいんだよ。」


「ふーん。ま、言わんとすることは判らないでもないけど。」


「当面は徳川って家を大名として残す。俺たち幕臣を養えるぐらいの領地と共にな、そこが落としどころよ。その先は藩をなくして合議制、って事になるだろうがな。降伏じゃなくて新政府に合併。そういう方向で探ってみるつもりだよ。」


 寛永寺に謹慎中の徳川慶喜の護衛として新選組や見廻組が充てられた。そして十五日、俺は容保さまの招きを受けて会津屋敷に伺候する。そこには新選組の近藤さんやトシもいた。


「皆の物、鳥羽、伏見においての勇戦、まことに大儀であった。会津藩士、そして幕臣としての誇り、負けはしたがそれだけは守れたと思う。」


 慰労の言葉に一同が平伏、中には泣き出すものまでいた。


「だが、わしは不甲斐ない行いをした。状況はどうあれ皆を見捨てて大阪を脱出したことには変わりない。ここに深く詫びよう。そしてこれよりは疲弊した会津の回復に努めたい。」


 そう言って容保さまは俺たちに深々と頭を下げた。そのあと慰労の酒と肴がふるまわれ、解散、となった後、俺は直さんに呼ばれ別室に。


「新さん、只三郎は。」


「うん、トシから聞いた。最後を直さんに看取られたんだ。十分すぎる身の終わり方さ。」


「……そうだな。只三郎は立派に役目をはたして死んだ。武士としては最上。」


「そうさ、変に憐れんだり、悲しんだりしたらまた口をとんがらせて膨れるよ。只さんは。」


「あはは、そうだな、あいつはすぐ。ははっ、ははは。」


 涙にぬれた顔を隠すように直さんはそう笑った。そのあと酒を酌み交わしながら只さんの家族の行方を聞いた。奥さんの七重さんは紀州藩士の娘、なので生まれたばかりのせがれ、高と共にそちらに身を寄せたという。


「それで、新さん。」


 直さんがそう言いかけた時、襖が開き、容保さまが現れた。


「直右衛門、そこからはわしが話そう。」


 俺と直さんは平伏し、直さんが上座を空けて、そこに容保さまが座ると酌をした。


「松坂、お前は勝安房の親族、この先の事、なにか聞いてはおらぬか? 」


「はい、慶喜公が、ああである以上、戦うのは論外だと。力のあるうちに新政府と交渉をして徳川を残し、降伏ではなく、合併、そう持っていきたいと言ってました。」


「ふふ、あの男らしい。詰めが甘いところもな。」


「ははっ、ですよね、あいつはいつもそれで失敗するんです。」


「とはいえ今はあいつが頼み。その詰めの甘さを補うも我らの務めであろうな。」


「殿、いかがなさるおつもりで? 」


「このままいけば我らは朝敵、そうなるであろうよ。降伏すればわしと主だった家老は切腹。家名は残るかどうか怪しいところだ。かつて我らは長州にそれを求めた。逆になったと言うわけだな。」


「……して、」


「うむ、普通に切腹はしたくない。痛そうだしな。ははっ、死ぬなら存分に戦ってから、そう思わぬか? 直右衛門。」


「誠にその通りかと。」


「よいか、松坂。勝に伝えよ。交渉するなら舐められたら終わり。西国を次々と飲み込んできた政府軍とて、一戦もせず、では引くに引けぬ。勝の策を果たすには誰かが戦って、武威を示さねばならんのだ。」


「そうでしょうね。」


「そしてその役を果たすは薩長と折り合わぬもの。我ら会津は薩長に頭は下げれぬし、奴らもまた、会津を許すことはない。新選組もそうであろうし、お前たち見廻組もそうだ。」


 そう言いながらニヤッとする容保さまにつられ、俺も顔をほころばせる。


「もし次のいくさとなるならば、わしも前に出る。そして松坂、お前に会津指弾の深遠を見せてやれるかもしれんな。」


「ははっ、そりゃぜひとも拝見したいものですね。」


「ま、お前は江戸で勝を支えよ。そして戦うならば会津に来い。お前はわしの友でもあるからな。歓迎する。」


「新さん。わしも会津で待ってる。」


「存分に戦えと、妻にも言われております。それに男谷の男は友を見捨てるような真似は致しません。」


「うむ、共にあの西郷、大久保の面に指弾をうちはなってやろうぞ! 」


「はいっ! 」


 会津藩はトシの求めに応じ、新選組にも軍資金を出すらしい。そして近々会津に戻り、藩の意思を固め、近隣諸藩にも周旋を。さすが容保さま。どっかの将軍と違って頼りになる。やっぱ大将はこうでなくちゃ。



「そうかい、会津候がそんなことを。ま、オイラもそれは考えてた。どっかで力を見せなきゃならねえとな。とりあえずはあのうるせえ近藤たち新選組を甲州に送り込む。江戸城に金を残しておいても意味はねえからたっぷり持たせたし、甲府の城もくれてやるさ。近藤に至っては大久保の姓と若年寄の格までつけた大盤振る舞いよ。土方にも内藤の姓をくれてやった。それでいくらかでも新政府軍の足がとまりゃめっけもんさ。」


 翌日、俺は海舟の共をして医学館に収容された負傷兵の慰問に付き添っていた。


「んでな、ここの先生も土方に金を出してる。な? 良順先生? 」


「ええ、この際金はどしどし使わなければ。勝さん、奥でお茶でも。」


 医学館の医師、松本良順は京のころから新選組とは懇意であり、特にトシとはあれこれ持論を語り合う中でもあるのだという。


「松坂さんの話は土方君からもよく。禁門の変では薩摩に大砲を撃ち込んだそうで。実に胸のすく行いでした。ははは。」


「ま、会津の腹は判った。って事は桑名もあのまま黙っちゃいねえって事だ。オイラにとっちゃ手持ちの札が増えたことになる。んで新九郎、おめえは江戸を離れちゃならねえ。」


「なんでさ。」


「おめえはオイラの隠し玉だ。なんせ西郷だろうが誰だろうがおめえにかかっちゃ形無しだからな。」


「ともかく優先すべきは江戸の町を戦火から守ること、ですな? 勝さん。」


「そういうことだ。武士は戦って死ぬのも本分だろうが民はそうじゃねえ。それにな、江戸の民を敵としちゃ新政府は立ち行かねえ。そうなりゃ異国も手を出してくんだろうよ。そうなっちまったらこの国はお終えだ。徳川は残し、新政府には異国に口を出させねえ政府になってもらわなきゃな。勝った負けたの話だけじゃねえんだ。」


「まったくもってその通り。武士の矜持、そのために江戸の民を巻き込むわけには。」


 その日、会津藩主松平容保、そして桑名藩主松平定敬は朝敵と認定された。



「な、なんやそれ! それだけは、それだけはあかん! 絶対にゆるされへんで! 敏郎! 」


「ふっ、別に許される必要はないんですけど? 」


「う、裏切った! 僕の気持ちを裏切ったんや! うわぁぁぁ! 」


 そう言って一郎は敏郎に殴り掛かる。屋敷に帰るなりこのありさまですよ。


「ま、何だか知らねえが、おめえの下のもんだ。きっちり面倒見てやれよ? 」


 そう言ってあきれ顔の海舟は母屋に入っていった。乱闘騒ぎは敏郎の勝利。なんでもできる一郎は喧嘩だけはすっごく弱いのだ。そして剣術はからっきしの敏郎は喧嘩が強い。当然の帰結であった。


「ま、青春の発露、と言うやつですな。」


 そばで見ていた安次郎もそう言って母屋に引き上げてしまう。勝ち誇る敏郎としくしくと泣く一郎を離れに連れて行って話を聞いた。


「隊長はん! 敏郎のやつが僕を裏切ったんや! 」


「あーごめん、で、どういうこと? 」


 そう尋ねると敏郎は懐から一通の手紙を差し出した。そこには会えなくてさみしい、とか、お慕いしている、とか、あの夜の事は忘れない、とか明らかにそれとわかる女文字で書かれてあった。差出人の名は佐紀。律の侍女である。


「そのですね、多摩を出る前の夜に、佐紀さんが。」


「こいつは咎人どす! 切腹どす! 」


「ははっ、で? 敏郎はどうなの? 」


「はい、世が落ち着いたら祝言を挙げたいと。」


「あかん! それだけはあかん! 」


「それで、さっきこの文が届いて、そしたらこの童貞が騒ぎ出したんですよ。」


「お、おどれ、それだけはいうたらあかんやろ! 」


 なるほど、童貞仲間、心の友と思っていた敏郎に裏切られたと。


「まあまあ、一郎も落ち着いて。俺が何とか世話してやるから。」


「ほ、ほんまどすか! さすが隊長はんや! 」


 当然頭に思い浮かんだのはお順、いや瑞枝とさなだ。最初は年上がいいっていうしね。まずは照れる一郎をつれて瑞枝の部屋を訪ねた。


「でね、そういう訳で、筆おろしてきな事、頼めないかなって。」


「もう、隊長はん? そない言うたら照れますやんか。」


 瑞枝は無言で立ち上がり、俺に渾身の右ストレートを放った。


「痛ってえ! 何すんだよ! 」


「あんた、自分が何言ってるかわかってる? 」


「だーかーらー、ちょっと相手してくれりゃいいだろ? 生娘でもあるまいし。」


「ふっざけんな! 死ね! それにね、あたしは上方言葉の男は嫌いなんだよ! 」


「あー、そないな事言わんでも! 」


「なんだい、軟弱もの! 」


「おばはんのくせによう言うわ! このケツデカ女! 」


 一郎はそう言った瞬間に幻の右を食らって庭まで転がり落ちた。


「いやだねえ、これだから女心のわからない童貞は。ね、瑞枝? 」


「お前が言うな! このクズが! 」


 なぜか俺も庭に蹴りだされた。しくしくと泣く、一郎を立ち上がらせて次に向かう。


「大丈夫、次のは土佐なまりでも行けたクチだから。ね、だからもう、泣くなって。」


「ほんまですやろな? 」


「ああ、しかも美人だ。瑞枝よりも若いし。」


「うわ、なんや生きる気力が出てますわ! のこりもんには福がある。そういう事どすな? 」


「そうそう、親は剣術道場やってるし、一郎は剣もできるから問題なし! 」


「ますますええですやん! 」



「おや、新さん? 覚悟が決まったのかな? 」


「ははっ、定さん、俺には律っちゃんがいるからね。だからさ、代わりにこの一郎とかどうかなって。」


「渡辺一郎、名をあつしいいます。小千葉先生のお名前は京にも聞こえておりました。」


「ほう、なかなか見どころがある若者じゃない。」


「そりゃそうさ、なんせ俺の隊の肝煎だからね、トシと同じ七十俵五人扶持だよ? 」


「あー、そうだよね、お父さん、顔見て判ったもん、この人はただものじゃないって。」


「それに剣だって一流さ。あのポンコツ野郎とは違ってね。」


「わぉ、すんばらしい! さな、さな? お客さんですよー! 」


 うん、今度はいい感じ。一郎の上方言葉も問題ないし、さなもニコニコと笑っている。さ、あとは若い二人に。と、俺と定さんは席を外した。


「いいね、実にいいよ。新さんもやるじゃない。」


「そりゃあね、定さんも大変だろうし、さながいつまでも居ついちゃ。」


 そんな話をしていると、向こうから「ぎぇえええっ! 」と一郎の悲鳴が上がった。何事かと駆けつけるとさなが一郎を踏みつけて、長刀の柄で叩いていた。


「ちょっとさな! なにやってんの! 」


「新九郎さん、どういうことですか! 龍馬さんの仇を私になんて! 」


「えっ? 」


「この男は得意げに龍馬さんをやったのは自分だと! 」


「だって、そのほうがかっこええですやん! 」


「龍馬さんは私の許嫁。それを知って! 」


「あわわわ、知らん、知らんかったんどす! 堪忍、堪忍や! 」


「ちょっと新さん、あーた、なーんでそういう大事な事を言っておかないかなぁ? 」


「いや、そのね。だってあの時一郎、鍋食ってただけだし。」


 結局こちらも破談。俺たちはとぼとぼと赤坂に戻った。


「一郎、そんな落ち込むなって。また次があるさ。」


「もう、もう、ええんどす。わはははは! 僕は、僕はこの世界を許さへん! 全部ひっくり返して新世界の神になるんや! 」


 などと、一郎は意味不明な供述をしていた。


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