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 翌日、俺は律と彦五郎さん夫婦と共に土方家を訪ねた。


「だ、旦那、何の用だ一体! 」


「まあまあ、為次郎さんは? 」


「ああ、兄貴は奥にいる。」


「んじゃ、ちっと上がらしてもらうよ。為さーん。」


 トシが止めるのもかまわず彦五郎さんはずかずかと上がっていった。


「ん、彦か? それと松坂の旦那も。よう来なすった。喜六、お茶を。」


 為次郎さんと、土方家の当主喜六さん夫婦、それに彦五郎さん夫婦で居間に集まり、トシは端で小さくなっていた。


「んでな、為さん、歳三の奴もいい加減いい年だ。身分だって立派なもんだしそろそろ身を固めさしちゃどうかってな。」


「そうですよ、兄さん。歳三もいつまでも独り身って訳にも行きませんから。」


 彦五郎さんと、その妻のぶさんは為次郎さんにそう言い立てた。


「ちょっと待ってくれ! 今はそれどころじゃねえんだ! だろ? 旦那。」


 トシは慌てて俺に同意を求めた。


「いいや、天下の事は天下の事、お前の事はお前の事さ。」


「そうですよ、トシさん。身を固めるのは大切な事。為次郎さんも、彦五郎さんもあなたの事を気にかけていらっしゃったのですから。」


「いやぁ、仰る通り、おいらたちは歳三の事が気になって。なんせ今やお侍だ。妻の一人も居なきゃ恰好つかねえ。だろ? おのぶ。」


「本当ですよ。悪い遊びを覚えられても困りますし。」


「な、なあ、兄貴、本当に今はそれどころじゃねえんだ。俺だっていつ死んじまうかわからねえ。そうなりゃ相手は後家になる。だから、な? 世が落ち着くまでは。」


 鬼の副長だろうが何だろうが家族の前ではどうにもならない。慌てふためくトシを前に為次郎さんは腕を組んで考え込んだ。三秒くらい。


「喜六、お琴を。」


「はい、兄さん。」


「ああああ! 兄貴! 俺の言ったこと聞いてる? 」


「松坂の旦那、申し訳ないが歳三の仲人をお頼みできねえでしょうか? なんせ旦那は武勇逞しく、奥方様は誰もが認めるできた方だ。だろ? 彦。」


「ああ、そういつはいいや! 村の連中だって松坂様ご夫妻の仲人だってんなら喜ぼうってもんよ。」


「ええ、律さまは皆に慕われておいでですし。歳三、よかったわね。」


「ちっともよくねえよ! あんたら俺の話まったく聞いてねえだろ! 」


「いや、俺なんかでよければ仲人でもなんでも。な、律っちゃん? 」


「ええ、お任せください。トシさんとも長い付き合いですし。」


「あー、もーいや、なんでだーれも俺の話聞いてくれねえかな。」


「それでね、為次郎さん。」


「やだなあ、旦那。もうあんたとは身内みてえなもんだ。俺の事は為、とでも呼んでくれりゃいい。」


「はは、なら俺も、名前で。」


「そうだ、それが良い。俺も彦って呼んで下せえよ。新さん。」


「いいねえ、それでね、為さん。そのお琴さんはいいとして、今一人、」


「ああ、夕べもそんなこと言ってたけど。あてでもあるのかい? 新さん。」


「ちょっと旦那? それはさすがにねえだろ! 」


「なんだい? 別口でいい話でもあんのかい? ま、歳三はいい男だからな。な、為さん。」


「無いからね、なーんにもないから! 」


「それがね、ほら、小千葉道場、桶町の。」


「うちの薬のお得意様の? 」


「あー、あー、何でもねえんだ。ほら、兄貴もあんまり長話しちゃ体によくねえ! な、な、」


「そうですよ、新九郎さま、何事もひとつずつ。」


「ま、そうだな。そっちの話はおいおいって事で。為さん、とりあえずはお琴の方だ。」


「うむ。歳三、文句はないな? 」


「あ、う、」


「兄さん、歳三は照れているだけですよ。昔っからこの子はそういうところが。」


「姉ちゃん! 」


「いやあ、めでてえ事だ。ついに歳三も嫁取とはねえ。おいら、泣けてきた。」


 そのあともトシはなんやかんやと言い立てて、とりあえず正式に許嫁、そういう形になった。そのお琴は清楚で慎み深い感じの女。長唄も三味線も弟子を取るほど上手、家からも独立して暮らしを立てているのだという。実にいい女だ、顔以外は。


「お琴、長いこと待たせたがようやく歳三も腹を決めた。お前はこれより七十俵取りの武士、歳三の許嫁、そう心得よ。祝言の際はこちらにおられる旗本の松坂様ご夫妻が仲人を務めてくださる。いいな? 」


「はい、不束者ではありますが、誠心誠意お仕えを。」


「ほら、歳三、なんか言うてやらんか。」


 為さんにそう言われ、トシは顔の下半分で苦虫をかみつぶし、上半分は照れた顔をした。


「ま、なんだ。よろしく頼む。俺はまだやらなきゃいけねえことがあるが、それが終わったら幸せにしてやるよ。」


「はい、私はいつまでもお待ちを。」


「ん、よく言った! かっこいいぜ、歳三! な、為さん。」


「ああ、それでこそ土方の男だ。お琴、お前はもう俺の妹。江戸はいくさになるかもしれねえ、こっちに越してここに住みな。」


「はい、お兄さん。」


「ま、トシがいるうちはこのまま泊まっていくと良い。な? 歳三。」


「ああ、兄貴もこう言ってる。遠慮はいらねえよ、お琴。」


 こうして縁談はまとまり、トシはウーパールーパーっぽい顔の嫁を得ることが決まった。



 佐藤家に戻ると一郎と敏郎が表で掃き掃除をしていた。


「おかえりやす。」


「どうしたの一郎。」


「いや、ただで飯食わしてもらう訳にもいきまへんどすやろ? できることはしとかな。」


「そうですよ、俺たちは暇ですし。みんなと違って。」


「そうや、独り者やからなぁ。みんなと違うて。」


「あはは、そうね、ま、頑張って。ところではじめちゃんは? 」


「なんや道場の方で。」


「あ、そう。」


 ここにいる独身は一郎、敏郎、そしてはじめちゃん。しかしはじめちゃんは二人と違って童貞ではないのだ。しかし、この佐藤家の屋敷は実にでかい。離れもあれば道場までもある。母屋ももちろん並みの武家屋敷どころか、ちょっとした藩邸なみだ。


「あ、おかえり、新さん。」


 道場に顔を出すとはじめちゃんが素振りをしていた。その手を止めて縁側に腰かけていると律がお茶を持ってきてくれた。


「ところで、新九郎さま。先ほどのお話、小千葉道場とは? 」


「ああ、まだ話してなかったね。実はさ、龍馬、死んじゃって。」


「えっ? 」


「それがさあ、もう困っちゃうような死にかたされてね。」


 俺は律にいわゆる近江屋の変について語り聞かせた。


「あの方らしい、と言えなくもありませんけれど。」


「それで、犯人は新選組って事になってるからトシには責任があるだろ? 」


「と、言いますと? 」


「さなのことさ。定さんの事だからきっとなんやかんや言い立てて誰かにさなを、って話になりそうじゃん? 」


「それで、トシさんを。」


「そそ、だよね、はじめちゃん。」


「うん、土方さんは副長なんだし、そういう責任を取る立場だもん。」


「はじめさん。それに新九郎さまも。そういう殿方の都合で物を言ってはいけませんよ? 」


「え、だって。万一俺に、なんて話になったら嫌じゃん。」


「その時はきっぱりとお断りになればいいのです。それはそれ、さなさんからすればトシさんは仇、それに縁付けるなどと。」


「そうだね、よく考えればそうだった。新さん、僕たちが間違ってるよ。」


「そうですよ、はじめさん。片が付けばそれでいい、そういうものではないのです。」


「うん、ごめんなさい。奥方様。」


「けどさぁ。」


「亡き義父上様がそれを聞けばどう思われます? 」


 親父殿かぁ。うわ、めっちゃ怒りそう!


「あ、あはは、そうだよね、うん、よくない。俺が間違ってた。」



 そのあと五日ほど佐藤家で過ごし、再び江戸に戻ることにした。


「いいかい、律っちゃん。世がどう転ぶかはまだ分からない。だから今しばらくはここで。」


「はい。」


「そしてこの金で、世が改まった時、みんな暮らしが成り立つように。いいね? 」


「これほどの大金を? 」


「うん、やましい金じゃない。トシも同じだけ持ってる。トシはここに戻れば暮らしが立つだろうけどうちの連中やはじめちゃんはそうじゃない。このまま幕府が無くなっちゃえば、みんな路頭に迷うんだ。そうならないようこの金でなんとか。頼めるね? 」


「はい、必ずや。それよりも無事のお戻りを。」


「だいじょうぶさ、俺は強いから。ね、はじめちゃん? 」


「うん、大丈夫だよ、奥方様。新さんに勝てる人はいない。それに僕もいるし。」


「はじめさん、あなたもです。あなたは私にとって弟も同然、いいですね? 必ずや無事で。」


「うん、わかってるよ。えっと、その。お姉ちゃん。」


 はじめちゃんは頭を掻きながら照れくさそうにそういった。


「そうですよ、はじめさん。なら、この姉との約束、守れますね? 」


「うん、僕は、そして新さんも必ず無事で。約束する。」


「はじめさん。このわたくしの弟であるならあなたも男谷の男。引かず、媚びず、誰にも後ろ指を指させぬよう生きねばなりませぬ。できますか? 」


「うん、僕はもう、一人じゃない。お姉ちゃんと新さんの為なら男谷の男になる! 」


「立派なお心がけです。新九郎さま、はじめさん。悔いなきようご存分に! 」


 そんな言葉に見送られ、俺たちは多摩を立った。そして一郎に隊を任せて先に品川に戻らせて、俺はトシとはじめちゃんを連れて江戸へ。まずは上野不忍池の鐘屋に顔を出す。鐘屋はこの日も大繁盛。世が変わろうが人の営みは変わらない。


「旦那様! ようこそご無事で。それにトシさんも、はじめさんも。」


「うん、お千佳。こっちはどう? 」


「相変わらずの繁盛続きで。奥方様とも文でやり取りを。とりあえずは奥に。ささっ。」


 久しぶりの我が家、律こそいないがやはり落ち着く。そこでお千佳が用意してくれた佃煮とビールを飲んだ。


「かぁ、やっぱ酒もいいがビールはたまらねえな。」


「うんうん、京じゃこういうのはなかったもん。新さん、この佃煮、江戸に帰ってきたって感じがするよね。」


「だよね、あっちの醤油はどうも馴染まなくて。」


 そんな話をしているとトシが急にまじめな顔になった。


「旦那、佐々木様の事だが。」


「ああ、只さん? 何かあった。」


「俺たちの乗ってきた富士山丸。あれには最新の医務室があってな。紀州の由良って港に寄った時、佐々木様と桜井って見廻組の隊士が運ばれてきた。手代木様に付き添われてな。」


「そっか。」


「んで、医師も処置に当たったが間に合わなくてそのまま。船の習いで大砲の弾括りつけて海に沈めた。」


「只さんもさ、そこまでしてもらったんだ。悔いはないさ。すぐに拗ねて、いろいろ面倒な人だったけど、友達、そう呼べる人ではあったかな。」


「俺たちも世話になったさ。あの人が浪士組を会津につないでくれてなかったら今の俺たちはねえんだ。」


「それで、直さんは? 」


「別の船仕立てて会津に帰るって。」


 只さんの最後、それを知ることができた。最後まであの、過保護な直さんに看取ってもらって。それはそれで幸せな終わり方。そう思うとぼろっと涙がこぼれた。


「ま、あのいくさじゃ俺たちもたくさんの仲間を失った。井上のとっつあんも死んじまった。」


「ま、戦争だからね。誰もかれも無事って訳にはいかないさ。」


「だな、だがよ、俺はあのいくさで思い知った。刀や槍の時代は終わったんだって。」


「そうかもね。けど俺はそれしかできない。」


「俺もそうだ。だが鉄砲、大砲、そんなもんをたくさんそろえられなきゃいくさには勝てねえ。前は幕府歩兵の連中を見て、鉄砲担ぎだなんだと馬鹿にしたもんだが、あれが正解だったって訳だ。」


「まあね。」


「だからよ、俺は残った奴らをすべて洋式化する。何とか幕府から金を引っ張ってな。」


「榎本から貰った金は? 」


「ばっか、ありゃあ個人のもんだ。それとこれとは話が違うさ。」


「ははっ、そうだよね。で、どうなの? お琴、やっちゃったの? 」


「そりゃ、嫁に迎えようってんだ。手ぐらい付けねえと。」


「で、どうなのさ。うぱっとした感じのお琴の味は? 」


「ま、その、なんだ。面は見慣れりゃ可愛くも思えるさ。愛嬌があるっての? んでそれ以外は文句のつけようもねえ。」


「はは、なんだかんだ言って、気に入ってんじゃん。」


「ま、兄貴も喜んでくれたし、本人もな。俺も武士として相応の禄も。ま、これはどうなるかわからねえが。あの千両も兄貴に預けてきた。お琴の一人ぐらいは食わしていけるさ。」


 その日は鐘屋に泊まり、翌朝、深川の増林寺で親父殿、男谷精一郎の墓を詣でた。この先どうなるかはわからない。けれど俺はこの人に恥じぬよう生きねばならない。男谷の男の矜持はこの人から俺に譲り渡された大切なもの。それを汚したとあってはあの世で顔向けが出来ないのだ。


 そこでトシははじめちゃんを品川に先に返して隊の様子を見に行かせた。そして俺とトシは覚悟を決めて桶町、小千葉道場に足を運んだ。


「あっら、新さん、それにトシさんも! 」


 定さんもいささか年をとり、もう髪は真っ白だ。


「いやいや無事で何より、わしもね、心配してたのよ。ほら、うちの鳥取藩、新政府側に着いたでしょ? 」


「あはは、あっちじゃさんざんだったよ。ね、トシ? 」


「まったくだ。あんないくさは二度とごめんだ。」


「まあ、上がってよ。いろいろ話も聞きたいし。さな、さな。新さんたちが来たよ! お茶とお菓子ね! 」


 うっわ、と思いながら座敷に上がる。そして相変わらず顔だけはきれいなさながお茶を出してくれた。


「新さん、それにトシさんまで。トシさんは幕臣となられたそうで、おめでとうございます。」


「そうよ、お父さんがあれだけ運動してもなれなかった幕臣だからね。」


「あは、ま、たまたまって奴さ。」


「んで、どうだったのよ、京は? いろいろあったんでしょ? それに龍馬の奴も何してんだか。」


 龍馬、と言う名前にギクッとする。


「ま、まあ、あれだ。いろいろあったが龍馬の事はさすがによくわからねえ。旦那のほうが詳しいんじゃねえか? な? 」


 汚い! 汚いですよそれは! 


「そうなの、で、新さん、龍馬は? 何でも随分活躍したって話だけど。」


「お父さん、龍馬さんはきっとお忙しいのですよ。」


「あ、あはは、その龍馬ね、死んじゃった。」


「えっ? 」


「えっ? 」


 軽ーい感じで切り出してみたが見事に空気が固まった。トシが苦い顔で俺を肘でつついた。


「あ、あれだ。その、なんていうか旦那にだって悪気があったわけじゃねえんだぜ? 」


「ちょっと! そんな言い方したら俺が斬ったみたいに聞こえるだろ! 」


「似たようなもんじゃねえか! 」


「いいや、違うね、犯人は新選組だから! 」


「ば、ばっかそりゃ違うって言ってんだろ! 」


 そんな言い争いをしていると、さなはふらっと立ち上がり、鴨居にかけてあった長刀を手にするとその鞘を払った。


「待った! 落ち着こうか! 」


「そうだ! 悪いのは俺たちじゃねえんだ! 」


 定さんはそんな俺たちを見て、ふふふっと笑うとさなにやっちまえ、と合図する。


「さて、どっちが龍馬さんを? 」


 俺たちは互いを指さした。


「正直に仰い! 」


 ひゅんと目の前を長刀が一閃する。


「ほんと、ほんとなんだ! 俺たちじゃねえよ! だろ? 旦那! 」


「うん! うん! マジで違うからね! 」


「さて、どういうことかな? お父さんにもわかるように、きーっちり説明してもらわないと。」


「そのね、確かに所司代から捕縛命令が出てたの。龍馬のね。それで俺たちがあいつの潜んでた近江屋に踏み込んだって訳。俺はさ、龍馬を踏ん捕まえて江戸に、ここに送ってさなと祝言あげさせる気でいたわけよ。」


「それで! それでどうなったのです! 」


 さなはぎらつく長刀を俺に向けたまま話の続きを促した。


「で、そしたら龍馬が所司代の命なんて嘘だって、俺たちは定さんに雇われて自分を江戸に! って。まあ、あながち間違いではなかったんだけど。で、絶対戻らないって。」


「なんで? 」


「その、すっごく言いづらいんだけど、あいつあっちに女が。でね、俺がさながいるのにそれはないだろうって。そしたら、龍馬と一緒にいた中岡とかいうのが、それは土佐の恥だなんだ言い出して二人で斬りあいに。」


 そこまで言うとさなは「あああ。」と長刀を取り落としてへたりこんだ。


「それで龍馬は斬られちゃったの? 」


「いや、それはね、互いに剣術がへったくそで刀がボロボロになるまで打ち合っちゃって。俺たちもさ、見てるの飽きちゃってそこにあった軍鶏鍋をつついてたわけよ。そしたら龍馬が、それはわしのじゃき! とか言いながらこっちに。」


「で? 」


「その時そこに転がってた徳利に足を滑らせて、窓の縁に後頭部をガンって。で、それっきりって訳。」


「はぁ? 何それ。」


「でね、俺たちもさすがにそれじゃ手柄にもできなくて。でも相方の中岡は、龍馬は斬られたって事にしてくれって。じゃないと恥ずかしいからって。」


「まあ、そうだよね。」


「で、その近江屋の連中と相談した結果、新選組に斬られたことにしようってなったんだよ。名前の売れてる新選組に斬られたとなりゃ世間だって納得するし。」


「ま、そういうこった。こっちは完全な濡れ衣って訳だ。」


「――まあ、龍馬だからね。そういう死に方してもおかしくはないけど。」


「だよねー、そうだよね。もうほんとあいつってばバカで。」


「……で、さな、どっちがいい? 新さんとトシさん。」


「ちょっと定さん? 」


「はい、切り替えていこう。龍馬なんてのはいなかった。そういう事。だよね、さな? お前が居ながらよその女になんて。」


 定さんがそういうとさなは泣きながらうんうん、と頷いた。


「あ、やっべえ、俺、公儀の御用があったんだった。」


「あ、俺も! 」


「ふふ、御用ねえ。逃がさないからね! 絶対! 」


 そんな定さんの声を聞きながら俺たちは小千葉道場から走って逃げた。



「はぁ、もうたまんねえんだけど? 基本、俺関係ないから。完全に巻き添え食ってるからね? 」


「ま、とりあえずこれで義理は果たしたさ。何も知らずに龍馬を待ってるんじゃ定さんもさなも流石にね。」


「で、この後はどうすんだ? 」


「俺は車坂の健吉の所に顔出すよ。」


「うへえ、んじゃ俺は先に帰るぜ? あそこじゃひでえめに合ってんだ。」


「ああ、気を付けてな。」


「んじゃ、品川で。」


 トシと別れて健吉の道場に向かう。車坂でその場所を尋ねるとすぐに教えてくれた。


「ああ、新さん。」


 道場で稽古をつけていた健吉は俺が訪ねるとすぐに面をとって来てくれた。そしてもう一人、今井さんも面を取ってやってくる。


「せっかく江戸の戻ったのに先生の所に顔も出さぬでは弟子失格ですからね。久々に稽古を。隊の方は戻った一郎さんに任せてきました。」


「あはは、そう。」


 健吉に招かれて道場の奥にある座敷に今井さんと上がりこんだ。


「そうですか、そんなことが。」


「ま、軽くぼろ負けってとこかな、ね、今井さん。」


「それでも新さんは敵将の首をいくつも。」


 健吉は俺たちの話をにこやかな顔で黙って聞いていた。そして、おもむろに頭を下げる。


「えっ、どうしたのさ、健吉。」


「新さん、私はね、先の将軍家茂様にお仕えしたんです。」


「うん、それは知ってるよ。ずいぶん出世したじゃん。」


「そして、家茂様がお亡くなりになられ、そのあとはこうして身を引きました。私も男谷の男、なのに家茂様以外の為には働けない。私にとって主君はあの方のみ。新さん、今井さん、私も共に戦う! そう言いたいのに、それが。申し訳ない! 」


 そう言って健吉は泣いた。


「ははっ、健吉。あんたは親父殿から直心影流を受け継いだ。それを後世に残すのが役目さ。幕府の事は俺が。」


「そうですよ、先生。先生の代わりにこの今井が。」


「新さん、今井さん。私は。」


「なあに、今の幕府はぼろ船さ。乗り込む奴は少ないほうがいい。大丈夫、最後まで俺がそのぼろ船に男谷の旗を掲げて見せるさ。」


「新さん。」


「だから健吉、あんたは親父殿から授かったその腕に恥じない生き方をすればいい。剣術家としてね。斬った斬られたは俺の役目さ。」


「榊原派の旗はこの今井が。」


「はい、せめてこの江戸の事は私が。鐘屋も今井さんの家族も。」


「ま、健吉が居てくれりゃ安心だ。ね? 今井さん。」


「はい、新さんの言う通りですよ、先生。」



 少しだけ、ほんの少しだけ、ずっとその背を追いかけてきた兄弟弟子、健吉の逞しい背中が小さく見えた。

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