表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/127

60


 俺たちは京都見廻組である。その職務は京を見回りその治安維持に努めること。無論、俺たち一手でそれを行うわけではなく、京都守護職である会津藩、京都所司代である桑名藩、さらには所司代の与力である所司代組、それにトシたちの新選組と担当地域を決めて巡回している。

 その日も俺たちは巡回に出ていたが、町衆、公家、それに武士、と身分を問わず、俺たちの臙脂の羽織を見るとばたばたと逃げ出し、あっという間に誰もいなくなる。


「先日の一件で我らの名も大いに上がったのでしょうな。」


 そう満足気に安次郎は言ったが、どう見てもそんな感じじゃない。あれ? 普通に嫌われてる? その真偽を確かめるべく、近くの茶店の縁台に腰かけ、店の娘に茶を頼む。その娘はカタカタ震えながら俺に茶を出すと、逃げるように奥に引っ込んだ。代わりに店主らしき年かさの男が現れて、茶に口をつけ始めた俺に言った。


「そろそろぶぶ漬けでもいかがどすやろか? 」


 えっ、まだ一分もたってないのに帰れって? 店主をじろっとみると店主は顔をこわばらせてこう言った。


「ちゃう、ちゃうんどすよ、ホンマ、そないな意味ではおまへんのんどす。ただ、」


「ただ? 」


「そちらの羽織を召されたお人におられては商いにならしまへんのんどす。」


 そういって店主は首をすくめた。うーむ。中々の嫌われっぷりである。こういう時には気分転換が必要、そう感じた俺は、北野からさらに西、天神川を超えて妙心寺に向かう。なぜかって? こうなった原因は幕府歩兵。だったら八つ当たりぐらいしてもいいよね。


 偉そうに門の前に立っていた番兵は俺たちを見ると、ひぃ!っと声を発して中に駆け込んでいく。それに構わず寺内に入ると歩兵指図役とかいう士官が現れ、丁重に出迎えてくれた。


「ま、松坂殿、先日は実に不幸な行き違いが。」


「行き違いっていうの? あれを? 」


「その、そういうことにして収めると、こちらの前任者が処罰を受けておりますし。」


「ま、いいや。お茶。それと菓子ね。」


「すぐにご用意を。」


 そう、海舟はどこかで許してやれと言った。幕府歩兵は同じ幕府に仕えし人たち。毎回お茶と菓子を出してくれるなら許してやるべきだろう。何せ俺は大人だからな。


 その歩兵指図役は大川正次郎と言って、かつては水戸の天狗党とも戦ってきた猛者。今回の件で更迭された前任者に代わり、急きょ大阪から上京してきたのだという。なんだかんだと話していくうちに結構気が合い、意気投合した。


 大川さんは大阪にいただけあって世情に詳しく、いろんなことを教えてくれた。今、フランスのパリでは万博が開かれていて、そこに幕府も茶室やらなんやらを出展。芸者が茶を点ててくれるアトラクションを催しているのだという。そこに別口で薩摩が薩摩琉球国を名乗り、独自に出展。幕府側は苦情を申し入れたが薩摩は聞かなかったのだそうだ。


「でもね、松坂さん。薩摩の田舎くっさいもんなんか出されたほうも困りますよね。」


「ほんと、よくそんな金があったもんだ。」


「あいつらはね、裏で異国と密貿易してるんですよ。」


「それは知ってるけど。」


「今までは朝鮮やら清国だったでしょ? 今はそれがエゲレス。茶葉なんかがえらく売れるらしいんですわ。」


「へえ、もう法もへちまもあったもんじゃないね。」


「そうそう、長州征伐がうまくいかなかったおかげで西国諸藩はやり放題なんですよ。噂じゃ追放された公家と組んで、倒幕、なんて企んでるんじゃないかって。」


「あらら。」


「そこで将軍慶喜公がね、兵庫を開港するんだって言い始めて。」


「え、あの人鎖国がどうのとか言ってなかった? 」


「兵庫が開いちまえば、異国は薩摩や長州なんて片田舎と取引しなくても良いですからね。そういう盤面をひっくり返すことが好きなんでしょうよ。あの方は。」


「思えばさ、あの人がぜーんぶ幕府をかき回してるよね。将軍継嗣問題から始まって。あの人がおとなしくしとけば井伊大老だって殺されずに済んだし、尊攘派、なんてものもいなかったかもしれない。それにせっかくまとまりかけた公武合体だって。」


「ま、恐れ多いことながら仰る通りって奴でしょうよ。本人としちゃ頭いいとこ見せたいんでしょうけどね。」


「そのうち将軍やめる、とか言い出さなきゃいいけど。」


「ほんとですな。あはは。」



 それからもちょくちょく妙心寺には顔を出し、大川さんとはいろんな話をして過ごす。そんな中、四月になると顔見知りの話題となった。


「なんでもね、長崎の亀山社中? あれの後ろに土佐がついて海援隊と名乗りを変えたらしくて。」


「土佐が? だって、会社、いや、カンパニーなのに藩の後ろ盾があっちゃおかしくない? 」


「けっこう内情は厳しいみたいで。坂本とかいうのは今じゃ土佐の武器商人、兼、海軍の親玉って訳で。」


「ばかだねーあいつ。なーにやってんだか。」


「まあ、土佐もあっち側、薩摩や長州への伝手が欲しかったんじゃないですかね。」


「んで、倒幕って? 余計なことを。」


「それと聞きました? 長州じゃ高杉が死んだって。」


「はっ? 」


「なんでも労咳だとかで。」


「まあさ、ああいうのは生きてちゃ迷惑って部分もあるからよかったのかもしれないけどね。」


「高杉に坂本、この二人が居なければ長州はこの世になかったはずでしょうからね。」


 あと勝海舟ね。そう言いたいところをぐっとこらえた。


「ま、江戸じゃフランスの教官を招いて伝習隊って洋式の軍隊づくりを始めるらしいですし、幕府もこれから、ってとこでしょうな。」


「そうだろうね。」



 五月になるとまた大きく世が動く、将軍慶喜公が談判の末、兵庫開港の勅許を得たのだ。京に近い兵庫が開港ともなれば異国とてこぞってそこを拠点にするに決まってる。当然政治的にも幕府寄りに。どこまで考えての事かは知らないが、頭のいい人ってのはやることが違う。


 それはともかく、我ら見廻組である。上役である見廻役はすでに形骸化。辞任した堀石見守の後任は岩田織部正。俺たちと大して変わらない下級旗本で、そのために見廻役並、となる。今までの見廻役は小なりともいえ大名。それですら言うことを聞かなかったのに、下級旗本の言うことなど聞くはずもないのだ。さらに六月になると今一人の見廻役、蒔田相模守も辞任してしまう。後任に予定されているのは大身旗本の小笠原河内守。只さんは露骨に見廻役を無視し始めた。


 そしてその六月、新選組の幕府直参取り立てが決まった。


 局長である近藤さんは俺と同じ見廻組与頭格。三百俵取りの旗本となった。そして副長のトシは見廻組肝煎格、七十俵五人扶持。副長助勤の連中は見廻組格、七十俵三人扶持だ。そのほか監察方が見廻組並、四十俵を頂き、平隊士が見廻組御雇、十人扶持となった。

 彼らはこれで浪人や百姓ではなく正式な武士となる。このうち、旗本、いわゆるお目見え格を与えられたのは近藤さんだけ。ほかはいわゆる御家人だ。それでも武士は武士。めでたいことには違いない。


 そして例によってトシの愚痴が始まった。


「なに、今度は? 」


「もう、聞いてくれよぉ。まっじ近藤さんはだっめだ。」


「もう何度も聞いたよそれは。」


「いや、てめえだけ旗本で、俺たちゃ御家人だろ? もう増長が止まらねえんだ。挨拶だの頭を下げろだのうるせえことを言いやがる。」


「はは、どうしようもないね、それは。」


「だろ? その上にだ、今度は幕臣になんぞなりたくねえってやつまで出てきやがった。」


「なんで? 」


「一応だ、浪士組のころから隊の方針は尊王攘夷。それを果たすため京に来たわけだろ? 」


「いや、将軍警護だろ? 普通に。」


「内々じゃそういうことになってんだよ。清河のころからな。んで今まではそれでもよかったがこうも幕府が弱っちまうと抑えが利かねえ。恐らくは伊東に近い連中なんだろうがそいつらが騒ぎ立ててな。会津候にまで直訴しやがった。俺はもう面目丸つぶれよ。」


「んで? 」


「どうもな、そいつらは伊東のところに合流する予定だったみてえでな。それならそれを口実に、伊東のとこをやっちまえば済む話。ところが伊東はそこまで馬鹿じゃなかった。んで行き場のなくなったそいつらは腹切りやがった。会津候の手前もあるから残った奴らは追放って事にしてお茶を濁した。」


「大変だねえ、相変わらず。」


「まったくだぜ。奴らに異国の事なんか関係ねえだろうによ。それこそ犬が星見て吠えてるようなもんだ。」


「ははっ、うまいこと言うね。」


「ま、それはそれとしてだ、旦那。」


「なに? 」


「実はな、今度俺たちは引っ越すことに決めた。」


「本願寺から? 」


「そうよ、なんと今度は新築だぜ? 」


「すっげー。どっから金が? 」


「本願寺が心よーく出してくれたさ。出ってってくれりゃそんくらい屁でもねえとよ。ま、境内で腹切らしたり、肉食って酒飲んでりゃそうもなるさ。」


「わっるいねー、お前。」


「旦那に言われたかねえさ。あれだろ? 幕府の歩兵ザックザック斬っちまったって。」


「そりゃあ鉄砲撃ちこまれりゃそのくらいするさ。」


「そりゃそうだが何十人も斬られちゃ勘定だってあわねえだろ。」


「ま、その件は上役が更迭ってことで片ついてるし。今はいい関係だよ? 幕府歩兵の連中とも。」


「ま、うまくやってんならいいさ。それで。俺んとこはまだまだやらなきゃならねえことがあるからな。あ、引っ越し先は不動堂村な。」


「ま、どこでもいいさ。俺も近藤さんには会いたくないし。」


 六月の終わり、脱走を図った新選組副長助勤、武田観柳斎が武田街道で殺された。伊東一派を頼ろうとして断られ、薩摩に頼ろうとして冷ややかな対応をされた挙句のみじめな死にざまだったという。



 季節は夏に変わり、毎日暑い日が続いていた。その八月。俺の配下である渡辺一郎は肝煎に出世。禄こそ同じだが席次としては肝煎格のトシよりは上。みんなで祝いの席を設けた。


 その同じ八月に一つの事件が起きる。八月十四日、幕府目付の原市之進という男が殺害される。犯人は陸軍奉行配下の二人の男。この男たちは原の家来によって討ち取られたのだが、その犯人の兄が原を非難する嘆願書をもって自首。

 それだけならふーん、で済む話だが、その原が将軍慶喜公の腹心であったことが問題なのだ。

 

 そもそも慶喜公は強引、ともとれる手法で兵庫開港を推進した。その補佐をしていたのが原。そして犯人の二人は幕臣ではあるが攘夷派でもあった。将軍には文句が言えないから原を、というわけだ。そしてその自首した兄がかつて安藤老中を襲った坂下門外の変の首謀者として投獄され、釈放後に毒殺された大橋訥庵の門人であり、同門の者と京の六条家に潜んでいたらしい。

 それを見つけられなかったのが見廻組の手落ちとされ、見廻組は御所周りの警護から外された。っていうかね、超能力者でもない限り無理だから。ま、慶喜公としては誰かに責任を負わせたかったのだろうけど。


 信頼を失った俺たちに見廻役から細々としたことが書かれた法度がよこされた。まあ、普通に、武士らしくすること、とかズルをするな、とか、ちゃんと上司の言うことを聞け、とか普通にぬるーい感じの内容である。背いたら厳重な取り扱いをしちゃうかもよ? なんて末尾に書かれていたがやれるもんならやってみろ、という感じ。会津候容保様ならともかく、禄の大小こそあれ同じ旗本の見廻役などの言う事

を今更聞く奴なんかいないのだ。そもそも悪いことしてこうなったわけでもないし。


「もちろん文句言いに行くんだよね、只さん? 」


「当然ですね。我らに落ち度があったわけでもない。そうですよね、佐々木さん。」


「こないなアホな話、まともにきいとられまへんやろ? 」


 俺たちは当然文句ブーブー。只さんはそれを聞きながら考え事をしていた。


「いや、ここはさ、何も言わないでおこうよ。」


「はっ? なんで。」


「悪くないけど反省しましたーってしとけばかえって評判上がるんじゃない? さすがに御所周りの警護から外されたままってのは恰好つかないしさ。」


「ま、よくわかんないけどさ。只さんがうまくやるならそれでいいさ。行こうぜ、みんな。」


 そういって俺が一郎と吉太郎を連れて席を立った。


「お待ちくだされ! 」


 そう叫んだのはこの二月に所司代の同心から見廻組に転属してきた桂早之介。剣術が得意で健吉が連れている遊撃隊の元講武所の連中を次々に下し、恩賞を受けたこともあるのだという。こちらに来てからは只さんにべったりだ。


「えっと、なに? 」


「松坂先生。それはあまりに佐々木先生に失礼では? 」


「なんで? 」


「同じ与頭であるならば、共に図り、組のため努力されるのが道理! それをさもご自分は関係ないとでもいうような口ぶりで! 」


「餅は餅屋っていうじゃん。只さんはね、そういうのが得意なの。んで、俺は苦手。そういうことで。」


 しれっとして部屋を出ると桂の呼び止める声が聞こえた。


「あーあ、ああいうのってめんどくさいよね。」


「ほんまどすな。」


「新さんや一郎はいいですよ、私は佐々木さん付き、つまりあの男とも。」


「吉太郎はさ、ほら、誰とでも仲良くやれるじゃん? 俺はああいうの無理だから。」


「僕もああいうんはちょっと。」


 俺たちのたまり座敷にいくとそこには庭で体を鍛えている安次郎達がいた。こういうのもちょっと、と言いたいところだがもう慣れた。そしてその中にこの五月に代替わりしたばかりの若い男がいた。


「世良! 貴様、こんなものでへばってどうするか! 」


「鍛錬が足りん! 鍛錬が! 」


「はいっ! 」


「よし、いい返事だ、素振りを千本追加してやる! 」


「ありがとうございます! 」


 彼の名は世良敏郎。親は世良吉五郎といい、安次郎たちの同輩だ。いささか年老いていたが十分な働きを示していた。だがその吉五郎が病に倒れ、臙脂の羽織と共に家督を引き継いだというわけだ。どういう育ちかは知らないが剣術はからっきし。だが喧嘩は普通に強かった。今は安次郎達に死ぬほど鍛えられる毎日だ。


「たいへんやな、あの子も。」


「ええ、本当に。」


 そういいながら一郎が茶を淹れて、それをすすりながらキセルに火を入れた。ははっ。武士ってのも楽じゃないね。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ