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慶応三年(1867年)一月九日、新たな帝として睦仁親王が践祚、帝となられた。まだ帝は一六歳。それを機に朝廷では薩摩、長州に近い公卿たちの復権も画策されているという。
まあ、それはともかく、我らが見廻組ではまたもや問題が発生。昨年十一月、失脚した松平出雲守の後任として堀石見守が上部組織である見廻役に就任したのだが、わずか二か月足らずで辞任を申し出たのだ。原因は只さんこと、佐々木只三郎。
乗りに乗っている只さんはこの新しい上司をまる無視。守護職の会津、そして所司代の桑名とも見廻役を通さずに業務を遂行し、その追認を求めた。元々いた見廻役の蒔田相模守はそのやり方で納得していたが、新任の堀石見守は、自分は署名をする機械ではない、とばかりに反発してみたものの、誰も味方を得られずに辞任を申し出る羽目になる。
とはいえすぐに許しが出るはずもなく、当面はこのまま。ま、いろいろあるよねー。
そして二月、前々より申し出ていた幕府への引っ越し経費の請求、これがようやく通り、俺たち与頭には金二枚、それに時服として羽織二枚が支給された。ちなみにこの金、というのは大判の事であり、価値は四十両ほど。二枚なので八十両。結構な収入だ。
ただ、組士たちには宿代として七両といういささか渋い結果に終わった。
「マジでたまんねえんだけど。」
三月に入るとトシが愚痴を言いにやってくる。
「今度は何? また近藤さん? 」
「それもそうだが、伊東の野郎だよ。去年の九月あたりからぼつぼつ言い出してはいたんだがな。」
「何があったの? 」
「組を割るとよ。」
「は? 」
「自分らは尊王の志を果たすため新選組に入ったのに、会津の飼い犬、そういう状況が許せねえらしい。まったく近藤さんもなんであんなのを引き込んだんだか。」
「けど隊を脱するを許さず、じゃなかったっけ? 」
「ああそうだ。だがな、全部で一四人ともなりゃ切腹させるって訳にもな。」
「それ完全に分裂じゃん。」
「悪いことにここには試衛館からの仲間だった藤堂までが入ってる。強いこと言えば道場仲間の永倉や原田も黙っちゃいねえ。」
「んで、どうすんの? 」
「表面上は尊攘派に潜り込ませてその動向を探らせるって理由をつけて切り離すしかねえ。一応向こうには斉藤を潜り込ませてるからそのうちまとめてって事になるだろうよ。」
「あらら、はじめちゃん、大丈夫かな? 」
「あいつは旦那以外は誰も信じちゃいねえんだ。んで、その旦那の言うことだから俺に従ってくれてる。信用って面じゃ安心だが、俺はまたあいつに借りを増やすことになる。」
「ってか返せんの? その借りは。」
「銭金で片が付くならなんとでもするさ。けどあいつはそんなものを求めねえ。あいつの条件はな、俺に、旦那を裏切るな、だとよ。」
「あはは、はじめちゃんも言うねえ。」
「ま、できる限りのことはしてやるさ。あいつも今の立場を守るため、幕臣の旦那のとこにも顔を出せねえ。いろいろ不都合かけちまってるからな。」
「ま、トシは龍馬なんかと違って義理堅いからな。」
「坂本についてはこっちにも奉行所からお触れがあった。見つけ次第捕縛せよ、だとよ。ま、あいつが長州に武器流したせいで幕府は負けた。お偉方とて捨て置けねえんだろ。」
「完全に武器商人だもんね、あいつ。なにが海運会社だか。あいつはね、とっ捕まえて江戸に送り付けりゃいい。そうなりゃ生涯謹慎も同じさ。」
「だな、定吉先生もそうでもしなきゃ収まんねえだろ。なんせさなさんだけじゃなく、跡取りの重太郎さんまで引き込んでんだ。重太郎さんはご老中、板倉様の口利きで難を逃れたがあぶねえとこだったらしいぜ? 」
「へえ、で、今は? 」
「鳥取藩に仕官した。ま、定吉先生の後を継いだってこったな。」
「なら後はさなが片付けば定さんも安泰ってわけだ。」
「そういうこと。ま、あいつに関しちゃこっちで捕えても旦那に先に話を通すさ。奉行所にやっちまえば手は出せなくなっちまうからな。」
「そうだね。斬首ともなれば後でさなに何されるかわからないし。」
「だな、定吉先生とは古い付き合いだ。そんくれえはしてやらねえとな。」
その伊東一派は新選組を離れ、孝明帝の御陵を守る御陵衛士と名乗って、東山の高台寺を屯所に独立した。前々から下準備をしていただけの事はあり、実にスムーズに朝廷からの認可を受けた。
この頃只さんは屯所から少し離れた北野天満宮の中にある、観音寺に引っ越していた。奥さんの七重さんはすっかりおなかも大きくなり、春先には生まれるらしい。
「新さん、実は少し困ったことになってね。」
三月二十四日、俺は見回りついでに茶でも飲もうかと、隊士を引き連れ只さんの宿所に顔を出した。
「なに? 」
「そのさ、こっちに引っ越してきてから近所の連中に何かあったときは、って頼まれてるんだけど。」
「うん。」
「そのね、遊女屋の鍵屋ってとこ、すぐそこなんだけど、そこがさ、妙心寺に駐屯する幕兵たちに無理を言われてるらしくて。」
「へえ、どんな? 」
「遊女を宿所に派遣しろって。鍵屋は馴染みでもないのにそれはできないって。何しろ相手は寺にいるしね。そこに女をとなれば世間体もよくないんだ。」
「んで? 」
「そしたらそれが居座っちゃって困ってるって。」
「ぱぱっといって片づけてくりゃいいじゃん。」
「そうしたいんだけどさ、うちの連中は今日、非番だし。ねえ、新さん。」
「俺に行って来いって? ま、役目の内だからいいけど。」
「ありがとう! 恩に着るよ。」
そういうことになって俺はうちの連中を率いてその鍵屋に赴いた。
「あ、見廻組の方で、えらい困っとったんどすよ。」
店主の案内で座敷に上がるとそこには二人の幕府歩兵。長州帰りの連中だろうか。
「あー、君たち、お店の人も困ってるからね。」
「なんじゃお前は! 」
そう答えが来たときにはすでにそいつを殴り飛ばしていた。
「聞こえますか。お店の人が困ってる。わかるね? 」
「わしらは長州とのいくさ帰りよ。なにもんか知らんが、」
そこまで聞いてもう一人もぶん殴る。
そしてその二人の襟首をつかんで外に連れ出し、店主に「迷惑をかけた。」と言って店を出る。
「この人たち、どうしはりますか? 」
一郎がそういうのでとりあえず北野天満宮の適当な木に吊るしておくことにした。
「只さーん! 悪い奴はそこに吊るしといたから。」
観音寺に向かってそう叫ぶも厠にでも行っているのか返事がない。
「ま、いっか、帰ろうぜ。」
「そうどすな。」
そのまま俺たちは屯所に帰り、適当にごろごろしていた。
しばらくすると吉太郎が血相変えて屯所に走りこんでくる。
「どしたの? 」
「た、大変ですよ! 新さん。幕府歩兵の連中が佐々木さんのいる観音寺に向かって鉄砲撃ちかけて! 」
「あら、大変だね。」
「とにかく私は人数集めて駆けつけます! 」
「頑張ってね。」
吉太郎は目元をヒクつかせながらも隊士を集めて走っていった。
「なんかよろしうない雲行きどすね。」
一郎がやや苦い顔でそう言った。
「だよね、騒ぎになったらきっと、」
「お叱りは間違おらんトコどすやろな。」
「ですよねー。」
これが思いのほか大騒動。いくさ帰りで気の立っている幕府歩兵はそれぞれ鉄砲を担いで北野天満宮の鳥居の外に陣を張り、只さんも隊士を集めて鳥居の内に陣を張ってにらみ合い。幕府歩兵は空砲を打ち鳴らして気勢を上げ、多少の小競り合いまであったらしい。そこにたまたま通りかかった薩摩藩士と会津藩士がその間に割って入り、何とか収めたのだという。
そこまでは高みの見物、そんな感じの俺だったが、そうも言っていられなくなった。その夜、うちの屋敷の門に向かって何発かの銃声が轟いたのだ。
「新九郎様。」
「うん、律っちゃんはみんなと奥に。」
「はい。こちらの事はお任せを。」
律に臙脂の羽織を着せかけてもらい、大小を腰に差す。そして俺は一人外に出て門を開けた。そこには十人ほどの幕府歩兵がにやにやしながら鉄砲を肩に担いでいた。
「おまえが仲間を殴ったんだって? 」
そういう頭っぽい男に近づくとそいつを一気に斬り下げた。返す刀で隣の男を斬りあげて、さらに隣の男の首を刎ねる。
「う、うわぁぁ! 」
突然仲間を殺されて慌てたのか、残りの連中はわたわたと鉄砲に弾を込めはじめる。もちろんそれを待つ理由はない俺はそいつらを次々に斬っていく。さらに四人が斬られたとき、一人が俺に向かってめくらうちで発砲。だがそれは俺ではなくて、俺がとっさに盾にした仲間の腿を撃ちぬいた。
撃たれた奴が足を抱え、大声でわめきながらのたうち回る。撃ったほうは何が起きたのかわからずにぽかーんとしていた。そいつまでは距離があったので袂から銭を一枚取り出して、覚えた指弾ではじき出す。その銭はそいつの眉間に硬い音を立てて埋まり、そいつは糸の切れた人形のようにパタンと倒れた。残った二人のうち、一人は剣先を向けると腰を抜かしてその場に座り込み、もう一人は後ろを向いて逃げ出した。その逃げた男の後頭部を指弾で撃ちぬき、座り込んだ男に蹴りを入れる。
そのころになると、近くにある宿舎にいたうちの連中が何事かと駆けつけてくる。
「安次郎、生きてるやつを縛り上げて屯所に。あとはうちの連中をたたき起こせ。」
「はっ! 」
ほどなくして集まった面々を引き連れて俺は幕府歩兵の宿舎である妙心寺を襲撃する。あくびをしていた夜番を斬り、門を制圧するとうちの連中を中に送り込んでいく。
ところがどうしたことか本来二百は軽くいるはず宿舎はもぬけの殻。残っていたのはわずかに数十人。その連中に聞くと北野天満宮に夜襲をかけに行ったのだという。とりあえず俺はその留守居の者に屋敷に鉄砲を撃ちかけた非を鳴らして帰った。当然宿舎は滅茶苦茶に荒らし、留守居役は一人を残して皆殺し。誰がって? そんなの決まってる。うちの人たち、人斬りの経験を積むんだって張り切ってたもん。
「どうしよっか。」
すっかり空振りをくらわされた俺はみんなにそう問いかける。
「まあ、北野の方は佐々木さんにまかしといたらええんやないんどすか? 」
「そうですな、先生。もう帰りましょうか。あとは朝まで先生のところで飯でも食いながら。」
「え、うちに来るの? 」
「嫌やなあ、先生になんかあったら困るやないどすかぁ。」
そういって安次郎と一郎はニヤリとする。他の面々もうんうんと頷いた。
「あ、やっぱりあかんどす! 屯所の方も気になるし! 」
「うむ、そうだな。各々の家も心配だ。では先生、これで。」
一郎たちはわーっとクモの子を散らすようにいなくなった。なぜなら俺の屋敷の前にはいかめしい顔の所司代の連中で固められていたのだから。まあ、うちの屋敷は所司代屋敷のすぐそば。路上で八人も死んでりゃこうなるか。
「桑名藩士、立見鑑三郎と申します。松坂殿でいらっしゃいますね? 」
そう尋ねるのは品のいい若い男。
「あ、はい。そうですけど。」
「この状況について、いささかお話を、ご同道いただけますかな? 」
「あ、いや、それなら屯所に生きてんのがいるんでそっちに。」
「ご同道いただけますかな? 」
ヒクついた笑顔で立見と言う男が繰り返す。はぁ、とため息をついて所司代屋敷に連行された。
そのあとは所司代さま、京都町奉行と火の出るようなお説教を食らう。北野天満宮の只さんたちは規模こそ大きいものの、死人は出さずに収めているのに俺の方は俺が十人近く、隊士たちが三十近くも斬り捨てている。こうなると穏便に、とはいかないのだ。
とはいえ悪いのは完全に向こう。俺の言い分は通り、お咎めなし、とはなったが所司代屋敷を出ると、会津藩士がにこやかな顔で迎えに来ていた。
「殿がおよびですよ、松坂殿。」
「あ、その、おなか痛くなって。明日、とかじゃダメですかね? 」
「ダメです。」
にこやかにそういわれ、会津屋敷に連れていかれる。表座敷にはゴールドフィンガーを食らったらしい只さんが泡を吹いてのびていた。
「まーつーざーかー! 」
「は、はいっ! 」
「ねえねえ、お前、見廻組の役目、わかってる? 京を平穏にすることだよね? 自ら騒ぎを起こしてどーすんの? ねえ? 」
顔を見るなり容保様は早口でまくし立てる。うっわやっべー、チョー切れてんじゃん! とにかく何とかごまかさねば。ゴールドフィンガーを食らえばただでは済まない。もしかしたら後遺症が残るかもしれない!
「え、っとですね、容保様、いや、師匠! 」
師匠、という言葉に容保様は、んっ? と反応した。
「その、状況は聞き及びの事かと。私はそれを機として会津指弾翔鶴流の有用性を確かめるべく! 」
「ほう、興味深い。続きを。」
「はっ! 幕府歩兵二人に対し、指弾をもって成敗を。一人は距離があり、今一人は逃げ出したところを追い打つのに用いました。」
「して、結果はいかに? 」
「両者とも指弾の一撃で絶命を。一人は額、今一人は頭の後ろに。」
「ふむ、なるほどな。」
「刀の届かぬところには至極有用。鉄砲のように弾込めに手間取ることもなく。私はかつて、短筒を撃ったことがありますが、あれに比べても命中において優れているかと! 」
「つまり、お前はわが弟子として流派を用いて悪人を裁いた、そういうことか? 」
「左様で。実践なくばいかに優れた流派とて竹刀打ち同様、理屈倒れになるかと。」
俺は冷や汗をかきながらそんな適当な理屈を並べ立てる。容保様はそれをにやにやとしながら聞いていた。そしてしばらく腕組みして考えた後、判決が下った。
「よかろう。屋敷に向かって鉄砲を撃ちかけるとは言語道断である。わしのほうから幕府歩兵隊には苦情を申し立てておく。」
勝った! 勝ったのだ俺は!
「ただし見廻組として何の責も、というわけにはいかんな。佐々木、それに上役の見廻役には相応の責を。」
「あー、そうですよね、責任者は責任を取るためにいるのですから。ここはきっついお仕置きを。」
「と、いうことだ、直右衛門、左様手配せよ。」
「ははっ! 殿? その、只三郎に関してはもう十分な責を。」
「うむ、それでよい。あとはお前に任せ置く。」
「はっ! 」
そう言って容保様は上機嫌で席を立った。それにしても直さんは相変わらず只さんに甘い。
「ま、見廻役の二人が更迭、そんなところであろうさ。」
直さんは膝に只さんを抱えながらそう言ってにっこりと笑った。
「新九郎様、ご無事で何よりでございまする。」
「ああ、律っちゃんたちこそ大丈夫だった? 」
「ええ、けがもなく、ただ、その。」
「ん? 」
「律は鉄砲の音が恐ろしくて。」
えっ? ものすごいてきぱきしてたよね。
「その恐ろしさを忘れるにはお布団の上で。ねっ? 」
風呂、飯、と急かされるように終えた俺は律に布団に引き込まれる。律はにやにやしながら恐ろしかった、となんども口にした。
「まだ、まだにございまする! 律はまだ恐ろしいのでございますよ! 」
と、恐ろしい顔で布団を出ようとした俺を再び引き込んだ。