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薩摩屋敷を出た俺は海舟に連れられて、会津の屋敷に報告に赴いた後、四条の方まで連れられて一件の料理屋に入った。季節はもう六月の終わり。すっかり真夏だ。長州再征は始まっているがグダグダしてろくな戦果も上がっていない。そこに薩摩の出兵拒否とくれば老中だって焦りもするだろう。罷免した海舟を呼び戻すぐらいには。
「新九郎、おめえの頭じゃ腑に落ちねえことだらけだろうから、きっちり説明してやる。」
「ああ、あんたが裏で何をしてるのかもね。それに龍馬のこともさ。」
海舟は出された刺し身を一切れ食べて手酌できゅっと酒を飲んだ。
「簡単にいやあ、今の幕府は色々やべえ。やらなきゃいけねえことは判ってんだが、辻褄合わせができてねえんだ。」
「どういうこと? 」
「オイラが謹慎を解かれて召し出されたのは先月の二十八日よ。んでな、登城するなり質問攻めだ。」
「何を? 」
「郡県制ってやつ、聞いたことあるか? 」
「全く。」
「要するにだな、藩ってものを取っ払っちまってぜ~んぶ幕府の天領にしちまおうってこったな。」
「なにそれ。」
「そんでもって、世を一つに。それが幕閣連中の考えてることさ。ま、普通に考えりゃ無理な話だ。長州一藩ですら言う事聞かせられねえのに他の諸藩が従うわけもねえ。それこそ戦国の世に逆戻りよ。」
「まあ、そうだろうけど、そもそもなんで? 」
「外国から見りゃあな、この国は幕府って大店と薩摩や長州なんて小店の集まりにしか見えねえんだ。」
「実際そうじゃん。」
「だろ? そうなりゃその小さな店を後押しして、大店に取って代わろうなんてやつも現れる。それがエゲレスって訳よ。薩摩との戦争以来、エゲレスは薩摩に接近して武器やら何やらを流してる。」
「けど薩摩は貧乏だって。」
「ツケよツケ。この国を乗っ取ったら色々便宜を図ってくれってな。」
「なんだそれ。」
「んで、そうなりゃ逆に張り込む奴も出てくるさ。幕府にゃフランスが急接近。六百万両の資金と七隻の軍艦の発注を受けてる。その金と武器で薩摩や長州を潰しちまえってな。んで、このエゲレスとフランスがだ、すこぶる仲が悪いと来てる。そうなりゃどうなる? 」
「なに、代理戦争ってわけ? 」
「はは、おめえにしちゃ飲み込みが早え。ま、簡単に言えばそうなるだろうな。西郷や桂もそのあたりはよーく知ってる。だからこの国を一つにまとめなきゃならねえんだってな。」
「んで、あんたはどうしたいわけ? 」
「オイラはな、幕閣の方々に腹切る覚悟で言ってやった。郡県制をやりてえのは判るが、諸藩が納得するはずがねえ、だったらいっそのこと、まず幕府がお倒れになっちゃどうかってな。」
「はぁ? 」
「もちろんそうならねえ方がいいに決まってる。けどな、外国の手駒になるくれえならそれもアリだと思ってるよ。なんせこの国には朝廷ってもんがある。幕府も諸藩もみーんななくしちまって朝廷の元で一つの国へ。薩摩も長州も尊王を謳ってんだ、断れる筋じゃねえはずだろ? 」
「んなもん幕府がうんって言うわけないじゃん。」
「もちろんだ。んで、その折衷案ってわけだな。幕府主導じゃ他が納得しねえ、かと言って薩摩、長州じゃ幕府がうんと言わねえ。だったらみんなでやりゃいいじゃねえかと。一橋殿が潰しちまった参予会議、あれの焼き直しってわけだな。」
「どう焼き直しすんのさ。」
「うまく行かねえのは幕府に力がありすぎるからだ。そいつを程よく削って薩摩や長州に程よく力を。それでいくらか平らかになれば一橋殿もああはわがままには振る舞えねえ。そうやって一つの国になっちまえば外国だって余計な色気は引っ込めるだろうさ。」
「そううまくいくのかねえ。」
「そこを行かせんのがオイラの腕ってわけだな。龍馬の働きで薩摩と長州は手を組んだ。後は長州再征がグダグダのまま、有耶無耶になっちまえばそれでいい。幕府は威信を落とすことになって程よく力を削れるってもんだ。そこで和睦して、帝を頭に据えたこの国の議会ってもんを開く。物事を決めんのは大名方の入れ札ってわけよ。んで、将軍にはその議長をやってもらえば丸く収まんだろ?
そんでもって将来的には郡県制って訳だ。俺たち幕臣はその新たな仕組みの役人ってわけだな。幕府って名前はなくなっちまうが徳川のお家は残る。こいつが俺の進めてることよ。」
「ふーん、なるほどねえ。」
「そこで、だ。おめえには頼みがある。さっきの大久保、それに西郷、後は龍馬だ。あいつらはこの国に必要な連中だ。特に龍馬は奉行所からは追われてる。少なくともおめえだけは奴らを斬ってはくれるな。な? 」
「見逃せってこと? 」
「見廻組のおめえには役儀に反したことかもしれねえ。だが泥舟になりかけてる幕府を、徳川を残すにゃ奴らの力は欠かせえんだ。オイラが静斎殿と約束した事を果たすためにはどうしても必要な連中なんだよ。」
「――俺はさ、海舟。天下国家の事はよくわからない。けれども人との義理も果たせないような奴に、天下国家がどうとか言う資格はないと思ってる。」
「さっきの大久保の話か? 」
「あれもそう。一蔵さんは俺に約束したんだ。自分と西郷さんで薩摩に無茶はさせないって。なのに老中に向かって舐めたことを。」
「そいつはオイラのせいかもな。色々幕府がタガが緩んでることを語っちまった。だから甘く見たのかもしれねえ。」
「腹が立つけどさ、それはまだ収まりも付く。あの人は藩士だからね。藩命、藩の利益のためなら約束を反故にすることもあるさ。」
「まあ、武士は命には従わなきゃならねえからな。」
「だけど龍馬は違う。散々手を付けて婚約までしたさなをほっぽらかして天下だなんだとやってんだ。それが俺には気に入らないね。」
「そのさなってのは小千葉の? 」
「そう、俺は小千葉の定吉先生とは古い友だちだからね。」
「天下と秤にかけることじゃねえ、と言いてえがおめえの気持ちもわからなくもねえな。象山先生が死んじまって、お順はずっとふさぎ込んだまんまだしな。龍馬のやってることは確かに悪い。けどそこをぐっと堪えちゃくれねえか? 世が落ち着けばオイラが必ず責をとらせる。」
「ま、今はあんたの顔を立てておくさ。一蔵さんには伝えてくれる? 次はないからって。」
「判った。どうなろうが静斎殿との約束は果たして見せるし、おめえとの約束も違えねえよ。長州とのことも丸めてみせらぁ。」
「ま、そっちはあんたの領分だからな。」
そんな話をして海舟とは別れた。
さて、帰ったはいいが、屯所は屯所で面倒なことになっている。なぜかと言えば見廻組内で再編成が行われているのだ。元々見廻組は上役に蒔田相模守と松平出雲守という二人の見廻役を置いていて、それぞれ相模組、出雲組、なんて呼んで別れて活動していた。俺や只さんは相模組だ。
その出雲組から公家に対する狼藉者が出て、松平出雲守とその下にいた与頭二人が罷免。見廻役は後任が決まるまで蒔田相模守一人となった。これが三月の事。只さんは相役のいなくなった蒔田相模守を助け、相当な信頼を得た。
ところが四月になると、長州再征に先駆けて、長州の兵が幕府の倉敷代官所に攻め入り、更には浅尾藩の陣屋まで襲ってしまう。その浅尾藩の藩主である蒔田相模守は大阪に将軍とともにいる幕閣の許諾を得て、自分の藩に帰ってしまった。
この間に見廻組を仕切ったのが只さんこと、佐々木只三郎、というわけだ。
もはや相模組も出雲組もなくなった見廻組。現在の与頭は俺を含めて四人。基本的に俺は只さんの言うことは聞かないし、出雲組からきた二人の与頭も生意気なことを言ったのでみんなの前でぶっちめてやった。
その只さんは小林、間宮と言うその二人の与頭をうまく丸め込んで俺の隊を除いた見廻組を支配下に収めた。
そして五月に蒔田相模守が戻ってきた時には兄である会津藩公用役の手代木直右衛門と見廻役の蒔田を挟まずにやり取りするようになっていたのだ。自藩の後処理で忙しい蒔田相模守はそれを喜び、ほぼすべての事を只さんに委任してしまった。そして現在に至る、と言う訳だ。
「ねえ、新さん? 佐々木さんを手伝ってやらないんですか? 」
「えっ? 面倒事をわざわざ抱え込んだのは只さんだろ? 編成でもなんでも好きにすりゃいいじゃん。あ、うちの連中はいじったら許さないからね。」
「ですよねー。私もできればそっちがよかったな。」
「吉太郎は俺と違って出来が良いんだから只さんを助けてやらなきゃ。」
「ほんと、そういうとこ小吉さんにそっくりですよ。」
「冗談じゃない。あんな化物と一緒にされてたまるか。」
「ははは、じゃ、佐々木さんにはそう言っておきますよ。新さんの所はいじるなって。後は好きにしていいと。」
「うんうん。そう言っておいて。」
只さん付きの肝煎である渡辺吉太郎はそう言って席を立った。きっと只さんから何か言いつかっていたのだろうが言っても無駄、と思ったのだろう。道場で一緒だった頃から空気の読める男ではあった。
それはそうとうちには肝煎なるものはいない。今は渡辺一郎がその役をやっているが役としては平隊士、見廻組並だ。しかも一番年下でもある。他には高橋安次郎が剣術に秀で、無骨な人格なので仕切り役を任せている。ま、隊といっても二十五人。只さんは五十人で一組をと思っているらしいが迷惑な話だ。馴染むのも大変だし、なにより臙脂の羽織で揃えているのだ。さすがにもう二十五人分を仕立てる金など無かった。
うーん金だよね、やっぱり。金がいる。座敷でゴロゴロしながら考えていると再び吉太郎がやってきた。
「どうやら決まったらしいですよ、編成。」
「あっそ。」
「新さんのところも増員、今までの人たちと合わせて五十になるみたいです。」
「えー、勝手にいじんなよな。」
「そうはいっても。ね、新さん、それよりもですよ。」
「なに? 」
「その、私達って家族を伴って来たわけで、その費用は公儀から、って話でしたよね。」
「そうだったっけ? 」
「そうなんですよ。それが未だに。おかしくないですか? 」
「おかしいよね。よし、吉太郎、ついてきて。」
俺は吉太郎を連れて、只さんの部屋を訪れた。
「もう、新さん! 何さ、今頃来て。ちゃんと会合には顔を出してよね! 」
只さんはいつものように口をとんがらせて文句を言う。
「只さん、そんなことはどうでもいいんだ。大変なことを思い出した。」
「なに? 」
「引っ越しの代金、幕府からもらってない。」
「えっ? 確かにそうだけど、その分加増が。」
「それとこれとは話が別だろ。只さんは見廻組の代表なんだから、蒔田でもなんでも話つけてきてよ。」
「うーん、そうだね。うちもさ、七重が孕んじゃって。」
「えっ? そうなの? おめでとう。」
「はは、ありがと。だからね少し落ち着いたところに引っ越そうかなって思ってたんだ。」
「ならガッツリもらわないと。」
「うん、頑張ってみるよ。みんなのためだしね。」
「あ、それと編成だけど。うちは変更認めないから。後はよろしくね、只さん。」
そう言ってやると只さんはがっくりと肩を落とした。それを吉太郎が慰める。大変だね、偉い人は。