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 三月、まだまだ世は慌ただしさを増していた。高杉達、正義党、と名乗る連中が長州を仕切り、長州は態度を硬化させる。幕府は幕府で海舟のいなくなった海軍操練所を取り潰し、長州に対しても締め付けを強化する。幕府の増強を望まない薩摩は朝廷と接触を密にして、長州の処罰の緩和を求めた御沙汰書を発給させた。これには一蔵さんが中心に動いているという。


 ま、世の中はいろいろ忙しいが俺はそうでもなかった。そんなある日、トシが俺を訪ねて家にやってきた。


「よう、トシ。山南っての腹切らせたんだって? 」


「まあな。脱走までされちゃああするしかねえさ。それを許しちゃ法度の意味がねえ。」


 トシは苦い顔で茶をすすりながらそう答えた。


「ちなみに、何があったのさ? 」


「山南はな、いわゆる尊攘派、清河とも考えが近かった。清河達と一緒に江戸に行かなかったのは近藤さんが居るからだ。」


「それで? 」


「今度近藤さんが連れてきた伊東な。ありゃ名の知れた尊攘派だったらしい。元々伊東の道場に通ってた藤堂平助なんかも先生、先生、ってそりゃあもうべったりよ。んでその伊東が山南を焚きつけた。」


「なんて? 」


「新選組が会津のために働くのはおかしいってな。俺にいわせりゃ会津に金出してもらってんだ。そっちの方がよっぽどおかしいってもんよ。」


「だね。で、近藤さんは? 」


「あの人はちやほやされてる今がいいんだ。適当に聞き流しておしまい、ってなもんよ。」


「はは、んで脱走か。」


「そう言う事、あてつけるみてえにわざと捕まりやがって。旦那、」


「ん? 」


「近藤さんじゃダメなんだ。あの人はな、尊王も攘夷も判っちゃいねえ。それなのに恰好つけるために判ったような顔をする。今回だってそうだ、伊東なんかを引き込めば今度は思想が理由で新選組が割れちまう。俺たちは会津お抱えの新選組だ。そう言う事を何一つわかっちゃいねえ! 」


「ははっ、お前も我儘だねえ。芹沢ってのもダメ、今度は近藤さんもダメ、誰ならいいのさ? 」


「そりゃあ、旦那なら。」


「なら新選組やめてうちに来りゃいいじゃん。」


「そうしてえとこだが新選組は俺が手塩にかけて作ったもんだ。生みの親がそっぽ向くわけにもいかねえのさ。」


「だったらあれだ、近藤さんには芸者でも宛がって何もさせなきゃいい。うちだってあれだよ? 中の事は一郎や安次郎にぜーんぶ任せてる。お前も同じようにしちゃえばいいじゃん。」


「そうだな。本格的にお飾りに。」


 少し、悲しげな顔をしてトシはそう言った。


「そうそう、聞いてくれよ旦那。」


「ん? 」


「うちの監察方に山崎ってのがいるんだが、こいつが近藤さんに付き添って江戸に行ったんだ。」


「で? 」


「隊士募集で各道場を回ったんだがな、車坂にある榊原道場、健吉さんが開いたとこだ。あそこに声かけたら誰も応募しねえんで、近藤さんが怪しいから探りを入れろって、山崎を入門させたらしい。」


「はは、なんだそりゃ。」


「結果はぼっこぼこにされて帰ってきた。近藤さんが敵討ちに行くかと思いきやだんまりだよと。」


「ま、当然だな。健吉は将軍のご指南役だ。疑うだけでも恐れ多いさ。」


「近藤さんはな、旦那や健吉さん、それに佐々木さま。講武所教授方の人たちが大嫌いなんだと。」


「なんで? 」


「自分が望んでも立てなかった地位だから、らしいぜ。」


「そもそも近藤さんは武士じゃないじゃん。それに腕だって。」


「自分じゃ強えつもりなんだよ。道場剣術じゃなくて自分は池田屋で人を斬ってるってな。」


「あはは、大したもんだ。トシ、近藤さんに言ってくれ。いつでも真剣でお相手するってな。」


「勘弁してくれよ旦那。な? 旦那も俺の立場、判んだろ? 」


「まあね、けど健吉は俺にとっては兄弟弟子さ。疑われちゃ面白くないし、何より男谷の面目に関わる。」


「だからな、今度は俺が江戸に下って、しっかりとした連中を集めてくるんだ。そん時に健吉さんには俺が頭を下げてくる。それで収めてくれねえか? 」


「ま、トシがそこまで言うならな。健吉だって二、三発引っ叩くだけで許してくれるさ。」


「えっ? 俺がひっぱたかれんの? あのブッとい腕で? 」


「健吉は大人だからね、俺と違って。」


「やだなあ、行きたくねえなあ。」


 トシは心底嫌な顔をして、ぶつぶつ言いながら帰っていった。


 月の終わりに大火事があり、大騒ぎだったがそれ以外は大きなこともなく、四月を迎える。



 四月七日、この日、またもや改元があり、元治は終わって慶応元年となった。


「新九郎さん、久方ぶりじゃのう! 」


 突然訪ねてきたのは坂本龍馬。以前より風格を増しているように感じた。とりあえず座敷に上がらせて

茶を出してやる。


「お前さあ、いろいろやってるみたいだけど、さなの事、いい加減ケリつけたら? 」


「あちゃあ、これは一本取られたきに。もう、そげん言わんでもよかろうきに。」


「俺がね、お前に言いたいのはそれだけなの。んでどう? 元気にやってる? 」


「海軍操練所が潰れてしもうて、いささか困った事にはなっちゅうけど。」


「けど? 」


「わしはなあ、新九郎さん、カンパニーっちゅうんを作る事に決めたぜよ。」


「カンパニーって会社? 」


「ほうじゃ、会社っちゅうんが通りがええ。そのカンパニーでな、船を使うて荷物を運んだり、異国の産物を売ったり、それこそ鉄砲や大砲も売ろうかと思うちょるんじゃ。」


「ばかだねー、お前、そんなの幕府が許すわけねージャン。」


「そこはそれじゃ、幕府の言うこと聞きよったら商いなんぞなんも出来ん。わしはな、新九郎さん、世界を相手に商いをしたいがぜよ! 」

 

 龍馬は埃っぽい袴をずいと進めてそう言った。


「まあ、世界でもなんでもいいけどさ? お前、その資金あるの? 」


「それはー、その。あはは、」


「ばっかじゃねえの。」


「ちゃんと考えがあるきに。ええか、新九郎さん。薩摩っちゅうのは昔っから琉球やその先の清国と密貿易をやっちょった。」


「なんかそんな話聞くね。」


「だから、薩摩に金を出させてわしらがその代わりにやばい仕事を請け負う。薩摩も幕府に睨まれんで御の字じゃし、わしらもそっからいくばくか、儲けを頂くって寸法じゃ。な? 悪くない話じゃろ? それにな、越前候はなんだかんだと話の分かるお人じゃき、あん人からも金を出してもらうつもりぜよ。」


「へえ、貧乏な薩摩がねえ。」


「西郷とはある程度話がついちょるんじゃ。でな、新九郎さん。」


「なに? 」


「薩摩までの旅費、貸してほしいんじゃが。」


「アホかお前は! 金は貸してやってもいいが、お前はその金で江戸に行け、んで、さなと祝言上げるんだよ。カンパニーだなんだはその後の話! 」


「ほいたらわしは、あの道場から一歩も出られんじゃろ! 」


「知るか! お前がさなに手を出すからこうなるの! 定さんだって可哀想だろ? あーんな嫁きおくれの娘抱えて。」


「それは、その、若気の至りっちゅうあれで。もう、頼むきに! わしは薩摩に行かにゃならんちや! 」


「だーめ。」


「頼む! この通りぜよ! 」


「いいではないですか、新九郎さま。さなさんの事は後でしかと。ですよね、龍馬さん? 」


「これは奥方、相変わらずめんこいのぅ。話しもようわかってくれるし、新九郎さんにはまっこともったいない嫁さんぜよ。」


「で、薩摩にさなを送り込めば良いわけ? 」


「もう、なんちゃない話は言うたらいかん! ほいたら、金は必ず返すきに。」


 騒がしい龍馬は目的を果たすと一目散に逃げて行った。


「まったく、現金な奴だ。」


「天下国家もいいですけれど義理を欠くような人ではどうにも。お付き合いも考えたほうが良いかもしれませんね。」


「まあね。」



 そして五月、長州に再び圧力をかけるべく、将軍家茂公が上洛する。そうなると側役の榊原健吉も一緒に来るわけだ。


「新さん、お久しぶりです。」


「うん、健吉、元気だった? 」


「はは、歳三を存分に叩きのめすぐらいには。」


「ま、舐められるわけにはいかないもんね。」


「ええ、私も男谷の男、そう言う事ですよ。」


「俺も江戸に戻って親父殿の墓参りぐらいしたいとこだけど。」


「新さん、先生はそのような事は。」


「だろうね。ま、仕方ないか。でさ、健吉、折角来たんだ、一つうちの連中に稽古でもつけちゃくれないか? 俺も久々にあんたと。」


「ですな。まだ新さんには負けませんよ? 」


 俺は屯所に行って見廻りに出ていた只さんたち以外を連れて、向かいの千本屋敷の道場を借りた。


「きぇぇぇ! 」


「踏み込みが甘い! 」


 まず挑んだのは吉太郎。同じ男谷の門弟だ。だが健吉の腕はさえわたっており、何もできずに重い一振りを食らった。


「ま、参った! 」


 一郎、そしてうちの安次郎をはじめとする強面たちも流石に健吉には敵わない。


「新さん、そろそろ。」


「ああ、やろうか。」


 面をつけた俺は健吉と対峙する。前よりも冴えている、そう感じさせる健吉は相当の修練を積んできたのだろう。だが、俺だって。


「ちえぃ! 」


 同時に踏み込み面を打ちあう。やはり健吉の方が振りが早く、俺の竹刀がわずかに遅れた。健吉がどう動くかはわかるのに、手が追いつかないのだ。


「せやぁぁ! 」


「きぇぇぇい! 」


 互いに気合の声を上げ、じりじりと足を這わせる。相手が動いてから先を取る、後の先を得意とする俺には、誰よりも速く振り下ろす健吉の剣が相性が悪いのだ。立ち合いながら親父殿がどうしていたのかを思い浮かべる。そうだ、誘い受け。ちらっと隙を見せてその上で返す。それにさんざんやられた記憶があった。

 俺はほんのわずか、健吉でなければ見抜けないような隙を作った。そこに健吉の剣が振り下ろされる。とっさにそれを躱し、がら空きになった面を打った。面の向こうで健吉の目が大きく見開かれたのが見えた。


 三本目は打ち気に逸った所に小手を打たれ、結局健吉に負けてしまう。


「流石ですね、新さん。」


「何言ってんだよ。負けたのは俺。」


「いいえ、あの誘い、アレは先生が得意とした技。思わず目を剥きましたよ。」


「そうだね、あの技には何度もやられてるもの。」


「冷や汗、と言う物を久々に。今日はたまたま勝てましたが、もう、負けません、とは言えなくなりましたね。」


「ははっ、それでも親父殿には程遠いさ。」


「ですね、私はあそこにたどり着かねば。直心影流を継いだ身としては。」


「そっか、健吉にはそれがあったね。」


「ええ、もっともまだまだ山の頂も見えませんがね。」


 久々に懐かしい顔をみて、何だか気持ちが改まる。健吉は流派を。そして俺は男谷の男の矜持を、あの親父殿から引き継いだ。世がどうあれ、幕府がどうあれ、その矜持だけは汚すわけにはいかないのだ。



 その夜、布団の中でキセルを咥えながら律とそんな話をする。


「新九郎さま、その矜持を抱えた新九郎さまを、こうして抱いて差し上げるのが律の役目にございまする。」


「何言ってんだ、律っちゃん。律っちゃんこそが俺の矜持その物さ。」


 そう言って律の柔らかい体をぎゅっと抱き寄せた。


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