52
長州は戦わずして降伏。海舟が言うように、長州藩は総督府の出したいくつかの条件を飲んで生き残る事になった。
その十一月、今度は東から脅威がやって来る。水戸の天狗党、三千余りが西上を開始、京にいる禁裏御守衛総督、一橋慶喜を通じて尊王攘夷の意を朝廷に申し立てるのだと言う。
水戸天狗党と言えば今の世に騒乱をまき散らした元凶、ともいえる。井伊大老を殺した桜田門外の変、安藤老中失脚の原因ともなった坂下門外の変。それに東禅寺にイギリス公使を襲ったのもこいつらの仕業だ。聞けばこの四月に筑波山にて挙兵、日光東照宮を占拠すべく下野に入るも、近隣の藩兵に阻まれ、民から金品を巻き上げて軍資金としているのだという。もう完全に強盗集団。
一時は水戸の支藩、宍戸藩主、松平頼徳まで巻き込んで大層な勢いだったらしいが、幕府の追討を受け、頼徳は切腹。主な家臣も処罰された。
ところがそこから脱出を図った千名余りが武田耕雲斎なるものを頭にして集結。そこに近隣の尊攘派が駆けつけて三千の数になったという。
そこで困った一橋慶喜はまたもクズっぷりを発揮。自らを慕う天狗党討伐を朝廷に申し入れた。天狗党もクズだがこの人も相変わらずだ。そこで一橋慶喜を大将として、加賀、会津、桑名の四千の藩兵を組織して中山道を進む天狗党退治に出陣した。この中には見廻組から只さんの一隊、百も組み込まれていた。
留守を任された俺は肝煎の吉太郎と何かと気の利く一郎にすべてを任せ、屯所でゴロゴロして過ごしていた。そんな中、突然会津候のお召しを受ける。また何かお説教かと思い、嫌々ながら会津屋敷に伺候すると、そこにはトシも呼ばれていた。
「なんです、直さん。俺、悪い事してないんだけど。」
「新さん、そんな話じゃないんだよ。どっちかって言えば新さんの得意そうなこと。」
公用人の手代木直右衛門が俺に大丈夫だから、と笑った。只さんの兄貴であるこの人は会津の重鎮。そして只さんのチクったことをすぐに会津候、容保様に伝えてしまう困った人でもある。
トシはこういう所で余計な口を開かない。近藤さんだけでなく、トシまでもが増長していると言われれば、新選組が持たないと判っているからだろう。
会津候が上座に着座し、俺とトシは頭を下げる。会津候は「ご苦労。」と口にして直さんを見た。
「されば松坂殿、そして土方。二人には京都守護職より、下命があります。」
「はあ。」
「先日の禁門の変、見廻組が当たった長州金剛隊。奴らは浄土宗の僧侶であり、それを支援していたのが西本願寺を始めとする寺々。よって京の治安、そして幕府の権威を回復すべく、西本願寺に威圧を加える必要があるのです。」
「威圧? 」
「松坂、ようはお前と土方で西本願寺に嫌がらせを。と言う事だ。幕府を蔑ろにする浄土宗には制裁を加えねばな。お前であればそういう事は得意であろう? 京都守護職のわしの命だ。多少派手にやらかしても構わん。」
うーん、会津候の中では俺はそう言う人物設定なのか。一概に間違っていると言えないところが辛い所だ。
「恐れながら! 」
「なんだ土方。」
「はっ! その儀であれば一つお願いがございます! 」
「苦しゅうない、申してみよ。」
「されば! ただいま新選組局長、近藤、江戸に下向し、隊士募集の任に当たっております。」
「そのようだな。それが? 」
「はっ! 隊士が増えれば現在の屯所では手狭になる事は請け合い。西本願寺には大法会の際にしか使われぬ大きな建物が。されば我らが西本願寺への威圧、それに見張りも兼ねてそれらを接収、新たな屯所とするお許しを頂きたく。」
「ほう、面白いな。許す故そのようにいたせ。」
「ははっ! ありがたき幸せ。」
「何事も松坂と図ってうまくやれ。要は奴らが我らの力を思い知ればいいのだ。」
容保様は顔を歪めてにやりと笑うと席を立った。
「ま、そう言う事だ。土方、新さんがやりすぎぬように注意せねばな。」
「はっ! 」
まったくひどい言われようだ。容保様も直さんも人を何だと思っているのだろうか。
「仕方ねえさ、今の旦那に上から文句つけれるのは会津候ぐれえだからな。手代木さまも、佐々木さまもだからこそチクるんだ。」
「けどさあ。」
「ま、そんだけの立場に成ったって事さ。松坂さま。」
「うわ、気持ち悪っ! そう言うのやめろよな。」
「ははっ、けどああした席じゃそう言わねえとな。なんせ俺は武士じゃねえんだ。近藤さんはそう言う所が判っちゃいねえ。」
「近藤さんか。人柄は嫌いじゃないけどね。ま、新選組の局長で、俺たちなんかより名も売れてる。いい気になるのも判らないでもないけど。」
「それでも俺たちゃ多摩の百姓だ。ああものぼせちゃ良くは言われねえよ。」
「ま、武士ってのは貧乏だろうが部屋住みだろうが、武士であることを誇りに思って生きている。武士は食わねど高楊枝ってね。」
「ああ、そうさ。正式に召し抱えられたならともかく、俺たちはお雇いに過ぎねえんだ。そいつを忘れちゃ攘夷だなんだと騒いでる不逞浪士と変わりねえよ。なんせ、身分ってのは幕府がお定めになった事だ。それに従えねえってのは筋が通らねえだろ? 」
「まあね、親父殿はいつも言ってた。男谷の祖は盲人の検校殿、その検校殿を引き立ててくれた幕府への恩を忘れるなって。最もな話さ。食い扶持を出してくれてるのは幕府な訳だしね。それを忘れて攘夷だ尊王だって言ってる連中の気がしれない。己の理想、主義主張ってのはそんなに大事な物なのかねって。」
「旦那、俺はな、尊王攘夷ってのは食えねえ連中の成り上がる為の手段でしかねえと思ってる。異国と交易して誰が困る? 帝が偉いなんてのは言われなくても判ってる。そんなもんを声高に言いふらして大儀だなんだに替えてんだよ。坂本を見ろ、あいつは今や良い顔だっていうじゃねえか。けど元をたどりゃ、土佐の下士。そんな身分で生涯を送りたくねえからあれやこれやと理屈をつける。俺たちだってそうさ。農家の十男坊で生きててもつまらねえ。だからこうして京に出た。」
「俺だって似たようなもんさ。元は部屋住み。だーれも相手になんかしてくれなかった。」
「あはは、そうだったな。だが旦那が俺たちと違う所は成り上がるのにインチキをしちゃいねえって事だ。坂本は船だなんだと幕臣でもねえのに幕府の財で名を挙げた。俺は邪魔な奴らを皆殺し。脛に傷持つ身なんだよ。」
「龍馬もさ、天下国家なんて言ってないで、早いとこ江戸に帰ってさなと祝言でもあげりゃいいのに。定さんの婿ともなれば食うに困る事もないし、小千葉の師範ってことになりゃ立場だって悪くない。少なくとも土佐の下士なんかよりはよっぽどいいと思うけどね。」
「ま、俺もそうだが、あいつも血を燃やしてえんだろうさ。天下国家に己を問うて、名を上げる。男ってのはそう言うもんだろ? 」
「俺はそう言うのはどうでもいいかな。天下国家は海舟みたいな頭の良い奴がうまくやればいい。龍馬はさなと、お前はお琴って言ったっけ? 長唄の師匠と祝言でも挙げて幸せに暮らすべきだよ思ってるよ。俺と律っちゃんのようにね。」
「おいおい、坂本はともかく俺は勘弁してくれよ。こっちにだって馴染みの芸者はいるし、恋文だって山ほどもらってんだ。何を好き好んでお琴なんかと。」
「トシ、芸者や遊女なんてのは馴染んだところでその場限りさ。頼りにならないって判ればぷいと姿を消しちまうんだ。田舎の十男坊のお前に嫁いでもいいなんてのはよっぽどの事だよ? 顔が多少まずかろうが貧乏してもお前に嫁ぎたいって女は大切にしないとね。」
「けっ、自分が別嬪な嫁さんもらったからってよく言うぜ。」
「ははっ、世が落ち着いたら俺が仲人をしてやるよ。」
「ぜってえ嫌だ! 」
西本願寺懲罰は明日と決まり、翌日に俺が隊士を率いて新選組の屯所に顔を出すことになった。なにせ、壬生から西本願寺は目と鼻の先なのだ。
「会津候配下、京都見廻組である。御用につきまかり通る! 」
「同じく新選組である! 京都守護職様の命により中を改める! 」
翌朝、俺とトシはそう宣言して隊士たちを西本願寺の中に送り込む。うちの一郎、そして安次郎たちはウキウキしながら突入していった。トシははじめちゃんに指揮を任せてだんだら羽織の新選組を送り込んだ。臙脂の羽織のうちの連中とだんだら羽織の新選組が寺の中を散らかして回る。
俺はトシが狙いをつけているという、普段使われてない北集会所の縁側に腰を下ろし、その脇にトシが神妙な顔で立っていた。
「へえ、ここが。」
「ああ、三百畳もあるって話だ。年に一度や二度しか使わねえんじゃもったいねえだろ? 」
「まあね。」
「このまま斎藤達をここに泊まらせる。んで残った連中に布団やらなにやら運び込ませりゃいい。あとは坊主どもが何を言おうが動かねえ。あっという間に新たな屯所の完成だ。」
「ははっ、ひどい話だ。」
「あとは毎日肉だ魚だと食って酒でも飲んでりゃ坊主どもも音を上げるさ。ついでに隊士たちの切腹でも見せつけりゃ金を払ってでも出てってくれって話になんだろ? 」
「だろうね。」
「そしたらその金で新しい屯所をおっ建てる。いつまでも借りぐらしってのは性に合わねえからな。」
「お前、わっるいやつだなぁ。」
「旦那に言われちゃお終えさ。」
結局トシはなんだかんだと苦情を言いに来た西本願寺の坊さんに、ここを屯所とすることを認めさせてしまう。それにしても隊士の切腹を見せつける、とか。トシも歪んでんなあ。
「まあ、そんな事が。トシさんも所帯でも持てば落ち着くのでしょうが。」
「律っちゃん、トシたちはまだお雇いの身だからさ、嫁を貰っても食わしていける自信がないんだろうさ。」
「それはそうかもしれませんが。」
「今は芸者にちやほやされてんのがいいんだとさ。多摩に帰れば婚約者もいるってのに。」
「殿方は所帯をもってこそ一人前。そうでなければ童も同じ。天下国家に血道を上げて終わってみれば何もなし、そうならなければいいのですけど。」
「ま、世が落ち着いたら無理やりにでも所帯を持たせればいいさ。トシも龍馬も。」
「そうですね。今の世は祭りも一緒。いずれ落ち着く日が来ましょう。」
「そそ、世が落ち着いて見廻組が無くなっても二百俵、講武所が閉鎖になっても百俵取りだ。鐘屋もあるし、生きて行くには困らないさ。」
「今のうちに、鐘屋を大きくしておけばさらに楽に。律が新九郎さまに貧しき思いなどさせはしませぬ。」
「あはは、律っちゃんは頼りになるね。ほんと。」
そう言って俺は律を押し倒す。この柔らかい感触。妻がいると言うのは良いものだ。こういう幸せをぜひ、トシにも味合わせてやらねばなるまい。だって、友達だもんね。協力するのは当たり前。