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俺たちが薬売りに精を出していたころ、長州では昨年の攘夷の仕返しとばかりに、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの四か国連合艦隊がやってきて完膚なきまでに長州を叩きのめした。そこに来てさらに長州追討の勅命である。まさに世界を敵に回した長州は風前の灯が如し。今まで無茶をやってきただけにいい気味だ。
かと思えばこちらはこちらでいろいろあった。新選組は長州屋敷を襲撃、藩士二十名を拘束。もはや長州藩士、と言うだけでこの京では罪人扱いだ。
その新選組、月の終わりごろに永倉、原田、そして意外な事にはじめちゃんの三人が発起人となって、近藤さんの弾劾書をなんと会津候に提出。他にも三名の隊士の署名があったそうだ。
現状、新選組の働きに満足している会津候はその三人を宥め、今後も近藤さんに尽くすよう、とりなしたのだと言う。ま、どこでもあるよね、そう言う事。俺も只さんになにかと言えば会津候にチクられてるし。
そして九月に入ると長州の事情もある程度詳しく伝わってくる。四か国連合に対し、和睦の使者となったのはなんとあの高杉。あいかわらずのトンデモ理論を繰り返し、実質降伏に近いものの、とりあえずは和睦と言う形に持って行ったらしい。一説によれば高杉は、交渉の席でひたすら暗記した日本書紀を詠みあげたのだと言う。ま、人の話聞かないタイプだもんね、アレは。
さて、その結果としてなぜか幕府に賠償金が求められることになる。その額三万両。長州側の言い分は幕府が朝廷に約束した攘夷を実行しただけだから、その責は幕府が負うのが当然、と言う事らしい。自分たちが攘夷を騒ぎ立て、幕府に約束させたくせにこの言い草である。
四か国連合としても支払い能力のある幕府を相手にしたほうが良いに決まってる。まあ、すぐに回答が出せるはずもなく、四か国との交渉は保留したまま長州征伐、そう言うことになった。
そしてその九月、近藤さんは新選組増員の為に江戸に下った。その近藤さんが留守の間にトシは近藤批判に参加した隊士の一人を切腹に追い込んでしまっていた。
「あーあ、憎まれ役も楽じゃねえな。」
俺の家を訪ねてきたトシは、律が出した茶をすするとそう愚痴った。
「んで、今回の騒動はどう片付けんのさ。はじめちゃんを斬る、なんてのは俺が許さないよ? 」
「んなことわかってる。斉藤はいわば間者さ。近藤さんへの文句ぐらいなら構わねえがそいつを元に徒党をなんてなると厄介だからな。今回腹を切らせた葛山はその手の奴だったってことさ。」
「なるほどね。ま、はじめちゃんなら余計な事は言わないし。」
「そう言う事、俺は斉藤に借りっぱなしだ。あいつは旦那が俺に協力してやれって言ったからって文句も言わずに従ってくれる。俺としちゃありがてえが、あんまりいい気分じゃねえな、人に借りを作るってのは。」
「トシさん。そう思うのであれば、はじめさんときちんと友誼を。友であれば助け合って当たり前。そうでないからはじめさんは新九郎さまの名を口にするのですよ? 」
「あ、うん。奥方様、俺もできればそうしてえんだが、あいつ、つかみどころがなくてな。」
「はじめちゃんはトシたちにさんざん仲間外れにされたからね。」
「あ、ありゃあ、あいつが伝えた時刻に来ねえからだろ? 」
「だからさ、そう言うのもひっくるめてはじめちゃんを受け入れないと。お前みたいにぴしっ、ぴしっと出来る奴ばかりじゃないんだから。法度もいいけど、それだけじゃ友達は出来ないと思うよ? 」
「ああ、そうだな。いささか俺は頭が固てえ。斉藤には昔の事もきちんと謝って、友になってくれるよう頼んでみるさ。」
「それが良いね、愚痴を言えるのが外の俺だけじゃ流石にきついだろうし。はじめちゃんだってお前に言いたい事ぐらいあるかもしれない。」
「そうだな。聞くのはちと怖えが。ははは。」
「大丈夫さ、はじめちゃんは俺の友達だ。同じ友達であるお前とならうまく行くって。それよりさ、」
「なんだ? 」
「聞多と春輔、大丈夫かな。」
「ははっ、あいつらならうまいことやるんじゃねえの? なんせ二人とも小ずるい上に攘夷だなんだで頭が固まっちゃいねえからな。」
「ま、そうだけど、高杉についてるってのがね。」
「こればっかしはしょうがねえさ、奴らは長州に産まれちまった。」
「まあね。もし、もしだよ? 」
「皆まで言わずともわかってるって。俺だって奴らとは友達のつもりだからな。んで、桂はどうする? 」
「決まってんじゃん。スパッと。」
「だよなぁ。はははっ。」
「龍馬の奴も攘夷をやめて今じゃ海舟の塾の塾頭らしいよ? 」
「どこかの塾頭と違って中身がありゃいいが。あの野郎はさなさんをほっぽらかして何やってんだか。」
「その辺もきちんとケジメをつけさせないとね。定さんにグチグチ言われるに決まってる。」
「そうだな。京にいたのになんで、って俺と旦那は言われるだろうな。」
「さなさんは押しが足りないのですよ。新九郎さま、そしてトシさんが京にいるならそれを頼って上京すればいいものを。」
「ま、そうだろうが、あの人はあれで長刀の師範もやってんだ。早々江戸を離れるわけにもいかねえさ。」
「あんな口うるさいのに来てもらっちゃ困るけどね。」
「ちげえねえや。ははは。」
そんな話をして、トシは帰っていった。その翌日、今度ははじめちゃんが訪ねてくる。
「まあ、はじめさん。そんなところで。お上がりなさいな。」
「うん、奥方様、久しぶり。」
「ええ、本当に。こちらに来てからは大層な活躍だとか。病気などしてませんか? 」
「だいじょうぶ、僕は丈夫だから。」
相変わらず、はにかんだような顔ではじめちゃんは座敷に上がる。侍女の佐紀が茶を出してくれたのでそれを律を含めた三人で飲んだ。
「新さん、昨日ね、土方さんから友達になってくれって。」
「そう、で? はじめちゃんは? 」
「うん、新さんに聞いてみてからって。」
「あはは、そんなのは自分で決めればいいんだよ。」
「でもさ、僕は新さんしか友達いないし、新さんが嫌だって人なら友達にはなりたくない。」
「まあ、はじめさん。嬉しい事を。けれどもトシさんも新九郎さまのお友達、何も問題はありませんよ。」
「うん、そう思ってたけど一応ね。あ、それと奥方様、これ。」
そう言ってはじめちゃんは封のされた二十五両を差し出した。
「報奨金やらなんやら貯めてね。ここに来れたのも、その前も、奥方様の世話になってるから。」
「まあ、そうですか、ではありがたく。」
律はそう言ってその小判を受け取ると、改めてそれをはじめちゃんに手渡した。
「奥方様? 」
「お礼はしかと。そしてそのお金ははじめさんが自分の為に使えるよう、新九郎さまからの贈り物。何かあった時には金子はあって困る物ではありません。」
「でも。」
「そうさ、はじめちゃん。律っちゃんの言う通り。お礼はしっかり受け取ったからそのお金は自分の為に使うといいよ。」
「新さん、奥方様。」
「それにね、はじめちゃん。友達なんてのは迷惑かけあって当然さ。お礼なんてのは他人にするべきこと。俺たちの間じゃ不要だろ? 」
「もう、新さん、ずるいよ。僕は、」
そう言ってはじめちゃんはぽろぽろと涙を流し始めた。
「それにね、はじめちゃん。今の俺って五百俵取りの旗本なんだぜ? 金に困らず江戸の鐘屋も相変わらず繁盛してる。そのお金はね、はじめちゃんに配下が出来たらそいつらに酒でも飲ましてやるといいさ。」
「うん、わかった。ありがとう、新さん。」
長州征伐に不参加の俺たちは特に変わったこともなく、京の巡回を続けている。変わった事と言えば全員そろいの臙脂の羽織になった事くらい。只さんがちょっとうらやましそうに見ていたが、組の全員分を仕立てるだけの金なんかあるはずもないのだ。
只さんが百を率い、俺と新たに肝煎となった渡辺吉太郎が二十五人ずつ率いた。残り五十は鍛錬と、屯所の警護。頭だったものがもう二、三、人必要だ、と只さんは頭を悩ませていた。
とはいえ禁裏や二条城周りに不逞浪士などそういるはずもなく、俺たちの姿を見て走り出す奴は問答無用に叩き斬る。そう各藩邸に宣言し、実際に数名を斬り捨てると怪しげな連中は姿を消した。
すっかり治安のよくなった禁裏周りに帝も公家も大満足。会津候はお褒めの言葉を頂いたらしい。俺たちが来るまでは天誅と称してこの辺りでも公家や、公家の家人などが結構斬られたりしていたのだ。
十月。長州征伐の総督として尾張藩の前藩主、徳川慶恕、今は名を改めて慶勝がその任に当たり、参謀には薩摩から西郷さんが任じられた。総勢十五万。三十六藩の兵が長州に迫ると、長州はあっけなく降伏する。禁門の変を指揮した福原越後、国司信濃、そして益田右衛門介の三家老の切腹、八・一八の変事で長州に落ちた公卿たちを筑前大宰府に追放。そして山口城の破却。とりあえずはそうした条件を示し、総督府も降伏を受け入れる話になっているのだと言う。
「ま、何事もやりすぎは禁物ってもんよ。」
「海舟、またあんたの入れ知恵? 」
「まあな、事前に西郷と、とっくりと話し合った。長州を根こそぎ潰してる暇なんてねえってな。こいつは早々に片づけて異国との交渉に臨まなきゃならねえ。異国だって幕府が長州をさらっと降伏させた、となりゃ一目置くってもんさ。」
「ふーん、俺は甘いと思うけどね。少なくとも藩主くらいは腹を切らさなきゃ朝廷だって納得しないんじゃない? 」
「そう言うとこがおめえはダメなんだよ。どっかで許してやらなきゃ物事ってのは収まりが付かねえ。あとはどうこっちの面子をつけるかだ。ま、オイラが口挟めるのもここまでだな。」
「なんでさ? 」
「江戸の幕閣の間じゃオイラの評判がすこぶる悪い。この足で江戸に戻らなきゃならねえんだ。例の池田屋にうちの生徒が紛れてたのと、征伐の前に四か国艦隊を止められなかった事、そんなんが耳に入ったらしい。」
「池田屋はともかく、四か国は仕方ないんじゃね? 」
「世間じゃな、幕府が異国にわざと長州を攻撃させた、そんな風に言われてる。」
「そうなの? 」
「ああ、龍馬が来てそう伝えてくれた。」
「あいつバカだし、適当な事言ってんじゃないの? 」
「はは、今じゃおめえの数倍は物が判ってるよ。あいつは。ま、オイラの罷免は確実だな、悪けりゃ蟄居なんて事にもなりかねねえ。オイラが動けねえ分、龍馬にはあれこれしてもらう算段でいる。おめえのとこにも顔を出すようにもな。」
「ま、いい機会じゃない? お順だって戻ってるだろうし。」
「ああ、義理を欠いた分、いろいろしておかねえとな。蟄居なんて事にならなきゃ静斎殿の墓参りぐらいはしときてえ。ま、しばらくオイラは江戸を出れねえ。さっき言ったこと、どこかで許す。それを忘れんなよ? 」
十月の二十五日、海舟は小雪降る中、早籠に揺られて江戸に向かった。
「まあ、もう雪が。」
「うん、京の冬は寒いって聞く。あったかくして過ごさないと。」
「ええ、お風呂に入ってあたたかなものを食べて、そしてお布団で。」
律は慌ただしく俺の手を取り、風呂と飯を飛ばして布団に連れ込んだ。