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八月四日。俺たちは会津屋敷に招かれる。その席で新選組に池田屋事変の恩賞として幕府から六百両もの金が下賜された。そのほか、見廻組与頭格となった俺は役高として新たに三百俵。家禄の百俵、そして剣術教授方としての百俵を合わせると五百俵取り。なんにせよ金に困らないのは良い事だ。ちなみに見廻組御雇から見廻組並に格上げされた渡辺一郎は四十俵取りとなる。
その席で、先の禁門の変の詳細が御用人の直さん、手代木直右衛門より語られた。それによれば、長州側の死者は確認できるだけでも二百六十五名を数え、名のある者としては、来島又兵衛、久坂玄瑞、寺島忠三郎、入江九一、そして神職の真木和泉。特に久坂は俺も何度か名を聞いた攘夷志士であり、吉田さんの松下村塾の門弟だ。
対する幕府側は激闘に次ぐ激闘を重ねた会津藩士が六十名、薩摩が八名、桑名が三名、彦根が九名に、久坂達の別動隊を引き受けた越前藩士が十五名、それに淀藩も二名の死者を出している。勝つには勝ったが主力を務めた会津にとっては大変な痛手でもある。
「各々方、帝はこの二日、諸国三十五藩に対し、長州追討を命じられた。これより、世はその方向で流れる事となろう。」
「されば兄上、我ら見廻組にその先鋒の任を! 」
「只三郎よ、逸る気持ちはわからぬでもないがお前たちは京の治安を守ることが本分。外征に出ては本末転倒であろう? 」
「うむ、直右衛門の言うとおりであるな。佐々木、控えよ。」
「ははっ! 」
「佐々木、それに近藤、松坂、はまあいいか。二人ともしかと心得よ。この機に京より不逞浪士どもを一掃する。怪しきものは捕え、抵抗するものは斬り捨てよ。所司代にもわしから良く申し伝えておく。」
「「ははっ! 必ずや。」」
会津候がそう締めて、その場は解散となった。
「新さん、あんたは残って。」
席を立とうとすると直さんが俺の手をぐっと?まえる。そして只さんがパタパタと襖を閉めて行った。
「えっ? 」
そして俺は立膝を突いた会津候、容保様の前に引き据えられる。
「まーつーざーかー。」
「は、はい? 」
「いやぁ、わしもびっくりした。あれほど、きつく申し渡したその日に肥後屋敷に乗り込んじゃうとか。お前の頭はどうなっているのかな? 」
「あれ、それはですね、その、純然たる治安活動、役目の一環でありまして。」
「ねえねえ、万が一、っていうか十に一つくらいの確率だったと思うけど、熊本藩士が強気に出たらどうするつもりだったの? わし、すごく興味あるなぁ。」
「それは当然、会津候の御威光を汚さぬためにもズバッと。」
「だよねー、だよねー。やっぱそう言う事しちゃうよね。あのね、松坂新九郎。そう言う事をしちゃダメなの。今はね、すっごく微妙な時だから、諸藩ともめたら大変な事になっちゃうんだよ? わかるよね、わかってくれるよね? 」
「あら、なんかまずい感じ? 」
「すっごくまずいよね。わし、言い訳に困ったもの。うちの支配下の見廻組が藩邸に押し入って暴れた、なんてなったら面目丸つぶれだもの。」
「あはは、そんなわけないじゃないですかぁ。容保様は京都守護職、治安維持の為必要だった。それでばっちりですよ。」
「うーん、人に物事を伝えるって難しいね。直右衛門、佐々木、取り押さえよ。」
「「はっ! 」」
「えっ? なに、なんで? 」
「と、に、か、く、そう言うことはしちゃダメ。いいね? 」
そう言って会津候は両腕を抑えられた俺に強烈なデコピンを放った。
「もうさ、最悪だよ。なーんで俺だけ。しかもさ、容保様、しっぺとかデコピンとかすっげー痛えの。」
会津屋敷を出た俺は待っていてくれたトシと一郎を連れて料理屋に上がり込んで愚痴を言う。
「そりゃあさ、旦那、いっくらなんでも注意されたその日にやっちゃ会津候だって腹も立とうってもんさ。」
「ま、すぎたことやし、ええやないどすか。」
「けどさあ。」
「ま、そんな事より、例の薬、ようやく支度が整ったぜ。明日にでも見廻組の屯所に届けさせる。袋詰めやらはそっちでやってくれよ? 」
「お、いいねえ。」
「やはりここは熊本藩にはぎょうさん買うてもらわなあきまへんなぁ。」
「だよね。ほら、禁門の変でけが人も多いだろうし越前なんかもねらい目だよ? 」
「もちろん会津の方々にも。人のお役に立てるいうのはなんや、こう、気分が晴れ晴れと。」
「だな、俺たちは人助けをやろうってんだ。その儲けた金で新選組が強くなりゃ町の衆も安心できるってもんだ。」
「つか、お前のとこ、六百両も貰ってんだぜ? 」
「ああ、その銭で隊士を増やさねえとな。それに具足の類だって必要だ。銭は山ほどあっても足りねえよ。」
「ま、俺たちは隊で使える小遣い銭があればそれでいいんだけど。」
「せやけど、先生。僕らも新選組のようにひと目でそれと判る恰好をしたほうが良くはありまへんか? 」
「けど、あの只さんがそんな事。」
「せやから僕たちの隊だけでやるんどす。そうやなあ、先生のその臙脂の羽織。それをみんなで、そうなれば諸藩の兵とて文句もつけませんやろ。」
「あはは、そりゃそうだ。薩摩だろうが土佐だろうが、この旦那にゃ突っ張れねえよ。なんせ話が通じねえ。あとは殴るか斬るかのどっちかだからな。」
「もうトシまで。よくそんなひどい事言えるね。」
そこでトシたちと別れ、家に戻った。
「律っちゃん! 律っちゃん! 」
門をくぐるなりそう叫んで慌てて出てきた律ちゃんの手を引き、奥座敷に連れ込んだ。
「どうなされたのでござります? 新九郎さま。そのように慌てて。」
「へへ、実はね、加増になった。見廻組与頭格として三百俵。今までと合わせると五百俵取りだよ? 」
「まあ、まあ、それはおめでとうござりまする。新九郎さまのお働きがようやく世に。」
律は涙ぐみながらそんな事を言った。
「あはは、俺は大した事なんかしてないさ。けど、」
「はい、承知しておりまする。こちらで働く源助夫婦に侍女の佐紀、それに配下の方々の妻女にも十分なお手当を。」
「うん、みんなのおかげだからね。俺へのご褒美はこの膝枕で十分さ。」
へへっと笑って律の膝に寝転んだ。そんな俺を律は撫でながら、涙声で囁いた。
「いいえ、新九郎さま。こんなものでは足りませぬ。律がお布団で存分にご褒美を。」
そう言って律は俺を引き起こし、寝間に連れ込むとそそくさと布団を敷き始めた。
蝉の鳴き声を耳にしながら俺たちは布団の上で夫婦愛について論じ合った。
翌日から俺たちは仕事に精を出す。屯所である松林寺の奥の日の差さない座敷を占領し、そこにトシの届けてくれた物資を搬入する。そして皆手を洗い、袖のない着物に着替え、障子を締め切る。薬を秤に乗せ、重さを量り、それを小さな包みに閉じていく。その包みを『新選組謹製、石田散薬』と書かれた赤い袋に十包ずつ入れていくのだ。なんかやばい薬でも扱っているようだがもちろんそんな事はない。これは人助けなのだ。
「ほな僕らは予約を頂いてる分、納めてきますわ。」
「あ、一郎、越前と桑名、彦根に淀は一袋おまけしてやって。けが人も多いだろうし。」
「わかっとります。あんじょうやっときますえ。」
ある程度の数が出来上がると童貞ではあるが隊の副長格の一郎が、作業に当たる隊士以外を引き連れて、巡回と言う名の納品に出かけていった。
残った俺と安次郎、それに手先の器用な数人はひたすらに作業を続けていく。
「まだ予約分もこなせてないからね、急がないと信用にかかわる。」
「「うーす。」」
とにかく繊細な作業なのだ。なにせ扱う物は粉薬、風が吹いても息を吹きかけても散らばってしまう。みんな口にはマスク代わりの手拭いを巻き、慎重に作業を進めていく。
「新さん! 」
只さんの声がして障子が勢いよく開けられる。その時、風が吹いて俺が量ってた薬が畳に散らばった。その場にいた全員がキレ顔で只さんを睨むと、只さんは「ごめん。」とつぶやいて障子を閉めた。
「で、何? 忙しいんだけど。」
「あ、うん、そうだろうな、とは思うけど少し、話、いいかな? 」
俺はちっ、と舌打ちしてこの場を安次郎に任せて只さんの執務室について行く。
「あのね、何してんのかは知らないけど、屯所はああいう事するためのところじゃないよね? 」
「はっ? 何か問題? ちゃんと巡回は一郎たちが行ってるんだけど。」
「あ、うん、それはもういいや。でね、今度来た渡辺吉太郎。彼の処遇なんだけど。」
「吉太郎? 」
「うん、彼は神奈川奉行所での実績もあるし、剣の腕も確か。それに新さんは同門で、俺も講武所で一緒だったから良く知ってる。どうかな? 肝煎って事にして一隊を任せてみようと思うんだけど。」
「いいんじゃない? 吉太郎は良い奴だし。腕だってうちの連中に引けを取らない。」
「うん、そう、そうだよね。見廻組の幹部が俺と新さんだけじゃ不足してるなーって思ってたんだ。だって新さん自分の隊以外の事はやらないし。他は全部俺がやってるもの。」
「はぁ? 只さんが面倒事はやるっていうから。」
「うん、うん、わかってるよ、そうだよね。でもね、流石に大変だったから。吉太郎を。」
「じゃ、その件はそれで、俺、忙しいから。」
そう言って席を立とうとした時に、安次郎が現れた。
「先生、とりあえず三十ほど。どうしましょうか。」
「あ、そうだね。一郎たちもしばらくかかるだろうし。あ、そうだ、只さん。」
「なに? 」
「薬、打ち身とか捻挫によく聞く薬。直さんに言って、会津に売ってきてよ。一袋三朱ね。とりあえず三十。よろしく。さ、安次郎どんどん作らなきゃね。」
「ですな。」
その日は夕方までかかって都合百袋完成させた。トシからもらった材料は三百袋分。全部売り切れば九百朱、五十六両ちょっとになる。そのうちの六百朱をトシに支払い、残りは三百朱。19両近くになる。それでみんなの羽織を仕立て、残りは飲み食い。うん、いいね。
翌日もその翌日も俺たちは作業に励み、ほとほと嫌気がさしたころ、全てが完成した。あとはそれを売るだけなのだがこちらも予想外。よく効く薬だと評判になり、あちこちから追加の注文が来たのだ。けが人の多かった越前、会津は元より、渋っていた薩摩からもわざわざ了介が買いに来た。
俺は安次郎に銭の包みを持たせて新選組の屯所に向かう。一郎にはみんなの羽織を仕立てさせに行かせた。
「やあ、松坂殿。トシはあいにく巡回に出ておりましてな。今しばらくすれば帰りますのでそれまでは永倉にお相手を。」
近藤さんはそう言って俺を座敷に上げると立ち去ってしまう。あれっと思ったが、まあ、仕方ないか。
「こりゃあ、松坂殿、ずいぶんと久しぶりで! 」
「はは、永倉さんも元気そうで何より。」
「すいませんねえ、副長も、斉藤の奴も出たきりで。そちらは? 」
「ああ、うちの隊士で高橋安次郎。講武所からの付き合いさ。」
「高橋と申す。」
「これはこれは、永倉新八と言います。」
「して、永倉殿。先ほどの近藤局長の態度はどうかと思うが。松坂先生は見廻組与頭格。講武所においても剣術教授方。今を時めく新選組の局長とはいえ、いささか無礼かと。」
「……ほんと、申し訳ねえ。オイラたちも近藤さんにはいろいろ言ってきてんだが本人がお大名にでもなった気でいやがんですよ。」
「まあまあ、安次郎。俺たちは俺たち、新選組は新選組さ。」
「しかし、宜しいか、永倉殿。何事も鷹揚な松坂先生であればこそこれで済むが格式にうるさい佐々木先生であれば今頃一騒動だ。そのあたり十分心得ねばな。」
「ええ、オイラたちは判ってるんですが、何を言っても聞きやしねえんですよ。」
そんな話をしているうちにトシがはじめちゃんと一緒に帰ってくる。
「ん、旦那じゃねえか。どした? なんか用か? 」
「んじゃオイラはこれで。副長、松坂殿はあんたに用があるんだとよ。」
うーん、永倉さんはトシにもとげとげしい対応だ。
「なるほどな、安次郎さん、ほんとに済まねえ。俺が代わりに詫びるから今回は目をつぶってくれねえか? 」
「土方さん。俺たちはあんたに感謝してる。薬も捌けて懐も潤った。だが、近藤局長の事は注意したほうが良いな。」
「ああ、わかってる。近藤さんは図に乗りすぎだ。格上の旦那の相手を自ら務めるならともかく、下の連中に。」
「ま、いいさ、で、これがそっちの取り分ね。見事完売だよ。」
「へへ、そいつは何よりだ。だが追加はしばらく厳しそうだ。なんせ江戸の方でも大した売れ行きで、千葉先生のとこからは土佐に大口の注文が入ってる。みんな長州征伐に備えてって事だろうぜ。それに土佐の方は内輪でごたごたもあるらしい。」
「へえ、どこも大変だね。」
「まあな。このご時勢じゃ仕方ねえさ。うちもな、来月には近藤さんに江戸に行ってもらう事にした。」
「江戸に? 」
「ああ、そこで人集めって訳だ。人が増えりゃ近藤さんはお飾りに出来る。そうなりゃ永倉達だって。」
「トシも大変だな。」
「まあな。俺には旦那のように力でねじ伏せさせる事も出来ねえ。うまくやるには頭を使わねえとな。」
「土方さん。松坂先生はそんなことはせぬ。ただ、常に陣頭に立ち、得たものはきちんと分けてくれる。武士の頭として必要なものはそれだけだ。」
「はは、すげえな旦那は。口で言うのは簡単だがみんなそれが出来ねえから苦労してる。」
「それは鍛錬が足りぬからだ。」
「たしかに、安次郎さんの言う通りだ。俺たちゃ鍛錬が足りてねえ。だから一人を斬るのに三人で囲む。そうでもしなきゃやられちまうからな。」
「ふふ、勝ちを拾うに卑怯もへちまもない。俺は良いと思うぞ、土方さん。」
「だな、所詮俺たちはごろつきの寄せ集めだ。近藤さんはそれを忘れちまってる。その分俺がしっかりしねえと新選組はばらけちまう。」
新選組の屯所を後にして千本通りを歩いていく。見送り、と称してはじめちゃんが付いてきた。
「新さん、新選組はいつか割れるよ。」
「はじめちゃん。」
「僕はね、新さんに言われた通り、土方さんについてるけど。」
「うん、悪いけどトシの事頼むよ。はじめちゃん。」
「わかった。でも、新さん。何があっても僕と友達でいてくれる? 」
「当り前さ。はじめちゃんも、トシも古い友達。何があってもね。」
「うん、それを聞いて安心した。誰に嫌われても新さんが友達でいてくれるならそれでいいんだ。それじゃ、またね。」
「ああ、気を付けるんだよ? 」
「判ってる。」
「あちらもいろいろ大変ですな。」
「本当だね。」
「それに比べて我らは鉄の団結が。佐々木先生の言うことはそもそも聞く必要がありませんしな。」
「あはは、そうだね。只さんとは同格、そう言う話だもんね。」
「われらにとって見廻組とは松坂隊の事。主君は将軍、上役は松坂先生のみ。実に恵まれておりますな。はっはっは。」
新選組と違って俺たちは一枚岩。多少物騒なだけで信頼と言う点では右に出るものはいないのだ。