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勢いつけて俺たちは壬生の近くの熊本藩の所有する肥後屋敷に乗り込んでいく。応対に出た熊本藩士は何事? と言う顔をしていた。
「御用改めである! 熊本藩士河上彦斎、佐久間象山暗殺の容疑にてその身柄を抑える! 我らは京都見廻組、役儀によりまかり通る!」
高々と俺がそう宣言するとその熊本藩士は困り切った顔をした。
「そのぉ、お役目ご苦労様です。河上の奴にはわしらもほとほと手を焼いておりましてな。その、どこに居るかもわからんとです。」
「はぁ? 」
「噂じゃ長州と行動を共にした、なんてのもあって、わしらじゃどうにも。ま、とにかくお上がりになって、お茶でも。」
その熊本藩士の言う所に寄れば、熊本藩は中がひっちゃかちゃ。一時は切れ者の横井小楠と言う男が藩論を仕切って、熊本も公武合体。そんな話になっていたらしい。その横井は越前候、松平慶永に召されてしばらく顧問のような事までしていたという。
ところがその横井は江戸で藩内の攘夷派に襲われた時、一人だけ逃げ出した、と言うので士道不覚悟の罪に問われ、今は国元で蟄居。大きな指導力を持った人物がいなくなり、藩論は尊王だが実質は事なかれ主義。というか事を起こすだけの金もない。まして隣が薩摩と来ては派手な事もためらわれる。
河上彦斎についても苦々しく思っている連中も多いが、尊攘の志士として尊敬も集めているため、厳しく罰すれば藩が分裂する危機がある。藩としてもどうしていいかわからぬのだと言う。
そんな話を聞かされてはそれ以上どうすることもできず、俺たちは肥後屋敷を後にした。
「うーん、困ったね。」
「そうどすなあ。」
何が困ったかと言えばやる気満々のうちの連中だ。俺が良いと言えば肥後屋敷を跡形も残さずに打ち壊すぐらいのことはするだろう。要は暴れたくて仕方ないのだ。しかも褒美がもらえず豪遊もできないとなればなおの事。象山先生の仇討ちもあるが目下の問題はこちらだった。
「いけんしたですか? 」
薩摩藩邸より連れ出した了介が不思議そうな顔でそう尋ねる。
「うん、うちの連中さ、血の気が多いっていうか。そのね、暴れたりないみたいで。」
「オイも昨夜は物足いなかったでごわず。」
ん? と一郎と顔を見合わせる。物足りない同士で暴れあえば満足するんじゃね? 豪遊するには足りないがそれなりの金もある。
「んじゃさ、了介、薩摩藩邸で交流稽古、なんてどうかな? 」
「そいゃよかなぁ!」
「んで、終わったらそこでみんなで酒を。一郎? 」
「はい、僕が買うてきます。」
「よし! 決まりだ。」
こうして俺たちは道を戻って薩摩藩邸に向かう。
「何? いったい何なの? 」
応対に出た西郷さんと村田さんは物々しい姿の俺たちに目を丸くした。
「吉之助サァ、見廻組の人たちがオイたち若かもんに稽古をつけてくうっちゅうて。オイは若かもんに声かけてくっから、道場ば貸してくうやんせ。」
「あ、うん、かまわないけど。」
「ほらほら、行った! 安次郎、あとで一郎が酒持ってくるから精一杯頑張って! 」
「うーっす!!」
人間凶器のうちの連中と薩摩隼人、ちょうどいい相手だろう。これでみんな満足。そう思ってほっとする。
「ちょっと新さん? 了介まで連れ出してどういう事? 」
「まあまあ、これには深い訳があるんですよ。」
ブスくれる西郷さんたちに連れられて座敷に上がり、事情を話した。
「なるほど、象山先生の仇討ちをね。で、下手人が熊本藩士の河上彦斎。そう言う訳? 」
「そうなんです。俺はほら、象山先生の塾の塾頭だったし。」
「えっ? 」
「五月塾、吉田松陰とか、あ、そうそう、いとこの勝海舟もいた。」
「いやいや、五月塾は知ってますよ? オイさんも。吉田松陰も、有名な人だし、勝さんだって何度も会ってる。その五月塾の塾頭が新さんなの? 」
「うん。そうだよ。」
「勝さんとか、その、吉田松陰を抑えて? 」
「うん。」
「いやいやいや、それは無いでしょ? オイさんもね、いろーんな人に会ってきたけど、新さんが塾頭って、ねえ? 新どん。」
その村田さんは苦笑いしただけで何も答えなかった。
「あのね、新さんが講武所剣術方筆頭。これは判る。高名な男谷下総の甥で男谷流の免許皆伝、これもわかる。けどさあ、象山先生の塾頭って。それはないない。」
「えーっ、そう言う事言っちゃう? 」
「言っちゃうも何も事実だもの。あのね、新さん。世の塾頭ってのは、こう、頭でっかちで小難しい言い回しが得意なの。そうじゃなきゃ塾生に馬鹿にされるでしょ? 少なくとも新さんみたいに言葉より先に手は出ないの。」
「うわっ、ひどい、ひどいねー、聞きましたか村田さん。西郷さんは見た目でこうやって決めつけちゃう。俺を疑うんだよ? 」
「じゃっどんそや無理もなか。新さんが塾頭? オイも信じられん。」
「あら、カッチーンときちゃったな。二人ともそう言う事言うんだ。」
「じゃあさ、新さん。象山先生のとこで何学んだのさ。」
西郷さんは口をとんがらがせてそんな事を言う。
「えっと、砲術? 蘭学? あと英語かな? 多分。」
「多分って、多分で塾頭は務まりませーん。もうさ、嘘なら嘘って言っちゃいなよ。ねえ、新どん? 」
「嘘は良くんですよ、嘘は。」
「あー、村田さんまでそう言う事言っちゃう。」
「新さん、あのね、もしも、もしも、だけどそれが本当だったらオイさん何でも言うこと聞いちゃう。腹切れ、っていうなら腹切っちゃうから。ね? 新どん。」
「そうなあ、オイも腹切って詫びもす。」
「言ったからね、俺絶対許さないからね! 」
「まあまあ、ほら、甘いもんでも食べてさ。気を落ち着けないと。ね? 新どん。」
「今用意しもんで。」
二人とも完全に馬鹿にしたような笑みを浮かべて、お茶とまんじゅうを持ってきてくれた。
「ほら、そんなに膨れないの。膨れていいのはまんじゅうだけ、なんちて、ガハハハ。」
その時からりと襖があいて目つきの鋭い藩士が西郷さんに耳打ちする。西郷さんはにやり、と笑って頷いた。
「いいよ、ここに来てもらって。」
「承知しもした。」
「あ、今のはうちの中村半次郎。剣の達者な奴でね、あとで相手してあげてよ。」
「あ、うん。」
しばらくすると襖があいてそこにいたのは勝海舟。俺と海舟は互いの顔を見て、えっ? と声を出す。
「新九郎、おめえ、なんだってこんなとこ、あ、見廻組が出来たって話は聞いたがまさかおめえが? 」
「何その言い方。見廻組の与頭格やってんだけど。文句あるわけ? 」
「ま、いいやその話は。んで、西郷さんよ。なんだってこいつが? 」
「いやね、勝さん。いろいろあって仲良くやってんのよ。昨夜の変事にも新さんは大活躍。敵の大砲奪ったりして。」
「ま、そんくれえはやっても不思議じゃねえが。」
「勝さんはこの新さんのいとこなんだって? ダメだよ、いとこなら嘘つくのやめさせないと。ね? 本人が恥かいちゃうから。」
「こいつが何かやらかしたんで? 」
「そう、ちょっと聞いてよ。言うに事欠いて象山先生の五月塾、あそこの塾頭だった、なんて言うんだから。オイさんもね、象山先生には何度もあって、すごい人だってのは重々承知。
勝さんだって、門下だったんでしょ? 塾の名誉の為にもそう言う嘘はやめさせないと。オイさんみたいに笑って許せる人はいいけど、そうじゃない連中もいるからね。マジで。」
西郷さんにそう言われた海舟は、すんごい苦み走った顔をした。
「――西郷さん。悪いがそいつは本当の事だ。男谷の男はそんなちんけな嘘はつかねえよ。」
「「えっ? 」」
西郷さんと村田さんはその言葉を聞いてぱくぱくと口を開け閉じした。
「だって、五月塾って言ったら勝さんを始め、吉田松陰とか有名どころがたくさん学んだところでしょ? 」
「そうさ。ま、オイラも人に言うのは憚られるが、その塾頭がこの新九郎。学問は何一つできねえが、象山先生は一番こいつを評価してた。物事の本質を理解してるってな。ま、西郷さんたちが信じらんねえのも無理はねえが。」
「さって、西郷さんも村田さんも腹切らなきゃね。武士に二言なんてないんだから。介錯は俺がしてあ・げ・る。痛くない様にね。」
「あ、あわわわ、ご、ごめん、新さん。オイさん手をついて謝っちゃう! 」
「だーめ。」
「オイが! オイが腹切って詫びもす! じゃっで、吉之助サァだけは! 」
「だーめ。」
「おいおいまた厄介な事になってやがんな。新九郎? 」
「何? 」
「おめえもいい年になったんだ。そう言うキッツイ事ばっかやってんじゃねえよ。」
「あれ? 海舟はそっちの味方しちゃうわけ? 」
「いや、味方とか何とかっていう話じゃなくてだ、おめえだって今まで散々やらかして人に許してもらってきたんだろうが、な? ここは穏便に。」
「よく言うよ、俺はあんたの親父に散々殴られてんだけど? 許してもらってねえんだけど? 」
「おめえなぁ! んじゃ築地で海軍の船に散々短筒の弾撃ち込んだ件はどうなんだ! そのあとうちの宿舎に乗り込んで全員ぶっちめた件は! 」
「そりゃあ話が違うだろうが! ありゃあ海軍の連中を鍛えてやっただけだ! 」
「頼んでねえんだよ! んなこたぁ! 」
「あんたらが頭でっかちだからいざって時に戦えなきゃ困るだろ! 善意だ善意! 」
「それを世間じゃ大きなお世話って言うんだよ! 十二人斬りの時だって誰がおめえの赦免を願った? 」
「お、親父殿の話は別だろうが! ふざけんなよてめえ! 」
「兄貴分に向かって、てめえたぁどういう言い草だ! 」
「ちょっと! ちょっと待って! ね、新さん、オイさんが悪かった。だから喧嘩はダメ! 」
涙目の西郷さんと村田さんが俺たちの間に割り入って、引きはがした。
「西郷さんよ、こいつは昔っからこういうろくでなしなんだ! 」
そう言って海舟はそこにあったまんじゅうを俺に投げつける。
「よく言うぜ、頭でっかちの根性なしが! そんなんだから健吉たちにも馬鹿にされんだよ! インチキ免状だってな! 」
頭にきた俺はそのまんじゅうを投げ返してやった。
「まって、まって、まんじゅうに罪はないから。ね? ほら、オイさんが食べちゃう。にへへ。」
しばらくして落ち着いた俺たちに村田さんが新たなお茶を注いでくれた。
「とにかくだ、新九郎。切腹だなんだはオイラが許さねえ。いいな? 」
「その、本当にごめん。疑ったオイさんたちが悪かった。」
「申し訳んなか。」
「んじゃ、西郷さんたちには一つ貸しだからね! 」
「うん、うん、オイさんたちができる事なら何でも。約束する。ね、新どん? 」
「約束しもんで。」
「んで、海舟は何しに来たの? 」
「あ、うん。あれだけの出来事だ。気にならねえほうがおかしいだろ? んで会津候を訪ねたら寝込んでらっしゃるっていうんでこっちに。」
「ああ、具合悪そうだったもんね。」
「で、西郷さんよ、薩摩は何だってああも積極的に? どうせあの久光様のお考えじゃ会津と長州咬み合わせて良いとこ取り、そんな話になってたんじゃねえの? 」
「あ、うん。そうなんだけど、流石に大砲撃ち込まれちゃね。大げさな言い方すればあの一発が世の流れを変えたかもしれない。」
「長州もその辺の徹底が甘かったって訳だな。いずれにしても長州は死に体だ。あんたらも関わり合いにならねえほうが良いな。」
「そうだね。久光様もそこまでは鈍くないと思うけど。」
「あんたがそこをしっかりわかってくれてんならそれでいいんだ。」
「あ、オイさんからも勝さんに頼みがあったんだ。半次郎! 半次郎! 」
「なんでごわすか。」
しばらくして出てきたのはさっきの目の鋭い男。その割に顔全体でみれば優しげでもある。
「これは、うちの中村半次郎。もうね、貧乏でさ。オイさんちといい勝負なのよ。あ、でね、この半次郎が神戸の海軍操練所、あそこに入りたいって。オイさんの方で藩の許可はもらうから、そうなったら口きいてもらっていい? 」
「うちで学ぼうって気持ちがあるならオイラは大歓迎よ。新九郎みてえに何教えてもザルな奴じゃなきゃ問題ねえ。」
「中村半次郎でごわす。勝先生。一つたもいやはんか。」
「中村ね。判った覚えとく。新九郎、おめえにゃちいと話もある。ここらで失礼しようじゃねえか。」
「あ、でもうちの連中が。」
「あはは、大丈夫、それはオイさんたちがやっとくから。血の気の多い連中にしっかり荒稽古させて、酒でも飲ませて返しとくからね。」
「あ、そしたら一郎が酒持ってくる手はずになってるんでお願いしますね。」
海舟に連れられて薩摩藩邸をでて、とりあえずは俺の屋敷に向かった。二条の城から引き上げてきた律たちが慌ただしく立ち働く姿が見えた。
「ただいま、律ちゃん。」
「お帰りなさいませ、新九郎さま、無事のお帰り何よりでございまする。あら、海舟さんも。」
「よう、久しぶりだな、お律っちゃん。」
「まだバタついておりまするが、どうぞお上がりを。」
二日ぶりの我が家。二日ぶりの律の顔。実に良い。この場に海舟がいなければもっといいのに。