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元治元年(1864年)七月十一日。三条木屋町で佐久間象山、不逞浪士に襲われ落命。
その報を聞いた俺は取るものもとりあえず、臙脂の羽織を羽織って現場に駆け付けた。そこはすでに京都奉行所の手により封鎖され、それを無理に割り行って、血だまりのできた現場を確認する。すでに遺骸は運ばれた後。奉行所の者によれば首は持ち去られていたと言う。
頭の中がかぁぁっとなる。なんで? どうして? 象山先生が何をした?
その翌日、三条河原に象山先生の首が晒された。犯人は不明。そこには新選組のトシがはじめちゃんを連れて来ていた。
「旦那、これが今の京だ。今まで何人も天誅だなんだと言って斬り殺されてる。攘夷派ってのはこういう奴らなんだ。」
「象山先生はさ、誤解されがちだけどいい人だった。少なくともこんな死に方をするべきじゃない。トシ、なんかわかったら俺に。」
「ああ、判った。」
「新さん。」
「はじめちゃん。俺さ、ようやくわかった気がする。こういう事する奴らはさ、斬るしかないんだって。」
「うん。僕もそう思うよ。」
そのころ幕府は長州に対するため、諸藩から兵を募っていた。京洛には八万ともいわれる諸藩の兵が満ち、長州を待ち構える。俺たち見廻組は会津と共に、蛤御門の守備と決まった。
その長州が動いた、との報せが入ったのは七月十九日の未明。長州勢は嵯峨と山崎から二手に分かれて侵攻中との事だ。俺は親父殿から受け継いだ朱染めの鎖帷子に臙脂の陣羽織を羽織って屯所である松林寺に駆け付けた。
「新さん。ここが切所だ。幕府は八万、長州は三千ほど、この兵力差で一人でも御門を通せば負けも一緒。長州に名を挙げさせることになる。」
「ああ、判ってるよ。」
「うん、いいかみんな! ここが俺たち見廻組の働き場、会津藩兵に遅れては我らの立つ瀬がない! 新選組は池田屋の一件で名を挙げた。ならば此度は我らの番! 」
「「応! 」」
「出陣! 」
俺と同じく鎖帷子に陣羽織姿の只さんが先頭を進み、その後ろに鎖帷子姿の組士たちが続いていく。御所が落ちればここを守っても意味がない。全員での出立だ。俺はうちの隊の連中と共に最後尾につけた。一郎以外はみんな講武所風の狭い月代に長い柄。とにかく目立つ。
見送りに出た律たちが手を振るのが見えた。律たちはそのまま家を離れ、二条の城に入る手はずになっている。
篝火の焚かれた蛤御門を守るのは会津藩兵。長州は「敵は会津のみ」と公言しており、間違いなくここに攻め寄せてくる。
「申し上げます! 伏見より進発の福原越後隊、大垣藩兵の奮闘により退却! お味方有利! 」
斥候の報告に、おぉっと歓声が上がる。
「申し上げます! 福原隊、竹田街道にて、新選組に敗れ敗走! 」
再び、おぉ! 声が上がった。その時、南の方からドーンと大砲が爆ぜる音がした。彦根藩兵の長州藩邸砲撃が始まったのだ。
「申し上げます! 山崎方面より国司信濃隊、京洛に侵入! まもなくこちらに! 」
「隊列整えぇぇ! 鉄砲隊前にぃ! 」
古めかしい甲冑に身を包んだ会津の侍大将がそう叫ぶ。鉄砲の後ろには槍を携えた甲冑姿の藩士たち。その脇に俺たち見廻組が陣取った。うおぉぉ! っと声を挙げながら長州勢が突っ込んでくる。
「撃て! 撃てぃ! 」
侍大将の号令の元、会津の鉄砲が一斉に火を放つ。まだ日も昇らない未明。戦果のほどはわからない。こちらは御所を背にしている。向こうは火器の使用はできないはずだ。ならばあとはここで待ち受け切り伏せればいい。
そう思った時ドンと短い音がして大砲の弾が着弾する。「えっ? 」と只さんと顔を見合わせるとパパパンと鉄砲の音がして前面に立った会津藩士がパタパタと倒れた。長州勢は御所に大砲を撃ち込んだのだ。
「まずい、行くよ、新さん。」
「判った。俺たちは大砲をどうにかする。」
「うん、頼んだ! 」
松坂隊25名を引き連れて長州勢に突撃する。俺たちの前に立ちはだかったのは鎧の上に墨染の法衣を羽織った僧兵たち。その旗には「金剛」と記してあった。
夢酔の刀を抜いて僧兵の喉元を突く、そいつがうめきを上げて倒れ込む前に次の奴に投げつける。そのわずかな隙間にうちの隊士が割り込んで心底嬉しそうな顔で僧兵たちを狩っていく。
「進めぇ! 狙いは大砲! あれを抑える! 」
もう、蛤御門の前は大乱戦。なにせ敵味方ともに完全武装。スパスパと斬ると言う訳にもいかないのだ。鎧は刀では切れないし、さりとて槍は持っていない。俺は刀を鞘に納めて僧兵たちを殴り、蹴り、投げ飛ばす。それを見たうちの連中が同じように柔術を駆使して敵の腕を折り、足を折る。「ぐわぁぁ! 」とか「ぎえぇぇ! 」とか言う戦場に似つかわしくない断末魔とは違う絶叫があちこちで上がる。そ
の痛みでうずくまった奴らに只さんたちがとどめを刺していく。
「先生! あれ! 大砲どす! 」
一郎が指さす方向に車輪のついた大砲と、敵味方入り混じってどうしていいかわからない、そんな顔の砲手が見えた。その砲手を切り捨てて大砲を確保する。ふと振り返ると戦況は良く言って劣勢。特に敵方は「遊撃」と書かれた旗の奴らの動きが良い。
「くそっ! 薩摩や他藩の連中は何やってんだ! 」
「薩摩はいつもの様子見ですやろ。乾門はすぐそばなのに。」
「よし、一郎、お前はこの大砲で乾門を狙え。」
「へっ? 」
「長州に大砲ぶち込まれちゃ薩摩も黙っていられないだろ? 」
「けど長州は、」
「いいか、長州兵が大砲を乾門にぶち込んだ。俺たちは阻止しようと駆けつけたが間に合わなかった。そう言う事だ。」
「もう、どうなっても知りまへんで! 」
そう言いながらも一郎はにやけた顔で大砲に弾を込め、乾門に狙いを定める。
「あかん、あかんですよ! 長州はんは、ほんまに人でなしや! 」
そう叫んだ一郎がドンと弾を発射する。薩摩兵の密集する乾門前にその弾は吸い込まれていった。
しばらくすると乾門から「チェストー! 」と言う奇声が上がり、丸に十字の旗がこちらに向かってくる。
「んじゃ俺たちは引き上げだ。あとは薩摩がやってくれる。一郎、不埒な長州藩兵は討ち取ったか? 」
「えっと、どれにしよ。あ、この坊さんでええわ。ほんま、無茶したらあかんよ? 坊さん。」
一郎は手近なところに転がっていた僧兵の死体を大砲に乗せて、ガラガラと大砲を引いていく。たっぷり暴れてすがすがしい顔の安次郎を始めとしたうちの隊士がそれに続いた。
それにしても薩摩隼人は流石である。敵味方入り混じる蛤御門前に向けて容赦なく鉄砲を撃ち放ち、チェストー!っと奇声を上げながら切り込んでいく。劣勢だった会津兵もその薩摩の勢いに続いて長州勢を追い立てていく。長州は来島とか言う奮戦を見せた指揮官を討ち取られると一気に崩れ去った。
そのころ長州の別動隊が堺町御門を襲撃、だがそこを守る越前藩兵に退けられ、主だった者は鷹司邸に逃れたという。会津藩兵、それに只さんたちががそれを包囲に向かった。
ひと段落付いた蛤御門。そこにガラガラと大砲を引いた俺たちが帰還する。薩摩の大将は西郷さん。あれこれ忙しそうに指示を出していた。
「西郷さん! 」
「あ、新さんじゃない。もうほんと勘弁。いっきなり大砲撃ってくるんだもん。」
「ごめん、そっちに砲を向けたのは判ったんだけど間に合わなくて。でも砲手も討ち取ったし、大砲も奪ってきたよ。」
「えっ、ほんと? 」
「この坊さんが犯人だからね。」
「ありがとう、新さん! ここだけの話、ほら、うちの連中ってバカだからさ。頭に血が上っちゃって大変。すぐに長州に追い討ちを!なんてのがほとんどで、オイさんもなだめるのに苦労してたのよ。けどね、撃った犯人も、大砲も、とあれば少しは落ち着くでしょ。」
そうこっそり囁くと西郷さんは「了介! 」と一人の若者を呼びつけた。
「なんでごわすか! はよ長州に追い討ちをかけもんそ! 」
あ、完全に人の話を聞かないタイプだ。ひと目見てそう判る。西郷さんもこれには苦笑い。
「あのね、こちらの松坂殿がうちに大砲撃ちこんだ奴を討ち取って、こうして持ってきてくれたから。だからもう、追撃なんかしなくていいの。」
西郷さんがそう言うとその了介と言う男は目をギロリと見開いた。
「チェストー! そげな事は関係ごわはん! 長州を、長州を! アレらを斬って斬って斬り捨ててこそ薩摩隼人! 吉之助サァ! オイがきっちりと! 」
西郷さんがあれこれ説得しても了介は「チェストー! 」としか答えない。
「そも、おはんが余計コツすうから悪いんじゃ! 」
何をどう考えたらそうなるのかはわからないが、了介はチェストー! と言いながら俺の胸倉をつかんだ。当然俺はその了介を投げ飛ばす。
「な、何をすうっじゃ! 」
え、逆ギレ? 止めに入った西郷さんを振りほどき了介は俺に殴り掛かる。遠慮する必要のない俺はその了介をぼっこぼこにぶん殴ってやった。
「ほら、どうした、そんなもんか? 薩摩隼人は! 」
「立て、そんな弱くちゃ役に立たん! 」
「男ならせめて一発入れんか! 」
うちの連中が了介を取り囲み、叱咤というか罵声を浴びせる。うーん、こいつらもおかしいからね。
了介は泣きながらチェストー! と叫び俺にかかってくる。それを俺が思い切りブン投げると西郷さんは拳を加え、あわわわっと声を漏らした。
さて、こちらもおかしければあちらもおかしい薩摩隼人。了介が動かなくなると、つぎはオイが! と出てきては俺に投げられる。
「お頼みしもんで! 」
いつの間にか蛤御門前は道場のようになっていて、安次郎たちが師範役を務めていた。
「西郷さん? 」
「いや、そのね? みんな悪気はないの。ただちょーっと血の気が多いだけ。感謝してる、うん、感謝してるから。あ、そうだ飲もう! もう飲んじゃおう! ね、長州もどっか言っちゃたし。ほら、新さん。そんな怖い顔しちゃ嫌! あ、オイさんおいしい芋焼酎があったの忘れてた! ほら、こっち、ね? 」
外の事は一郎に任せた俺は西郷さんに連れられて、薩摩藩邸に赴いた。状況が状況だけにごたごたしていたがそんな事を完全に無視した西郷さんは俺を奥の座敷に連れ込んだ。
「新どん! 新どん! 焼酎! 芋焼酎のおいしいのあったでしょ! それとつまみね! オイさんは甘いのが良い! 」
西郷さんはものすっごく忙しそうな村田さんに、そう申し付ける。村田さんは、はぁ? とキレ顔をしながらも準備してくれた。
「吉之助サァ? 今、いけんいう状況かわかっとう? 」
「いいからいいから。もうね、長州は負けちゃったの。うちも良い働き出来たし万々歳よ。あ、新どんも飲む? 」
「酒食らっちゅう場合じゃなか! 」
そう言ってぷいっと村田さんは席を外した。
「まったく落ち着きがないんだから。ほら、どう? おいしいでしょ。オイさんのおすすめ。」
「うん、甘くておいしいね。この酒。」
「そうなのよ、そうなのよ。薩摩の焼酎は日本一ってね。で、その焼酎に免じて、了介の事許してやって? ね、お願い! 」
「けどあの人完全におかしいからね、何言ってもチェストー! しか答えないし。」
「ほんと、それが薩摩人の悪いとこ、チェストー! って叫べば大抵の事は片付くと思ってるからね。了介、あ、黒田了介って言うんだけどね、あいつも普段は優秀なのよ、こ、れ、が! けど酒飲んだり興奮したりすると壊れちゃう。もうね、薩摩の人間は元から壊れてるか了介みたいに興奮すると壊れるかのどっちかだもん。」
本当に困った顔で西郷さんがそう言うと村田さんが慌てた顔で入ってきた。
「吉之助サァ! 大変じゃ! 」
「もう、なに? 」
「長州藩邸から火が出て、それが町を! 」
「えっ? 」
慌てて俺と西郷さんは薩摩藩邸の屋根に昇った。南の三条大橋の方に火の手が上がり、その火が陽の上りかけた京の町を焼いていく。
「あっちゃあ。長州の最後っ屁って訳。ひどいねこれは。」
そう言って苦々しく西郷さんは顔を歪めた。世に言う蛤御門の変はこうして幕を閉じることになる。