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 コンチキチン。祇園囃子の軽やかな音があちこちで聞こえ、意匠をこらした山鉾が町ごとに建てられている。夜ともなれば提灯の灯りが町中を照らした。世は幕府と薩摩の望む公武合体に大きく傾き、長州の陰謀は池田屋に潰えた。俺は律を連れ、京の祭りを楽しむべく町を歩く。


「いいですね、こういうの。京の町はどこも風情があって。」


 そう言う浴衣姿の律も実に風情があった。鴨川沿いを二人で歩き、提灯で照らされた街を見る。あちこち回って家に帰り、ゆっくりと二人で酒を飲んだ。


「食うに困らず、こうして律っちゃんと二人で過ごせて、幕臣としてのお役目も。あとは世が落ち着けばいう事も無しだね。」


「うふふ、わたくしは新九郎さまと一緒になって以来、文句の一つもありませんよ。ずっと一緒にこうして。」


「そうだねえ。これで文句を言ったらバチが当たるか。」


「そうですよ。世の難しき事は他の方にお任せして、さ、お布団に。」


 蚊帳をくぐって布団に入る。祇園囃子の音を聞きながら哲学に励む。律の声がその祇園囃子をかき消していった。



 さて、それはそれ。昼間の俺は真面目に見廻りを続けていた。なにせあれだけの騒動の後だ。新選組は多いに名を上げ、不逞浪士はすっかり姿を消した。決められた順路を巡回しているとひどく懐かしい顔に出くわした。


「えっ、先生? 象山先生? 」


 書生らしき若者を従えた派手なおっさん。洋服を着てブーツまで履いていたがその顔は間違いなくあの、象山先生だった。


「お、新九郎ではないか! 立派になって。流石は元塾頭であるな! 」


 俺は隊を安次郎と一郎に任せ、象山先生と町まで出て、近くの料理屋に上がり込む。


「お久しぶりですね、先生。お順の奴は元気ですか? 」


「うむ、コレラ騒動の折に罹患りかんしたが吾輩の手当てにより九死に一生を得た。相変わらず良い尻をしておってな、子は成しておらんがあの尻はたまらん。」


「あはは、相変わらずですね。俺も妻を娶って、今は見廻組の与頭ですよ。」


 本当はそれに代理とか補佐とか心得とかつくのだが、こんな俺にも見栄があるのだ。


「うむ、わが弟子であり塾頭でもあったお前の事だ。そのくらいは当然であろう。海舟も頑張っておるようだしな。吉田は残念な事になったが。」


「みんな先生の教えのおかげですよ。海舟も。そう言えば龍馬の奴は海舟のところにいるそうですね。」


「神戸の海軍操練所であるな。実に結構。この国にもっとも入用なのは海軍である。四方を海に囲まれたこの国で、海のいくさに勝てねば何も守れん。砲術、それに操船術。そうしたものが刀や槍に変わる武士の表芸にならねばな。その為には異国と積極的に交わり、一日も早く彼らに追い付かねばならぬ。商い、航海、それにいくさ。そうしたもののやりようを学び、異人に見下されぬよう努めるのが肝要。」


「なんか海舟も似たような事言ってた気がしますね。」


「あ奴とは文のやり取りを続けておったからな。退屈な蟄居ちっきょ暮らしにはいい刺激になった。」


「まあ、いろんなこと知ってますからね。」


「京にはこの三月に来た。将軍家茂公、それに一橋殿。あとは薩摩の、なんといったかな、こう、デカくて丸い男。」


「西郷さん? 」


「そう、それじゃ、その西郷にも会って、吾輩の考えをとくと語り聞かせた。薩摩は異国、イギリスの力を知っておる。攘夷だなんだでこの国が立ち行かぬこともな。」


「ま、そうですよね。普通に黒船に勝てると思えないですもん。」


「はははっ、お前なら勝てるかもしれんがな。なんせ江戸では十二人斬り、先日の池田屋でも大層な働きであったと聞くぞ? 」


「あちゃー、先生の耳にまで? 」


「いいか、新九郎。世がいかに変わろうが、武と言う物は見下せん。いかに言葉に優れようが、知識を持とうが吾輩はこの場でお前に勝てぬ。そう言う力、個の力は使いどころが大切だ。いかに武勇に優れようが大軍には勝てぬ。」


「確かに。」


「だが世が進もうといくさの理屈は同じよ。大将首を挙げれば勝ちだ。お前の武は雑兵ではなく、大将を討ち取るための物。ここぞ、という時に万全の働きができるよう普段は身を慎め。雑兵とやりあって果てては何もならん。」


「なるほど。」


「突き詰めていくとな、学問もいくさも変わらぬ物よ。大切な根っこを知る事が何より肝要。いくさであれば大将首。それを獲る為にどうするのか。目的が判ればそこへの道のりも自然と開かれる。それが判らぬから攘夷だ天誅だと無駄な事に血道を上げる。いわゆる攘夷派にはな、その大切な根っこが見えておらんのだ。この国をどうする? と言う部分がな。 仮に一時攘夷が成ったとしてもそれで終わりではない。異国の船はどしどしとやって来るし、そうなればいずれは。目先の事しか見えぬ者になにを説いても無駄よ。」


「けど先生、今の長州の攘夷派は吉田さんの弟子が中心で。」


「うむ。聞いておる。吉田は物事を正確に理解して、まさに一を聞けば十を知る。そう言う男であった。そして何よりも熱意があった。その十の部分と熱意だけを受け継いでしまったのであろうな、かの者たちは。」


「熱意はともかく十の部分? 」


「事の成り立ちを無視して結果だけを。理想と言い換えてもいいな。その理想の為であれば何をしてもかまわぬ。そう思っておるのであろう。」


「よくわかりません。」


「先ほどのいくさの話に置き換えればだ。目指す大将首は判るがそこにたどり着くまでの道のりが判らぬのよ。お前のように剣が達者であれば自然と判る。だがあ奴らにはその腕がない。だから吉田の指し示した大将首に向かって遮二無二進むしかないのだ。失敗し、仲間を失い引く事が出来ぬ。今の長州はそう言う状況だ。」


「で、その目指す大将首は? 」


「統一国家建設。尊王、帝を中心にこの国を一つに、と言う訳だな。それが吉田の示した大将首。だがそれでは誰も納得せぬ。世には藩があり、幕府がある。それらを少しずつまとめたのが公武合体と言う訳だな。ここから利害を調整し、一つに持っていくのがその道のり。

 だがあ奴らにはそれが判らん。帝は尊い、だから幕府も諸藩も言う事を聞くべきだ、と言う原則論しか持たぬのよ。仮に今そうなったとして帝に親政などできるはずもあるまい? 朝廷にもその備えはないのだ。幕府、雄藩、そうした備えを持つものが一つになって帝を中心とした新しい朝廷を。それが、吾輩の考える統一国家への道のりである。」


「はぁ、なるほど。十、つまり理想しか見えていないって怖いもんですね。」


「そうだな。剣術においてもそうであろう? 刀を持っただけでは人はそうそう斬れん。斬る為には相応の工夫と、それを体になじませる修練がいる。あ奴らは帝と言う銘刀を持てばそれだけで斬れる、そう勘違いしておるのだ。」


「よくわかる例えですね。」


「お前が剣の達人であるように、吾輩は人に教える達人であるからな。新九郎、世が治まったならばお前とは決着のついておらぬ議論をにケリをつけねばな。乳がよいか、尻がよいかの。」


「ははっ、いいですよ。受けて立ちます。」


「その折には江戸の料理茶屋が良いな。京ではいささか風情が勝り、そうした論議にはふさわしくない。」


「ですね。その時には俺が奢りますよ。」


「うむ、楽しみにして置こう。では新九郎、達者でな。」


「先生も。」


 久々に会った先生はやっぱり先生のままだった。尊大で、自信家で、そしてわからぬことをするすると解きほぐしてくれる。なんとも憎めない人なのだ。


 その六月二十四日、長州は二千の兵を持って上洛。天王山に本陣を敷き、藩主親子と昨年の政変で京を追われた公卿の赦免、そして長州勢の京への入京、さらには攘夷を国策とするよう求めた使者を朝廷に送った。池田屋に集結した志士たちの一見無謀な計画は、この長州の挙兵を見越して、と言う訳だ。だが帝はこの長州の要求を全て拒否。長州勢の退去を求めた。


 京洛は緊張し、俺たちもそれに備えをするべく、連日の打ち合わせ。会津候より、見廻組へも厳重な警戒をとの指示があった。


 そんな中、家に帰ると俺の元に親父殿から贈り物が届いていた。親父殿のせがれ、鉄太郎からの文によれば、親父殿は衰弱激しく、もう立ち上がる事すら難しいと言う。その親父殿から京で難事に当たる俺に、自らが袖を通した朱染めの鎖帷子と、臙脂の羽織、そしてラシャ布で作られたやはり臙脂の陣羽織を届けるよう言いつかったのだという。沢瀉の家紋が刺しゅうされたそれらの品は親父殿の趣味らしく、

派手な中にも落ち着きを感じさせるものだった。

 そして親父殿の言葉としては「京洛において、その臙脂の羽織がお前の代わり言葉となるように励め。」とあった。


 俺は慌てて返書を認め、とにかく療養に努めて欲しい、手柄を挙げても親父殿に語れねば意味がないのだと書き記す。律にも添え状を書いてもらい、とにかく江戸に一番早く着く飛脚を頼んだ。


「新九郎さま、義父上はきっと満足なされておられますよ。」


「律ちゃん、ダメなんだ。こんなんじゃまだ。親父殿はろくでなしだった俺をここまでにしてくれた。まだ、何も返せてない。これから、今からが俺の、まだ、まだ、死んでほしくない。ずっと、ずっと俺を! 」


「新九郎さま。」


「律っちゃん、見ててくれ。俺は誰にも遅れをとらない。あの親父殿、男谷精一郎のせがれとして恥ずべき事は何も。だから江戸に戻ったら俺と一緒にそれを親父殿に。」


「はい、必ず。この律が新九郎さまのお手柄を義父上さまに。」


 わかってる、きっと親父殿にはもう会えない。これは遺言であり、俺が親父殿から受け継ぐもの。けれどそれを認めたくはなかった。あのごつごつとした、幾度となく叩かれた大きな手。そして俺が何をやらかしても決して憤ることなく、一発叩いた後に優しく諭してくれた声。俺が誰と揉めようが必ず味方してくれた。牢につながれても「手柄であった。」と言ってくれた。そして誰よりも俺を愛してくれた。

 無理、そう判ってはいても認めたくはなかった。


 ――あの親父殿がこの世を去ってしまう事を。


「ねえ、律ちゃん。」


「はい、なんでしょう。」


「俺は親父殿のようになれるかな。」


「新九郎さまは新九郎さま。義父上さまは義父上さま。同じくなる必要は無いのですよ。新九郎さまはご自分らしく。そう生きればいいのです。きっと、義父上さまもわたくしと同じことを仰られるはず。」


「ふふ、そうだよね。親父殿になれる奴なんか誰もいない。俺は俺、ただ、親父殿に恥じぬよう生きればそれでいい。」


「そう言う事でございまする。義父上さまはご立派な方。一族の誇り。けれども律にとっては新九郎さまも義父上さまに劣らぬ立派な方。ですから新九郎さまはそのままに。」


 うん、うん、と答えるがどうしようもなく涙があふれ、俺は律の膝に顔を埋めた。

 その親父殿、男谷精一郎信友が亡くなったのは翌月、七月の十六日。報せがあったのは二十日を過ぎた頃になる。そのころ京は激動の最中にあった。


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