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 七月、ついに海舟の予言した通り、イギリスは薩摩を攻めた。きっかけは生麦事件。その賠償を直接薩摩と交渉したのだ。当然交渉は決裂。戦火を交えることになる。薩摩側も果敢に応戦。イギリス側も被害を受けたという事だ。だが武装の差は海戦において決定的で、薩摩は鹿児島の町を焼かれ、海岸線に配置した砲台も、前藩主斉彬が心血注いで作り上げた工場群、集成館もすべてが焼け落ちたと言う。


 そしてその七月、長州でも事件が起きた。五月の外国船砲撃事件に対する幕府の詰問使を乗せた軍艦、朝陽丸が長州側の砲撃を受け、更には高杉が作ったと言う民兵組織、「奇兵隊」により占拠されたという。幕府の使者を乗せた船を強奪、最悪な行為だ。長州は一体何を考えているのだろうか。


 八月になると大事件が勃発した。世に言う「八月十八日の政変」だ。今の京は攘夷派である長州主導。その長州が一部の公家と手を組んで、攘夷祈願の大和行幸、そして倒幕親征の祈願の為の伊勢行幸が企てられた。

 ところが帝は将軍上洛、さらには加茂神社行幸の際の奉行、それらを行った幕府に公武合体の実感を得ており、その企てに強い反対を示した。当然ながら諸侯も反対。さらに薩摩と会津は裏で手を組んでいた。一人梯子を外された格好の長州と、国事御用を務めた三条をはじめとした攘夷派の公家は京を追放。「七卿落ち」と称される惨めな都落ちを遂げた。


「ま、長州は調子に乗りすぎた。攘夷の風に乗っかって、高く上がりすぎたんだ。まさか帝のお考えがこうまで変わるとは、夢にも思って見なかったんだろうぜ。」


 それらの話を教えてくれたのは海舟だ。海舟は今や幕閣に欠かせない存在となっている。


「けどさあ、帝のご親征で倒幕、っていささか論理が飛躍しすぎじゃない? 」


「そうでもしねえと奴らはやっていけねえんだろうよ。気張ったところで所詮は長州一藩。弱腰になっちゃ奇兵隊をはじめとした下の連中が黙ってねえ。そう言うこったな。んで、お題目の尊王攘夷も帝にそっぽを向かれちゃ語れねえ。そうなると、だ。」


「攘夷倒幕がお題目って事? 」


「そうだな。朝陽丸の件もある。長州からの報告じゃ、朝陽丸に乗ってた幕使は殺された。どっちにしろ長州はお終いだ。」


「あらら、けどなんで長州から報告が? 」


「上はそうじゃねえって事だろうな。下の若い過激な連中がやった事。そしてそれを抑える力が藩にはねえって事だ。」


「で、長州はどうなりそうなの? 」


「さてな、その辺はお歴々の判断するこった。まったく、内輪でもめてる暇なんかないってのによ。いいか、新九郎、今のご時世、どいつもこいつも大事な事が判ってねえ。世の中ってのはこの国だけじゃねえんだ。で、そのいろんな国が外からこの国を眺めてる。戦国の頃とは違う、天下なんてのはこの国の中の話だろ? 」


「まあね。」


「で、内輪でごたごたしてて誰に話を通しゃいいのかもわからねえ。そんな相手をまともに扱おうなんざ思うはずがねえ。」


「で? 」


「だからな、一歩譲って雄藩の連中を立ててもだ、一刻も早くこの国は一つにまとまる必要がある。まとまっちまえば内輪のことなんざ後でどうにでもなるもんだ。そうだろ? 」


「帝が、朝廷が心変わりして、公武合体はなったんだろ? あとは攘夷を気取る連中を潰していけばそれで終わりなんじゃないの? 」


「攘夷志士は良いとして、長州を潰す、となりゃ簡単にはいかねえよ。下手に長いくさにでもなりゃ外国だって幕府を甘く見る。」


「けど、やらないよりは。」


「だろうな。もうちっとマシなやり方がねえもんか、オイラはそいつを探るしかねえよ。んじゃ、またな。」


 忙しい海舟は来月の頭にはまた、船で上方にとんぼ返りだという。偉くなったらなったで大変だ。



 九月に入り、親父殿が講武所の奉行並に昇進する。禄高は二千石。それを機に、俺の出仕差し止めも解かれ、俺は講武所剣術教授方に復帰する。そのころ、ちょうどトシから手紙が届いた。


 トシの手紙によれば、例の八月十八日の政変に於いて、警備役としての働きを認められ、「新選組」の名を会津候より頂いたそうだ。

 そして懸念だった芹沢、新見を暗殺。近藤さんを局長に据え、トシが副長として実権を握ったらしい。暗殺、そんな事を普通に書いてくると言う事はそれだけ当たり前に行われている事なのだろうか。なんとなくだが、京に興味を覚え始めた。


 年も押し迫った十二月二十八日。将軍家茂公は海舟の乗る翔鶴丸にて再び上洛の途についた。この時は親父殿も旗奉行に任じられ供をした。長州から返却された朝陽丸の他幕府の軍艦三隻と、越前、佐賀、薩摩など、諸藩から集めた軍艦七隻、合計十二隻での上洛だ。俺も律と共に親父殿の見送りに品川まで出たが、それはそれは立派な艦隊だった。


 そしてその年の暮れ、新しい政治形態が敷かれていた。それを参与会議と言う。将軍後見職の一橋慶喜、政事総裁の松平慶永、土佐の山内豊信、そして宇和島の伊達宗城。近く、会津の松平容保、そして薩摩の島津久光もそれに加わるだろう、と噂されている。政治は江戸を離れ京で行われることになる。


 年が明けて文久四年(1864年)となった。色々あったが俺ももう三十一になる。このまま講武所勤め、それで人生終わるのも悪くない。そう思っている。何しろ仕事は得意の剣術。書類仕事もわずかなものだ。家禄と合わせて二百俵もらえるし、鐘屋も相変わらず繁盛し続けだ。十歳違いの律は女ざかりの二十一。夫婦になった時は十三だった。それから早八年。律のことならあんな所もこんな所もみんな俺は知っている。大きな喧嘩もせずに仲良くやってこれたのだ。


「ねえ、律っちゃん。」


「なんでござりますか、新九郎さま。」


「もう夫婦になって八年だけど、何か不満とかない? 」


「そうでござりまするね、しいて申し上げれば。」


「あるの? 」


「お役目に戻られて、毎日お側に居れなくなった事ぐらい。律は新九郎さまと夫婦になってから、毎日が怖いくらいに幸せでござりまする。新九郎さまは? 」


「ああ、もちろん幸せさ。俺にとって、男谷の男の矜持は律っちゃんと幸せに過ごす事って意味だからね。親父殿もそう言ってた。律っちゃんに嫌われるような事さえしなければ、それでいいってね。」


「まあ、それは困りました。律は新九郎さまを嫌いになどなれませぬゆえ。この世のすべてが新九郎さまを嫌おうと、わたくしだけは。」


「あはは、それは心強いね。俺も律っちゃんだけがいてくれればいい。」


「では、新九郎さま? 男谷の男として、律をもっと幸せに。もちろん、お布団で。」


 律は性欲の強い女である。



 さて、俺の職場、講武所であるがここで俺はある意味ハジかれていた。何しろ十二人を斬った殺人者である。実際は六人だけど。そして同じ理由で只さんこと佐々木只三郎もみんなから距離を置かれていた。清河殺し。幕命であったにしろ人殺しなのだ。


「ねえ、新さん。俺たちってなんか浮いてない? 」


「えーっ。だって、只さんは清河とか山岡の仲間じゃん。」


「もう、それは何回も謝ったよ? 俺が攘夷とかにかぶれて間違ったことしたって。清河だって斬ったじゃん。」


 いつものように口をとんがらがせていじける只さん。攘夷にかぶれてた時はあれほど溌剌はつらつとしてたのに。


「そうそう、只さん、清河の奴、斬られるときになんか言った? 」


「それがさ、新さん。あいつ、何でですか! って。馬鹿だよねぇ。最後まで口先で何とかしようなんて。」


「あはは、何がですか、何でですか、か。俺もいつか使ってみたいね。相手はめちゃくちゃイラってするだろうけど。」


「うん、俺なら間違いなく斬っちゃうね。」


「だよねー。」


 二月に入るとまた改元。今度は元治元年となった。なんでも幕府は長州を糾弾、いずれ長州攻め、そんな感じになりそうだという。

 そんな中、また長州がやってくれた。長州の民兵組織の一隊、義勇隊が周防に停泊中の薩摩の御用船を焼き討ち、その船主の首を大阪で晒した。昨年暮れにも薩摩の船に大砲を打ちかけ沈没させたことがあり、平謝りしたばかり。長州は幕府に加え、薩摩をも完全に敵に回したのだ。


 そして三月。できたばかりの参与会議が瓦解する。犯人は一橋慶喜だ。会議の参加者があらかた開国に理解を示す中、一人鎖国を主張したのだという。こないだまで開国って言ってたよね、一橋は。


 それを知らせてきた海舟の手紙に寄れば、開国となれば薩摩主導。いずれ将軍に、そう思ってる一橋にはそれは宜しくない。なので鎖国を、そう言うからくりらしい。ほんとこの一橋だけはダメな人。完全に自分の事しか考えていない。その一橋が元で参与会議は解散。折角うまく行きかけた幕府、雄藩の連合は無に還った。


 そして四月、混乱を続ける京の取り締まりを強化するため、新たな治安部隊が誕生する。


 まず会津候、松平容保の配下として蒔田相模守、松平出雲守の両名が、京都見廻役に任命された。そしてその下に幕臣からなる京都見廻組が設けられた。相模組、出雲組と二つの組が作られ、相模組の隊長、与頭に只さんこと、佐々木只三郎が任じられた。


 その下に与頭肝煎として俺の名が、そして同役として今は神奈川奉行所にいる今井さんの名もあった。


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