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 こちら伝馬町牢屋敷。俺はお目見え格の幕臣なので揚屋と呼ばれる格子付きの座敷に入れられた。とはいえ寝具はあるし、厠も部屋の外、牢番が連れて行ってくれる。流石に風呂には入れないが飯も食わせてくれるし、着替えも律が差し入れてくれた。そして日に何度かの取り調べ。


「もう、松坂殿。ちょっとやりすぎですよ。鐘屋で六人、門番の二人、そして中で四人。合わせて十二人ですよ? いくら新徴組の連中が悪いって言っても、そのまま放免って訳に行かないじゃないですか。」


 担当はいつもの評定所の人。何度か顔を合わせているので気安かった。それに取り調べの最中は律の差し入れた俺のキセルで一服つける事も許してくれた。


「で、どうなりそうなんです? 」


「新徴組は他でも押し込みをやらかしていますし、一方的な裁きはないでしょうけど。ま、心配するほどじゃないですよ。あなたが悪くない事は皆存じています。十二人も斬った事が驚きなだけで。」


 実際はその半分だ。残り六人は、はじめちゃんが斬った。だがそれを言えば、はじめちゃんが追われることになる。不忍池の十二人斬り、町衆の間ではそう噂になっていると聞いた。なんだか手柄をかっさらったみたいでケツの座りが悪いがこの場合は仕方ない。


 数日の間、そんな風に過ごしていると俺の処分が決まったらしく、親父殿が面会にやってきた。流石に心苦しく、小さく縮こまっていると親父殿は格子を挟んだ向こう側で、ふっと笑い出した。


「新九郎よ。お前の噂を聞きつけた連中が亀沢町の道場に詰めかけている。実際にあれだけ斬れる剣術を学べるとな。そうよ、剣術とはいざという時に人を斬るための物。そのいざ、がお前の身に起こっただけ。妻を守り、家を守る。当たり前のことを当たり前に成した。男谷の男はそうでなければならん。此度の事はわしも、そしてあの世の小吉も喜んでおる。手柄であった。」


「親父殿。」


「配下を抑えきれなんだ山岡、そして高橋にはいささか重めの仕置きとなろう。お前に関しては出仕差し止め。しばらくゆっくり過ごすといい。なあに、すぐに沙汰はやむ。幕閣方もお前の事は天晴だと仰っておられた。世間の目があるから形だけの罰を。そう言う事だな。」


「はい。迷惑かけました。」


「ふふ、申したであろう? 手柄であると。今しばらくしたら放免。律と店の者が迎えにこよう。どこにも挨拶などせずともよい。ゆるりと過ごせ。」


「うん、ありがとう。」


 親父殿はにっこり笑って去っていった。聞かずともわかる。親父殿は俺の為、様々なところに働きかけてくれたに決まってるのだ。それを想うと思わず涙が出た。


 しばらくすると例の評定所の人に放免を言い渡される。「おとなしく過ごしてくださいよ? 我々も忙しいんですから。」と念を押された。牢屋敷を出ると、律や店の連中が迎えに来ていて近くの湯屋に放り込まれ、身支度を整えられた。そしてみんなで歩いて不忍池に戻ると町衆たちが大騒ぎで出迎えてくれた。


「よ、鐘屋の旦那は日本一! 」


「ほんとうさね、あんなタカリ連中斬られてすっとしたよ! 」


「ありがてえこった。なんせ十二人も斬られちゃ奴らも足がすくんでここには来られねえだろうよ。みーんな旦那のおかげだ。」


 ワーワー騒ぐ連中に軽く手を振って応え、鐘屋の暖簾のれんをくぐった。


「旦那様、お帰りなさいませ。」


 お千佳を始め、店の連中がみんな出そろって頭を下げた。


「はは、大変だったろ? 」


「いいえこちらは。鐘屋の名も大いに上がり、益々の繁盛ぶりです。これもすべて旦那様のおかげ。タカリも揺すりもごろつきも、この界隈じゃ仕事にならないってんで、他所に。おかげでみんな助かったそうです。」


「そっか、よかった。」

 

 ほっと一息ついて離れに入る。数日ぶりの我が家は圧倒的に心地よかった。


「新九郎さま。」


 そう言う律を抱き寄せて、何も言わずに口づける。人を斬るのは間違ったこと、俺は悪くない、そう思いながらもどこか不安だった。けど今はあれでよかった、そう心から思えた。


 ともかく、仕事に行かなくてよくなった俺は律と二人で充実した時間を過ごす。あちこちでおいしいものを食べたり、船で海まで出て釣りをしたり、お参りに行ったりと。


 無論夜は哲学について激しく語り合ったりもする。


 そんな日々を過ごしていると京にいるトシから文が届いた。梅雨も明け、蝉が鳴き始めた六月の初めの事だ。



 旦那、斎藤は無事、合流した。こっちは良く言って最悪だな。清河と袂を別って、佐々木様の口利きで会津候のお預かりになったはいいが、とにもかくにも金がねえ。何をするにも先立つもんがって奴だ。それに残った奴らもろくなもんじゃねえ。今は壬生浪士組なんて名乗っちゃいるが京の連中には壬生狼みぶろなんて呼ばれて馬鹿にされてる。


 今は水戸の芹沢、新見、それにうちの近藤さんの三人が頭だ。前にいた殿内、家里なんてのは近藤さんたちが殺しちまった。根岸ってのは逃げ出して残った俺たちは、芹沢派と近藤派で別れてるって事だな。


 ここまで来て今更だが近藤さんはあてにならねえ。芹沢の方がよっぽどましだ。いざとなりゃあ商家に押し入ってでも金を作ってきた。金が無きゃ何もできねえって事を解ってる。だがな、旦那。俺はここの連中をまとめ上げて、でけえ仕事をやりてえんだ。その為には近藤さんが頭じゃなきゃうまくねえ。芹沢、新見は出来がいい。俺が好き勝手にやるにはちいとばかし邪魔って訳だ。


 話は変わるが、斎藤から新徴組の一件は聞いた。流石は旦那だな。俺なんぞじゃとてもかなわねえ。とはいえ感心ばかりもしちゃいられねえ。いずれ江戸にも俺たちの名が轟くようにしてやるさ。


 旦那が切腹、そんな話になってなけりゃこの文も届くだろうさ。           


                            松坂新九郎殿     歳三



 ま、トシもなんだかんだ頑張っているようだし、はじめちゃんも無事、仲間に入れた。気がかりだった事が判ってホッとする。


 それから数日、六月の半ば過ぎに、鐘屋に海舟がひょっこり顔を出した。


「ふっ、話は聞いたぜ? おめえって野郎は相変わらずの大馬鹿だ。」


「ははっ、そうみたいだね。」


「銭雇いの浪士とはいえ、普通に十二人も斬っちまえばタダじゃすまねえことぐれえわかんだろうが! あれだ、静斎殿があっちこっち駆けずり回って赦免を願い出て、幕閣がたも事情が事情だからお目こぼしをくれたんだ。

 オイラはなあ、おめえの兄貴分だ。弟分のやらかした事の後始末をすんのは当然だ。だがよ、新九郎。おめえのやり方はうちの親父とそっくりだ。肝が冷えるんだよ、肝が。」


「悪かったと思ってるって。ごめん。」


「まあ、その事はもういい。それより聞いたか? 山岡の方は謹慎処分だ。あいつはもう、世に出れねえ。義理の父の高橋泥舟もだ。おめえの一件で配下の管理が甘いって事になっちまってな。」


「けどさ、あいつら浪士は江戸で押し込みなんかやってたんだぜ? 」


「ああ、清河にかぶれた連中だからな。幕府の方じゃそいつらを清河の生まれ故郷の庄内藩に押し付けちまおうって話だ。京に残った奴らは会津が面倒見るんだろ? 」


「うん、そうみたい。で、そっちはどうなの? いろいろ忙しいみたいだけど。」


「忙しい? んな甘いもんじゃねえよ。長州の馬鹿野郎どもがかっこつけて異国の船に大砲ぶち込んだのは知ってんな? 」


「ああ、聞いた。」


「んなことすりゃ異国だって舐められねえように報復する。んで長州はコテンパンにやられちまった。」


「あらら。」


「まあ、長州には悪いがあれで異国の力が判った。俺たちだけじゃなく、朝廷もな。向こうにいる間に地固めもしてきたさ、攘夷を語る連中はろくなもんじゃねえ。そんな感じにあっちはなってきてる。んで、一仕事終えたんで将軍連れて江戸に戻ってきた訳さ。」


「んじゃ健吉も? 」


「ああ、あっちじゃ不逞浪士を三人斬った。それに御前試合でも見事な勝ちよ。んで戻ってくりゃおめえの騒ぎだ。」


「はは、んで、どうやって朝廷を? 」


「簡単な話だ。わからずやの公家どもを船に乗せてあちこち連れまわしたって訳よ。実際に船を見て、乗っちまえば攘夷なんてのは無理だって馬鹿でもわかる。んで、その公家の姉小路を通じて帝にまでオイラの意見が通ったって訳だ。」


「すげえな、俺なんか想像もつかない。」


「それだけじゃねえ。神戸にな、海軍操練所ってのを作る。」


「それなら築地にあるじゃん。」


「あんなちっぽけなんじゃねえよ。造船所から何から備えたでっかい拠点だ。そこに各藩が持ってる船を全部集めちまう。この国の海軍。そう言う形に持っていくんだ。」


「へえ。何だかわかんないけど大掛かりだね。」


「それよりもな、もっと重要な事がある。」


「ん? 」


「例の薩摩が起こした生麦事件、あれの賠償を幕府がする。」


「またそれかよ。いっつも幕府が金払ってるじゃん。」


「そうだな。だがな、流石に異国の連中もおかしいと気が付いたみてえだ。」


「どういう事? 」


「いいか、新九郎。幕府が異国と結んだ条約はなんだかんだでうやむやにしちまってる部分が多い。何故だ? 」


「そりゃ朝廷が。」


「そうだ。んでその朝廷が突っ張っていられんのは薩摩長州の後ろ盾があるからだ。」


「だろうね。」


「イギリスがな、そう言う話なら幕府に協力するって言ってきてる。それがあって将軍は船で帰って来られたわけだ。行きの時はイギリス動きが怪しかったからな。幕府の船じゃまだ太刀打ちできねえ。」


「つまり? 」


「近々イギリスは薩摩を攻めるかも知れねえって事だ。長州はすでにズタボロ。薩摩もそうなりゃ誰が幕府に逆らう? 」


「なるほど。他所の力で黙らせるって訳? 」


「とりあえずはだ。それで時間を稼いで立派な海軍を作っちまう。そうなりゃ薩摩だ長州だと言っても怖くねえ。新九郎、他所の力を借りるのはほどほどにしねえと後がきつい。オイラだってそいつは理解してる。けど今はな。」


「まあ、そう言うのはあんたらの判断だろうし。」


「とにかく世はまだ動く。山岡だって高橋だって世に才をうたわれた男たちだ。オイラと合わせて三舟。そのうちふたつをおめえが沈めちまった。確かに奴らには非があるさ。けどな、もうちっとやり方ってのを考えねえとな。」


「わかったって。で、龍馬の奴は? 」


「あいつは向こうに残してる。色々と繋ぎを付けてもらう所もあるしな。そういやオイラはあっちで襲われてな。」


「えっ? 」


「龍馬がつけてくれた岡田以蔵、そいつがうまい事追っ払ってくれた。」


「えーっと、どっかで聞いた名前だ。岡田、岡田。そうそう、土佐藩邸で立ち会ったことがある。武市って人と一緒に。」


「は? 」


「ま、結構根性あるやつだったよ。」


「はは、まあ、おめえにかかっちゃそんなもんか。あとな、あっちでは長州の奴らも訪ねてきた。桂小五郎、知ってんだろ? 」


「うん、ぶっ飛ばしたことがある。かっこつけた奴だったでしょ? 」


「はは、まあな。んじゃ井上聞多ってのは? 」


「井上? 志道聞多なら知ってる。」


「ああ、それだ。実家に復姓したらしい。」


「そうなんだ。ま、あいつは金と女それしか頭に入ってない奴だよ。」


「ははっ、おめえにかかっちゃどいつもこいつも形無しだな。その井上は結構な理屈をおいらに聞かせてくれたぜ? 」


「あいつがねえ。ま、殿さまの側付きやってたから。」


「とにかくだ、この先も世は何が起こるかわからねえ。おめえは余計な事をするんじゃねえぞ? 」


「はいはい、悪かったよ。」


 ひとしきり文句を言って海舟は帰っていった。龍馬も聞多もなんだかんだとうまくやってる。それが判っただけで十分だ。俺は江戸でこうしてのんびりと律と暮らしていればいい。


「新九郎さま、そろそろお食事を。今日はスズキの焼き物と、茄子のお浸しですよ。」


「あ、いいねえ。ビールもね。」


「ええ、もちろん。」


 十分に俺は幸せだった。


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