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 年が明けて文久三年。(1862年)俺は律を連れて亀沢町の親父殿に正月の挨拶をしたあと、浅草まで出て浅草寺に初詣。賑やかな仲見世をぶらぶら歩きながら買い食いをして、不忍池の鐘屋に戻った。


 正月の間は鐘屋も休み。門松とお飾りで飾られた玄関をくぐっても静かなもんだ。ここで働く人たちも、住み込みの老夫婦、それに女将のお千佳夫婦以外は誰もいない。その残った人たちと、座敷でささやかな祝いを行った。


「旦那様、奥方様、改めまして、明けましておめでとうございます。」


 お千佳が代表してそう言うと、皆も合わせて頭を下げた。お千佳の旦那もだいぶ調子を戻したらしく、生活するには不自由はないそうだ。鐘屋は給金が良いので、医者に見せる事も出来るし、高い薬も、滋養のつく食べ物も手に入れられる。

 従業員の食い扶持も俺の貰う二百俵で十分に賄え、そう言った経費もかからない。俺の方には月三両づつ鐘屋から収入が入るのでこれまたまったく困らない。酒の方もなくなった分は横浜から買い入れている。鐘屋は開業以来ずっと繁盛していた。


 内輪の祝いを済ませ、離れに戻る。今度は律と二人のお祝いだ。姫始めと言う名の。



 その正月の三日、トシが新年のあいさつに訪れた。


「旦那、俺たちも京に上る事にした。」


「例の浪士組? 」


「ああ、そうだ。ちょうど旦那の文を貰ったときに、うちの山南がその話を持ってきた。」


「道場は? 」


「いったん閉じることになるな。どうせ、門弟だっていくらもいねえんだ。多摩の方は義兄が道場持って教えてる。だから問題ねえよ。」


「そっか。ま、頑張れよ。」


「ああ、待ちに待った機会だからな。旦那のところまで俺たちの名を届かせてやるさ。」


「律っちゃん。」


「はい、トシさん、これは新九郎さまからの餞別です。少ないかもしれませんが、どうか、お納めを。」


「旦那、奥方様、すまねえ、恩に着る。」


「お前は友達だからな、このくらいは当然さ。向こうで面白い事があったら文をくれよ? 」


「ああ、そうさせてもらうさ。江戸に居ちゃわからねえことも山ほどあるだろうしな。」


 トシを玄関まで見送って。そこで別れた。トシは京都で只さんもか。なんか寂しくなるな。


 ところがこの浪士組。予想に反して数が集まりすぎたらしい。募集は五十。なのに集まったのは三百。当初、支度金として一人五十両を用意していた幕府は、急きょ一人十両に減額。それでもいいと残った二百三十名が浪士組として採用された。


 大事になってやばいと踏んだのか、浪士組の発案を賞され、剣術師範に昇進、上総介の官位まで頂いた松平主税助は月末に浪士組取扱役を辞任。鵜殿という年嵩の男が責任者となった。


 なんというか最初からごたごた含みだ。


「新さん、俺たちが京でしっかり働いてくるから。大丈夫、幕府の威厳は保って見せるよ。」


「只さん。浪士組には俺の友達もいるんだ。」


「そうなんだ。その人は? 」


「土方歳三。試衛館っていう道場の連中と一緒に参加してる。話の分かるやつだから力になってくれるはずだよ。」


「うん、判った。試衛館の土方ね。覚えておくよ。」


「松坂先生、私も、しかと幕府と朝廷のつなぎ役になれるよう、浪士組を持って働きを。」


「そっか、ま、山岡も頑張れ。」


「朝廷も昨年暮れに、国事御用掛を創設。三条、姉小路の公達をその御用に命ぜられました。幕府も朝廷に篤い敬意を示しております。あとは、極論を吐く志士と称する者たちを排すれば。」


「うん。今が頑張り処かもね。」


 浪士組が京に旅立ったのは二月のはじめ。その名目は将軍上洛前の露払いだった。


 いささか周りが寂しくなってきたが、こっちはこっちで慌ただしい。浪士組が露払い、と言う事は本番もあるわけで将軍上洛に向けて幕府内は大忙しだ。特に健吉は将軍の警護役として供をすることになっている。他の教授方たちにあれやこれやと指示を出していた。そして十三日、将軍は三千の幕臣を引き連れて陸路で京に旅立っていった。


 特に忙しい事もない俺は、今井さんと一緒に稽古を終えた後、ゆっくり茶を飲んでいた。十七の頃、目を覚ました俺が最初から持っていた銀のキセルは幾度か手入れに出したがいまだに使い続けている。そのキセルに煙草の葉を詰め、火をつけてゆっくりと吸った。


「しかしあれですね。できるなら私も京に。」


「今井さんも? 」


「だって、不逞浪士がいっぱいいるんですよね? 斬ってもお咎めなし。良いじゃないですか。」


「そうだねえ。確かに。」


「まずは浪士組のお手並み拝見ってところですね。」


「だね、それにしても松平主税、いや、上総介は最悪だね。」


「ですね、一橋殿と同じ、都合が悪くなるとすぐやめる。おっと、口が過ぎましたね。」


「いや、本当の事だからいいさ。責任とる気がないなら初めからその座に座るなっての。」


「ですよねえ。」



 鐘屋に帰るとしくしくと泣くはじめちゃんが律に慰められていた。


「あれっ? はじめちゃん、なんでいるの? 」


「置いて行かれた。」


「えーっ? トシに仲間外れにするなって言っといたのに。」


「僕だけ集合場所が違ったんだ。ひどいよね? 」


「まあまあ、はじめさん。殿方はそのような事で泣いてはいけませんよ? 」


「だって、だって。」


「ま、仕方ないよ。そのうち機会もあるさ。」


「うん、新さんだけが友達だよ! 」


「あはは。」


 その日からはじめちゃんは猫のように居ついてしまう。人見知りなので桂のような大活躍はできないが、こつこつとした裏方仕事はしっかりこなしてくれるのだという。彼女は? と聞いたら、男とどこかに消えてしまったそうだ。



「もう、ダメッスね。」


「どうしたのさ。」


 久々に訪ねてきた春輔は顔を合わすなりそう言った。


「長州は完全に攘夷ッス。長井雅樂は腹を切る羽目になったし、公武合体は惰弱である、なんて意見が堂々とまかり通ってる。俺と聞多さんはとにかく海外留学と言う名目で長州を離れたいッスよ。」


「またなんでいきなり。」


「高杉さんッス。」


「高杉? あいつがなんかしたの? 」


「あの人、清国の上海に行ってきたッスよ。」


「え、マジで?」


「もちろん幕府には内密ッスけど。んで、あっちじゃ清国の民が、異国の足元に這いつくばるようにして暮らしてる、この国も放っておけばそうなるって。そりゃあもう、えっらい勢いで。」


「あらら、あいつ迫力あるもんね。」


「んで、これも内密な話なんずけど、聞多さんや俺を引き連れて、昨年末に、品川に拵えてた英吉利イギリス公使館。あれを焼いちまって。」


「うっわぁ、お前、犯罪者じゃん。」


「俺もやりたくなんかなかったッス! 聞多さんだって。けどやらなきゃ、高杉一派に居なきゃいろいろまずいんスよ。」


「なんかわかる、そう言うの。」


「でしょ? んで、高杉さんはいろいろやりすぎだっていうんで謹慎、今は桂と久坂が藩を仕切ってる。あいつらは攘夷で長州を押し上げるつもりっスよ。そんなの無理なのに。久坂はイカれてるから仕方ないッスけど、桂は判ってるはずッスよ? 」


「どうせまた、おだてられてその気になっちゃってんじゃないの? 」


「桂は下手に弁も立つし頭もいいッスから。それに剣だって。」


「まあね。名声って意味じゃ影響力あるかもね。」


「久坂は頭いいけど人望ないッスから。そこを桂が。」


「そして行動は高杉がってわけか。高杉っていろんな意味でおっかないからね。」


「そうなんスよ。顔も怖いし迫力あるし、何より言ったことをやっちまうってのが。」


「んで、お前らは逃げられそうなの? 」


「今色々と頼み込んでるッス。攘夷するにも向こうの言葉が判らなきゃ勝った後に交渉もできないって。」


「勝つことが無理と思うけど? 」


「そんな事は判ってるッス。けどそうでも言わなきゃ。」


「まあね。」


「それと奴らは土佐のあぶねえ連中ともつるんでるんス。武市、とか言ったかな。外に向けてもいろいろやってるッスから気を付けたほうが良いッスよ? 奴ら、最終的には倒幕って言い出してもおかしくねえッスから。」


「ま、こっちはこっちで何とかするしかないさ。そうだね、お前たちは早く外に逃げたほうが良い。高杉って理屈が通用しそうにないもの。」


「そうっすよね。」


 薩摩にいいとこ取りされた長州。公武合体で先を行かれたなら今度は攘夷。その攘夷の機運に上海帰りの本物イカレた、高杉が攘夷の正当性を担保する。行動派の高杉、理屈の久坂、そして人望の桂。完璧な布陣で長州は攘夷に舵を切った。


 そして二月の末、将軍不在の江戸城を震撼させる報せが届いた。なんと浪士組が京に到着次第、変節。清河は、浪士組は幕府でなく、朝廷のために働くべし、と言い放ったという。詳しい話を聞こうにも、海舟は龍馬たちと船で大阪に。親父殿はいろいろと忙しそうだ。師範になった松平上総介は、わしは知らぬの一点張り。トシたちは大丈夫なのだろうか。


「まったくさ、清河の奴はいい気分だろうね。幕府の金で兵を集めてそのまま朝廷に。さぞかし己の頭の良さを誇っている事だろうさ。」


 俺は鐘屋に帰ると律の膝にひっくり返り、そう愚痴を言い立てた。


「新九郎さま。そう言った汚き手を使った物は決して皆に支持されませぬ。早晩綻ほころびが。」


「かもしれないけど。トシとか只さんが。」


「あの人たちは大丈夫ですよ。京には会津の方もおられるのでしょう? 佐々木さまは会津の出。」


「そっか、あの兄貴が放っておくはずもないもんね。トシの事も只さんには頼んでおいたし。」


「事には正面から当たらねば。武士であるならば尚更、武略、計略、聞こえはいいですが結局は相手を騙す事に他なりませぬ。」


「そうだね。戦国乱世ならいざ知らず、今はそうじゃない。」


「それは褥の事もまた同じ。ですからわたくしは正面から。ね? 」


 律はそう言って、俺の跨り押し倒す。それを抱き寄せとコロリと横に回転、上になった。そう、何事も正面からあたらねば。





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