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「襲われた? 」


「ああ、てっきりおめえの差し金かと思ってな。」


「バカ言うんじゃねえよ。あんたを斬るとすればこの手で、だな。そんな面白い事人にやらせるかっての。で、犯人は? 」


「まあ、それならいいんだ。犯人は、アレ、五月塾にいた坂本。それに小千葉道場のせがれだ。おめえ、坂本とは仲良かったじゃねえか。」


 ふっと鼻で笑って海舟はつまみの刺身を食った。もう冬の十一月、魚も脂がのってうまい季節だ。



「んで、なんで生きてんの? 」


「そこはオイラだってただ殺されてやるわけにはいかねえからな。ちいとばかし話をしてやったわけよ。」


「んで? 」


「奴らは感服してオイラの弟子に、ってこった。」


「バカだねえ、あいつらも。」


「いいか、新九郎。奴らは物を知らねえから攘夷だなんだと騒ぎ立てる。攘夷がなくなりゃ生きていけねえ、って思いこんじまってんだな。要は行き場がねえから己を曲げられねえわけだ。」


「いや、龍馬みたいにかっこつけて脱藩すりゃそうなるだろ。」


 俺がそう言うと海舟は熱燗をきゅーっと飲み干し、手酌で注いだ。


「なんせこのご時世だ、若さや血気に任せたはねっ返りが出るのも仕方ねえやな。そして攘夷ってえお題目は誰にでも判り易い。けどなだからってそれを放って置くってのも幕府としちゃあんまりに器量がねえ話。そう思わねえか? 」


「んで? 」


「だからな、そう言う連中を受け入れる入れ物を作る。ちょうどいい具合に例の山岡あたりがおめえの同役、松平主税助まつだいらちからのすけを焚きつけて幕閣に一つの案を持ち込んだ。」


「松平主税ってあの理屈ばっかりごねてるおっさん? 弱いくせに。」


「ま、よくは知らねえがそれでも松平。将軍縁者となりゃ話の通りだっていいさ。んでその松平が言うにはだ、清河ってのが提唱する浪士組を作れってな。」


「浪士組? 」


「ま、腕に覚えがあれば身分を問わず、そう言う連中を集めてな、将軍上洛前に京の尊攘派どもを片付けちまえって話よ。浪士をもって浪士を討つって訳だな。」


「けど清河って、なんかやらかして行方をくらましてんじゃなかった? 」


「だからよ、その辺も目をつぶって幕府の為に働かせようって話さ。わざわざ罪人でも構わないって一文を織り交ぜてんのはその為だろうよ。」


「で、それが? 」


「これがな、老中板倉様が痛くお気に入りでな。早速にそうせよ、と仰せだ。ま、幕府としちゃ多少銭はかかるが、人は死んでも惜しくねえ連中よ。そいつらと不逞浪士で殺し合わせりゃ誰も困らねえ。」


「そううまく行くのかねえ。」


「京を会津にまかせっきり、って訳にもいかねえだろ? んで、その清河と山岡の案を中心に大まかな人事が決まってな。新九郎、おめえの講武所からは松平主税助の他に、山岡、それに佐々木が頭取として参加だ。あとは鵜殿ってのと松岡。浪士身分は清河に石坂、それに池田って医者あがりだ。」


「ふーん、で、その浪士組に龍馬たちを? 」


「いんや、奴らはオイラの弟子だ。今少し仕込んで海軍の役に立たせるさ。今のまんまじゃどうにも考えが甘いからな。奴らも。」


「その浪士組ってのは誰でも入れるんだな? 」


「ああ、そうらしい。」


「それだけ聞けりゃ十分だ。今日はあんたの驕りだな。なんせ俺を疑ったんだ。」


「ちっ、仕方ねえな。」


 はは、ざまあみろ。最初からその気で高いもん頼んでやったんだからな。



 それにしても龍馬は海舟も門弟で、只さんと山岡たちは京へ、か。なんだか俺だけ取り残された気分だ。他にも海舟は幕閣の上の話も聞かせてくれた。なんでも元一橋派の二人、政事総裁、松平慶永と将軍後見役、一橋慶喜は何かにつけて言い争い、ついに一橋が役を降りたそうだ。なんだかなあと言う気がしないでもない。


 ちなみに松平慶永は公武合体を重視、朝廷の意見を取り入れ外国との条約見直しをと。一度すべての条約を破棄したうえで、雄藩の意見を取り入れ、朝廷の勅許の得て、新たなる条約を、そう言う考えだ。

 そして一橋慶喜は、こうなった以上開国して一刻も早く外国に追い付くべきだ、朝廷や諸侯の干渉は幕府の権威を貶めるに他ならない。と主張。

 んで、海舟が言うには一橋の考えは一周遅れ。井伊大老の頃なら、いや安藤老中が無事ならばそれでもよかったが、いまそれをやっちゃあ国を割る事になりかねない。そんな話だった。

 俺にしてみりゃ一橋慶喜は自分が将軍になりたくて朝廷を巻き込んだくせによく言う、と言ったところだが。


 ともかくもその足で鐘屋により、そこで文を認めて、トシ宛てに試衛館に使いを出した。国の為に働ける。そんな話があるのだと。


「旦那様、奥方様に使いを立てられては? 今から亀沢町にお戻りになるのも。」


「そうだね。籠でも頼んできてもらおうか。」


「はい、それまではごゆっくり。」


 女将のお千佳はそう言って佃煮をつまみにビールを出してくれた。冬の冷たいビールはまた格別。夏の井戸ではこうは冷えない。



 その十一月、親父殿、男谷精一郎が諸大夫に列せられ、下総守に任じられた。当然俺たちは大喜び。健吉も目に涙を浮かべていた。

 海舟や、うちの実家、松坂からも祝いが訪れ、その日は親族、門弟で大騒ぎ。実に目出度い一日だ。


「わしもな、いい年して官位などで呼ばれてはむずがゆくて堪らぬ。よって、これよりは静斎せいさいと名乗る事にする。お前たちもそう心得よ。」


「相変わらずだな、精一郎さん、いや、静斎殿が。どこまで行っても、腰が低く、図に乗らねえ。流石は一族の誇りだ。なあ、みんな? 」


 海舟の音頭で皆がそうだそうだと親父殿をほめそやす。確かに一族の誇り、男谷の男の手本のような生き方だ。


 皆で飲んで食って騒いで、海舟の子供たちや一族の子供たちが走り回る。そんな騒がしい宴が落ち着くと親父殿は俺と海舟、そして健吉を私室に招いた。


「わしもな、先に言うたとおりいい年だ。小吉のようにぽっくりと、と言う事もあるやもしれん。悔いの無いよう跡を定めておかねばな。」


 親父殿はいささか白髪の多くなった頭をなでながらそう言った。


「まずは健吉。」


「はい、先生。」


「お前ももう、二の丸留守居格布衣の格式、三百俵取りの立派な幕臣。跡を任せるに不安はない。よって直心影流の十四代はお前に。しかと務めよ。」


「はっ! 必ずやご期待に。」


 そう、健吉は将軍家茂公のお気に入り。今や役目も得て、出世した。海舟の姪にあたる、お高を妻に迎え個人としても充実していた。


「そして麟太郎。」


「はい。」


「お前は幕臣としてよくやってくれている。」


「それもこれも静斎殿のおかげさ。」


「幕府の行く末はお前に。頼めるか? 」


「ああ、オイラが必ず。」


「男谷の家はせがれの鉄太郎。だがあ奴にはこの家を継ぐので精いっぱいであろう。そして、新九郎。」


「うん。」


「お前には男谷の男、その気概を託する。わし、そして小吉が繋いだ男谷の心。それに恥じぬように生きよ。麟太郎、そして健吉。男谷の男とは新九郎のような者を言う。何かあれば臆することなく拳を振るい、どんな手を使おうが決して負けぬ。お前たちに卑怯、未練の振る舞いあればわしに代わり、新九郎が灸を据えに行く。そのつもりでな。」


「ははっ、そいつはたまらねえ。」


「ですね。私も心得ておかねば。」


 二人が去り、俺は親父殿と差し向かいで盃を交わす。人としてやるべきことをやり遂げた、親父殿はそんな顔をしていた。俺もいつかそんな顔ができる日が来るのだろうか。


「新九郎、お前はわしの自慢の子よ。誰よりも強く、逞しく、そして一つ事に捕らわれない。麟太郎、健吉は名を成したがそれはどうでも良い事。お前は名などなくても生きていける。いいか、これより世はもっと大きく動こう。その時に一つ事に捕らわれ、固まってしまえば何もなせぬ。お前が心得るべきは男谷の男。わしや小吉に恥じぬ生き方よ。」


「うん、けど具体的には? 」


「ふふ、そんなものはない。お前が感じ、これは許せぬ。そう思った物は許さねばいい。小吉を思い出せ。あ奴はどう生きた? 」


「むちゃくちゃ? 」


「あはは、そうだな。小吉は好きに生きた。だが男谷の男としては悪くない。だが、ああなっては周りに迷惑も掛かろう? そこでわしだ。わしと小吉、二人に叩かれぬよう生きればいい。若い頃のお前のようにな。」


「もう、あの頃は大変だったんだから。」


「善悪、などと言うのは時と共に移ろうものよ。お前の中の善悪は小吉とわしが叩き込んだもの。わしらに叩かれぬ。そう思ったことは躊躇せずにやれ。とは言う物の、心配はしておらぬ。お前には律がいるからな。」


「あはは、そうだね。」


「律に嫌われぬよう振る舞えばよい。それとだ、新九郎。道場は健吉に任せることになろうし、わしも西の丸留守居役格との内示をもろうておる。牛込あたりに屋敷を貰う事になろうよ。そこでだ。お前には財を分けてやる。

 不忍池でもいい、どこでもいいからその財をもって律と住まいを構えよ。財がなければ人から奪うを躊躇わぬのも男谷の男。だが、それをさせてはいささか風聞が悪いからな。はっはっは。」


 親父殿はそう言って最後に一振りの脇差をくれた。銘は大慶直胤たいけいなおたね


「文政のころ、その大慶直胤の刀で兜割りを試したことがある。折れず曲がらず、兜を割れた。それを磨上すりあげにして脇差に拵えたものだ。刀は小吉、脇差はわし。お前が悪さをせぬようにしかと見ておかねばな。」


 脇差にしてはやや長いそれを授かり、俺は離れに戻った。



「なるほど、そのようなお話が。」


「うん、で、どうする? どこかに屋敷を? 」


「新九郎さまのお考えは? 」


「俺は鐘屋住まいでもいいかなって。洋酒もあるし、講武所も遠くはないしね。何よりあそこは過ごしやすい。」


「けれど、町屋住まいでは。」


「武家町なんかじゃ息苦しいし、それにあそこは内風呂があるだろ? 今更湯屋にってのはちょっとね。」


「確かにそうでございますね。さればそのように。引っ越しや挨拶もろもろはわたくしが。新九郎さまは明日よりは鐘屋にお戻りくださるよう。」


「うん。ここも随分長い事住んだから、離れるとなると寂しいね。」


「ええ、そうですね。ですから今宵はここを忘れぬように、ゆっくりと。」


 そう言って帯を解き始めた律とこの離れでの最後の夜を噛みしめた。




磨上げ……刀の茎を削って短くすること。刀の茎とは柄の中身。銘が刻まれているところですね。その銘が見えなくなるほど縮めてしまったのは大磨上げと言うそうです。

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