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 混沌としたこの頃、人の考えは大きく四つに分かれていた。尊王、佐幕、そして攘夷に開国。


 まず尊王だが、これは簡単な理屈。この国は、開闢以来萬世一系の帝と朝廷により、治められてきた。幕府は征夷大将軍として国政を委ねられているに過ぎない。だから帝の言う事は絶対である。とした考え方。

 次に佐幕。これも簡単。この国は三百年近く幕府の手により治められてきた。朝廷があるとは言え、実際に政務を司ってきたのは幕府、それだけに現実感覚も、ノウハウもある。すべての政事は幕府を中心に行われるべきだ。との論。


 これに攘夷、開国と言う外交政策が絡まって複雑な様相を呈しているのだ。


 例えば山岡、彼は攘夷派ではあるが佐幕である。そして尊王でもあるのだ。はぁ? となりそうであるが基本的にこの国の人、いわゆる日本人は皆、尊王。幕臣であろうが民であろうがそれは変わらない。誰もが帝に敬意を払っている。もちろん俺だってそうだ。


 幕府はそれを承知して、帝と朝廷は尊重するが政事には関わらせない。そう言う方向でやってきた。現代日本の象徴天皇制みたいなものだね。帝も朝廷もこれまで大きく口をはさむことはしなかった。だからこそ大きな問題もなくやってこれたのだ。


 ところが黒船騒ぎでこれが大きく変わってしまう。当時の老中首座、阿部正弘は外国との折衝において、幕府の祖法、鎖国令の扱いのみに神経を使っていた。だがそこで、これまで考えてもみなかったことが起こる。阿部、堀田、と開国に前向きな老中が続き、ついに井伊大老が登場する。そして、大老自身の判断ではないにしろ、勅許を待たずに日米和親条約が結ばれた。自らの権威を無視された朝廷は当然、面白いはずもなく、少しづつ、攘夷に傾いていく。井伊大老を嫌う学者や、将軍継嗣問題に敗れた一橋派、そう言った連中がその周りに集まり始め、朝廷の意向に迎合して攘夷派を形成する。


 さらに悪い事に帝自身が外国嫌い。これで攘夷派は大義名分を得たわけだ。幕府の意向よりも朝廷の、帝の意志を優先しろ。世の意見はそうなってしまっていた。

 そこで幕府がとった策が公武合体。朝廷も幕府も仲良くやってますよ、と言うアピールだ。物のわかる大名たちもこれにはニッコリ。松平慶永、一橋慶喜を幕閣に迎え、雄藩の意見も尊重される。ある意味では一つの理想の姿だ。


 さて、そうなると納得いかないのが攘夷をダシにして世に出ようとしていた下級藩士や学者、それに浪士たち。良いように使い捨てられた感のある彼らは公武合体など佐幕の戯言。尊王攘夷をなすべきだ。と先鋭化する。すでに京では天誅と称して、かつて安政の大獄に協力的だった公家の家人が殺されたという。世が治まれば彼らの居場所はなくなる。だから攘夷をやめられない、と言う事だ。


 そして再び帝がこれを後押しする。攘夷って、いいよね。と言わんばかりに長州の長井が示した航海遠略策に賛同的な公家を処分。岩倉具視、千種有文、富小路敬直といった公家たちが官を辞し、蟄居、さらには落飾させられる。


 そして八月二十一日、得意満面で江戸を後にした薩摩の島津久光一行は行列の前を横切った英国商人を御成敗。またもや外交問題を引き起こす。世に言う生麦事件である。


 俺の個人的意見を言うなら、これはイギリス商人にも非のある事だ。現地の習慣も知らずにそこをうろつく方が間違ってる。薩摩側は下手人は不明、ととぼけたらしいがこればかりは仕方ない。この件で罰すれば武士の存在意義すら問われることになる。主君の名誉を守るのが臣下、当然の事をしたのになぜってね。


 要するにだ、みんなが最善を尽くした結果がこれ。その最善は国の為、幕府の為、主君の為に、己の為、とみんな違うのであろうけど。そして俺も最善を尽くすべく動き出す。


「ねえ、律っちゃん。耳かきしてよ。」


「はい、すぐに。」


 膝枕で耳かきをしてもらいながら、むぎゅうっと柔らかい下腹に顔を押し付ける。


「ほーら、動くと危のうござりまする。」


 柔らかい感触、そしてきれいな声。そう、これが俺の志。律こそが俺の正義だ! 尊王? 攘夷? 好きにしてくれ。異人だって知らない人だ。斬られようがどうでもいい。なんとなく吹っ切れた気がして、耳かきが済むと、俺は律の手を取り寝所に連れ込んだ。



「んでよぉ、道場の連中はああだこうだと大騒ぎさ。」


「なにが? 」


 久しぶりの鐘屋に現れたトシはすっかり困り顔。


「みんな力が余ってどうしようもねえんだ。なんでも京じゃ浪士風情が天誅だのなんだのと粋がってんだろ? だったら俺たちで。ってな。」


「ふーん、いいんじゃない? 」


「とはいえ俺たちゃ百姓だ。人斬りなんかしちゃ打ち首は避けられねえさ。だから旦那ならいい方法知ってんじゃねえかって。」


「いい方法ねえ。闇に紛れて、とかじゃダメなの? 」


「あのよぉ、俺たちだって世に出てえんだ。それじゃ誰がやったかわっかんねえだろうが! 」


「世に出るって言ったって。」


「俺もね、道場の連中も、地元の奴らによくやった、お前たちは地元の誇りだって言われてえの。その為に厳しい修練もやってんの。みんな幕府の為に働きてえんだよ。わかる? 」


「まあ、世の中ごたごたしてきたけどさ、そんな、人斬って金がもらえて手柄になるなら俺がやってると思わない? 」


「ま、そりゃそうだ。けどな、このまんま何にもできずに年寄りになっちゃ、生まれ出た甲斐がねえ。そうは思わねえ? 」


「俺はさ、律っちゃんがいるから。別に思わないけど? ねー、律っちゃん。」


「新九郎さま、持たざる者の気持ちも忖度して差し上げねば。」


「だってこいつは、声のきれいな気の付く女に迫られてんのに贅沢言ってるだけだぜ? 」


「声と気立ての良さを上回る何かがあるんだよ! 特に顔に! 」


「顔などと、三日も見ればなれると古来より言うではありませんか。ねえ、新九郎さま? 」


「そうそう、トシは贅沢なだけ。近藤さんを見習えよな。」


「近藤さんは特殊なんだよ! いろいろ普通じゃねえだけだ。」


「あ、そうそう、トシ、そんな事より、はじめちゃんを仲間外れにするのやめてやれよな。」


「あ? はじめちゃん? もしかして斉藤の事か? 」


「そう、自分だけ誘われなくていじけてたんだから。」


「ばっか、ありゃあ、あいつが当日に寝坊すんのが悪いんだ。別に仲間外れになんか。」


「とにかく、彼は繊細だけどいい人なんだから。ちゃんと仲良くしてやれよ? それとお琴とか言う長唄の師匠もな。」


「そうですよ。馴染んでみれば案外良いものかもしれません。」


「うんうん、まずは一夜を明かしてみる、と言うのはどうかな? ね、律っちゃん。」


「ええ、体を重ねねばわからぬことも。ね、新九郎さま。」


「そうだぜ、俺たちなんか、」


「もう、新九郎さま。」


「はは、ここに来たのはやっぱ間違いだったな。あんたらはなあ、少しは近藤さんに悪いと思わねえのか? 自分たちばっかり! 」


「近藤さんはあれでいいじゃん。気の強い母ちゃんと、ぶっさいくな嫁に愛されて。ねえ、律? 」


「ええ、他所の方は他所の方。トシさん、仲人が入用であれば新九郎さまに。」


「あ、いいねえ。是非、務めさせてもらうよ。」


「ばーか! ばーか! 爆発しろ! 」


 そう言ってトシは走り去っていった。


「いやですねぇ、トシさんたら、照れ隠しにあんな態度を。」


「まったくだよ。あいつも素直じゃないな。」


「「ねー。」」



 その年の閏八月、幕府は新たに京都守護職を儲け、それに会津候、松平容保を当てた。天誅が横行する京洛に、ついに幕府の武力をもって治安維持にあたる事になるわけだ。

 

 そしてその夏、再びあの男が江戸に舞い戻ってきた。


 俺が見た時、男は蔵の片隅に縛られていて、その顔はすでにアイーンしていた。


「もう一度! 」


 その男に本身の長刀を突きつけた女が叫ぶ。


「わしゃあ、さなを嫁にするぜよ。」


「もう一度! 」


「わしゃあ、さなを嫁にするぜよ。」


 アイーンしたままの顔で壊れた機械のように同じ言葉を繰り返す。そう、ここは桶町の千葉道場。ひょっこり現れた龍馬は瞬時にさなに打ちのめされ、もう半日もあの状況だという。


「まあ、自業自得だとは思うんだけどさ、流石にちょっと。」


 俺を呼びに来た定さんは目で龍馬を憐れみながら、口の形はざまあみろ、とばかりに歪んでいた。



「んで、龍馬はなんでここに? また遊学? 」


 俺と定さんの仲介で、ようやく解放された龍馬は、何日も洗っていなそうな頭をバリバリ掻いて、口を開いた。


「わしゃあ、脱藩したぜよ。今からは土佐の坂本じゃなく、こん国、日本の坂本龍馬じゃき。」


「あー、そういうのいいから。何したの?」


「尊王の為には土佐は狭すぎる。わしはな、新九郎さん。この命をこん国の為に使いたいがぜよ! 」


「何したの? 」


 イラっとした俺がバキバキと指を鳴らしながら訪ねると、龍馬はおもむろに目をそらす。


「……そのな、薩摩の兵が上洛したじゃろ? 倒幕ち思うて、ほいたら是非とも参加せな。そう思ったんなが。」


「なるほど。で、薩摩にその気がなくて行き場がなくなった、そう言う事? 」


「まあ、そんな感じ? 」


「もうさ、龍馬も志士なんかやめちゃなよ。儲からないし。うちの婿になって道場の手伝いすればいいじゃない。」


「何を言うがか! 定吉先生、わしゃあ、軽ーい身持ちで脱藩までした訳じゃないきに! 」


「かっこつけたかったんだろ? 」


「そうそう、アギの奴がって、っちっがーう! 尊王をするには、幕府を倒すには土佐だ薩摩だ長州だち言うとられん! わしらは一つに纏まらねばいかんぜよ! なあ、新九郎さん。」


「へえ、俺、幕臣なんだけど。不逞浪士ふていろうしみーつけた! 斬っていいよね? 」


「はは、あはは、今のはちくと口が滑っただけじゃき! そげな事は毛頭考えちょらんきに! 」


「でもさあ、お前って脱藩者なんだろ? 藩邸に連れて行けば褒美とかもらえるかもだし。」


「あ、それもいいね。」


「ち、ちくと待たんね! わしなんぞ連れて行きゆうてもいくらにもならんぜよ! 」


「なら、龍馬はさなと祝言。そしてわしの道場の手伝いをすること! いいね? 」


「わかった! わかったきに! ちゃんとする、ちゃんとするきに斬るのも藩邸に連れて行くのもなしじゃ! 」


「うん、ならそれでいいよ。ね、新さん? 」


「いや、俺はずぱっと。」


「そんなことしたら新さんにさなを貰ってもらうから。いいの? 」


「遠慮します。」


 それからさなの機嫌はすっかり良くなり、険しかった顔も、前のように美人に戻った。龍馬は道場の手伝いもそれなりにこなしているらしい。なんせ龍馬は脱藩者。千葉道場以外に身の置き場がないのだ。



「まあ、あの方も相変わらずですね。」


「ほんと、普通に暮らしておけばお坊ちゃんなのに。馬鹿だよねえ。」


「人の幸せはそれだけではないのですよ。良い家に生まれ不自由がなければそれはそれで新たな不満を。」


「そうなの? 俺は今で十分だけど。」


「新九郎さまにはわたくしが、わたくしには新九郎さまが。命に代えてもいいと思える方が側にいるから。そうでなければそれをさがして足掻くもの。坂本さんもトシさんもみんな。」


「トシは流石にあれだけど、龍馬は。」


「さなさんは美しい方ですが心根が。新九郎さまは、さなさんをどう思います? 」


「うーん、美人だけど息苦しい感じがするね。締め付けられるような。」


「そう言うのがお好きな方もいればそうでない方も。坂本さんはそうでなかった、それだけですよ。」


「ま、相性ってあるもんね。」


「ええ、今宵はわたくしが、新九郎さまを締め付けて差し上げまする。さ、お布団に。」


 こういう締め付けは良いと思います!

 

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