表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/127

31


 十一月のはじめ、幕府は和宮降嫁の勅許を得たと発表する。それにより、江戸市中はお祝いムード。当然我が家もお祝いムード。さて、事に及ばん、とした時につまらない奴がやってくる。


「新さん、遊びに来ちゃった。」


「はじめちゃん、今忙しいからあとでね。」


「そんな冷たい事言わないでよぉ。僕だって寂しいんだからさ。」


「もう、仕方ないね。いいよ、上がって。律っちゃん、お客さん。」


「はーい、ヨウコソオイデクダサイマシタ。」


 律は顔を引きつらせながら出迎えた。


「んで、どうしたの? 近藤さんのところは? 」


「なんかね、八月の終わりに近藤さんの宗家継承の野試合があったんだけど、その時僕だけ誘われなくて。それからいってないの。」


「マジか。そりゃあきついね。仲間外れ? 」


「そう言うつもりはないんだろうけど、誘ってくれてもいいじゃんって。」


「まあね。」


「だからね、しばらく家でいじけてて、誰とも口きいてなかったの。」


「えっ? もう十一月だよ? 二か月以上? 」


「うん。で、今回の幕府のお触れを聞いて気分がよくなって新さんのところにって。」


「あの、さ、はじめちゃん? 彼女とかいないの? 」


「女? いるにはいるけどそっちも無口だから。」


「あ、そうなんだ。」


 その時律が、ビールを手に現れて俺とはじめちゃんに注いでくれた。


「斉藤さん、寂しい時はいつでも。あなたが新九郎さまの友である限りはわたくしは歓迎しますよ? 」


「奥さん。僕ね、人と話すのが苦手で。」


「それでもいいのです。嫌な事、嬉しい事、そう言うことがあった時は誰か話せる相手が必要。話してしまえば嫌な事は半分に。嬉しい事は倍になりますから。」


「うん。新さんはね、僕よりも強いし、思ったことを素直に言えるんだ。昔ね、自分より弱い相手にいろいろ話したら馬鹿にしてるって言われたことがあって。」


「そうなの? 」


「僕はこの話し方でしょ? 強いくせに甘えた話し方するなって。」


「あはは、確かにそう思われるかも。」


「土方さんはいい人なんだけど僕より弱いから。だから素直には話せない。近藤さんはね、強いけどみんなから慕われてる。だから僕が入る余地がないの。けどね、新さんは僕より強いしちゃんと相手してくれるから大好き。」


「そうですか、新九郎さまもあなたの事が大好きですよ。ですから遠慮せずに。」


「うん、新さん、いいよね? 」


「まあ、別にいいけど。そうだ、暇なら稽古でもしてみる? 今日は健吉もいるし。」


「えっ、いいの? 」


「ゴロゴロしてても退屈じゃん。健吉は強いからね。」


「うん、する! 」


 はじめちゃんは喜んで俺についてきた。そこらへんにあった防具を付けさせ、竹刀を持たせる。


「健吉。」


「どうしました? 新さん。」


「彼はね、俺の友達で斉藤って言うんだけど、ちょっと相手してやってよ。」


「それは構いませんが、本気で? 」


「うん。結構やれると思うから。」


 わかりました、とにやりと笑って健吉は面を付けた。はじめちゃんは聖徳太子流という流派を京で学び、師範代まで務めたという。今年16になったというからそれより若くて師範代。大したもんだ。試衛館では剣を交えず投げ飛ばしてしまったからその強さは不明。


 はじめちゃんの剣術はちょこまかと動き、的を絞らせない。それでいて打ち込むときは鋭かった。北辰一刀流の竹刀打ちともまた違う、かと言って古流のどっしりした構えでもない。なんとなく面白いスタイルだった。結局はイラついた健吉に横面を叩かれて泡を吹く事になったのだが。


「この年にしては中々かと。」


 そう言って健吉は面を外すとフフッと笑った。その時はじめちゃんが再起動して立ち上がる。


「僕は負けない、僕は、僕は、絶対に! 」


 ふむ、と唸って健吉も面をつけずに立ち上がる。そのあとはじめちゃんは三度打ちのめされ、面をはがされ絞め落とされた。そのあと起き上がった時には健吉の前に座り、深々と礼をした。


「いくつか、聞かせてもらっても? 」


「はい。」


 健吉は剣についていくつか質問する。それにはじめちゃんは素直に答えた。基本的に実践を想定しているため、まず腕、小手を狙いそのあとで、面や胴を打ちに行く。何しろはじめちゃんは殺人経験ありだ。その語り口は妙にリアルだった。


「手足を斬ってしまえば首を刎ねるも、袈裟に斬り下ろすも楽、か。そうかもしれませんね。」


「僕は榊原先生や新さんみたいに相手の動きを読んで先んじる事が出来ないです。だからまず刀を持つ手を。」


「実に合理的ですね。確かに、相手の動きから次の手を読むは長い修練と、見切れる目が必要です。私もその点においては新さんには及びませんから。斉藤さん、あなたはまだお若く、才もある。剣とは所詮は人を殺すための物。形にとらわれず精進なさい。」


「はい、先生。」


「すごいじゃん、はじめちゃん。健吉にあそこまで言わせるなんて。」


 そう言うとはじめちゃんは真っ赤になってはにかんだ。


「新さんは彼と対峙してないので? 」


「ん? 一回後ろから打ちかかられたから投げちゃった。それだけ。」


「後ろから? 」


「うん、新さんは凄いんだよ? 試衛館の連中みんな相手にして、ぜーんぶ投げ飛ばしちゃって。」


「それはいっぺんにと言う事ですか? 個別ではなく。」


「僕たちはまとめてかかってやられちゃったよ。その前には僕以外は個別で竹刀でもやられてるの。」


「はあ、なるほどですね。先生が戦いとなれば私は新さんに及ばぬ、と言った意味がよく分かります。私は剣術の試合、そこから抜け出せていないのですね。新さんや斉藤さんはそうした試合の決め事から外れても戦える。この差を詰めなければ。」


「なにいってんのさ、健吉は将軍のご指南役。追いかけるのは俺のほうさ。」


「いえ、私の剣は道場剣法、斉藤さん、此度はそれがよくわかりました。頭を下げるは私の方。」


 そう言って健吉ははじめちゃんに頭を下げた。はじめちゃんはどう対応していいかわからずオロオロしていた。



 そして十二月。アメリカ公使翻訳官のヒュースケンが惨殺された。犯人は薩摩脱藩、伊牟田尚平他数名。清河塾でみた、あの薩摩人だ。


「ねえ、山岡。」


「はい。」


「これがお前らの志? 」


「……はい。」


「んでさ、アメリカが賠償求めてきたらどうするの? 」


「それ以前に打ち払いを。」


「それができないからこうなってるんだよね? 」


「しかし、形を示さねば! 朝廷は和宮さまを降嫁なされた、幕府とて! 」


「そう言う事聞いてない。アメリカが賠償求めたらだれが払うの? 」


「……それは。」


「清河とお前が払う? それとも薩摩? 朝廷が払うのかな。ねえ、どうなの? 」


「……おそらくは幕府が。」


「それでその金はどこから? 天領だよね。おまえさあ、判ってる? お前たちのくっだらない戯言でみんな苦しむんだって。俺はこの事を上に言う。お前も清河もグルだって。」


「それは! 」


「なんで? お前たちは正しい事したんだろ? だったらそう言えよ。俺たちは正しいんだから幕府が賠償しろって。なあ、そうだろ? そもそもその通訳が何をした? お前らの、あの伊牟田ってのの家族でも殺したの? 」


「松坂先生! それは! 国事の為、犠牲は! 」


「だったらお前が犠牲になれ。山岡家とお前の生家、それに一族全部の財を当てて賠償しろよ。この事で幕府が金出すのはおかしいだろ? 事を起こしたからには結果が付くんだ。当たり前だよな? 金が足りなきゃ嫁でも一族の娘でも売るしかないな。」


 講武所の奥まった一室で俺は山岡を責め立てる。只さんはそれを黙ってみていた。


「帝は攘夷を望まれておられます。ですからこの度の義挙ぎきょは! 」


「義挙? 普通に殺人だよね。お前、帝から密勅でも受けたの? 」


「新さん。」


「なに? 只さん。」


「山岡がやったわけじゃない。その辺で。」


「なんで? こいつは一味だよ? あんた、会津公が同じ目に遭っても今の言葉言える? 」


「異人は会津公じゃない。」


「そうだね、より悪いかもしれないね。アメリカはわざわざ海舟たちが船で渡って正式に文書を交わした相手。下手すりゃいくさだよ? 山岡、そう言う事考えた事ある? 」


「なんで、なんでわかってくれない! 異国はこの国に必要ない! 帝が、朝廷がそう仰られてる! 攘夷のじつを上げねば幕府が朝敵! そうなってもいいのですか! 」


「とにかく、上には報告を上げる。お前が伊牟田の仲間である事、賠償の必要が生じた場合山岡家からそれを捻出するべきだ。と。俺は幕臣だからね。義務であり、仕事さ。」


「松坂先生! そのような事をされては困ります! なにとぞお留まりを! 」


「新さん、やりすぎちゃダメだって。」


「ねえ、只さん、そろそろ立場をはっきりさせようか。あんたはこいつの同類? 」


「そうじゃないよ。けど、」


「けど、なに? 言っとくけどね只さん。俺は攘夷だ開国だでこいつを責めてるんじゃない。約定を交わした相手、それを襲って義挙だなんだと喜んでるこいつらがおかしいって言ってるの。結果も予想できない頭の悪さで志も何もないだろ? しかもこいつは幕臣だ。清河みたいに浪士でもなきゃ伊牟田みたいに脱藩したわけでもない。」


「うん、新さんが正しい。清河先生や伊牟田は幕府の者じゃない。けど山岡は。」


「そう言う事。こいつは裏切り、謀反人同然。幕府に不利になると判っていながらそれを見過ごし、あろうことか義挙と称えた。」


「そこまでですな。お二方。それに山岡殿。」


「誰? 」


「評定所の者です。名乗りはあえていたしません。山岡殿? 」


「はい。」


「此度は警告です。あまり公儀を舐めないほうがよろしいかと。」


 山岡はその場にくたくたと座り込んだ。


「そして松坂殿。」


「なに? 」


「見事なお考え、拝聴させていただきました。流石は男谷殿の一門と感服を。」


 それだけ言ってその男は去っていった。


 山岡は血の出るほどにこぶしを握り締め、くぅぅっと唸った。


「私は、私は己の未熟さが口惜しい。松坂先生、私はあなたを恐れ、刀に手をかける事が出来なかった。あなたを斬ってさえいれば! 」


「それって俺に喧嘩売ってる? 」


「新さん。」


 そう言って只さんは俺の前に立ちはだかった。


「いいえ、今の私ではあなたに勝つなど夢のまた夢。いつか必ずあなたをしのいで見せます! 」


「そっか、それまでに俺がお前を斬ってやるよ。斬られるのは好きじゃない。」


「山岡! そこまでしておけ、それ以上は俺が許さぬ。」


 只さんがそう凄むと山岡は俺に頭を下げて出て行った。


「んもう、新さん。ああいうのやめてよ。俺、心臓が飛び出るかと思ったもん。」


「只さん、俺たちは幕臣だよね? 幕府の為に忠義を尽くすことで禄をもらってる。」


「うん、そうだよ。」


「だったらなんで止めた? 」


「山岡のやった事、あれでは罪に問えないからだよ。謀議をしていた証もなく、手引きしたわけじゃない。せいぜい口頭での注意ってところだろうね。それを斬っちゃえは新さんの方が罪になる。だから止めた。」


「なんで? あいつは一味、それは間違いないよね。」


「評定所の人が言ってたでしょ? 山岡はすでに監視されてる。罪を裁くのは彼らの仕事で新さんの役目じゃない。」


 言い返せなくなって口惜しくなった俺は只さんの脇腹をぎゅうっとつねってやった。


「もう、もう! 痛いよ! 」



 なんとなくすっきりしないまま家に帰る。一服つけようと思ってキセルをだすも、煙草盆がない。


「ねえ、律っちゃん、煙草盆は? 」


 すると律はニヤニヤしながら奥から出てきて、はい、とたすきを俺に渡した。


「今日の律は新九郎さまの煙草盆を隠した悪いおなご。ひっとらえて吐かせなくてはなりませぬ。」


 そう言ってうふふと笑って寝所に逃げていく。俺をそれを追って、捕まえて縛り上げた。そして俺たちの哲学に新たなページが加わる。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ