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 やぶさかでない、前向きに考慮する、善処する、不退転の決意で臨む。そう言った言葉を駆使し、山岡イケメンの誘いをのらりくらりとかわしていた俺だったが九月、ついに観念して誘いを受けることになる。すべては只さんの「暇だからいいじゃん。」と言う身も蓋もない一言のせいである。

 こころざしとかそう言う面倒な話は関わりたくなかった俺は、ボーっとしている只さんの膝を思い切りつねってやった。


「ん、もう、ひどいよ新さんは。」


 口をとんがらせて不貞腐れた只さんと俺は、山岡の案内で神田お玉が池にある清河塾に連れていかれた。


「ようこそおいでくださいましたな。佐々木殿に、松坂殿、でしたかな? 」


 半眼で迎えに出たのは何となくじめっとした感じの男。誘っておいて、でしたかな? とはどういう意味だと掴みかかりそうになるが、山岡に手をぎゅっと握られて懇願するような目で見られたので思いとどまる。


「どうぞ、お上がりを。」


 ともかくも履物を脱いで中に上がる。この時点で俺は不機嫌だった。


 奥の座敷に招かれてそこに座る。そこにはほかに二人の男がいた。


小生しょうせいは清河八郎。世を憂うものでありますな。昨今の異国の跳梁ちょうりょう、そして桜田門外の変に見るように幕府権威は失墜を。そうした世を改めねばとこのように塾を開き、皆に教えを垂れているのです。」


「はあ、なるほど。」


「こちらは松岡君。先の安政の大獄で処断された頼三樹三郎先生に学び、小生と同じく世を憂いております。」


「幕臣、鷹匠組頭のせがれにて、松岡万まつおかよろずと申します。講武所で名をはせられた佐々木、松坂両先生にお目にかかれて光栄。」


 松岡と言う男はいかにも神経質そうな線の細い男だった。


「して、こちらは薩摩を脱藩され、天下国家に身を捧げた伊牟田君。」


「伊牟田尚平と申しもんで、よろしゅ。」


 こっちは愛嬌のある顔だが目つきが普通じゃなかった。


「で、山岡、俺と新さんを清河先生に合わせた理由は? 」


 お、めずらしく只さんが稼働中だ。つねったのがよかったのかな?


「お二方は武に優れ、尊敬に値する方。で、あればその武をどうおつかいになるのか、そうした志を固めるに、清河先生のお考えは有用。そう思いまして。」


「ふむ、山岡君の申す通りでありますな。この波乱含みの情勢、武を向ける先を間違えれば、その武が優れていればいるほど後世に汚名を残すことになりかねません。」


「と、言うと? 」


「お二方は幕臣。幕府より禄を頂く身なれば幕府に忠義を尽くすは当然でありましょう? 」


「そうですね。俺は会津出身でもありますから幼き頃より公儀の為、そう教えを受けてきました。」


「実に結構。しかし、小生が思うに、今の幕府にはたくさんの問題が。それらを幕閣の方々のみに任せ、己は関係ない。それで本当の忠義であられると? 」


「無論、一朝、事あるときに我らは幕府の先駆けとなり打って出る。その為の講武所であり、鍛錬である。そうだな、山岡! 」


「はい、誠にその通りで。」


 おぉ、なんかすげー。只さんが他人と論じ合ってる。


「さればこそ、その一朝を避けるがために行動するが真の忠義。小生はそう思うのです。京の都には尊王攘夷を唱える志士で溢れております。しかし彼らは現状に不満を持ち、只々文句を言い連ねているにすぎません。

 よろしいかな、お二方、真の尊王、真の攘夷は力なくしてはできぬもの。そしてその力とは幕府。いま進められている公武の合体。それをさらに推し進め、帝の元にこの国を一つに。今のように幕府は幕府、朝廷は朝廷、一つになれず言い争いを続けていれば異国からも軽く見られて当然。そうではありませぬかな? 」


「先生の言われることは判らぬではないが、我らの主君は大樹であらせられる。その大樹、将軍家茂公がないがしろにされることがあれば何事であれ認めるわけに行きませぬな。」


「無論、そのような不敬、小生とて。そも、どのように考えるにせよ幕府と言う幹がなければこの国は支えが効きませぬ。水戸、越前、薩摩。長州、土佐。いかなる雄藩であれ幕府の代わりは務まらぬ物と。」


「では先生の言われる尊王とは幕府を排する、そうした意味ではないのですな? 」


「この情勢でそれをすればすなわち外国の餌。この国は立ち行かなくなりましょう。ですが、このまま幕府が手をこまねいていればそうしたことを声高に言い募るものも出てきましょう。そうならぬため、我らは行動を。」


「ふむ、していかように? 」


「まずは、攘夷。異国を打ち払うは帝、朝廷のご意向であらせられます。井伊大老も条件付きながらもそれはお認めになられた。で、あれば何を置いてもそれを成すは幕府の務め。ですが幕閣とて異国と条約を交わした身。信義の上からもそうやすやすとは行きますまい。」


「無論ですな。異人とはいえ約定は約定。反故にするわけには参りません。」


「で、あれば、我ら草莽の士がそれを成す。開国に傾きつつある世の流れを変え、帝のお心を安んじ、さらには幕府に攘夷の実を遂げさせる。外国人居留地を襲い、異人をこの国より遠ざける。それを成すためには武の力がいる。お二人をお招きしたのはその為。」


 あーあ、それやって結局責任とるのは幕府って話だよね。普通に考えて攘夷とか無理無理。もうね、この人の言ってる事、都合良すぎ。


「松坂殿? 貴殿は小生の考えを、何を都合のいいことを、そうお思いですな。」


「まあね。」


「確かに、今の段階では荒唐無稽。しかし、風呂敷は大きく広げねば畳んだ際に残るものも小さくなるは必定かと。」


「なるほど、大風呂敷広げて理想を説いて、その中で出来る事を、と。」


「十を語り、八を行動し、六を得る。吉田松陰先生は十を語り、十を得ようとした。ですからああなった。あの方の言葉は清廉潔白。国の為、まさしく無私と言えるほど高潔であられました。」


「そうだね、いっつも貧乏してたし。」


「しかし、わたくしがなければ人は動かぬのもまた事実。人は飯を食わねばならぬものですし、男と生まれたからには女も欲しい。小生はそうした人の欲をおもんばかって行動せねば事はならぬと考えています。十は理想、八は理屈、そして六が現実。理想は気高く、理屈はよどみなく、されど現実は清濁併せのむ。そうでなければ世を動かす事などは。」


 へえ、案外考えてるんだ。


「尊王の志を持つものとしては倒幕を。そう言う思いも正直に言えばなくもありません。ですが徳川旗本八万騎、それに全国に広がる幕府天領の民、それらを蔑ろにして事は。ですがそれは八の理屈。十の理想においてはそうした過激な事も言い募らねば人心を集める事とて叶いません。

 幕臣であられるお二方には不快であられるかもしれませんが世が幕臣のみで成り立っているわけでもない。こちらの伊牟田君の薩摩とすれば、過剰な課役を強いてきた幕府には恨みを抱いて当然。そうではありませぬかな? 」


「んで、その薩摩のあんたは幕府に仇なすと。幕臣の俺としちゃあ許せないって事でいいのかな? 」


 そう言って刀に手をかけると、前に只さんが立ちはだかった。


「只さん、あんたも幕臣だろ? こいつらは敵。そうじゃない? 」


「新さん、それはダメだよ。清河先生は幕府を潰す、とは言ってない。思う事、考える事まで罪に問えば、もう人は生きられないよ! 」


「おいおい、只さん? そう言う甘い事言ってるから井伊大老は殺された。俺たちがそこから学ぶべきはこうした輩を許さない、そういう事じゃないのか? 山岡、今すぐ決めろ。お前は幕臣として俺に着くか、謀議《謀議》を企むそいつに着くか。」


「先生、そうじゃない! そうじゃないんだ! 」


「お前は言葉が通じないのか? 俺は決めろと言っている。そこの松岡ってのも、考えろ。お前の食い扶持は誰が出してくれてる? この清河か? それとも幕府か? 」


「ま、松坂殿! 」


「尊王攘夷とやらに被れんのもいいが、さっきそいつが言ったように、人は飯を食わなきゃ生きていけない。何百年も飯を食わせてもらった幕府に盾突こうなんてのは犬にも劣る。山岡、松岡。あと5数えるうちに決めろ。只さん、あんたはどうする? そしてその薩摩野郎はこの場で斬る! 」


 伊牟田と言う男はそれでもその場を動かずにじっとしていた。なるほど、薩摩隼人というのは大したものだ。


「5。」


「新さん! 頼むから俺の話もきいてよ! 」


「4。」


「松坂先生! この山岡が道理をしかと! 」


「3。」


「松坂殿、早まってはなりませんぞ! 」


「2。」


「オイは覚悟できちょ。」


「結構、実に結構です。いやはや松坂殿。御見それいたしました。」


 清河は急に笑い出し、俺の手を取った。その意外な行動に、俺のカウントダウンは止まってしまう。


「松坂殿、それです、小生が言いたかったことはそれ。」


「はぁ? 」


「武士であらばいつ何時であれ刀に及ぶ。それが出来ぬ武士が増えたからこそのこの有様。松坂殿、小生は幕府が要らぬ、と言うのではありません。先に申したように幕府がなければこの国は立ち行かぬ。ですが、今の弱腰な幕府であれば要らぬと。そも朝廷が、帝が政治に口を挟むはなぜか。幕府の有様を見ていられなく、口を挟まずにいられなくなったからでは? 」


「で? 」


「さればそうならぬようして差し上げればいい。松坂殿、どのような考えであれ答えは一つではないのです。幕臣方が自らを改め、強力な指導力を持った幕閣を作られる、と言うのであれば何も文句はありませんよ。そうでないから企てをする。

 それもあくまで世の目を覚ますため。小生は、この国の朝陽の役割を果たしたい。無論小生とて欲はある、できるなら中天に昇り、いつまでも光り輝いていたい。ですが、それは朝陽の役を果たせねばできぬことでありますな。まずは一つづつ。そう言う事です。」


「まあ、いいさ。今回はね。」


 俺がそう言うとみなほっとした顔をした。


「新さん、あのね、前も言ったと思うけど、僕の生まれた会津では厳しい教えがあって、それに逆らえば生きていけない。理由もへちまもないんだ。」


「それで? 」


「そう言う一つの考えしか許さない。そうなれば世は窮屈で生きづらい。上に敬意を、下に慈しみを、それはね、捕らえようによっては上に媚び、下を踏みにじる。誰もが人格者じゃないからね、当然そういう事も起こりえるさ。

 何の才も手柄もない者が年齢に胡坐をかいて才ある若手をいびり続ける。これは指導と称して殴りつける。そうされた連中はまた下の者に同じことを。俺はねえ、新さん。そんな会津のやり方をずっとおかしく感じてた。」


「なるほど。でもそれとこれとは違うよね? 」


「うん、けど考えただけで罪っていうのは違うと思う。」


「松坂先生、私も幕臣。幕府に恩のある身です! ですが清河先生の教えに真理があるのもまた事実。それを知った上で己の志を! 」


「松坂殿。私の考えは常に四分の遊び、余裕があるのです。六分の勝ちを収めるためには残り四分は負けても、妥協してもいい。ですので、こうするべき、であるとかこうでなければならぬ、と言う言い方は好きではありません。」


「まあ、その辺は、よくわかるよ。」


「ですが、当然譲れぬ物もあるわけです。松坂殿、志を立て、それを説いて回るにもっとも重要な事は何とお心得か? 」


「さあ。」


「それは、己が説得されぬ事。四分は良くとも残り六分は微動だにせぬことが肝要かと。つまり守りですな。」


「ふっ、面白い事言うね。で? 」


「その守り、それには二つの言葉があれば事足りる。言い争うごとに相手を斬っては罪に。そうでありましょう? 」


 そう言ってニヤリとするので俺もつられて笑ってしまう。


「はは、なるほどね。で、その言葉とは? 」


「ふむ、これは言葉における秘儀ともいえるもの。口で語るより、見て頂いたほうが早かろう。山岡君、今の時勢をどう考える? 」


「されば幕閣は異国に対し、及び腰、早急に力を集め、まずは幕府内を固めることが肝要。」


「小生はそうは思わぬ。」


 それを皮切りに二人は熱い論戦を交わす。しかし物事の筋と言い、語り口調と言い。山岡に分があるように感じられた。優位を確信した山岡がとどめとばかりにまくし立てた。


「今申したように、先生の理論は間違っておられる。」


「何がですか? 」


「先ほどから申し上げている通り、幕閣、異国、それに朝廷、私の論が正しいのでは? 」


「何でですか? 」


「先生! ふざけておいでか! 」


「何がですか? 」


「よろしいか、そもそもの発端は! 」


 この後も清河はなにがですか? なんでですか? と言い続けた。


「もう、いいです。」


 ついに山岡が降参した。


「と、こういう訳ですな。何がですか、なんでですか、と問いを返す。さすれば決して相手の論に敗れる事はありません。」


 なるほど、でもその前にぶん殴られるとおもうな。だってめっちゃむかつくもん。



「あれなら、正直斬られた方がマシ。そう思いますね。」


「はは、ま、山岡、お前が倒幕どうこう言い始めたら俺が斬ってやるよ。」


「私は幕臣ですから。その心配は無用に。そうですよね? 佐々木先生? 」


「俺はね、新さんをあの時止めた。だからもし、清河先生や山岡が幕府に害をなすなら俺が斬らなきゃならない。そうだろ? 山岡。」


「……そうはなりませんから。」


 山岡はいつにない只さんの迫力に押され、つばを飲み込んだ。




「そうですか、そんなことが。」


「ま、いろいろ考える連中がいるって事さ。」


「実は、わたくしもいろいろと案じていることが。」


「そうなの? 」


「お知りになりとうございますか? 」


「そりゃもちろんさ。律っちゃんの事は何でも知りたい。」


「ではお布団で。わたくしが案じた事を試してみとうございます。」


 うん、いろんなことを考える人がいるよね。



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