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 四月の終わり、トシに誘われて牛込にある試衛館に行ってみることにした。桂はここぞとばかりに大活躍。試衛館に絡んでくる道場破りもすっかりいなくなったようだ。


「んでな、その勝太、いや、もう近藤さんって呼ばなきゃいけねえか。その近藤さんの嫁がまったぶっさいくでな。」


「お前のとこのお琴とどっちが不細工? 」


「俺の、じゃねえよ。そうだな、お琴はフナっぽい顔をしてるが近藤さんのアレはあんこう? こう、顎が張ってて受け口で。近藤さんも顎が張って口がでけえからな、口づけでもすりゃ見ものだな。」


「ははっ、そりゃ災難だな。」


「けどよ、近藤さんはそんなことおくびにも出さねえで、いちゃいちゃしてる。ま、蓼食う虫も好き好きって奴だな。」


「ならいいじゃん。お前もそのフナ女と一緒になれば? 」


「冗談じゃねえよ、俺はこれでも結構女に相手にされるからな。何を好き好んで。」


「ま、そうなるよね。」


「だから俺は家には帰らず道場に居候してる。鐘屋は居心地がいいが金がかかるからな。」


「え、うちって高いの? 」


「いんや、値はそこそこだがビールやら洋酒やら他所で飲めねえもんが揃ってる、懐に銭がありゃついつい、ってな。」


 牛込と言うのは現代で言う新宿あたり。お城の中は横切れないのでぐるっと大回りしなくちゃならないって訳だ。江戸、日本橋からは二里弱(8km弱)と結構な距離だ。


「ま、旦那に世話になったって事はみんな知ってる。だから今日は旦那を招いてごちそうをって訳だ。」


「頑張ったのは桂だろ? 」


「桂には礼金を出してる。俊輔にな。だからあいつの分はいいんだよ。例によってうちでも嫌われてるし。なんでああなのかな? 」


「ほんとだよね、聞多も俊輔も馴染みやすいし、高杉だって変だけど嫌な奴じゃない。あいつだけだよね。」


「なーんかこう鼻につくんだよな。長州のお偉方でござい、練兵館の塾頭でございってな。」


「肩書がないと生きていけないのかもね。」


「ま、近藤さんもそういうとこあるけどな。」


「そうなの? 」


「田舎の出とはいえ、天領の民で試衛館の次期当主さ。矜持っていうかそういうのが好きなんだろうぜ。」


「ふーん、変わってるね。」


「ま、誰にでもある事さ。郷土を誇ったり、出自を誇ったり、旦那だって男谷の男。そういう矜持はあるだろ? ただ、それが強い奴は鼻につくんだ。」


「桂みたいに? 」


「桂みたいに。」


 そんな話をしながら歩いていると、ようやくその試衛館と言う道場が見えてきた。初老の男が表で洗濯物を干していた。


「よう、トシ。そっちが例の先生かい? 」


「ああ、そうだ。先生よ、そんな目立つとこに腰巻なんぞ干したらまた、ふでさんにどやされっぞ? 」


「あ、そいつはまじいや。うっかりじゃ通用しねえからな、あいつも。」


「んで、みんなは? 」


「いつも通り、その辺でゴロゴロしてるんじゃねえか? ふでとつねはちゃんと支度してるぜ。」


「ならいいさ。ともかく洗濯物は早く片付けろよ? お客さんなんだからよ。」


「ああ、すぐ行く。」


 何か、こう、俺の知ってる先生と言うのとはかなり違う感じの人だった。洗濯物を自ら干してる時点で十分おかしいが、稽古してるならともかく、ゴロゴロしてるのに誰も先生を手伝わない。うーん、中々におかしなところだぞ、ここは。


「ま、汚ねえとこだが上がってくれや。おーい源さん、茶をくれ、お客さんだ。」


 トシがそう言うと中で箒をかけていた中年の男が丁寧に出迎えてくれた。


「これはこれはようこそ、まずはお上がりを。」


「あ、すみませんね。」


「源さん、この旦那が例の松坂様だ。残りのクズどもにもあいさつに出向けって言っといてくれるか? 」


「ええ、すぐに。」


 座敷に通され、源さんと言う人が茶を淹れてくれた。しばらくするとぞろぞろと門弟らしき男たちが現れる。最後に、少年を連れたでっかい感じのする男がにこやかに登場する。


「ようこそお越しくだされた、俺は近藤勇と申します。トシが長きに渡りお世話になっているとか。先日も桂を。伏して礼を。」


「ご丁寧なあいさつ痛み入ります。俺は松坂新九郎と。講武所にて剣術教授方をしております。」


 この近藤さんがあの新選組の近藤さんになるのか。顔はなんというか異相。トシの言うように、口がでかく、目が鋭い。だがその瞳は優し気で、どこか透明感があった。美男ではないがいい男、そんな印象だ。

 けど、桂はここでも桂呼びだった。


「こっちから、永倉、斎藤、原田、藤堂、こっちが山南、まあ、皆、門人と言うよりはうちでゴロゴロしてるろくでなしなんですがね。んで、トシとこの沖田、源さんが正式な門人です。」


「あはは、それも大変ですね。」


 そう言うと、山南と言うなんとなくここには不似合いなくらい上品な男が口を開いた。


「私たちは近藤先生の逞しさに惚れこんで、ここに。いささか迷惑であるかもしれませんけど、ね? 皆さん。」


「うん、普通にすっげー迷惑だけどね。」


「ちょっと、総司さん? そういう言い方は。しかもお客様の前で。良くありませんよ? 」


「あはは、総司の言うように俺たちが厄介者のろくでなしって事は間違いねえです。けどね、松坂殿、俺たちゃみんな、事があれば近藤先生の為に、そうおもってるんですわ。」


「うむ、永倉の言うとおりであるな。俺たちはいつでも命を懸ける。その覚悟がある。」


「もう、原田さんは命懸けすぎですよ? 」


「平助、そいつはそれしか取り柄がねえんだからほっとけ。」


 山南、永倉、原田、それに、平助と呼ばれた藤堂、みななんというか人の好さが前面に出た男たちだった。その中で一人だけふっと口元を歪めた男が斎藤。まあ、そういう役どころも必要だよね。


「さて、挨拶も済んだところで、一手。いかがですかな? 互いを知るには剣を交えるのが一番! そうよな、トシ? 」


「俺はやめといたほうが良いと思うけどな。ま、旦那、面倒だろうが相手してやってくれや。俺は風呂沸かしとくからよ。」


 そんな話になってともかくも防具を付けさせられる。まあ、道場だし、こうなるよね。


「まずは私から! イャャャ! 」


 山南と言う上品な男が竹刀を構えた。足を高く浮かし、すっすっと身軽に動く。北辰一刀流なのだろう。その出端の小手を思い切り叩いてやる。


「いやぁあぁ、いったいー、何すんのよ! もう、こんなに赤くなっちゃったじゃない! 近藤先生、見て? ひどいと思わない? 」


「ははっ、流石は講武所教授方ですな。」


 そう言いながら近藤さんは山南と言う男の赤くなった腕をさすってやり、ふーふーと息をかけていた。それをとろけるような顔で山南は見ていた。そう言えばさっき、惚れてるだのなんだの言ってたっけ。そういう事? 


 次に挑んできた永倉は、伊庭先生と同じ、心形刀流。これも何度も相手をしているので大体わかる。向こうが面を打ってきたのに合わせて横面を打ってやる。これがまた、食らうと痛いんだ。永倉はひっくり返ってうずくまった。


 次は原田。流派は判らないがどっしりとした構えを取った。こういう相手には付き合わず速攻で決めるのが良い。やはり小手を思い切り叩いてやる。面と胴は痛くないのだ。


 藤堂も北辰一刀流。山南と同じく出端を叩く。そのあとは井上さん。やはりどっしりとした構えで竹刀打ちには向かない構え。お茶を出してもらった人なので、普通に痛くない面を二本打った。


 そして登場してきたのが、少年、沖田総司。ちょこまかと動き、フェイントを多用する。だが流石にそのくらいで惑わされたりはしない。上から面金のない頭頂部を引っ叩いてやるとやはりその場にうずくまった。


 残るは近藤さんと壁に寄りかかり、腕を組んでみている斉藤。斎藤はやる気が無いようで、近藤さんが面をつけて対峙する。


 うぉぉ! と雄たけびを上げ、力強い振りで面を打ってくるので半歩ずれて胴を抜いた。近藤さんはあれっ? と言う顔で構え直し、もう一度挑んでくる。今度は小手。俺はそれより早く振りかぶり、空振りした近藤さんの面を軽く打った。その時背中にピリッとした殺気を感じさっと横にずれる。斎藤が後ろから面も付けずに打ちかかってきたのだ。


「へへっ、流石。」


 面白い、こうでなくっちゃ。思わずニヤリとした俺は竹刀を投げ捨て斉藤を背負い投げた。壁に打ち付けられた斉藤はびっくりした顔で俺を見上げる。


「んなろー! 」っと巻き舌で原田が襲ってくる。それに足を引っかけ転ばせると面を剥いでやった。永倉、藤堂、そして沖田と、次々に挑みかかってきては投げ飛ばされる。こういう乱戦って面白すぎ。最後に「やーめーてー! 」と叫んだ山南を外まで投げ飛ばす。乱戦に参加しなかった近藤さんと井上さんがみんなの介抱に回った。


「あらら、まーた派手にやられやがって。だからやめとけって言ったのによ。」


「いんや、まだだ。トシ、源さん、畳を! うちは刀を使ってこその流派だろ? 」


「近藤さん、もうぜーぶんぶ使っちまったろ? 」


「そしたら座敷のをはがせばいいだろ! 」


「それやったらまた、ふでさんが怒り狂うだろうが! 」


「いいから持って来いよ! 」


「俺は止めたからな、あとで何言われても知らねえからな! 」



「こほん、松坂殿? 剣術とはそもそも人を斬るための術。いくら竹刀打ちが優れていようが柔術に秀でていようが、刀で人を斬れねば意味がない。それが我が、天然理心流の考え方です。」


「はい。」


「かと言ってポンポン人を斬れば間違いなく死罪。ですので、我らは時折こうして畳斬りを。トシ、用意できた? まだなの、おっせえなあ。」


 門人たちが集まる中、近藤さんは立てかけられた畳の前にどっしりと腰を下ろし、刀を抜いて振りかぶる。そして エイヤ! と言う掛け声とともに振り下ろした。刀はずぶずぶと畳の真ん中くらいまで埋まる。すっげーなー! 引き切りもせずにあそこまで。いや、マジですげえ。


「いかがですかな? 松坂殿も試されては。」


 近藤さんがどや顔で言うので、俺も畳の前に立ち、ぐっと腰を下ろした。そして抜き打ちで右袈裟に斬り下ろし、さらに一閃。だがやはり二閃目が当たると畳はボロンと両断されてしまう。


「あ、う、えっと。」


「だから言ったろ? 旦那はあの男谷の先生の直弟子で婿。俺たちがどうこうする相手じゃねえって。」


 トシがそう言うがみんな目を丸くして、口をパクパクしただけだった。


 そのあとトシが沸かしてくれた風呂で汗を流し、座敷で宴席となった。その座敷は一枚だけ畳がはがされていた。


「いやぁ、あんた、すごいねえ。流石は剣聖と名高い男谷先生のお弟子さんだ。わしも剣だけはすげえってのは何人も見てきたし、柔術の上手な奴も知ってる。けど両方とも抜群ってなると数えるほどしか知らねえや。」


 道場主の近藤周助先生がそう言って感心してくれた。


「あんた、そんな事はどうだっていいんだよ、それより勇! あんた、まーた畳を引っぺがしやがって! あれほど言っただろ! 」


「だってぇ。」


「だってぇ、じゃないよ気持ち悪いね! あんたらはね、碌に稼ぎも無いくせに無駄飯ばっかり食いやがってさ。ね、松坂先生? こいつらはね、ほんと碌でもない連中さ。」


「もう、おかあちゃん! 」


「なんだい。言い返せることがあんなら言ってみなよ! 碌に稼げもしないくせに、一人前に嫁なんか。」


「お母様、もう、そのくらいで。」


「あんたはぶっさいくだけどよく働くからね。このクズどもとは違うさ。ま、トシは働いてるし金だって稼いでるから別だけどね。うちもさ、どうせ養子にするならこんな鬼瓦じゃなくって、松坂先生みたいな色男にしてくれりゃよかったのに。」


「ひ、ひどい! お母ちゃんは俺のこと、そんな風に! 」


「めそめそするんじゃないよ! もう、仕方ないね。ほら、こっちにおいで。母ちゃんはね、鬼瓦でもなんでもあんたが一番さ。勇。」


「うん、俺も母ちゃんが一番だよ! 」


 えっと、なに? マザコン? 


「ま、こんな感じさ、うちは。ま、遠慮なく食ってくれ。ふでさんもつねさんも料理だけはうめえからな。」


 そのあと泣き止んだ近藤さんはガハハと笑い、場を盛り上げてくれた。なんだかんだ楽しいひと時を過ごし、試衛館を後にする。

 帰りはトシに変わり斉藤が送ってくれた。なんでも家がそっちにあるらしい。


「ねえ、松坂先生? なんで怒らないの? 」


 斉藤は不良っぽい風貌なのにしゃべり方は至って可愛らしい。ここにも不思議な人が。


「え、怒るってなんで? 」


「ほら、僕は後ろから。普通は卑怯とか言うよ? 」


「ああ、いいんじゃない? あれで。勝つためにはどんな手を使ってもさ。負けちゃったら皆終わり。井伊大老がいい例さ。」


「うん、僕もねそう思うんだ。勝つためだもの。何してもいいよね? 」


「まあね、罪に問われなきゃいいと思うよ。」


「僕ね、昔、人斬ったことがあって。」


「えっ? マジで? 」


 それはがっつり罪に問われるからね。


「喧嘩になっちゃって。それで。だからずっと京都に逃げててそこで剣を学んだの。で、ほとぼりも冷めたから江戸に戻ってきたんだけど試衛館の人って、すっごく純粋でね。僕、居づらいなって。」


「あはは、そんな感じだもんね。けどトシは腹黒いから気も合うんじゃない? 」


「そうかな。ねえ、先生。僕と友達になってくれる? 」


 不良顔につぶらな瞳。断るとまた変な感じに走りそう。何しろ相手は殺人犯。うまくあしらわねば。そう思って、うん、と頷いた。


「僕はね、はじめ。一って書いてはじめって読むんだ。だからはじめちゃんって呼んでね。先生の事は新さんって呼ぶから。それじゃ! 」


 ぽっと顔を赤らめて斉藤、いや、はじめちゃんは走り去っていった。大丈夫だよね、山南みたいな感じじゃないよね? 



「まあ、そうですか、新たなお友達が。」


「それがさ、すっごい不思議系でね。」


「不可思議なくらいでちょうどいいのですよ。底がしれては飽きるもの。わたくしとて、いまだ新九郎さまの全てを知るわけではありませぬ。」


「そうなの? 」


「お布団で体を重ねるたびに新たな喜びが。飽きるどころか益々興味が。さ、新九郎さま。今日も新たな喜びを。」


 律の探求心は見習わなければなるまい。


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