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 充実した休日を過ごし、心も体もリフレッシュ。休みの日は哲学に限るよね。


 軽い気持ちのまま講武所に出仕すると、新たな仲間が増えていると健吉に聞かされる。


「へえ、入門生? 最近じゃ審査も厳しいんでしょ? 」


「それがですね、いきなり教授方なんですよ。」


「マジで? 」


「何でも会津の生まれで最近幕臣の家に養子に入ったとかで。」


「大丈夫なの? 」


「嘘か誠か知りませんが、小太刀を取っては日本一、そういう触れ込みらしいですよ。」


「へえ。」


 俺も健吉もその男をいじめる気満々だ。突然やってきて俺たちと同じ剣術教授方。面白い訳もない。そうこうするうちに親父殿がその噂の男を連れて現れた。


「皆、ご苦労である。此度、我が講武所では新たな剣術教授方を迎える。佐々木殿。」


「はっ! 拙者、この度幕臣佐々木家の跡を継ぎし、佐々木只三郎ささきたださぶろうと申します。生まれは会津、江戸詰めも何年かいたしておりますゆえ皆々様には宜しくお引き回しのほどを。」


 その男が頭を下げたので、俺たちも下げ返す。


「あっ! 」


「あーっ! 」


 俺とその男は目を合わせると互いに声を出した。そう、鐘屋で俺に文句をつけた男だった。


「なんだ。新九郎、存じ寄りのものか? 」


「あ、うん。その、ね? 」


「え、ええ、先日少しばかり。」


「ならばちょうどいい。この佐々木、不慣れであろうからお前が面倒見てやれ。さて、それはともかく、佐々木よ。我らは武をもって成り立つもの。剣術教授方ともなれば相応の武を見せてもらわねばな。健吉。」


「はい、今井さん、畳の用意を。」


 今井さんが畳を用意し、道場の真ん中に立てかけた。これをいきなり? 無理じゃね? だって教授方の同門、鑓次郎は斬れないもの。今井さんだってまだまだだし。


 その佐々木只三郎は立ち上がって刀を差すと、畳の前に立った。そして脇差を抜き、片手でそれを振るった。その脇差は軽やかに畳に吸い込まれ、一瞬のあいだに半分以上切り裂かれた。


 俺たちはみな、えっと言う顔で唖然とする。片手斬りであそこまで? マジか、こいつ。


 その佐々木はふうっと息をつき脇差を納め、向き直って親父殿に一礼した。


「うむ、見事。ではわしも。」


 畳が新たな物に替えられ、親父殿がその前に立つ。そしてぐっと腰を下ろすと抜き打ちで二閃、刀を振るった。一拍あって畳は三つに分断されて、床に落ちた。きゃぁぁぁ! なに、なんなのあれ! 唖然どころか恐怖を感じた俺は隣の健吉と手を握り合っていた。


「まあ、こんなものかな。」


 さわやかな顔で親父殿はそう言うと、稽古の開始を指示して奥に下がった。伊庭さんも窪田のじいさんも、そして佐々木と言う男も腰を抜かしたような格好でそれを見ていた。


「ねえ、新さん。私たち、アレに追い付かなきゃいけないんですよね? 」


「うん、ちょっと無理かなぁって。」


「ですよねー。」


 そのあとも、新たな畳が運び込まれ、皆で畳斬りに挑戦する。まずは俺、見よう見まねで親父殿のように、ぐっと腰を下ろして抜き打ちに斬りつける。一閃目は右袈裟、そして二閃目が触れた時にパタンと畳が両断されて床に落ちてしまう。ムリィ。全然ムリィ。

 それでもおぉぉっと皆から歓声が上がった。結局畳を両断できたのは俺と健吉、それに伊庭さん。窪田のじいさんはやらなかったし、他の教授方はせいぜい半分くらい。生徒では今井さんが一番斬れた。


「二閃目が無理だもんね。」


「ですね。新さんはまだしも、私のように力で斬るやり方では絶対に無理かと。」


 はぁぁ、と親父殿との腕の差を改めて見せつけられた俺たちはため息をついた。


「あのぉ。」


「あ、ああ、佐々木さんだっけ? すごいね、あんたも。」


「ですね、片手斬りであそこまで。」


 そう言うとその男ははにかんだような笑顔を浮かべた。


「小太刀だけは得意なんですが、刀じゃお二人には及びません。」


「ま、仲良くやろうか。」


「ええ、上には上が。もう、見上げるもかすんで見えなくなりそうなほど遠いですけどね。」


 もうね、俺も健吉も気に入らないとかなんとかはぜーんぶすっとんじゃった。佐々木さんの片手斬りは凄かったし、普通に俺たちも、他の教授方も生徒たちもこの男を受け入れていた。


 そのあとは防具を付けての竹刀稽古。佐々木さんはそこそこの強さだったがあの片手斬りを見た後だ。馬鹿にするものは誰もいなかった。


 稽古が終わり、飯になる。佐々木さんは心細いのか俺から片時も離れない。そして、その整った優男面でもじもじするのだ。


「なに? 」


「いや、そのね。俺、会津から出てきたから、こっちに友達が居なくって。」


「あー、そうだよね。でもこっちにも知り合いがいるんでしょ? 」


「うん、兄が会津の江戸屋敷留守居役だから。」


「へえ、お偉いさんなんだ。」


 それきり佐々木さんは黙ってしまい、恥ずかしそうにもじもじしながら俺に付きまとう。あー、なんかうっざいんですけど! 


 その佐々木さんは上野に住んでいるようだ。そして歳は俺と同じ。俺が書きつけに署名しているあいだ、たどたどしい物言いでいくつか自分の事を話してくれた。鐘屋で会った時、連れていた女は妻の七重。紀州藩士の娘らしい。気が強くて困っちゃうとか嬉しそうに言っていた。

 さて、そんなダメな感じの佐々木さんだが、感じじゃなくて、本当にダメだった。その日の夕刻、亀沢町の男谷道場に兄、手代木直右衛門てしろぎすぐうえもんを伴って、佐々木さんが訪れる。


「これはようこそ、手代木殿。」


 親父殿は俺を伴ってそれを迎えた。相手は会津のお偉いさんだ、親父殿も俺が仕入れたビールだワインだを振る舞った。


「実は男谷殿、この只三郎はいささか内気なところがありましてな。」


「ほう、あれほど見事な技をお持ちであるのに? 」


「ええ、小太刀に関しては誰もが認める腕前なのですが、他がちょっと。親がいささか甘やかしすぎましで。」


「もう、兄ちゃん。恥ずかしいから。」


「ははは、兄弟仲がよろしくて大変結構。この新九郎も若い頃はろくでなしで、叩きなおすに苦労したものです。」


 苦労したのは俺!


「して、只三郎は会津からこちらに出たばかり。この性分故、友の一人もできぬではと心配で。」


 あー、この兄貴が甘やかした張本人なわけね。


「ふむ、さもありましょうな。」


「それで、是非とも松坂殿と友誼をと。己で言えばいいものを、全く、いくつになってもこ奴ばかりは。」


「兄ちゃん、もう、」


 何、なんで赤くなってんの? 


「はっはっは、実に、実に結構。こ奴でよければいつでも友となりましょうぞ。な? 新九郎? 」


 今更嫌とか言えないよね。俺は苦々しく笑って、「ですね。」と答えた。


「よかったな、只三郎、松坂殿は友となってくれるというておる。」


「じゃ、じゃあさ、新さん、ってみんなみたいに呼んでいい? 俺も、只さんって呼んで欲しいな。」


「あ、うん。」


「兄ちゃん、ありがとう、俺、友達が出来たよ! 」


「うんうん。新さん、とわしも呼ばせてもらおうかな。よかったな。」


 そのあと親父殿と手代木さんは時勢などを熱く語り合っていた。その手代木さんは只三郎の友なら自分も、と直さんと呼ぶように俺に言った。そしてその佐々木、いや只さんは俺の横に来て、好きだという和歌の話を延々としていた。


 二人が帰ると俺は、はははっと乾いた笑いを漏らし、離れに帰る。何故か親父殿は上機嫌だった。


「どうされました? お疲れの御様子で。」


 癒し系の律が、俺を労わるように膝に寝かせる。


「うん、なんかね、友達になってくれって人が来てさ。その人に延々と和歌の話を聞かされて、もう疲れちゃった。」


「まあ、でも、和歌も馴染んでみると楽しきものですよ? 」


「へえ、律っちゃんも好きなの? 」


「おなごですから多少の心得は。伊勢物語にある歌は心がときめくものがありましたよ。」


「ふーん。」


「葬式の最中に牛車の中で、逢引きを。すごく、淫らな光景で。」


「完全にバチ当りだよね。」


「そうした日常と違うのがいいのですよ。秋の寛永寺、大きな木の下で、新九郎さまがわたくしを。思い出しただけで胸が高鳴ります。」


「あはは、確かに。」


「ねえ、新九郎さま。桜の咲くころに、宵闇に紛れて不忍池に小舟を漕ぎ出して、夜桜に囲まれながら。素敵だと思いませぬか? 」


 ふむ、律の哲学も中々に深い。無論俺は力強く頷いた。


「ですが今はお布団で。ね? 」


 俺は再び力強く頷く。


 その翌日は俺が只さんに誘われて、上野の家に行く。只さんの家は新築で、中々に洒落た家。下男や下女もいて、裕福そうだ。


「ようこそおいでくださいました、私は只三郎が妻、七重と。」


「あ、どうも、松坂新九郎と言います。」


「ほら、新さん、挨拶なんかいいから上がって。七重、茶と菓子、あと酒の用意も。」


「はい、旦那様。」


 只さんは妻に対してはびっくりするほど我儘な感じ。この性格で亭主関白? 


「七重はね、よく気が付くんだ。俺はこんなだから気の強いとこもすっごく助かってる。」


 二人になると只さんは妻をべた褒め、なのに七重さんが顔をだすとあれこれあごで指図する。うーん、不思議。


 茶を頂き、菓子をつまみながら只さんは会津の事を聞かせてくれた。冬は寒くて大変だとか、会津独特の教えにはうんざりするとか。時折あごで七重さんに指図をし、違ったお菓子や茶に替えて甘茶を用意させたりした。


「ふふ、面白いでしょう? あの人。」


 只さんが厠に立つと七重さんはそう言って笑った。


「会津では妻女の言う事は一つも聞くなって教えがあるらしくて。けどあの人にそんな真似ができるはずも。ですので人前ではああも強気に振る舞ってるんですよ。」


「あはは、なるほどね。只さんらしくないかなっと思ってた。」


「それこそいつもはべったりで、私がいないと何もできないんです。可愛い人なんですよ。」


「あー、ちょっと! 七重さん。そういう事は言っちゃダメって言っといたでしょ? 」


「あはは、只さん、俺たちは友達なんだから、そんな無理しなくてもいいんだよ? どう考えても不自然だもん。」


 そう言うと、只さんは口をすぼめて、「そう? 」と言った。


「でもさあ、妻女の言う事を一切聞くなって教えの方が無理があるんだよ。ねえ、七重さん。」


「そうですね、会津は尚武のお国柄。それを忘れぬよう、いろいろとあるのでしょうが。」


「だってさ、俺は七重さんが居ないと生きていけないもん。話を聞かないなんてできるはずもないよ。」


「旦那様はいつも通りでいいのですよ。ここは会津ではなく江戸、今のあなたも会津藩士ではなく、幕臣なのですから。」


「だよね? そうだよね、新さんもそう思うでしょ? 」


「そうだね、自然に振る舞えばいいんじゃない? 無理してもぼろが出るし。」


「ふふ、新さん、この人は趣味の和歌と剣術の事以外はなんにも。私が居なければできないんですよ? 」


「ん、もう、そんなことないもん。」


「けれど私はそんなこの人が大好きなのです。ね? 」


「恥ずかしいからやめてよ。」


 なんだこの感じ。心の底から湧き上がるイラっとした感情。うん、今なら言える。お前らは爆発しろ!


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