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「俺が、高杉だ。」


 開口一番その男はそう言った。やばい、完全にやばい。まず目が尋常じゃない。狂気を秘めた目、なんて言葉を聞くが本物はそんな生易しいものではなかった。秘めてないもの、完全に表に出ちゃってるもの、狂気。


 月が開けて七月、俺たちは横浜に買い付けに向かっていた。


「あはは、松坂新九郎って言います。」


「私は今井信郎と。」


 奴は本物だ、そう認識した俺と今井さんは無難な挨拶をした。


「ねえ、勇吉、アレ大丈夫なの? ちゃんと意思疎通できるんだよね? 」


「たぶん。」


 小声でささやいているとその本物からお声がかかった。


「松坂殿、いや、新九郎殿と呼ばせてもらおう。松陰先生を通じて我らは同胞なのだからな。」


「あ、あはは、吉田さん大変な事になっちゃったね。」


「うむ、だが先生はその身をもって国家の礎となられる。先生の熱意、魂は俺がしかと受け止めた。異国に学び、その上で奴らを打ち払う。帝はそれをお望みであり、神国に生まれた我らはそれをなさねばならない。そうだな? 新九郎殿。」


「あは、そういうのはほら、公儀とか、藩の殿さまの仕事だから。」


「それではぬるい! 我らが動かずしては藩も公儀も動けぬのだ! 異国に学ぶは何のためか! 決まっている。力をつけ、朝鮮、台湾。ルソンを切り取り、西洋諸国に劣らぬ力を持つためである! 俺はその先駆けとなり松陰先生の成しえなかった正義を! あ、正義ってちょっとカッコいいな。書き留めておこう。 

 こほん、我が国の武威をあまねく示し、異国が我が国に追従するようになさしめねばならん! そう、この高杉晋作が正義となるのだ! 」


「ねえ、ねえ、勇吉! 」


「もうね、ほっときましょうよ。ずっとあの調子なんですから。」


「勇吉! 貴様は俺と理念を、正義を共にする仲だな? 」


「あ、うん、そんな感じ。ほら、急がないと日が暮れるから。」


 高杉と言う男は正義というフレーズがやたら気に入ったらしく、今度は今井さんに正義とはなんたるかを語っていた。今井さんは俺に助けを求めるような目をしていたが、そしらぬふりをする。


 その高杉だが、これが意外に芸達者。神奈川宿に着くと、どこからか借り出してきた三味線を奏でながら、綺麗な声で歌い上げる。


「惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里 」


 絶妙な節回しでいくつもの歌を歌ってくれる。これには今井さんも大喜びだ。


「ね、あいつはイカレてるけど面白い奴なんですよ。」


「そうだね、芸事があれだけできるってのもすごいよね。」


 だが、その高杉のすごさはそんなものではなかった。翌日、俺は前に世話になったアメリカ人の店に立ち寄ると、前回と同じく、拳銃一丁、それに弾を二百発求めた。今回は七両。またしても十両と書かれた領収書を受け取って、店主と抱擁する。それに加えて今回は長州の分もあるのだ。勇吉は、自分のちょろまかす分と、買い物の額に頭を悩ませていた。そこに高杉が口を挟む。


「勇吉、古来より、鉄砲と言う物はまとめて使わねば意味がない。そうだな? 」


「そうだけど三十両じゃそこまで買えない。あくまで試しとして買うんだぞ? 」


「新九郎殿、すまんが最新の銃を五十。弾はそうだな、千もあれば良かろう。とりあえずは。払いは長州藩のツケだ。そう言ってもらえるか? 」


「高杉! それでは! 」


「勇吉、我らは長州の代表としてここにいるのだ。長州の為になると判っている事を躊躇ためらう必要は無い。今は俺が長州だ! 」


「お前、責任とれよな。」


「無論だ。俺は高杉晋作、逃げも隠れもせぬ! 」


 片言で店主にそう伝えると、店主はにやりと笑い、最新式のエンフィールド銃と言うのを出してくれた。イギリス製らしい。お値段は一丁十五両。俺はさらに店主の指を立て二十両にさせた。それと弾が百発でやはり一両。合計で千十両と言う目の飛び出るような金額となる。


「せ、千十両! た、高杉? 」


「うむ、それでよかろう。とりあえずの手付、三十両だ。」


 それを高杉が払うと、店主は俺を奥に招いた。そこには地元の子供らしき者がいて、店主の難解な英語をうんうんと頷きながら聞いていた。


「お侍さん、銃の値上げ分は半分ずつでどうかって。」


「ああ、それでいいよ。つか英語できるの? 」


「そりゃあ、異人さんがこっちに来てもう何年もたつんだ。言葉位はね。おいらは読み書きはできないけど。」


「はあ、大したもんだ。」


 その子供が俺の意向を店主に伝える。店主は「ワォ、」と声を上げ、俺に抱き着いた。ついでに俺は酒を仕入れることはできないかと聞いてみると、その子供は、そんなの簡単だと言った。

 ならばその俺の取り分は全部酒に変えて不忍池の鐘屋に送ってくれと頼んだ。子供は店主と話をしてわかったと答える。


「いくらかおまけするって。種類はビール、ワイン、それにウイスキーの三種類でいいか? ってさ。」


「ああ、そうだね、夏だからビール多めがいいかも。」


「へえ、お侍さんも異国かぶれかい? ビールもウイスキーも知ってるなんて。」


 ははッと笑ってその場をごまかす。ま、現代人だからね。


 店主は三十両の受け取りを作成し、支払った三十両と、講武所の分の七両も俺にくれた。全部長州からの儲けで賄うらしい。そのうちの二両をその子供に渡し、酒の件をくれぐれも頼んでおいた。子供は喜んで五日のうちには必ずと、約束してくれる。

 

 店を出て高杉に三十両の受け取りを渡し、今井さんが高杉の相手をしている間に勇吉に十五両をこっそり渡した。


「こんなに? 」


「まあね、あの店主は話が分かるから。」


「なるほど、流石新さんだね。」


「それより長州の支払いは大丈夫なの? 」


「それは平気。少なくとも外に対しては支払いはする。問題は中で誰が責を取るかって事だけだから。ま、それは高杉にやらせればいいし。しっかし、うまいことやりましたねぇ。」


「ははっ、まあね。」


 そのあとはなんだかんだ仲良く江戸に帰る。勇吉と高杉、二人の長州藩士と別れた後、今井さんが俺の取り分、一両二分をくれた。


「今回も大儲けでしたね。」


「だよねー。」


 何しろ今井さんにも言ってないが俺の懐には別に二十両もあるのだ。やっべ、超大儲けじゃん! 


 その五日後、不忍池の鐘屋には驚くほどの量の酒が届いた。店の蔵には収まらず、急きょ近くに貸し蔵を借りてそこに入れたそうだ。

 よくよく考えれば銃一丁に対し五両上乗せ、その半分二両二分が取り分で、銃は五十丁。えっ、百二十五両分の酒? はは、そりゃ店主もサービスしてくれるよね。


「新九郎さま、これは一体。」


「あは、そのね、」


 さすがに怖くなって家では話せず、休みの日に鐘屋の離れで事情を話した。


「まあ、では、長州の御用金で? 」


「いや、違うからね、これは店主に長州を紹介したお礼だから。ちっとも悪い事してないからね。」


「いえ、悪い事などとは、新九郎さまのご器量に肝を抜かれただけでござります。流石はわたくしの旦那様ですね。」


「実は他にも二十二両あるんだ。律っちゃんに渡しとくから。」


「まあ、お酒の他にこのような大金まで。判りました、律が責任をもってお預かりを。」


「うん、気が楽になったよ。大きなお金は持ちなれなくてね。家では人の耳もあるだろうし。」


「そうですね、このような事はここで。でも、お酒をいくつか持ち帰って義父上にも。」


「そうだね、親父殿は酒が好きだし。少し多めに。」


「ええ、誰かに届けさせましょう。さて、これほどのお手柄、律が心を尽くしてのご褒美を。」


 そう言って律は俺に口を重ねた。これに勝るご褒美はないよねー。長州のみなさん、ありがとう!



 さて、その七月も終わり、八月を迎える。洋酒を提供する鐘屋は以前にもまして繁盛していた。その一方で俺の勤務先の講武所では皆、拳銃に飽きてしまった。その大きな理由は海軍からの強硬な申し入れがあり、船のあるところに剣術方は出入り禁止となってしまったのだ。船を撃てなきゃつまらない。そういう事になってすっかり誰も見向きもしなくなったのだ。


 と言う事は弾も減らず、横浜に買い付けに行く必要もなくなる。今井さんは凄くがっかりしていたが、俺は十分に儲けたので満足だ。


 その八月の終わり、我らが井伊大老はいろいろと反感を強めていた水戸藩をはじめとする一橋派に鉄槌を下す。


 すでに逮捕されていた水戸の家老、安島帯刀は切腹。水戸前藩主の徳川斉昭は水戸に追い返され永蟄居。解除されることのない自宅謹慎となった。尾張藩主、徳川慶恕とくがわよしくみ、越前藩主松平慶永も隠居の上、永蟄居とされた。また、土佐藩主、山内豊信、それに宇和島藩主の伊達宗城だでむねなりが隠居させられる。

 逮捕されていた公家は髪を剃り落されて仏門行き。ほかのいわゆる志士たちは死罪になったり島流しになったりといろいろだ。


 過激ともいえる刑罰に眉を顰める人もいたが、俺は喝采かっさいを送った。だって悪いことしたんだもん。罰せられて当然だよね。偉いから、名家の生まれだからって何でもしていいわけじゃない。


 さらに嬉しい事に、井伊大老は気に食わなかった永井たち、頭でっかちの連中をクビにしてくれた。更には隠居処分。やってくれるぜ大老様。


 まあ、こうなると当然吉田さんも死罪になっちゃうわけで、けど仕方ないよね、テロリストだもん。神奈川の宿で高杉が話した内容によれば、吉田さんは想像の斜め上を走っていたようだ。

 何しろ京に上った老中、間部詮勝を襲って拉致、朝廷に対して攘夷すると誓わせる目的でだ。その為に藩から大砲などを借り出そうとしたらしい。それが反対にあって失敗に終わると今度は自分のところの藩主、毛利敬親を拉致して藩に言う事を聞かせるつもりだったらしい。これには流石の高杉も同意しかねて止めたのだという。うん、逮捕するしかないよねそういう人は。



「新九郎さま? どうなされたのです。難しいお顔を。」


「うん、昔、塾で一緒だった友達が、どうも死罪になりそうなんだ。」


「まあ、例の志士とかいう方々なので? 」


「まあね、やってることがやってることだし仕方ないとは思うんだけど。やっぱ複雑だよね。」


「そうですね。けど、」


「けど? 」


「その方にとってはそれほどに大切な事であったのでありましょう。そのお志が。法を破り、家族に迷惑をかけ、己の命を縮めてもいい。そう思えるほどに。」


「そうなのかな。」


「人はみんな大切な物の順番が違いまするゆえ。義父上もわたくしの父も男谷の名誉が一番。」


「ああ、そうかもね。一族である俺はわかるけど、はたから見れば何をそこまでって思うかも。」


「わたくしも水戸にいるころはそうでありました。」


「今は違うの? 」


「ええ、今は何を差し置いても新九郎さまが。新九郎さまの為であればこの身を投げうってでも。その方にとっては志がそうであられた。ですから本懐なのではありませぬか? あわれみや同情はその方の志を汚す事ともなりましょう。」


「うん、そうだよね。俺も、きっと、律っちゃんの為に戦って死ねるとしたら満足だと思うもん。」


「――新九郎さま。けれど、そのような事をなさらずとも満足を得る方法はいくらでも。ね? 」


 そう言って律は座る俺の上に跨り、その胸に俺の顔を埋めさせた。


「こうして律が、いつ、何時であってもお側で。ですからもう。」


「うん、うん。」


 俺は律に抱き抱えられ、その腰をぎゅっと引き寄せながら少しだけ泣いた。俺の顔を包み込む、律の軟らかくぷるんとした感触が悲しみを癒してくれた。


エンフィールド銃……英国軍で1853年に制式採用された銃。アメリカの南北戦争で大量に使用されたそうです。筒先から弾と火薬を入れるタイプ。

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