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 いつもの通り、講武所に出仕するとそこで海舟に出会った。


「よう、おめえも今からか。」


「ああ、そっちは? 」


「オイラはここ、軍艦操練所の頭取になった。長崎の伝習所は取りやめになっちまったからな。」


 築地の軍艦教授所は軍艦操練所と名を変えていた。


「そっか。大変だないろいろ。」


「まあな。言いてえことはいろいろあるがオイラも幕臣よ。公儀にゃ従うさ。」


 海舟は自分の事を幕臣と言った。その言葉が各藩の藩士と同じ、そんな感じに聞こえて不快だった。本来旗本は禄こそ違えど公儀の直臣、と言う意味では大名とも対等であるにもかかわらずだ。


「おいおいそんな顔するんじゃねえよ。これからはな、直臣だの陪臣だのそんなことにこだわっちゃいろいろと不都合なんだ。そういう新しい言い方、ってのも必要なんだよ。」


「まあ、各藩の藩士を見下す気はないけど、面白くはないね。」


「オイラだってそうさ。けどな、長崎じゃ各藩から推挙された連中がひしめいてた。そんな中で旗本でござい、なんてやってたら誰にも相手にされねえよ。」


「ま、そうだろうね。俺も藩士の友達はいるし、五月塾もそうだったしね。」


「そういうこった、連中と対等に並んで、その上で先祖じゃなく、俺たちが幕臣ってのは流石だ、と言わせなきゃならねえ。んじゃあな。」


 海舟と別れ、剣術道場に向かう。海軍に比べ、ここ講武所は旗本御家人しか入れない。そういう意味では閉鎖的だがそれが誇らしくもあり、居心地もよかった。


 ここしばらく、我らが大老、井伊直弼は公家の摘発てきはつに力を入れている。一条、近衛、鷹司、三条などと言う高名な公家が謹慎、出家の処分となっていった。


 正直な話、俺には公家と言う物の存在意義が判らない。帝、天皇陛下の周りを囲む賑やかし? 普段何してるの? つかいらなくね?

 親父殿にも聞いてみたがうーん、と考え込んだきり。終いにはどうなのであろうな? と逆に問い返されてしまう。どんな問いにも何らかの答えを与えてくれた象山先生が懐かしい。


 四月、罪人用の丸駕籠に乗せられて吉田さんが江戸に護送されてくる。俺は勇吉に誘われて、それを見に行った。海舟も誘ってみたがあっちは見られたくないはずだと言ってこなかった。吉田さんは俺たちを見つけると、にっこりとほほ笑み、すぐに顔をそらした。


「松陰先生もいよいよお終いだって話です。」


「まあ、やった事がやった事だしね。老中暗殺の企てじゃあ仕方ないさ。」


「ですね。けど門下のイカレた奴らが大変な騒ぎだって。拙者の友達も塾生なんで、そいつがいろいろと報せをくれるんですよ。」


「って事はその友達はイカレてないんだ? 」


「ええ、普通ですよ。何しろ塾生には本気でイカレてんのが何人かいますからね。本物は違いますわ。」


「天下国家にそこまで熱中して何が楽しいんだか。」


「ですよねー、拙者はその分金稼いで、花魁でも揚げるほうがよっぽどいい。ただね、新さん。長州ってのはそういう土地がらでもあるんですよ。」


「そうなの? 」


「なんせ長州、毛利家は関ケ原のあと、きっついお仕置きを受けてますからね。今更関ケ原も何もねえって拙者なんかは思うんですが。」


「え? 関ケ原? いつの話よ。」


「ま、やられた方はいつまでも忘れないって話ですわ。」


「ま、異国の事も天下国家もやりたいやつにさせときゃいいさ。」


「本当ですよ、興味ある振りするのも大変です。」


 その四月の終わりごろ、水戸藩の家老、安島帯刀ほか数名が逮捕された。家老までもが逮捕、となった水戸藩の面目は丸つぶれ。気性の激しい水戸の前藩主、斉昭公が黙っているはずがない。世間ではそう見ていた。


 六月の下旬、一つのお触れが公儀から出される。幕臣や各藩士たちに長崎や函館、それに横浜の開港地で異国の商人から武器を買ってもいい、そんな内容だ。

 刀を至上の武器としている俺たちも所詮は男、そういう物には魅かれるものがある。


「やはり敵を知る事も肝要であろう。」


 親父殿は講武所のみんなの前でそう言った。


「そこでだ、新九郎、お前が横浜に行き、一つ武器を求めて来い。お前はかつて五月塾の塾頭なれば異国の言葉も不自由は無かろう? 」


「えっ。」


「うむ、そうだな。今井、お前が供をせよ。新九郎がつまらぬ真似をせぬようにきっちりと見張っておかねばな。」


 親父殿がそういうと皆、はははと笑い声をあげる。異国の言葉、超不自由なんですけど。


 なぜか金は俺ではなく今井さんが預かった。公金なので何に使ったか詳細な報告がいるのだという。親父殿が律には伝えておくから、とその日のうちに横浜に向かわされた。


「しかし、こう言っては不謹慎かもしれませんが、異国の武器と言うのもワクワクしますよね。」


「だよね。」


「それに新さんはあちらの言葉も達者なのでしょう? 何も不安はないですね。」


「あ、あのさ。」


「何しろ天下に名高い五月塾の塾頭ですから。ま、そのくらいは当然ですか。」


「あ、う、今井さん? 」


「ね、ね、新さん、私、小遣い持ってきてるんですよ。異国の食い物とか売ってたら食べてみたいですよね。」


 ダメだ、完全に今井さんは自分の世界に。俺は言葉なんかわかるわけないじゃん、と言う一言を言い出せずにいた。その日は神奈川宿まで進み、宿をとる。対岸は横浜。明日は横浜で武器を買わねばならないのだ。大丈夫だろうか。


 翌朝、横浜の外国人居留地に入る。柵で囲まれ、奉行所の門番が立っていたが身分を示すと何事もなく通してくれる。中には外人がいっぱいいた。

 彼らにあてがわれた民家は当然和風。なのにその壁をペンキで塗装し、何とも言えぬちぐはぐな建物が並んでいた。あちこちから聞こえる「HAHAHAHA!」という大きな笑い声、パイプを咥え、何か作業をしている人もいる。当然のごとくいるのは全て男。金髪だろうが青い目だろうが心惹かれるものは何もない。しかも奴らは水兵ばかり。ムキムキの体を誇るように薄手のシャツ一枚で過ごしている。


「ねえ、新さん。さっさと用事済ませて帰りましょうか。」


「うん、まったくワクワクしないもんね。」


 とりあえず軒先に武器を並べた店を覗く。誇らしげにアメリカの国旗がぶら下がっていた。


「Hi, can I help you. 」


「はは、イエース、イエース。」


 寄ってきた店主らしき男は小ばかにしたような目で俺たちを見る。これだから外人は! 日本に来たならこっちの言葉を話せってんだ! その想いが伝わったのか、店主らしき男は片言で話し出す。


「Looking for a weapon? イイノアリマース。」


 勝手に話を進めた店主は拳銃をいくつか持ってきた。いわゆるリボルバーだ。それ以上は店主も言葉が判らないらしく、営業スマイルを浮かべていた。


「ハウマッチ? 」


 数少ないボキャブラリーから言葉を絞り出す。


「Five gold coins. 」


 手を広げて5の数字を示す。5はわかるが何が五枚なのかはわからない。騙されても嫌なのでとりあえずは小さな額の一朱金を見せる。


「ディスコイン? 」


「No, not that it, it is more a big coin. 」


 手を振りながらそれは違うと答える。もっと大きな奴だと。とすると小判か。今度は小判を見せると大きく頷いた。拳銃は弾がなければ意味がない。弾倉を開けて、そこを指さす。


「プリーズ、」


 あれ、弾ってなんて言ううんだっけ。そう思っていると店主は察したのか奥から箱に入った弾を持ってきた。


「It has entered 20 to a box. 」


 一箱に20入りか。ま、百発もあればいいだろう。そう思って手を広げて5を示す。


「ハウマッチ、ファイブ。」


「Good! one gold coins. 」


「オーケー。」


 そう言うと店主はにっこにこで握手をしてきた。


「今井さん、六両ね。」


「あっ、わかりました。」


 支払いを済ませると、店主は商品とともに、領収書を渡してウインクする。それを見ると金額のところに10の文字があった。うん粋な計らいだね。俺もにっこにこで店主に手を振った。


「新さん、流石ですね。ちゃんと言葉も通じてたし。」


「はは、まあね。一応塾頭だったし。で、今井さん、四両出して。」


「ええ、かまいませんが? 」


「んじゃこれは今回の手間賃。二両づつね。」


「え、そんなことしたらダメですって! 」


「いいんだって、あの店主は十両の品を俺たちに売ってくれたの、受け取りにはそう書いてある。」


「って事は。」


「だからさ、四両は俺たちがもらっとかないと後で勘定方が困るだろ? 数字が合わなくて。」


「なるほどー、粋な計らいですね。」


「異国にも良い奴はいるって事さ。さて、その金で律っちゃんにお土産買って帰らないと。」


「私も親兄弟に。」


 装飾品もいろいろあるが、洋風の髪飾りなどはつけて歩けば浮いてしまう。菓子をいくつか買ったところでふと思い立つ。見えるとこにするから浮く、ならば見えないところなら? 俺は律の姿を思い浮かべて、それを裸にする。ブレスレット? ううんいまいち。指輪が見えるし、ネックレス? 和髪の律に銀、いや、金かな。細いチェーンの首飾り。うん、滾るぜ、こいつは。


 俺は宝飾品を扱う店に行き、目を皿にしてネックレスを探す。ダメだ、これはごつすぎる。アレはペンダントが気に入らない。

そんな中、小さな青い宝石のついたネックレスを見つけた。


「It 's a sapphire, the chain of Platinum. 」


 サファイヤにプラチナか。いいね。


「ハウマッチ? 」


「Gold one and a half. 」


 一両二分か。いいね、金ほどクドクなくて。


「オーケー。」


 そう言って店主と握手。領収書はいらない、と身振りで示した。


 今井さんは金平糖の入ったガラス瓶をじっと見ていたので店主に値段を聞いて買わせた。俺たちは土産物と買った拳銃を包みにして背負い、横浜を後にする。俺と今井さんは他にも砂糖と紅茶、それに葡萄酒なんかも買っていたので結構かさばるのだ。俺の二両は跡形もなく消えた。


 ともかくもまっすぐ家に帰りたかったので、速足で進み、拳銃と弾は今井さんに預けてそのまま別れた。


「律っちゃーん! 」


 家に帰り着くとすぐさまそう呼ばわった。


「新九郎さま! お帰りなさいまし。」


 律は三つ指ついて出迎えるとすぐさま俺に抱き着いた。


「急なお役目と聞き、心配しておりました。」


「うん、ごめんね。」


「いいえ、ただ、寂しくて。」


「俺もさ、でさ、聞いてよ! 横浜の異人の店でさ、いろんなお土産買ってきたんだ。」


「まあ、それは楽しみですね。まずはお風呂で身を清めましょうか。」


「うん。」


 風呂に入って楽な寝間着姿になる。そのあと買って来た洋酒と菓子箱の一つをもって本宅で飯を食った。


「どうであったか、横浜は。」


 親父殿が俺にそう尋ねた。


「何とか言葉も通じて。拳銃、このくらいの小さい鉄砲と弾を百発買ってきたよ。今井さんに預けてある。」


「そうか、ならば良い。」


「でね、親父殿。向こうの菓子を買ってきたからみんなで分けてよ。」


 俺が渡したのは英語が書いてある缶に入ったクッキー。ぽこんと開けると乳臭い匂いがした。


「なんだ、これは。煎餅か? 」


「似たようなものだね。甘いよ。」


 ふむ、と言って親父殿は一つ手に取り口に放り込む。そして複雑な顔でそれをかみ砕いた。


「なんとも不可思議な味よの。」


 そう言って苦笑いする。


「女子供の好きな味かもしれないね。」


「うむ、そうだな。皆で分けて食え。わしはもういい。」


 その場にいた親父殿のせがれたちやその嫁がやはり不思議な顔でそれを食う。男連中はみんな苦笑い。女たちはまあ、とか言って喜んでいた。


「親父殿にはこっちかな。」


 そう言って持ってきた洋酒を渡すと親父殿は嬉しそうな顔をした。


 飯を食い終え離れに戻る。そこで一服つけている間に律が買ってきた洋酒を湯呑に注いでくれた。


「先ほどの菓子もそうですが、この酒も綺麗な瓶に。異国とはこうした入れ物にもこだわりがあるのですね。」


「そうみたいだね。さっきのお菓子、どうだった? 」


「その、乳臭くてわたくしはどうも。」


「はは、なら律っちゃんもこっちか。ほら、飲んでみてよ。」


「はい。あら、おいしい。」


「こっちは気に入ったみたいだね。」


「ええ、甘くてとても飲みやすいです。」


「他にも異国のお茶とか砂糖も買ってきたから。あっちじゃお茶に砂糖を入れて飲むんだってさ。」


「お茶に、ですか? 」


「まあ、明日にでも試してみようよ。」


「はい。」


「それよりも、とっておきがあるんだよね。」


「とっておき? 」


 俺は荷物の中から小さな袋を取り出し、それを逆さにしてネックレスを取り出した。


「こ、これは? 」


「律っちゃんに似合うと思ってね、買ってきちゃった。ほら、こっちに来て。」


 そう言って律を引き寄せその首にネックレスを付けてやった。


「その、新九郎さま? このようなきれいな宝石が付いた銀の首飾り、さぞやお値段が。その、お金の方は? 」


「大丈夫、悪い事なんかしてないから。お店の人がね、数を間違って多く書いた受け取りを出したから、それに預かったお金を合わせただけ。数字が狂っちゃ勘定方が困るだろ? 」


「そういうことなのですか。けど、なにか後ろめたくて。こんなにきれいな物をわたくしが。」


「へへ、ちなみにそれは銀じゃないからね、白い色の金。プラチナっていうんだ。ほら、銀よりも綺麗だろ? 」


「その、わたくし、こんなに。」


 そう言いながら律はぽろぽろと泣き出した。


「律っちゃん? 気に入らなかった? 」


「いえ、違うのです。わたくしは嬉しくて。新九郎さまはご自身の物は何一つ。なのにわたくしだけに、このように。」


「大事な律っちゃんの為だもの、当たり前だろ? 」


「でも、でも。」


「それにね。」


「それに? 」


「首飾りなら裸になっても身を飾れるだろ? 」


 そう言うと律ははっとした顔になり、そのあとにんまりと笑った。そして黙って立ち上がり布団を敷きに行く。


「新九郎さま、早速効果を試してみなければ。」


 そう言って律は帯を解き、胸元をくつろげた。白く艶めかしい肌に光るプラチナのチェーンとサファイヤが嫌が応にも昂ぶりをもたらした。


 うーむ、女体プラス装飾品。新たな哲学の課題がまた一つ。


缶入りのクッキーは年代的に微妙かもしれませんね。最近はあまり見なくなったけど、あれ、すっごく高そうな感じがします。ザラメのついたのだけいつまでも残っちゃうんですけど。

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