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 年が明け、安政四年(1857年)となる。俺は相変わらず講武所と亀沢町の男谷道場で剣術に励んでいた。教授方ともなれば生徒の旗本たちに舐められるわけにはいかないし、教授方同士でも優劣が付く。講武所の剣術方の責任者でもある親父殿の門弟である、俺と健吉は人よりできて当たり前、そう見られるのだ。


 公儀は相変わらず開国論調。阿部正弘の跡を引き継いだ、老中首座の堀田正睦は自ら外国事務取扱となり先頭に立って外交問題に当たった。


 まあ、それはそれ。異国の事など江戸に暮らす俺をはじめとした人たちには割とどうでもいい事だった。


 ところが三月の末になると長崎海軍伝習所にいた連中が帰ってくる。永井玄番頭、矢田堀景蔵、などと言う連中だ。勝海舟も一緒にいたはずだがあいつは長崎に残ったらしい。で、その連中が築地の講武所の中に軍艦教授所を作るの何のと言い出したから大騒ぎだ。


 築地の講武所は広大な面積を誇り、海にも面しているが、軍艦だなんだを引き込んで稽古するにはぎりぎりの大きさだ。つまり、俺たち元々いた連中が邪魔、と言う事だ。当然こちらとしては文句も不満も山ほどある。剣術教授方は俺を中心として長崎帰りの奴らをぶっちめよう。そんな話になっていた。これにはさすがの健吉も賛同。皆で親父殿に意見を申し立てた。


「わしの方からも申し上げてみる。それまで騒ぎは起こすでない。」


 そう親父殿に言われてしまったので、仕方なしに嫌がらせをすることにした。海軍、長崎帰りの連中は自分たちをそう言った。その海軍の連中が講武所に出仕するとき、腕を組んで睨み付け、足を引っかけたりしていた。


「な、何をするか! 」


「いいえ、別に。ねえ、みんな。」


「つか、磯臭くないですか、こいつ。」


「そうですね、体の中にフナムシでも飼っておられるのでは? 」


「マジですか! 」


「そ、そんな訳ないでしょ! 貴殿らは海軍をなんと心得るか! 」


「えっ? 戦う漁師的な? 漁船に大砲積んでるんでしょ? 」


「ぶ、無礼な! 貴殿らは船の何たるか、大砲の何たるかも知らぬくせに! 」


「あっれー、俺は象山先生の五月塾の塾頭だったんですけどー? 」


「くっ! 覚えておれよ! 」


「あら、文句があればかかってきていいのに。海軍ってのは口げんかしかできないみたいだね。」


 はっはっはと皆が笑うと海軍の連中は顔を真っ赤にして去っていった。この一件で俺たちは海軍と言うものが大嫌いになっていた。

 後から来たくせに俺たちに出て行けと言わんばかりの物の進め方が気に入らないのだ。公儀は公儀で昨年、清国がイギリスにまたも攻撃を受け、ひどい目に遭ったとの知らせを受け、海軍の充実を急いでいた。公儀もあいつらの味方なのだ。


 ブーブー文句を言う俺たちを宥める為、公儀は俺たちの移転場所を探しているという。まず砲術方の連中は深川の越中島に移転が決まった。砲術方は場所を取るので俺たちよりも先に移転させなければならないのだ。


 そんな中、夏を迎えて水練の稽古が始まる。俺たちはふんどし一枚で海軍の連中がごちゃごちゃ何かしているのを蹴散らしながら歩いていく。当然砲術の連中も一緒だ。


「うわ、すっげ―邪魔。新参なら新参らしく隅っこでやってりゃいいのに。」


「本当ですよね。こんなところでやらないで長崎でしていればいいのに。どうせ、里心がついて逃げ出してきたんでしょう。」


「健吉さん、本当の事を言っちゃダメですって。ほら、連中、顔を真っ赤にしてますよ。」


「あはは、真っ赤にしたとこでなんもできないさ。なんせ海軍じゃあの弱っちい勝海舟が良い顔なんだぜ? 」


「そうですね。あの麟太郎さん、いや海舟さんが重い役目では。」


「麟太郎さんって、あの? インチキで免状もらったよっわいの? 親父の小吉さんは強かったのに。」


 俺も健吉も鑓次郎もみんな道場で海舟とは顔なじみ。弱いくせに口だけ回るあいつを嫌っていた。


「貴殿ら、我らのへの文句であれば堪えもしよう。だが、我らの敬愛する勝さんの文句とあれば捨て置けぬ。」


 海軍の生徒だか教授方だか知らないが一人の男が俺たちに文句をつけた。


 そうなるとこっちは元々面白くないと思ってるから、当然「やっちまえ! 」と言う話になる。だがここで単なる喧嘩と違うのは双方ともに軍事教練を受けているという事であった。

 留守の親父殿に代わり、監督役を務める窪田清音くぼたきよねのじいさんは兵学者でもある。すかさず大音声で呼ばわった。


「北辰一刀流は井上殿とここを守れ! 心形刀流は船を制圧! 伊庭殿に従え! 松坂殿、お主らは敵の大将、永井を! 」


「了解! 」


 組み分けも何もなかったのを流派で分けて素早く展開させる。中々の指揮ぶりだ。何より俺たちに華のある役目をくれたのが気に入った。


「健吉、鑓次郎、行くぞ! 」


「「応! 」」


 ほかにも男谷の門弟や直心陰流、その他の流派の連中が俺に続いた。何しろ相手は蘭学だのなんだのしかしてきていない連中だ。こっちは毎日体を鍛えてる剣術方。ふんどし一枚、拳一つだろうが負けるはずがないのだ。早々に船を制圧した伊庭軍兵衛いばぐんべえのおっさんが船上で勝鬨かちどきを上げた。あとは俺たちが永井をぶっちめればそれで終わり。海軍の連中の講習所にずかずかと踏み入り、永井を探す。


「おら、永井! どこに居やがる! 」


 俺たちは木戸であろうが襖であろうがなんでも蹴破って、永井を探した。残るは一番奥の部屋、そこの襖をバンと蹴破ると目をまん丸に見開いた永井が居た。足元に何か違和感を感じたがそんなことはどうでもいい。


「健吉! 手柄首はあんたにやる! 存分に叩きのめせ! 」


「新さん! 下、下を! 」


 健吉の声に鑓次郎はぎょっとした顔をする。恐る恐る下を見ると俺が蹴破り踏みつけている襖の下に誰かがいた。


「さって、冗談はここまで。みんな、帰ろうか。襖や木戸はちゃんと直して帰らないとだめだよ? 」


 鑓次郎は早急についてきた生徒たちを連れてその場を立ち去った。


「しーんーくーろーうー。」


 足の下から聞きなれた声がする。ま、まさか親父殿! そう思った時には額を掴まれ外に投げ出されていた。どさっと音がして健吉も外に放り投げられる。そのあとの事はよくわからない。目にも止まらぬ速さの拳を食らい意識を失ったからだ。最後に見た親父殿は見た事のない恐ろしい顔でふしゅぅぅぅっとあちこちから煙が噴き出ているように見えた。


「新さん、新さんって。」


 ぱちぱちと健吉に頬を叩かれ目を覚ます。そこは講武所の道場だった。上座には鬼面の親父殿と怯えた犬のようになっている永井。その前に窪田のじいさん、伊庭さん、井上さんが座らされ、俺と健吉もその後ろに座った。


「窪田先生? 先生に留守を任せたはずだが、これはいかなる次第でありますかな? 」


「あ、その、わしはじゃな、そうそう、小便が近くてな、席を外しておったんじゃよ。伊庭殿に後を任せて。そうじゃったな、伊庭殿? 」


 うわ、きったねえ! あんた的確な指示だしてたよね? 


「えっ、わしはですな。その、そうそう、井上が海軍の連中ともめて。」


「いやいや、もめたのは後ろの二人! 俺じゃないッスよ! 」


「そう、そうじゃった。わしが小便から戻ると松坂と榊原が海軍の奴らと喧嘩を始めておってな。剣術方として負けるわけにはいかぬと指示を。そうじゃったな、伊庭殿? 」


「ええ、わしは止めたんですが、なにせ男谷のお二人ですし。な、井上? 」


「そうそう、俺らじゃ止めるにも止められなくて。」


 うっわ、こいつら完全に俺たちを切り捨ててるよね。


 親父殿はふうむ、と唸り、みんなびくっと体を震わせた。


「いかがですかな、永井殿。此度はそういう調練ちょうれんであった。そういう事にしては。」


「えっ? うちの連中、全員殴り倒されてるんですけど。」


「それはそちらの鍛錬不足でありましょう。」


「そうじゃな。男谷先生の言う通りじゃ。いくら頭がよくてもあれでは使い物にならんのう。」


「えっと、その、首謀者のお二人だけにでも侘びを入れて頂く、そんな感じで収めることは? 」


「無理、ですな。勝負事では勝ち負けは付き物。此度はこちらの勝ち。そういう事で。」


「ワカリマシタ! モウイイデス! 今後こういう事が無いようお願いしますよ! 男谷殿! 」


「うむ、心得ましょう。」


 軍艦教授所総裁の永井玄番頭はいくつかオランダ語で文句を言い募ると、不服そうに去っていった。



「事、こうなった以上は勝ちを求めるは必然。完全に勝利を収めた諸君らは剣術方の矜持を示したともいえよう。伊庭殿、前に。」


「はい。」


 ゴンと鈍い音がして心形刀流の伊庭軍兵衛は泡を吹いてひっくり返った。みな、あわわ、と拳を口にくわえておののいた。親父殿の拳が伊庭さんを撃つのが見えなかったのだ。


「井上。」


 えっ、と北辰一刀流の井上さんは振り向くと同時に白目を剥いて崩れ落ちた。


「窪田先生。」


「わ、わしはそんなもん食らったら死んでしまう! アイィ!」


 俺と健吉を残し、皆ふんどし姿で泡を吹いて転がった。そして親父殿は震える俺と健吉の前に屈みこんだ。やっべえ、チョー怖いんですけど。


 突然親父殿はニカッと笑い、俺たちの頭を撫でた。


「ふはは、新九郎、健吉。ようやってくれた。わしも理屈っぽい、あ奴らにはうんざりしておったのじゃ。我らが力を見せつける良い機会であったわ。お前たちはこいつらを片付けておくのだ。わしはこの事を種にして上役と交渉してこよう。」


 はっはっはっと笑いながら親父殿が去ると、俺と健吉はふうとその場に手を突いた。


「死ぬかと思いました。」


「だよね。」


 そのあと俺と健吉は一人で逃げた鑓次郎を絞め落とし、生徒たちに泡を吹いて転がる連中を介抱させた。



「って訳でさ、散々だよ。」


「でも、お手柄ではありませぬか。勝負事は何を置いても勝つことが大事。勝ちを収め、大将首まであと少し、立派なお手柄にござります。」


「そう? 律っちゃんにそう言われると嬉しいかも。」


「ええ、見事な初陣を飾られました。」


 家で律に酌をしてもらい酒を飲む。そう言われればそんな気がしてきて、単なる酒が勝利の美酒に感じられた。


「それで、その。」


「ん? 」


「殿方はいくさの後はたかぶりを覚えるものと、聞いておりまする。今日はこのまま、ここで。ね? 」


 昂ぶってんのあんた! とはいえ、今年十五になった律の体は順調に育成中。胸も尻もぷるるんとした、最高の感触でした。



「それでさ、ちょっと聞いてくれる? 龍馬の奴はまーだうじうじしてて、仕方ないから土佐のあれ、えっと錦鯉みたいな顔の。」


「武市さん? 」


「そうそう、その武市さんに言って一年遊学の延長をしてもらったのよ。」


「そがいな事勝手に! 」


 文句を言いかけた龍馬はさなにぎゅっと抱き寄せられ、口をふさがれた。


「龍馬さん、あなたはここで私と夫婦になってずっと暮らせばいいの。ね、あっちに行きましょうか。お父さんにも早いとこ孫の顔を見せてあげないといけませんし。」


 ずるずると龍馬は引きずられ、奥へと消えた。


 今日は久々に休みをもらい、天気も良かったので律を連れて定さんのところに遊びに来たのだ。


「相変わらずでございますね。あのお二人も。」


「もうね、諦めてるから、その辺は。あれがあの二人の夫婦の形なんだって。ま、実家には手紙を出して、正式に婚約者として認めて貰ったし。」


「そっか、なら安心だね。」


「そうそう、龍馬が逃げ出そうがどうしようが、うちのさなは婚約者。あとは二人の問題だからね。死人がでなきゃそれでいいよ。」


「はは、そうだね。」


 定さんのところは相変わらずで何よりだ。お茶を飲み干して桶町の道場を後にする。


 そのあと二人で深川の方を回り、アサリの佃煮をつまんだり、町並みを見て回る。川に面した料理茶屋が立ち並ぶ一角にでたところで律が口を開いた。


「新九郎さま。律は少し歩き疲れました。どちらか休めるところはございませぬか? 」


 これである。明らかにしゃんしゃん歩いていたのに。ちなみにこの料理茶屋。現代用語にすればラヴホテール。内風呂が許されていておいしい料理まで食べられる素敵なところ。


「じゃ、ちょっと寄っていく? 」


「はい、わたくし、このようなところに一度入ってみたかったのです。」


 急に元気になった律はあれこれと物色して川沿いの一件に俺を連れ込んだ。


「料理はこれとこれ、お酒は冷やでお願いしますね。お風呂の方も。」


「はい、畏まりました。」


 部屋に案内された律は窓から川を覗いたり、奥の間に敷かれた布団の具合を確かめたりと大層なはしゃぎっぷりだ。俺はそれを横目で見ながら窓際でキセルに火を入れる。象山先生が独り身の頃はこういう所によく来たもんだ。先生も吉田さんも今頃どうしているんだろうか。


「新九郎さま、お風呂の用意が出来たそうですよ。さ、行きましょう。」



 そう、俺はリア充。この幸せの為なら爆発しても構わない。



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