14
「ほら、ちょっと、こっちこっち。」
俺は講武所で怪我をした門弟を密売人のごとく物陰に誘い込む。
「なんですか、松坂先生。」
「これ、石田散薬って聞いたことある? 」
そう言って俺は赤い包み紙に入れられた薬を一包手渡す。
「いいえ、私は。」
「実はね、二百年も前から作られてる薬で、庶民の間じゃ結構有名らしいんだ。怪我や打ち身によく効くって。」
「へえ、そうなんですか。」
「これはね、その石田散薬を改良した特別な奴。桶町の小千葉道場は知ってる? 」
「ええ、定吉先生の。」
「そう、その定吉先生が門弟の為に、って薬の作り元と協力して作った特別製なんだ。玄武館でもみんな使ってるよ? 井上先生に聞いてみると良い。」
「ほう、それは効き目がありそうですね。」
「そうそう、その定吉先生にお願いして分けてもらったんだ。ここのみんなも怪我が多いからね。」
「よろしいので? そんな貴重なものを。」
「その為にもらったんだから。効き目があったら小千葉道場で売ってくれるから買うといいよ。ただね。」
「だだ? 」
「あんまり量が作れないから他のみんなには内緒にって。千葉の門弟か、旗本にしか売れないんだって。」
「ほう、なるほど。希少なのですね。」
「うん、早い所買わないと無くなるかもって。亡くなった千葉周作先生もこれはいいって。」
「それは見逃せませんね。」
「まずは飲んでみて効くかどうか試さないと。効かないものを買う意味はないからね。」
「はい! 」
「酒の熱燗でぐっと飲むんだよ? 」
「判りました、先生! 」
このところ俺たちの商売は順調。なにせ元々二百年の実績のあるものを売っているのだ。玄武館の井上さんも巻き込んで結構な量をみんなに配った。亡き千葉先生のブランド、希少性、それに実績ある効き目。売れないはずはない。健吉が俺を訝し気に見ていたが直接金を受け取るわけでもないのだ。ばれるはずがない。
ひっひっひっとほくそ笑んで井上さんと定さんのところに向かった。なんせ値は通常の三倍。10包入りの一袋で三朱もするのだ。違いと言えば包み紙と袋だけ。両方殺菌効果があると言われる赤いものだ。
「ほら、こっちこっち。」
定さんが人目をはばかるように俺たちを招き入れる。
「どう、売り上げは。」
「もうね、作るのが追い付かないほど。トシさんが今日持ってきたのはすでに売り切れ。今追加を取りに行ってる。はい、こっちが井上さんの取り分で、こっちが新さん。」
手渡された袋の中には二分金が一枚。これは銭に変えれば二千文。小判一両の半分だ。
「おぉぉすっげー! 」
「素晴らしい! 」
「ね、わしの言ったとおりでしょ? こういうのはね、儲かるの。あとはね、調子に乗りすぎないでしばらく普通のを売ったりするんだよ。」
「けど普通の飲んで大して変わらないってならない? 」
「あのね、新さん、これは包みが違うだけだけど、そばで言ったら天ぷらそばみたいなものよ? 割高だけどうちのはそこらの薬とは違うんだ、だから効き目も違うはずって。
天ぷらそば食っちゃった人はかけそばには戻れない。それとおんなじ。で、たまにそのかけそばを食わしとくと、また天ぷらが乗った時の感動が大きい訳よ。商売じゃないから無い時は無いのって姿を見せとかないと怪しまれるし、やっかまれるからね。」
「流石だね、定さんは。」
「勝ちは六分をもって最上とす。まさにこの事ですな。」
「そうよ、井上さん、玄武館の師範たちには注意してね、栄次郎は馬鹿だからいいけど。この商売には兄者の名が必須なんだから。」
「ええ、それはもう。」
「もうちょっと売れたら外の道場にも売りに行く予定。今度は講武所御用達って言えるからね。」
「うまいねえ、定さんは。」
「流石ですな。」
しばらく雑談をして井上さんは帰っていった。
「ねえ、ところで龍馬は? 」
「ああ、その辺で干からびてんじゃない? あれからずっとさなと一緒だし。」
「マジで? 」
「うん、しっかしわが娘ながらおっそろしいもの。あんな女絶対嫌。」
「だよねぇ。美人ではあるけれどあれじゃあ。」
せっかく遊び金が入ったのだ。何に使うか思案する。女遊びは卒業したし、うまいものと言ってもわざわざ食いに行くほどでもない。
そうだ、折角だから律にかんざしでも買ってやろう。そう思って浅草まで足を延ばした。浅草はにぎわっているし、吉原も近いので派手な装飾品を扱う店も多いのだ。いくつか冷やかして見て回り、銀のかんざしに象牙の珠飾りがついたものを選んだ。その象牙は花の形に彫刻されていて見た目にも華やかだ。琥珀やサンゴは何となく婆クサかったのでやめた。お値段は結構なもので二分金を出して一刺しの銭しか返ってこなかった。
「律っちゃん! 律っちゃん! 」
「はーい、どうしました。大きな声で。」
「みてみて、これ! 」
「素敵。これ、わたくしにですか? 」
「もちろんだよ。ほら、つけてみて。」
うーん、実にいいね、派手すぎず、地味すぎず。
「うんうん、よく似あうね。」
「でも、結構なお値段だったのではありませぬか? 」
「へへ、ちょっとね、前に来たトシ、覚えてる? 」
「ええ、薬売りの。」
「そうそう、あいつに売り先をいろいろとね。俺と定さんで。で、その手数料って訳。」
「その、悪い事とか。」
「してないよ。トシも客が増えて、俺たちも儲かって、買った人もいい薬を手に入れて。だーれも困らない。でしょ? 」
「それならばいいのですが。新九郎さま、わたくし、うれしい! 」
そう言って律はいそいそと布団を敷き始めた。
幸せと言うのは長くは続かないものらしい。翌日、俺、定さん、井上さん、そしてトシの四人は男谷道場に呼び出され、むっつりと座る親父殿と対面していた。どうやら健吉の奴が余計な事を吹き込んだらしい。
「さて、定吉先生。亡き千葉先生のお名前までもを使っての商い。どういう訳でありましょうな。」
「あ、いや、これはですね。その。ほら、人助けです! こちらのトシさんの商いがうまくいけばいいなって。ね、新さん。井上さんもそうだよね。」
「あ、そう、そうでありますとも! 私は定吉先生のお志に感動して。ですね、松坂先生? 」
「うん、そうだよ。あくまでトシの為だからね。私利私欲なんか。」
「ほう、ならば薬売りの歳三、そなたに聞こうか。」
「あっ、うっ、そ、そのですね、俺は。」
「はっきり言わぬか! 」
「はい! 俺は働きたいんです! 」
「ん? どういう事かな。」
「お、俺は多摩の百姓の十男で家も継げずこうして薬売りを。けれど、俺のとこは天領で、代々世話になったお上の為に何かできないかって! それで新九郎の旦那に千葉先生を紹介してもらって。金が無きゃ何かしようにも刀の一本も買えなくて! それで。」
親父殿はトシの話を聞くと腕を組んで考え込む。そしてうるうると目を潤ませた。
「うむ、うむ、実に殊勝な心がけである。昨今、公儀の権威が揺らいでおる中、天領の民であるその方は公儀の為に力を尽くしたいと。公儀に仕えし者としてこれほどに嬉しきことがあろうか! 」
「先生! 俺は百姓の小せがれでしかありません! けど。」
「判っておる、判っておるぞ。そなたのような者が剣を学び有事に備える。さすれば公儀も、この国も安泰と言うものだ。」
「はい! 俺もそう思います! 」
「なれば褒美にこのわしが一手指南して進ぜよう。」
「本当ですか! 俺、嬉しいです! 」
「ほかにも望むものあれば手を合わせるぞ? 」
「では私も! 」
トシと井上さんが志願する。俺と定さんは素早くそこを立ちあがり、道場から脱出を図る。だが、そこは健吉によって封鎖されていた。
「お二人とも、ささ、防具を。」
「あは、わしはちょっと。」
「何を遠慮なさっておいでなのです。せっかくの機会故。ささ、新さんも。」
あーあ、とがっくりうなだれて俺たちはしぶしぶ防具を付けた。
「きぇぇぇ! 」と言うトシの気合の声は一瞬の後に「ぎぇぇぇ! 」と言う悲鳴に変わる。「シャァァァ!」と言う井上さんの声が「ギャァァァ!」と変わったのはそれから数秒の後だった。
「さ、どちらから? 」
健吉にそう言われ、俺と定さんは互いを押しあった。ぽんとはじき出された定さんが親父殿に向かい合う。「いやぁぁぁ!」と言う定さんの気合が「嫌ぁぁぁ!」と言う叫びに変わると次は俺の番になる。
覚悟を決めて親父殿に対峙する。せやっ!っと気合を込めて面を打ち込むとそれが届く前に横面を打たれてぶっ飛んだ。やっべえ、流石剣聖、半端ねえッス。そのまま死んだふりをしていたら健吉が俺を抱え起こした。ねえ、なにやってんの、あんた!
「先生、新さんはまだまだいけそうです。」
「で、あろうな。」
そのあと俺はめちゃくちゃに叩かれた。時折、ちらっ、ちらっと隙を作ってくれるのだがそこに打ち込むと強烈な返し技が降ってくる。俺が精根尽き果てて、ヘロヘロになったころ、ようやく解放された。
面を取った親父殿はそれぞれに短評をくれた。トシはこういう所が見どころがあると言われ心底嬉しそう。井上さんも同様だ。定吉先生は中々の技前と言われ、苦笑い。だよね、だって一瞬だったもの。
「新九郎は目が良い。だから誘いに乗りやすいのだ。その辺が課題であるな。」
なるほど。そういう見方もあるのか。
さてそのあとは恒例のお説教&お仕置きタイムかと思われた時、天使が現れた。
「義父上さま! これ見てください! どうですか? 似合いますか? 」
「おぉ、律、いいかんざしではないか。とても似合っているぞ。」
「新九郎さまがわたくしに、と。もう、わたくしはすごくうれしくて。義父上さまにも早く見せたくて、道場まで。 」
「うんうん、嬉しい事を言ってくれる。さ、奥で茶でも飲もうかの。実はな、おいしい菓子があるのだ。」
「本当でござりますか! 嬉しい! 」
親父殿が去り、皆ふうと息をついた。健吉は少し残念そうな顔をしていた。
「しかし、すごいものですな。あれが剣聖。」
「そうよ、兄者が亡くなった今、間違いなく一番だもの。」
「あの先生が一番かぁ。全く世の中ってのは広いもんだ。新九郎の旦那や定吉先生でさえも手も足も出ねえんだからな。」
そんな話をしていると機嫌よく親父殿が戻ってくる。
「歳三、そなたの志には心打たれるものがあった。よってこれを授けよう。」
親父殿は後ろに控えた律から一振りの脇差を受け取り、それをトシに授けた。
「堀川国広だ。これを持ち、志を果たせ。」
「はっ! ありがたき幸せ。」
脇差であれば身分に関係なく佩刀できる。中々に気の利いてるね。
「それと薬のとこだが、新九郎の取り分の分、値を下げて売るならば構わぬ。歳三も定吉先生も稼ぐ必要もあろうからな。井上、お前も力になってやれ。」
「えっと、俺は? 」
「男谷の男がすることではない。お前が入る事で値が上がり。売れ行きも下がろう? 」
そういう事になり、俺だけ商売仲間から外された。まあ、金に困っていたわけでもなし。
ともかく懲罰の時間は終わり、それぞれ解散となった。俺はそれこそ滅多打ちにされたので風呂に入ったあと、トシにもらった赤袋の石田散薬を酒で飲んだ。
「お薬もいいですが、痛みには人肌が一番と聞きます。さ、こちらへ。」
そう言って律は布団を敷いた。柔らかな体に抱えてもらうと確かに痛みが引いていく気がした。
十一月の五日、講武所に大樹、十三代将軍家定公が公式に来臨。この一件で講武所の格が大いに上がった。家定公のお姿を見るのは二度目だが皆が講武所風の髷をしていることに満足してニヤリと笑う。これが噂になり、講武所風の髷はかっこいい。そう世間から認識されることになる。噂って怖いよね、ほんと。
さて、俺が抜けた商売の方だがこれが想像以上にうまく行っていた。量産型の緑袋は庶民に。通常の三倍の値の赤袋は旗本たちに。特に赤袋は希少価値も手伝って裕福な商家や町人たちから引く手あまた。ごくわずかな数だけ流通させることにより、さらに価値が上がっているのだと言う。中には十倍の値を付けるものもいたが、定さんの提言でそれには売らず、値はそのままで待たせることにしたらしい。
「まったく定吉先生の言う通りだ。勝ちは六分。あんまし欲張っちゃいけねえ。おかげで悪い評判も立っちゃいねえさ。」
トシはちょくちょく俺のところを訪ね、律が喜びそうな菓子や餅なんかを持ってきてくれる。なんだかんだで義理堅い。俺のところだけでなく、親父殿のところにも実家で作った野菜やなにかを嫌みにならない程度に差し入れている。親父殿も可愛がり、トシ、トシと呼んでは道場で稽古をつけてやっていた。
気絶するまで。
結構なイケメンのトシは男谷家で働く女中たちにも大人気。サバサバとしていやらしくない性格でもあるので、義母上の鶴さんなんかも何くれとなく面倒見ている。トシはうちに来て俺と話し、道場で気絶、そのまま翌朝まで止まって帰るというパターンを繰り返していた。
「んでな、俺が稼ぐんで最近じゃ実家での扱いもよくなってな。こうして出歩くにも結構な路銀と小遣いまで持たしてくれる。」
「そりゃよかったね。十男じゃ扱いなんて知れたもんだったろうから。」
「ああ、うちは地元じゃでけえ家だがなんせ兄妹の数が多い。それにうちの長兄は目が見えねえ。色々銭がかかるのさ。」
「そっか、目がねえ。当道座とかには入らないの? 」
「長兄はその気十分。なんでもいいから世にでてえんだが、家を継いだ次兄が、家で面倒見るって聞かねえんだ。外に出しちゃあ土方の家の恥だってな。どうにも田舎者はそういう所がうるせえからな。」
「けどその長兄も退屈だろうに。」
「姉貴の嫁いだ名主がな、気さくないい人で長兄と一緒になって俳句や三味線で遊んでる。姉貴もいい人に嫁いだもんさ。」
トシは末っ子。その名主、佐藤彦五郎に嫁いだ姉が幼いころから何のかんのと面倒を見てくれたらしい。その彦五郎もあれやこれやと可愛がってくれるそうだ。いいよね、そういう親族は。俺は剣聖と鬼だったからね。
「んで、定吉先生のとこの坂本だがな。」
「ああ、あいつまだ生きてる? 」
「なんでもさなさんから長刀の稽古をつけてもらってるらしい。今じゃ剣術よりもそっちが上なんじゃねえかって話さ。ま、先生も仲睦まじくて何よりだって言ってる。」
「あいつもさ、いい加減覚悟を決めりゃいいのに。さなは口うるさいけど美人なんだし。ま、俺なら勘弁だけどね。」
「俺もだ。流石にあそこまでべったりされちゃな。」
「で、トシはどうなのよ? いい女の一人や二人いるんだろ? 」
「ああ、そっちは俺も坂本の事を笑えねえ。」
「なに? 何かあるの? 」
「そのな、長兄が三味線屋の娘を気に入っちまって。それを俺の嫁にしろってうるせえんだ。」
「そうなの? 」
「確かに気立ては良いし、長唄なんかも上手だ。それに何しろ声が良い。」
「じゃあいいじゃん。」
「長兄はな、目が見えねえ。そのお琴はどうにも不細工なんだよ! 」
「うっは、きっついねそれ。」
「だろ? 文句つけようにも顔以外はいいんだ。目の見えねえ長兄に何言っても無駄。稼ぎがねえから嫁なんか娶れねえって逃げてたんだがここしばらく薬が売れて金回りもよくなった。もうさ、言い訳すんのに一苦労なんだよ。」
「で、そのお琴自身はどうなのさ? 」
「これがな、慎みがあるからこれと言ってちょっかいはかけてこねえが、俺を見ると顔を赤らめるんだ。俺も長兄の手前きつく当たるわけにもいかねえし。もうさ、どうすりゃいいんだ? 」
うぷぷ、これだから世の中ってのは捨てたもんじゃない。イケメンには天罰! 神様ってのはよっく判ってるね。
だが俺は今や立派なリア充だ。就職もして律と言う妻もいる。嫉妬に身を焦がしたかつての俺とは違うのだよ。哀れなトシの為に的確なアドバイスをするべきだろう。
「まあさ、そこはね、長兄の意向もあるだろうし、思い切って夫婦になるべきだと思うな、うん。」
「てめえが美人の嫁さんもらったからってそれはねえだろ? 」
「だってさ、顔だけよくてもさなみたいなのじゃ困るだろ? 」
「そりゃあそうだが。けどあれは無しだ! 別の意味での敷居が高すぎる! 」
そこに律がお菓子と茶をもって現れる。
「歳三さん。新九郎さまの仰る通りですよ。顔などはおなごを形作るごく一部。性格、たしなみ、長く共にあるにはそちらの方がより重要です。」
「ならよ、律さん、あんたはそこらの不細工でも器量がありゃ嫁げたのかい? 」
「ふふ、わたくしは新九郎さまと天命で結ばれた仲。例え新九郎さまがお顔に問題があっても当然嫁ぎますよ? 」
「旦那はわりかしいい男じゃねえか! そうじゃなくて! 」
「ほかの殿方など、考えるだけでもおぞましい。ですよね、新九郎さま? 」
「うんうん、きっとトシはそのお琴が天命の相手だったんだよ。」
「そうですね。天命には逆らえませんから。ねー、新九郎さま。」
「くそっ、旦那に相談したのが間違いだった! 俺は帰るからな! あんたらは爆発しろ! 」
トシはブリブリ怒って帰っていった。なんていうの? 嫉妬のオーラが気持ちいい。
「うふふ、人の不幸、いえ恋の話は実に良いものですね。さ、新九郎さま。今お布団を敷きますからね。」
今日も我が妻は旺盛だった。