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さて、就職活動と言うのは中々に難しい。容保さまがやいやいとうるさいので俺はトシを連れて知り合いを訪ねて回るが結果ははかばかしくはなかった。
まずは黒田了介のいる開拓使。今更北海道には行きたくないから、了介のいる東京の官庁で働かせろ、と言ってはみたが、今の開拓使にはそんな余裕はないらしい。北海道開拓は十年計画が組まれ、その予算は一千万円。しかしそれでも金が足りず、測量や道の整備などの基礎的な事業も不十分のまま、ともかく金を産む産業の育成に力を注いだ。だがこれもモノになるには年月が必要、金のない政府に追加予算が捻出できるはずもない。
「そういう訳で開拓使も台所が苦しか。松坂さんの力になれんで申し訳なかです」
そんな風に頭を下げられてはそれ以上強い事も言えず、あとは世間話。開拓使に出仕した榎本は今、ロシアに赴き、どうにも手が付けられず、完全にお荷物扱いとなっている樺太を千島列島と交換する交渉に赴いていると言う。樺太は土地としては大きいが、遠い上に寒さが厳しい。さらに領土として持っていれば防衛の必要性も生まれるわけだ。
樺太はロシアの人も住んでいて、現在の所日露混在の地、ロシアにしてもすぐ近くの大きな島が他国の領土と言うのはよろしくない。すでに択捉までは幕府が結んだ日露和親条約によって日本の領土となっていたがこの条約で樺太を放棄する代わりに、択捉以北、千島の十八島を得るのが目的らしい。
「そいもありもうすが、例の征韓論、これも中々に難しかで」
「そうなの? 了介は薩摩なんだし、西郷さんに賛成なんでしょ?」
「いや、オイは井上さんたちと富国派ち呼ばれちょっで。今外征なんぞしてる余力はこん国にはなか。そこに来て吉之助サァの弟の信吾と佐賀の大隈さんが今度は台湾を攻めろち言うちょります」
「は? なんで?」
「何年か前に宮古島から琉球に向かった御用船が台風で遭難。漂流民が台湾で殺され、政府は清国にその賠償を求めちょるが知らぬ存ぜぬで。そこに来てまたも船が台湾に漂着、そん船が略奪を受けたとです。清国駐在のアメリカ総領事もこっちにいるアメリカ公使も野蛮人は懲罰すべきだと」
「へえ、大変だね」
「今は外務卿の副島さんが清国に赴いて話を。それ次第ではこっちも出兵。そげん話になっとです」
まあ、そんな話を聞いたところで俺に何かが言えるはずもなく、ともかくも芝にある開拓使出張所を後にする。
「なんか偉い人ってのは大変だね」
「そりゃそうだろ。大変な事をしてるから偉いんだよ。役目のある奴は何のかんのといろいろあるんだ。俺だって新選組でも函館政府でもいろいろ大変だったからな」
「そうなの? 俺は講武所でも見廻組でも別に大変、って事はなかったけど?」
「旦那は大変な事を引き起こしてたの! そう言うのを容保さまや俺が尻ぬぐいしてたんだろうが!」
「はいはい、そうですかー」
そんなこんなで就職活動は難航。なにせ陸軍はもうあてにできない。一応予備役大佐と言う事で話がついてしまっている。そして海軍は海舟がいる限り無理。大蔵省に当然俺たちの席はなく、邏卒は試験で落ちている上、今は司法省管轄。邏卒総長の安藤さんと話はできてもその上の江藤が認めるわけがない。他の省庁に伝手はなかった。
よって、俺とトシは就職活動と言う名の散歩を続ける羽目になる。
ちなみに俺たちと同様、職を失った聞多は鐘屋の洗濯係をしながらも、毎日訪ねてくる大店の商人たちとあれやこれやと金儲けの算段をつけていた。三井組、藤田組、それに尾去沢銅山を斡旋した村田平蔵。それらを相手に俺の土地をうまいこと転がしているらしい。何しろ鉄道の通った新橋の駅前、それに新たな都市計画の中心たる銀座、ガス灯がともされる日本橋新富町、そうした好条件の地の一番良いところ、そのほんの少しが俺の土地。何の事業を起こすにしてもその土地が引っかかって邪魔になるのだ。
聞多はそうした土地をこれ見よがしに値を吊り上げて貸し出していた。その額、なんと地価の1割、10%だ。聞多によれば、政府が今進めている税制改革、地租改正が行われれば地価の3%が税になる。なので10%はもらわないと儲けにならない、そんな理屈らしい。
「地価の3分って、結構な値段じゃない? この鐘屋の地所だって相当な値がするよ?」
「新さん、これはね、米本位制を改めるには必要な事なんですよ。今までは米の出来高の何割、それが年貢だったわけでしょ?」
「うん、そうだね」
「それがこれからは土地の値段に対していくら、って事になるわけですわ。つまりうんと作れりゃそれだけ農家は儲かるって仕組みで。それに商人や職人は冥加金や間口に対していくらっていうあいまいな税しか支払ってこなかった。地租改正がなればみーんな平等って訳ですよ。その土地を使ってどれだけ稼げるかってのが重要になるわけで。
そして土地を寝かせておけばその分税が、だから土地を持ってる人は何かしら商いを起こさなきゃならなくなる。そうなりゃ景気も良くなるって寸法で」
「けどさあ、みんながうまくいくわけないじゃん」
「それはそれですよ。才覚もない奴が先祖から引き継いだ良い土地を無駄に持ってる。そう言うのは今後許さないって事ですわ。貸家でも建てるか誰かに貸すか、ともかくもみんなが何かしなきゃならない。西洋で言うところの資本主義、そう言うのをこの国に根付かせないといつまでたっても対等になんかなれやしませんからね」
聞多はその土地だけでなく、それを通じて付き合いのできた商人たちを纏め、陸軍に納入する物品に対してもいくばくかの手数料を得ているのだ。何しろ相手は山県である。俺の名前と聞多の名前があればたいていの事は通ってしまうのだ。その上の西郷さんはそういう細かい事に口を出さないし、桐野たち、現場の将校にはわからない。陸軍から金を貰っているわけではないから会計上も不備はないのだ。例の腹を切った山城屋、その後釜が俺たちの息のかかった商家になった、という訳だ。
だが、三田の慶応義塾前に関しては相変わらずで、くさや屋は繁盛しているがその臭いを嫌ってほかの店は中々できない。痛しかゆしと言ったところか。
そして容保さまは一郎や鉄といった新たな弟子を引き連れて、なんと健吉の撃剣興行に参加していた。
「いやいや、本当に容保さまには頭が下がりますよ。私たちの成功を受けて、今じゃ練兵館やほかの道場も撃剣興行をはじめていささか客足が、そう思っていた所でしたから」
「そうだよね、榊原先生。ほんとお父さんも助かった。だってみーんな真似しちゃってんだもん。他所との違い、それがないと先はつぼんでいく一方だもん」
健吉と定さんはそう言って容保さまをほめたたえる。容保さまはショーパフォーマンスの才があり、自分をかっこよく見せるのが大好き。撃剣興行でも取り組みが終わり、みんなが一息ついたところで一郎たちに鼓を打たせ、蔦吉が集めた芸者仲間に三味線を弾かせ、トシの妻、お琴のヴォーカルに乗って颯爽と登場し魔術と言っていいゴールドフィンガーを披露するのだ。
もはや取り組みも、健吉が見せる兜割りも前座、容保さまが放つゴールドフィンガーで兜が砕けるのをみた観客たちは大歓声を上げる。そこに抜かりなく出店した敏郎たちがコーヒーを売り歩く。脱日常、と言う意味では最高の娯楽でもあるのだ。
人が集まれば人手もいる。安次郎たちも今ではすっかり容保さまの手伝いに駆り出され、暇なのは自称就職活動中の俺とトシだけになっていた。
さらにはだ、その容保さまの妙技にほれ込んだ連中が弟子入り志願。男は榊原道場で、そして女は鐘屋の離れを使っての鍛錬を行う事になる。女たちの師範はなんと律。そして道場に使用される離れとは和風の俺の部屋に他ならなかった。律は指弾の腕を見込まれて容保さまより師範に抜擢、会津指弾翔鶴流、俺はその免許皆伝でもあるのでこちらの女向け流派は松坂派を名乗ることになる。
その女たちを前に、流派の家元である俺は律に引き出されて座らされていた。
「よろしいですか、皆さま。指弾を極めるには日々の修練が何より大事。こちらの新九郎さまも京にいたころは毎日修練に励まれたのですよ」
「そりゃいいけどさ、奥方様、修練って一体どうすりゃいいのさ?」
弟子となった蔦吉がそう言うとみんなうんうん、と頷いた。
「決まっております。指弾の修練とは指使いに他なりません。つまり指弾は閨の事に通じる技。指弾を通じて正義を果たすには性技こそが肝要、という訳です」
律がそう言うとそこに集まる女たちはほぉぉ、っと顔を輝かせた。そのあとはあそこはこう、こういう時はこう、と男の俺は聞くに堪えないような下ネタの嵐である。女同士のこういう話ってすっごくえげつないのね。ともかくも俺は顔を真っ赤にして下を向くしかなかった。
そして女たちはもはや指弾などはどうでもよく、律の性技の話を真剣な顔で聞き、律の言うとおりに指を動かして見せたりもする。もうね、たまらないんだけど。
「とはいえ口指南では畳の上の水練も同様。実践せねば物の役には立ちませぬ。それに個人の好みの差もございますゆえ、形にとらわれることなく精進を」
もはや何の稽古なのかまったくわからない。聞けばきちんと月謝も受け取っているらしい。ま、本人たちがいいと言うならそれでいいんだろうけど。
弟子たちが帰ると律は興奮した顔で俺に抱き着いた。
「わたくしも師範として実践を怠るわけにはまいりませぬ。さ、あちらへ」
律は性欲が強い女である。
ともかくもこうして律まで忙しくなってしまった我が家において、就職活動と言う名の散歩を続ける俺たちに容保さまが新たな役目を与えた。
――子守りである。
「ねえねえ、ととさま、あたし、海が見てみたい!」
我が娘、静、それにトシのせがれ歳彦。二人をを連れて俺とトシは毎日いろんなところに出かけていく。船に乗って海に出たり、上野の山を散策したり、西郷さんの屋敷に勝手に入って犬と戯れたり。一つ年下のトシのせがれ歳彦は活発な静に手を引かれてあれこれと連れまわされていた。
「なんかいいね、こういうの」
「そうだな、若い頃は血を燃やさずして爺さんになっちまうのが怖かったが、今はこうしてこのまま年寄りになるのも悪くねえ、そう思える」
「そうだねえ。家族がいて、こうして食うにも困らない。十分だと思うんだけどな。なんで容保さまはああもうるさいかな」
「仕方がねえさ、あの人はたくさんの人を死なせちまった。そいつらの為に、この国の為、何か働かねえとやり切れねえんだろうさ。俺だってそうさ、近藤さん、それに新選組の連中、死んじまった奴らの為に、できれば何か。そういうもんだろ?」
「そうなの? 変わってるね」
「あんただって死んじまった佐々木さまや殺しちまった連中の為、何か、そう思うだろ?」
「うーん、ま、只さんは武士としちゃ十分な死に方だったし、他は。容保さまもお前もこうして生きてるからね。あとははじめちゃん、いや五郎ちゃんが東京に戻ってくれれば不満も不服もないよ。この国の事は西郷さんや一蔵さんがやればいいし、うちの連中だって死ぬまで食うに困るなんて事もない。今井さんだって静岡にいるんだしそれ以上どうこうってのは特に無いかな」
「――言われて見りゃそうかもしれねえな。みんな精いっぱい生きて、そのうえで死んだんだ。俺らがどうこうするなんてのは余計な話、幸せに生きて年取って死んで、あの世で奴らに」
「考えすぎだよトシは。俺たちはもう人の親。今からはわが子の為に生きればいいさ。死んだ奴らのことなんか考えてる余裕はないだろ?」
「あはは、違いねえや」
ゆっくりとした穏やかな日々。こんな日々がいつまでも続けばいい、そう思っていた。