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 明治六年五月、大蔵大輔井上馨、辞任。


「もうね、江藤の奴があれこれ西郷さんに言いつけちゃって、大変な剣幕ですわ。だからね、私も売り言葉に買い言葉じゃないですけど、それならやめますわって」


 当の本人、聞多はそんな事を言っていた。表向きは例の尾去沢銅山の件、だがその背後には根深いものがあるらしい。まず一つは国策である「富国強兵」この「富国」の部分を優先する聞多達大蔵省と「強兵」を先んじる西郷さん。それに江藤や土佐の後藤象二郎などがくっついて政府は二つに割れていた。


「ぶっちゃけた話ですね、朝鮮なんか放っておけばいいんですよ。あちらからこちらに手を出せる国力はないし、後ろ盾になるのだって西洋にいいようにやられた清だけ。なんせ鎖国なわけですから。それはね、西郷さんたちだってわかってるわけですわ」


「ならなんでさ?」


「これはね、新さん、対外問題じゃなく、国内問題なんですって。例の久光公、あの一件が西郷さんに焦りを生んだんですよ」


 そう、四月に上京した久光公は鹿児島県士族を引き連れて、この国で恐らく最初となるデモ行進をやってのけたのだ。みんな東京では珍しくなった髷に羽織袴姿で二本差し。いかにも武士、と言う格好で練り歩き、「洋化政策反対! 政府は勝手な事ばかりするな!」とシュプレヒコールを上げた。これが物見高い東京の民衆たちの間で大層な噂になり、表だって久光公に文句を言えない西郷さんは頭を抱えてしまったらしい。


「強兵、要は行き場の無くなった士族たちに働き場を、そういう事でしょ? それよりも内部を固めて新しい産業を、そんな私たちとぶつかって。どっちもやらなきゃいけないんでしょうけど、私からすれば朝鮮なんかに関わってる暇はないんですよ。だってですよ? 勝ってどうなるんです? かの国の面倒を見切れる余裕なんかこの国にはないんですよ? こういっちゃなんですけど、函館政府の時だって大変だったんですから」


「まあね、お金がないのはどうしようもないし」


「それで、今回は私と渋沢の栄一さんが辞任って事で。ま、尾去沢の件はいい名分になったってわけですわ」


「けどあれは別に悪くないじゃん。ちゃんと貸し付けた分は国庫に納めたわけだし」


「それを元手に金儲けしたのが気に入らないって。ほら、私の私有地って立て札立てちゃったでしょ? つじつまがあってても政府高官としてあるまじき行為って江藤がね。ま、司法省の予算はぎりぎりまで絞ってやりましたからその意趣返しって面もあるんでしょうけど。罪には問われないけど政府からは出ていけ、要はそういうことですわ」


「でもさあ、大久保さんたちが帰ってくるまで人事を動かしちゃまずいんじゃないの?」


「そういう約束でしたけどね。ま、事がこうなっちゃ仕方ありませんわ」


 ま、頼れる上司が辞めてしまうのはきついところだがそれはそれ、俺たちは相変わらず役人を、そう思っていた時期もありました。



「――で、新さん? なんでいるの?」


 突然の西郷さんの呼び出しである。


「なんでって、職員だし」


「新さんたちを引き入れたのは井上さんだよね? その井上さんが辞任したんだから」


「だから?」


「あのね、井上さん、表向きは尾去沢銅山の件でやめてもらってるの。その実行犯の新さんたちがいたらおかしいでしょ?」


「いいえ、そうは思わない」


「ふーん、なら江藤さん殴った件でもいいや。オイさんもね、もう余裕ないの。さて、クビと辞任、どっちがいい?」


 そんな話となって俺たちは全員大蔵省をやめることになった。




「あーもう、マジむかつく、なんで? なんで俺たちが辞めなきゃならないの? おかしいよね?」


「まあまあ、新さん、いいじゃないですか。何とかなりますって」


 鐘屋に戻り怒りを爆発させる俺をなだめるのは聞多。なんでも聞多は自前の屋敷を持たず、今までは官舎ぐらしをしていたそうだ。そして嫁さんは実家暮らし。そんな聞多はなぜか鐘屋に住み着いていた。


「もとはと言えばお前のせいじゃん。なんでうちにいるの?」


「ほら、私って評判悪いじゃないですか。官から離れたところでバッサリ、なんてことになったらいやでしょ? ここなら絶対安全だし」


「ふむ、まあそれは良かろう。松坂、あとはわかるな?」


「いいえ、そうは思わない」


「言わねばわからぬとはな。いいか、お前は、みなの働き口が見つかるまで、帰ってくるな。以上だ」


 ああ、またしても就職活動。なんてついてないんだ。


「はいはい、そういう事さね。容保さまは風呂焚き、聞多さんは、そうだねえ、洗濯でもしてもらおうか。ほらほら、働かざる者食うべからずだよ! 急ぎな!」


 お千佳によって元会津中将である容保さまと元大蔵大輔で閣下と呼ばれた聞多は鐘屋の下働きに組み込まれた。ちなみにもう一人の殿様、板倉さまは自分だけ栄一さんと一緒に今度立ち上げる銀行の職員になっていた。


「ととさま、がんばって!」


 律に抱かれた静の言葉に励まされ、ともかくも出かけることに。当然トシを連れていくことは忘れなかった。


「また俺? もう、たまんねえんだけど」


「仕方ないだろ? 働き口見つけるまで帰れないんだから」


「ま、大蔵省は良いところだったからな。んで、どうすんだ?」


 ともかくも縁故をあたるしかない。まずは海舟が大輔を務める海軍。そう思って海軍省のある築地に向かう。



「ま、親亀こければみなこけるってか。井上がああなっちゃおめえらの席も当然なくなるわな」


「そうなんだよ。ひどいと思わない?」


「今回の西郷は人が変わっちまったかと思うほど頑なだ。久光公の行進、あれがよほど利いたんだろうさ。んで、オイラに何の用だ?」


「だからさあ、俺たちの働き口、世話してほしいなって」


「――おめえ、そりゃマジな話か? この築地で、おめえがかつて、俺たち海軍に何やらかしたか忘れた訳じゃねえよな?」


「もう、そんな古い話、誰も覚えちゃいないって」


「あの頃おめえにぶん殴られた連中が今じゃいい顔だ。そいつらがおめえを受け入れるとでも? 海軍の命、ともいえる船に鉄砲ぶち込んだおめえを?」


「えっとさ、ほら、みんな昔のことは忘れて手を取り合わなきゃ、だろ?」


「ともかくそいつは請け合えねえな。他所をあたんな」


「ちょっと! そりゃねえだろ! 五月塾の時だって、親父殿に一緒に頼んでやったじゃん!」


「ま、そうだな。オイラはおめえに義理がある。けどこいつはそんな話じゃねえ。前から言ってるように四方を海に囲まれたこの国じゃ海軍は要になる。そこにおめえみてえなめちゃくちゃな奴を引き入れちゃ国を誤る元になる。帝にだって申し訳が立たねえ。だろ? 内藤」


「ま、そういうこった。あきらめな、旦那。函館でだってあんたは海軍と折り合えなかっただろ?」


 トシにそう諭された俺は悔しくなって思いつく限りの悪口を海舟に言って部屋を出た。それを涼しい顔で聞き流す海舟の顔がさらに癇に障った。


「あいつ、昔から大嫌いなんだよ! 弱い癖に口ばっかペコペコ回して! しかもなんかありゃあいつの親父に言いつけるし。そのおかげで俺が何度ひどい目に!あー、マジむかつく。何が国を誤るだ! 国を誤らせたのはあいつの方だろ!」


「まあまあ、さすがに海軍ってのは無理があったんだよ。他所をあたろうぜ? な」


 次に当たったのは陸軍省。山県は陸軍中将でこそ無くなったが、いまだに陸軍大輔ではあるのだ。今回は是が非でも採用してもらわねば家に帰れない。なので強面で臨むことにする。最初は強く当たってあとは流れでだ。


「山県閣下に用がある。まかり通る!」


 そう言ってずかずかと踏み込んでいく。勝手知ったる陸軍省だ。案内も振り払って山県の執務室へと向かった。後ろではトシがあっけにとられた職員に頭を下げて回っていた。


「松坂、どうしただほ?」


「どうしただほ、じゃねーよ。なあ、山県。俺たち大蔵省をやめることになって困ってる。あとはわかるな?」


「いいえ、そうは思わないだほ」


「簡単に言えば陸軍で雇えって事だよ。あ、そうだ、徴兵令があんだろ? ほら、徴兵しなきゃ」


「えっと、そのだほ」


「ま、さすがにあの弱っちい乃木とかいう少佐の下はあり得ないからね。中佐とかでいいよ」


「いや、その」


「あ、了介の推薦がいるならすぐにでももらってくるよ? それでいいよね」


 山県は困り顔で固まってしまい、しばらくして口を開いた。


「その、なんで仕事がいるだほ? 松坂はうちらより金持ちだほ?」


「うるさいのがいるんだよ。職を決めてこないと家に帰れないの!」


「うーん、そうしたら金に困って、と言う事じゃないだほね?」


「金はあるさ。仕事がないの!」


 そう言うと山県はひらめいた、とばかりにぽんと手を打った。


「ならいい方法があるだほよ!」


 山県が言うには今回の徴兵令、それには様々な付帯する法律があり、その一つに後備役、と言うのがあるらしい。基本徴兵は三年間。それが終わると後備えとして二年間、勤務地を離れずに過ごし、いざと言うときには招集されると言う仕組み。いわゆる予備役って奴だ。


「松坂は元近衛士官でもあるし、後備えの資格があるほ。それならうちもいろいろやりようがあるっほねぇ」


「具体的には?」


「給金を払わなくていい後備えなら大佐でもいいっほ。それなら容保さまも文句ないっほよ」


「ほう、いいねえ」


 いいなんてもんじゃない。なにせ俺は元少尉、そこから数えればなんと五階級特進である。


「年に一回、調練に顔を出してくれればそれでいいっほ。後備えくらいならうちの独断でできるっほよ」


「流石山県閣下! すんばらしい! な、トシ?」


「ああ、旦那は近衛の大佐。そう名乗ってもどこからも文句はこねえし、いざともなれば上には桐野少将だっている。ま、俺らは戦いには慣れてるしな」


「うんうん、期待してるっほ!」


 桐野の下、と言うのは気に入らないがま、このくらいでいいだろう。俺とトシはウキウキで鐘屋に戻った。なにせ働くのは年一回。給料なんかなくとも十分に生活できるだけの金はある。そして世間的には近衛の大佐である。いいことずくめだ。


「ふむ、なるほどな。つまりは名を得ることが叶ったと。とすればあとは実、頑張るのだぞ?」


「えっと、どういう意味ですか?」


「松坂、碌に働きもせずうちの中にいてごろごろしている父を、娘がどう見る?」


「え、いや」


「明日からも頑張って職探しをせよ。以上だ」


 現実は残酷だった。



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