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その日は城に泊まり、翌朝城を出るとそこには薩摩武士の、いや鹿児島県士族が大挙して押しかけていた。その数およそ五百人。県令の大山さんと県の官吏がそれを必死で押しとどめていたが、俺たちが姿を見せると怒号の嵐となった。
「久光公に手ば出させん!」
「オイたちはいざとなったら全員腹を切る!」
そんなことを口々に言い募り、こちらは何の話かさっぱりだ。公家の西四辻は早々に城に逃げ帰った。俊斎も慌てて止めに入ったがここは年功序列の厳しい薩摩。あっという間に年嵩の連中にフルボッコにされた。
ともかくもいったん落ち着かせ、代表者から海舟が話を聞いた。彼らの言い分は政府は言う事を聞かない久光公を東京に連れ出して、そこで腹を切らせるつもりだ、そしてそのあとこの薩摩をつぶす、そんなつもりに違いない、と言う事だった。
「あー、オイラもよくわからねえが、なんでそうなる?」
「きまっちょう、西郷、大久保は薩摩を邪魔に思うとるんじゃ! オイたちに死ねと言わんばかりに禄を取り上げ何の手当もなか! そいを久光公が帝に申し立てたが気に入らんとじゃ!」
「そっか、そんなことはこのオイラがさせやしねえ。夕べだって久光公とはとっくりと腹を見せ合ったんだ。だから心配いらねえよ」
「武士に二言は無かかぞ?」
「ああ、もしなんかあったらおめえら全部腹切ってもらって構わねえ。責はこの勝安芳が受けてやらあな」
海舟がそうまで言ってようやく士族の連中は引き上げる。維新を成した薩摩、そして長州が一番政情不安定。実におかしなものだ。
そこで俊斎や、勅使の西四辻と別れ俺と海舟は長崎に向かう。出張名目はあくまで長崎の視察。一応ちゃんとしておかないとまずいらしい。
律の手を引き船に乗り、一路長崎に。その甲板で海舟と二人風を浴びていた。
「なあ、新九郎」
「ん?」
「今更だがよ、慶喜公の言ってたことは正しかった。武士の世の終わり、そして逆らえば武士と言う言葉は謀反人の代わり言葉。覚えてっか?」
「そうだね、そんな事言ってた。けど事を起こしたのは薩長だろ? 今更文句言うのは筋違いじゃね?」
「ま、オイラたち幕臣からすりゃそうだ。けどな、奴らにだって言い分はあんのさ」
「へえ、どんな?」
海舟の話によれば、尊王攘夷、そして佐幕開国、この二つが大きな対立を生み、戊辰のいくさとなった。しかし蓋を開けてみれば結果は尊王開国、外国から様々なものが入ってくればその分世は変わっていく。つまり地方格差が激しくなっているのだ。薩摩は当初イギリスと結び、その貿易を独占しようと試みた。だが、維新の結果として、日本と言う国が薩長と意味を同じくしてしまうと貿易でも何でも、利のあるものはすべて東京、大阪に。薩摩、鹿児島は相も変わらず貧しいままだった。
「維新と開国、それに武士の終わり。これがまとめて一緒になるとは奴らも思ってなかったんだろうよ。外国に対するとあればどうしたって東京が優先だ。都がしょっぱくちゃ外国にだって馬鹿にされる。んで、見てのとおり、日本のはずれにある鹿児島はほっとかれたまんまだ。だから久光公は廃藩置県に反対した。ほかじゃうまくいっても鹿児島じゃそうはいかねえ、それを身に染みて知ってるんだろうよ」
「けどさぁ、西郷さんも一蔵さんも薩摩を豊かにって。だからいろいろやってるんだって、昔言ってたよ?」
「そうだな、そのつもりだったろうさ。けどな、薩長が帝を奉じてこの国を仕切る、王政復古ってのがなっちまった。そうなりゃ都になった東京がなんだって先になる。国のはずれの鹿児島はどうしたって後回しさ。禄もなくなりやつら、鹿児島県士族ってのは幕府の頃より貧しくなっちまった。そりゃ文句の一つも言いたかろうぜ。なんせ戦ってきたのは奴らなんだからな」
「長州でも同じような事があったもんね」
「そうだ、いくさに勝てばどうしたって褒美ってのが必要になる。御恩と奉公、鎌倉以来の武士の掟さ。それが出来なくて鎌倉幕府はつぶれちまった」
「じゃあ今度も?」
「馬鹿だな、おめえは。だから今度は武士の方をつぶしちまおうって話だろ? 久光公がどんなに頑張ったって鹿児島中心に世は回らねえ。けど久光公が政府に文句をつけていかねえと連中が暴発しちまう。あの人も辛えところさ。なんせ島津のお家は薩摩じゃ鎌倉以来、600年から殿様やってんだ。奴らを簡単には捨てられねえさ」
「まあ、そうだよね。で、どうすんの?」
「とりあえずは久光公を祭り上げるしかねえだろ? 政府は鹿児島をないがしろにしていない。そう見せとかなきゃならねえからな」
「それでほとぼりが冷めれば用済みって訳か。嫌だねえ、政治って」
「藩も何もなくなっちまった今、お取り潰しって訳にもいかねえからな。派手な事すりゃ外国だって口をはさんでくんだろうし。あーやだやだ。結局慶喜公のした事は正しかった。そう認めざるおえねえ。腹立つがな」
「そう? それでもさ、もっと他にやりようが」
「あのまま戦ってりゃ今の鹿児島の状況が江戸って訳だ。それにだ、下手に戦いに勝って帝に外国にでも逃げられてみろ。それこそこの国はお終いだよ」
「まあ、帝の支持のない函館政府には確かに誰も来なかったけど」
「そういうこった。帝を担げばそれこそ外国人だろうが官軍さ。結局あの場は恭順、それしか無かったってこったな。ま、慶喜公はオイラなんぞとは頭の出来が違ったって訳だ。ともかく当面は久光公は西郷と喧嘩するしか道がねえ。西郷だって今更折れて世を元に戻す訳もねえ。オイラたちにできるのはそれをなだめていくことぐれえさ」
「はは、役立たずもいいとこだね」
「そうだな。オイラもおめえも根っこは武士だ。これからの時代にはいらねえってか。男谷の男もオイラとおめえで店じまいって訳だな。せがれたちには好きにさせるさ。おめえのとこは娘だしな。それはともかくとしてだ。政治がどうのはあまり首を突っ込まねえほうがいい。そんな暇があるなら少しでも金を稼がねえとな。オイラ、もう貧乏暮らしはたくさんだ」
海軍大輔と言えば二等官、月に400円もの俸給を貰ってる海舟はそんなことを言った。若いころの貧しい記憶は生涯ぬぐいきれないものなのかもしれない。
そして男谷の男。矜持、信条を守る生き方はもう、世にはそぐわない。娘の静はいい婿と一緒になればそれが一番。男谷の矜持、信条は俺と親父殿だけのもの。誰に継がせずともそれで十分だ。
さて長崎である。適当に視察を終えた海舟はにこにこ顔で俺を連れて地元の豪商、小曾根乾堂を訪ねた。月が替わって四月二日のことである。そこでは年老いた乾堂とその妻、その娘、そして老婆とまだ若さの残る女が一人、そして少年と対面する。
「おめえが梅太郎か。今まで面も見せれずに悪かったな。オイラがおめえの親父だ」
なんとその少年は海舟の隠し子。なんでも長崎伝習所の頃にお玖磨とかいう女に産ませたらしい。その子は今年九つになっていた。お玖磨はすでに亡くなっていて、老婆はその母、そして女は妹らしい。この妹が梅太郎を育てたようだ。
「乾堂さんよ、今まで世話かけたな。ま、梅太郎の事はオイラに任しとけ。大人になったら立派な官吏にでもしてやるさ」
海舟のせがれには海外留学している小鹿というのがいるが、他はすべて女の子。それだけにこの梅太郎が可愛いのか、膝に乗せて一時も離さなかった。そんなこんなで感動的な親子の対面は終わり、一同に見送られながら俺たちは出港した。
「ねえ、海舟。あんた、そう言えば一人だけ長崎から戻らなかったよね。そう、築地に講武所が出来て、そこに海軍の連中が来たときだよ。なるほど、こっちにいい人がいたって訳だ」
「ま、それもあるさ。だがよ、新九郎。物事ってのは一つ事だけじゃねえ。ちゃんと船の操練も学んできたさ。それがあるからこうして年寄りになっちまった今でも海軍大輔なんてもんをやってられる」
「物は言いようって事か。民さんもかわいそうに」
「おかげでオイラは民に頭が上がらねえよ。だからな、これからは少しでも機嫌取らねえと。ま、温泉にでも行かせときゃいいさ。少しばかし風が染みらあ。オイラは先に船室に行っとくぜ」
そう言って海舟が姿を消すと、律は小声で「最低」とつぶやいた。
東京に帰り着き、海舟と共に太政大臣の三条公の下に復命に上がった。もっとお貴族様的な雰囲気だと思っていたのに普通に洋装。しゃべり方も「~でおじゃる」などとは言わなかった。期待していただけになんとなくがっかりだ。
ともあれこうして薩摩旅行は終わり、俺は日常に戻っていった。数日すると今度は久々に健吉がやってくる。
「新さん、新さん! 大変なんです」
「どうしたのさ健吉。蔦吉まで連れて」
実はこの健吉、蔦吉のいる辰巳組と手を組んで今月、浅草で撃剣興行なるものを催したらしい。撃剣興行とは相撲興行をまねて派手な衣装で木刀を打ち合うらしい。行司や見分役などもいて、五日間の興行は満員御礼の大賑わい。蔦吉たち辰巳組も客集めに奔走し、興行の出店も出したようだ。
「今回はなかなかの繁盛ぶりさね。なんせ榊原先生のお骨折りで府知事閣下のお墨付きと来たもんだ。誰に気兼ねすることなくいい商いが出来たよ」
「ええ、辰巳組のみなさんにも実によく働いて頂きました。今回がうまくいきましたので、次回は定吉先生の所にも声をかけてみようかと」
「いいねえ。きっと喜ぶよ」
「あれ以来引く手あまたでお誘いが。千葉との撃剣ともなればさらにお客も見込めますしね」
「そっか、おめでとう、健吉。お金が足りなきゃ俺が何とかするさ」
「いえ、今回は報告までと。これまですべてを注いで練り上げた剣、これで暮らしが立てられるだけでも十分です」
明治となって元幕臣だった俺たちはそれぞれの道を進んでいく。今井さんは静岡に。山岡もそこで鉱山の管理をしていると言う。そして俺たちは官吏の道へ。健吉は撃剣興行なるものを編み出した。
「そういえばさ、蔦吉。三田の土地、どうなってる?」
「ああ、あそこは相変わらず繁盛してるよ。嫌がらせで始めたくさや売りがあんだけ賑わっちまうなんてね。今じゃ慶応の塾生はくさや臭くてすぐわかるって噂になるくらいさ」
「ははっ、そうなんだ」
慶応ボーイもこのころはくさや臭かった。なんとなくだが胸がすくような爽快な気分だった。
そしてこの年の五月、大蔵大輔、井上馨が失脚した。