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明治五年(1872年)正月二日。
皇居では外国公使が参内し、新年の祝賀を述べた。そして俺たちはついに大蔵省の正規職員となる。俺は八等官出仕、給料は月に70円。容保さま、板倉さまは九等官、月に50円を貰えることになる。トシと一郎は十一等のまま、月30円。安次郎も十三等、月20円だ。そのほかの連中も等外一等、十円を貰う。
邏卒の給料が月4円であることを考えるとかなりの高給取りだ。
基本、俺たちに書類仕事は無理なので、役割としては大蔵省の武力。明確な役割を持たない参事とされた。執務室を貰い、官庁の門衛、大蔵省高官の護衛。そうしたことをトシと一郎、安次郎が中心となって行っている。その室長は容保さまである。
そして俺と板倉さまは聞多付き。聞多の護衛もかねて行動を共にすることになる。
「うむ、実にいい。働き甲斐のある役目だな、松坂」
このとおり、容保さまもご機嫌。まだ正式に決まったわけではないが大蔵省では洋服が官服。なので俺もいつもの通り、臙脂のチョッキにコート姿。容保さまと板倉さまは背広に蝶ネクタイである。トシは俺と同じ格好で、一郎と安次郎、それにほかのみんなも背広を仕立て、それにサーベルを吊っていた。
しばらく執務室でうだうだしていると聞多から呼び出しがかかった。
「新さん、それに板倉さまも、ようこそ大蔵省へ!」
聞多の側にはその右腕である、渋沢栄一。この二人が今の日本の財政を仕切っていると言っても過言ではない。
「なんか、照れるね、こういうのも」
「あはは、新さんたちがいてくれるだけでよその役所も文句を言いづらくなるってもんですわ。ねえ、栄一さん?」
「ええ、まったくもってその通り。松坂さん、大蔵省と言うのは各省からの文句が多くて。やれ予算が少ないだの、あそこは多すぎるだのと。本当に大変なんです」
「そうなんですよ、その相手をする時間だけでも。これからはそのあたりを新さんたちに、と思ってます」
「なるほどの。わかる話じゃ。わしも幕閣の頃はそれでよう、時間を取られたもんじゃ」
「でしょ? ま、あとは私たちの相談役、そんな感じで行きましょうよ」
「まあ、俺はよくわからないけど、板倉さまは詳しいもんね、その辺」
そんな話をして、ここでも従卒役となった市村鉄之助にコーヒーを貰い、あとは聞多と栄一さんの難しい話をあくびをしながら聞いていた。板倉さまは二人の話に時折口を出していたが、俺は飽きてはシガーを吸ったり、容保さまのいる執務室にいったりと、自由気ままに過ごしている。昼は官費で出前を頼めるし、ここはなかなか快適な職場であった。やはり持つべきものは話の分かる上司。うん、これだね。
だがそんなこんなで数日するとたちまちに飽きてくる。一郎は実家が二条城の門番だった、と言う事で門衛の責任者に、トシは高官の護衛。そして安次郎は二人の交代要員だ。それらの実務を掌握する容保さまは精力的に書類仕事に勤しんでいる。そして板倉さまは聞多の所。すっかり暇になった俺は容保さまに一つの提案をした。
「ねえ、容保さま。どうせならこの部屋、半分ぐらい畳を持ち込んで座敷にしませんか? そうすれば寝っ転がれるし」
「却下だ。ここは職場である」
「もう、そんな固いこと言わなくても」
「お前はどうしてそんなにだらけているのだ! 板倉殿も内藤や渡辺もしっかりと職務に励んでいるというに! いつもかつもごろごろごろごろ!」
「そんなこと言ったって」
「とにかく却下だ! お前は月に70円も頂いているのだぞ! 70円分の働きをして当然。やることがなければ何か探せ。それまでここに立ち入ることは許さん!」
俺の執務室であるはずなのに追い出された。おかしいですよね。でも逆らえばゴールドフィンガーが飛んでくるに決まっているのだ。怪我をしないうちに大人しく部屋を出ることにした。
その一月六日、容保さまにいつものように部屋を追い出されるとトシが慌ただしく駆け込んできた。
「旦那! ちょうどいいところに来た。榎本さん! 榎本さんが!」
「どうしたのさ、慌てて。榎本? あれは犯罪者だからね」
「ばっか、そうじゃねえよ! 黒田閣下の嘆願で特赦をもって出獄したんだよ! んで、今、黒田閣下と一緒にあいさつに来てる」
「へえ」
「いいからあんたも来いよ! 黒田閣下には色々世話になっただろ!」
気乗りしなかったがトシが怖い顔をするので仕方なくついていく。応接室にはすでに聞多がいて、その対面につるつる頭の了介と少しやつれた顔の榎本が座っていた。
「ぶははは! 了介、その頭どうしたの?」
「あ、こいは松坂さん。いや、恥ずかしか姿で」
「それに榎本も、元気そうじゃん」
「ユーに言われたくないね。ユーこそ相当なラッシュを決めたみたいじゃない?」
榎本はそう言いながら両手の人差し指を俺に向けてニヤッと笑った。
「はは、まあね、了介は物の分かる男だから。んで、何の話?」
了介が語るには榎本は今から親族の家で謹慎、その赦免願いの為に頭を丸めたらしい。そして赦免となった暁には自らの開拓使、そこに榎本を出仕させたいらしい。それには大蔵省を仕切る聞多の同意が必要で、それを頼みに来たのだと言う。
「井上さん、こん榎本さんはこれからの御国に絶対必要じゃっで。協力ばしてくれんですか!」
「うーん、そうねえ。けど待遇は? 流石に等外出仕って訳にもいかないでしょ?」
「そいは、そっじゃな、四等出仕っちゅうことで」
え、四等ってすごくね? 俺が八等なのに?
「そうねえ、けど、いきなり元幕臣が四等、しかも榎本さんは函館政府の首魁だし。反発もすごくあるんじゃないですか?」
「そいはオイがなんとでもすっで! 頼む! こんとおりじゃ!」
そう言って了介は聞多に頭を下げた。
「聞多、俺からも頼む、榎本さんは絶対役に立ってくれるはずだぜ?」
「トシさんまで。うーん、新さんは?」
「えっ、俺? 俺は別に」
どうでもいい、と言いかけたところでトシが俺の脇腹をつねった。
「あ、うんうんそうね、聞多の推薦があればいいんじゃない? だろ? 了介」
「松坂さん、恩に着っで」
「ま、新さんがそういうならいいけど。黒田さん、何かの時には協力してくださいよ?」
「もちろんじゃっで。北海道の方も結果を出してみせもうす!」
「うん、それじゃ私の方からも話を通しておきますわ」
了介は深々と礼をして榎本と共に立ち上がる。
「あ、そうそう、榎本、あんたの金は海舟がぜーんぶもってっちゃったからね。文句はあいつに言ってよ?」
「ホワイ? ちょ、ちょっとウェイト! それはあんまりじゃないの?」
「ほらほら、帰った帰った。聞多だって忙しいんだから!」
「んじゃ俺が門まで送ってくらぁ」
「ファック! そんな事フォーギブン、許されないんだよ!」
ファック、ファーックと叫びながら榎本は了介とトシに連れていかれた。
「全く困ったもんだよね。榎本も」
「で、何をしたんです? 新さん」
「なにって、五稜郭が降伏するときあそこの金、全部持ち出したんだよ。榎本と分けてね」
「はぁぁ、そういう事、どおりで」
「んで、その金はさ、海舟が幕臣の為の金貸しやるからって全部持って行っちゃった。渋沢さん、ああ、喜作さんの分も。俺も板倉さまも半分取られてさ、ひどい話だと思わない?」
「まあ、いろいろ言いたいこともありますけど、勝先生のおかげで幕臣たちはおとなしくしてる。政府としちゃありがたい話ですよ」
そんな風に日々を過ごしていたが一月のある日、今井さんが何やら難しい顔で鐘屋に訪れた。
「どうしたのさ、そんな難しい顔して」
「新さん、私、とうとう静岡に行くことになりました。父の病が」
「そっか、寂しくなるね」
「前にも言いましたが、くれぐれも榊原先生の事を。あの人も男谷門下だけあって人を頼れない。頼れるとすれば兄弟弟子の新さんだけなんです」
「大丈夫だよ、健吉の事は気にしないで」
「私はそれだけが心残り。先生は世渡りが」
「誰もがうまくは行かないさ。まして健吉は昔から頑固で頭が固いからね。そっちは俺に。今井さん、静岡に行っても元気で」
「はい、私はそれなりに。新さんももう若くはないのですから、無茶は控えてご自愛を」
「あはは、そうだね」
今井さんはそんなあいさつの後旅立っていった。そう、俺ももう若くない。今年は40の大台だ。人生五十年、だとするとあと十年。だが幼い娘の顔をみると未練が残る。せめて静が嫁入りするまで。いや、孫の顔も見てみたい。なるほど、欲と言うのは尽きないものだ。
それにしてもだ、このところの聞多の働きはすさまじい。栄一さんを右腕とし、板倉さまをご意見番として、数々の仕事をこなしていく。
一月には官制改革、それに全国の戸籍の調査。二月には清国の北京に公使館を設け、公使を駐在させた。そして今まで禁じられていた武家地の売り買いの自由化を決めた。無論各省庁の仕事でもあるがそれにかかる金のやりくりは大蔵省の仕事でもある。
その二月末、築地、銀座で大火事があった。
「新さん新さん! これはいい機会ですよ!」
「なにがさ」
「ほら、例の大火事ですよ! あれであのあたり一帯は更地になったんですわ」
「そうみたいだね」
「持ち主も焼かれて接収した土地も結構あるんですよ」
「それが?」
「そこを、新さんの金でばっと押さえちまうんですよ。んで、あのあたりは洋化政策の手本にすべく、煉瓦の建物、馬車の通る道、夜はガス灯をってわけで」
「ほうほう、」
「とりあえず板倉さまは新さんが頷けば三千円出せるって」
「いいんじゃない? もっと出そうか?」
「こういうのはね、塩梅が大事なんですよ。通りに面したほんの少し、そんな風にちょこちょこ買っていけばいいんです。あんまり目立つのもあれですし」
「そうだけどさ、払い下げの土地、一向に儲からないよ?」
「あれは今年。なんせ鉄道が開業しますからね。その辺ももう、わたりはつけてますって。あとは結果を御覧じろ」
「そう? なら任せるけど」
「この大蔵大輔、井上馨にお任せあれってなもんですよ」
二月末、前に山県が言っていたように兵部省は陸軍省、海軍省と二つに分かれた。そして三月、御親兵は陸軍の中でも別格の近衛と言う組織に改められる。
山県は陸軍大輔、さらには陸軍中将として近衛都督の要職に就いた。
その三月、お茶の水で万国博覧会が開催された。なんといっても目玉は名古屋城の金のしゃちほこ。そのほかにも日本各地の珍しいものが集められ、入場料は2銭とったが大好評。当初十日の予定が五十日も開催することになった。こうした事も民部省を合併した大蔵省の仕事、特に栄一さんの力によるものだ。
このことで大蔵省は大いに威厳を増し、世間では聞多の事を「今清盛」などと呼んでいた。
「ささっ! みんな飲んで! 普段忙しいんだからこういう時はぱぁぁっとやらないと!」
聞多は時折大蔵省の官吏を慰労するため料亭を借り切って派手な宴会を繰り返す。まさに平家の栄華を見るがごとしだ。当然その一員である俺たちも有頂天。みんな、楽しそうに飲んで騒いだ。
ところが驕る平家は久しからず、世は諸行無常なのである。我が世を謳歌する聞多と俺たちに暗雲が垂れ込めたのは五月の事だった。