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明治四年(1871年)十一月。大蔵卿である大久保さんが洋行、その下、大蔵大輔である聞多は鬼の居ぬ間になんとやら、とばかりに俺たちを誘って儲け話を企んでいた。
「で、具体的にはどうするのさ。」
「えへへ、仕込みはばっちりですよ! 新さん。ちょっと大きなヤマですよ、これは。」
「なら板倉さまとトシも呼ぼうか。」
「ええ、うるさいトシさんもこれならにっこりですわ。」
板倉さまとトシが加わり、鉄がコーヒーを用意してくれた。そこで聞多が詳細を口にする。
「実はね、こないだの廃藩置県、アレの後始末を私はしてたわけですよ。」
「ふむ、それで?」
板倉さまは金儲けの話と合って真剣な顔である。
「もうね、ひどいんですよ、どの藩も借金だらけ、自棄っぱちで藩札出しまくって。けど、そういう負債も政府が引き継ぐわけじゃないですか。」
「当然だの。」
「けどね、負債もあればその逆、藩が貸し付けた証文なんてのもあるわけですわ、これが。」
「ほう、興味深いの。」
聞多の語るところによれば陸奥は盛岡の南部藩、ここが領内の鍵屋と言う商家に貸し付けた証文が出てきたのだと言う。この鍵屋、村井と言う男が商う商家で尾去沢と言うところに銅山も持っている豪商でもある。しかも貸し付けた金額はなんと五万両。今でいえば五万円である。
「ね、貸したものを返してもらうだけ。ま、五万円も払えるわけないから残りはその鉱山を差し押さえって事になるでしょうけど。」
「けど、その五万円は政府の物ってわけだろ? 俺たち儲からないじゃん。」
「いやいやいや、そこはほら、やり方ひとつですよ。ねえ、板倉さま?」
「うむ、鉱山をいくらとみるかは大蔵省の判断、という訳じゃな。」
「そうなんですよ、それに鉱山の売り先もすでに。」
「政府には五万円が、わしらにもおこぼれが、という訳じゃの。して、我らは何を?」
「ほら、私って手勢がないじゃないですか。取り立てに行っても抵抗されるとねえ。だから、新さんたちにそれを、という訳ですよ。」
「しかし、そうなれば名目がいるの。いきなり踏み込んではこちらが悪者、そうなろう?」
「そこはほら、正式に大蔵省お雇いって事で。ちゃんと書類も用意しますよ? 今回は無給、経費は出しますけど。この件がうまく行きゃ、新さんたちも大蔵官僚、そういう話だって通るでしょう?」
「いいねえ、聞いた、トシ? 俺たちが大蔵官僚だぜ?」
「ああ、聞こえのいい話だ。うちも子が出来たからな、親父が無職ってのはカッコ付かねえ。」
そう、お琴はこの夏に男の子を生んだのだ。名前は歳次郎とつけられた。
「じゃがな、一つ懸念がある。井上よ、そのことを承知した上での話なのじゃろう?」
「あはは、さすがは板倉さまですね。」
聞多はそう言って事の裏話をし始めた。藩によっては借用の証文は威厳にかかわる、と言う事で藩が借りた金、その証文は逆に貸した、と言う事になっている。そういう例も結構あるのだそうだ。つまり、その村井と言う商人は藩に貸した五万円を返してもらえないだけでなく、なぜか政府に取り立てに合う事になる。
「まあ、実際はどうだかはわかりませんけどね、少なくとも南部藩に五万も貸し付けるだけの余力はなかった。」
「うわぁ、ひでえ話だな、そりゃ。」
「けどですね、真偽の分からないことですし。政府としちゃ書面通り、払うものは払って、取り立てるものは取り立てるしかないんですよ。」
「……ふむ、やはりここは備えを講じるべきじゃの。内藤、容保殿をこちらへ。」
「ああ、そうだな、あの人に話を通しとかねえと後でえらい目に合う。」
容保さまは忙しいのに、とぶつぶつ言いながらやってきて、板倉さまに概要を聞いた。
「ふむ、問題ない。会津ではそのような訳の分からぬ証文はなかった。その村井とやらが不服を申し立てるのであれば、それはあくまで南部藩。それを引き継いだ政府が言われる筋合いではない。」
「ですよね、私もそう思ってたんです! いちいち事情を聴いてたらきりがないですもんね!」
「……して、その大蔵官僚の話は誠であろうな?」
「任せてくださいよ、こう見えても大蔵大輔ですよ? 私は! それに新さんは九等官として出仕の実績もあるんですし、お手柄を上げての出仕ともなれば、今度は八等官? そうなりゃ大蔵大録のお役目ですよ! みんなだってそれなりには。」
「ふむ、松坂が大蔵大録、悪くはない。」
「力を貸してもらえます?」
「うむ、我らにできることは成そう。で、あろう? 板倉殿。」
「そういうことじゃの。容保殿、あとはわしらがうまい事やっておくわい。」
「わしは仕事があるからな。井上、板倉殿としっかり諮っておくのだ。なにせ板倉殿は元幕閣であるからな。多少やましきことがあろうともうまく丸めてくれよう。」
「はい、頼りにしてます!」
容保さまが風呂の支度に戻ると板倉さまはふう、と息をついた。
「あやつはうるさいし、細かいからの。けどこれで安心じゃ!」
「ですよねー。で、板倉さま、どうすんのさ。」
「うむ、我らに関しては問題ないの。現地に行ってその、村井だかなんだかの財を差し押さえればよい。問題は井上、そちらの根回しじゃ。」
「根回しですか?」
「その村井を斬ってしまえるなら話は別じゃが、そうでなければそ奴は誰かに縋ろう? そうじゃな、恐らくは土佐、あるいは佐賀の閣僚あたりじゃろう。そ奴らは薩長に牛耳られた政府が面白くない。ここぞとばかりにお主を糾弾しよう。」
「なるほど、ありそうな話ですわ。」
「そうなったとき、ちゃんと上の者に話を通してある、そう言えるだけの下ごしらえがいる。西郷、あるいは木戸かの? 奴らに話が通っている、となれば。」
「文句はあちらにって事ですね、さすが板倉さまですわ! 幕閣は伊達じゃないですね! けど、どうやって? 人情派の西郷さんはうんと言わんでしょうし、木戸はカッコつけだから政府が民の物を奪うなどとって、きっと言いますよ。」
「そこは我らがうまい事口添えしよう。」
「話を通すなら木戸かな?」
「なんでです、新さん?」
「木戸はさ、西郷さんと犬の件で大喧嘩してたからね。木戸がダメっていえば西郷さんは良いっていうかもしれないじゃん? 聞多が直接西郷さんに話をもって行けばさきっと木戸はすねるに決まってる。だから木戸をって事。それにさ、後ろ盾にするならやっぱり木戸よりは西郷さんだよねー。」
「ですよねー。そうですか、あの二人、何かにつけては揉めてるなっと思ってたんですよ。なるほど、原因があったんですね。」
ともかくも話はそう決まり、俺たちは大蔵省お雇いとなった。
「まあ、今度は大蔵省でございまするか? さすがは新九郎さま。ご立派です。」
「あはは、そんなたいしたもんじゃないさ、聞多が古い友達だっただけだって。」
「いいえ、聞多さん、それに春輔さんもかつてはうだつの上がらぬ御身分。そうした方とも分け隔てなくお友達であられたからこその今があるのでございます。これも新九郎さまのお手柄にございまする。ささっ、ご褒美を。」
そう言って律は俺をベッドに連れていく。子を産んだ律の体はますます、いや、これは俺だけの秘密だね。
翌日、俺と板倉さま、それに容保さまは聞多と共に太政官に顔をだす。そこには互いにぷいっと顔を背けた西郷さんと木戸がいた。聞多は昨日のうちに木戸に話を持っていき、案の定反対された。だから今日は西郷さんにも聞いてもらって最終判断、そういう運びである。
「聞多、僕はそうしたことは許さないからね。どう考えてもおかしいでしょう? 確かに証文は証文、しかし南部にそれだけの貸し付けをできる余力はなかった。他の藩でもあることだし、その、長州だって。」
「けどね、木戸、それはあくまで状況証拠じゃないですか。ともかく政府としては貸し付けの回収を急がなきゃならないんです! 藩札の交換だってしなきゃならないんですよ!?」
「いや、しかし! この件は明らかに!」
「あんたねえ! 政府には金がないんですよ! 取れるところから取る、当たり前でしょ!」
隣の西郷さんは腕を組んで目を閉じたまま口を開かない。
「のう、木戸閣下。とはいえ証文は証文であろう? 此度の件、こちらが折れては我も我もとなるに決まっておる。それらをすべて見逃す、そういうつもりかえ?」
「い、いや、そうじゃないですけど!」
「木戸閣下よ。わが会津においてはそのような不可思議な証文などはない! 長州ではあったかもしれぬがそれはそれ。法としては認めるわけにはいかぬことであると思うが? その、村井と言うものが申し立てを行うのであれば、それは政府にではなく、南部家に対してであるべき、そうは思わぬか?」
「いや、そうかもしれないですけど、これを強行しては政府内での我らの評判が。ただでさえ長州閥は金勘定、そんな風に言われてるんですから。」
「しかし、政府には金がないのじゃろ? 多少の悪名と引き換えてでもここは金をとるべきであると思うが。」
「そうですよ、木戸、ここは私が政府の為に悪名を。私はね、維新を成した一人として、この政府を守るためであれば悪名の一つや二つ厭いませんよ!」
聞多がそんなカッコいいことを言う。すると西郷さんはぐずぐずと泣き出して聞多の手を取った。
「いい、いいよ、井上さん。オイさん感動した!」
「ちょっと西郷さん!」
「木戸さんもさ、お金がなきゃ政府は立ち行かない、わかるでしょ? それに板倉さまも容保さまも元藩主、板倉さまなんか幕閣よ? その判断は尊重しないと。」
「そうですけど、事によっては政府の評判が! だって松坂さんたちですよ!」
「――あ、そうね、やっぱダメ。新さんたちに何かやらせて問題が起きないはずがないもん。」
「あーっ! そう言うこと言っちゃう!」
「だってそうじゃない! ふつうね、上官を殴ったりしないし、ましてや山県さんを大砲に詰め込んだりなんか絶対にしないの!」
「あれは俺たちのせいじゃないって言ってるだろ!」
「それも聞きました。けどね、ちょーっと文句言われたくらいであんなことしちゃだめだもの。井上さん、とにかく却下だからね!」
かっちーんと来たがその俺の袖を板倉さまがぎゅっと抑えた。つまり、ここは堪えどころ、そういう事だろう。
「ひどいな、西郷さん。確かにさ、あのときはちょっとやりすぎたかな、と思ってるよ。」
「そうそう、完全にやりすぎだからね!」
「でもさ、俺たちだって政府の為にって。昔は幕臣っていう立場だったから戦わざるおえなかったけど、今は違うから、こうして板倉さまも、容保さまも力を貸そうって。古い友達の聞多の為にって。それなのにひどいや。」
「あ、うん、ごめん、オイさんが言い過ぎた。うんうん、新さんがオイさんたちの力になろうっていう気持ち、よっくわかってる、ね?」
「西郷さん! あんた、まだ懲りてないの!? 松坂さんたちに関わって良いことなんかあるわけないでしょ!」
「うるさいなあ、木戸は。」
「ぶ、聞多!」
「新さんたちはね、私との古い付き合いもあってこうして。お二人に相談してるのも勝手にやって何かあったら困るって新さんたちが言ってくれたからですよ? それを昔の事を持ち出して。大体ねえ、この件は大蔵大輔である私の専権事項なんですよ?」
「あ、いや、そうだが。しかし聞多! この件が公になればきっと我ら長州は!」
「もう、そういうのやめましょうよ。薩摩だ長州だって。さっきも言ったでしょ? 責任は私が取ります!」
「そうだよ、木戸はほんと小さいな。だから犬の事で喧嘩するんだよ。あれは西郷さんの犬なんだからすぱっとあきらめりゃいいのに。」
「松坂さん! それは話が違う! あの子は、シロは僕の運命の相手! それなのに西郷さんは!」
「いいえ、違いません! ツンは新さんの言うようにオイさんのうちの子。よそになんかやれないんだから! そもそもシロとか、勝手に名前付けて呼ぶのやめてよ。気持ち悪い!」
「な、なにを! 西郷! あの子はシロだ! 絶対に!」
「オイさんもムカッと来ちゃうなー! そう言うこと言われると!」
二人は胸倉をつかみあい、互いに文句を言い立てる。そのすきをついて板倉さまが問いかけた。
「木戸閣下、尾去沢の件はどうなるのかの?」
「さっきも言いました! 僕は反対!」
「ならオイさんは賛成しちゃう!」
「何を!」
「何さ、文句あるの!」
「さて、帰るかの、西郷閣下のお墨付きも頂いたしの。」
「うんうん、そうだね。」
「政府の役に立てるとは、うれしき事よ。」
「ですよねー。」
西郷さんは一瞬、あっ、と言う顔をしたが犬の事が優先らしく、木戸と文句を言い合った。
「けどさあ、聞多、カッコいいこと言ってたじゃん? 政府の為なら悪名も厭わない! なんてさ。」
「そうじゃの、して、その心は?」
「あはは、実はね私、政府の仕事、嫌いなんですよ! 忙しいばっかりで、そのうえ大久保さんはうるさいし。将来は身を引こうかって。ただですね、こうして政府の高官でいるうちに一儲けしたいじゃないですか。だから今頑張ってるんです。」
「うむ、わからぬでもないな。わしも京都守護職、一刻でも早くやめたかった。あてにならぬ将軍、朝廷には敵視され、そのうえ配下は松坂だ。」
「確かにそれはきついですよね。特に配下が。」
「え、俺だってすっごく容保さまに気を使ってたんですよ?」
「ま、あの頃は佐々木がいたからな。面倒事はあ奴に。今は松坂が上。実に気楽なものよ。」
「そうですじゃの、松坂は上司としてはなかなか。わからぬことは人に聞くし、きちんと分け前もくれるからの。内藤も悪くはないがあ奴は周りの目を気にしすぎ。配下に持つにはよい男じゃがの。」
「あはは、そうそう、トシは小うるさいんですよね、容保さまと一緒で。」
「……ちょっと待て、わしはこうるさくなどないのだが?」
「自分じゃわかんないだけですって、ね、板倉さま?」
「ま、そういうもんじゃの。」
「はぁ? わしはそのような事認めぬ! 認めないんだから!」
「ほらほら、喧嘩しなくてもいいじゃないですか。がっぽり儲けてみんな仲良く、そうでしょ?」
「そうじゃな、うひょひょひょ。」
この日、詳細を話し合い、俺たちは翌日、大蔵省の官吏として統合され秋田県となったばかりの鹿角群にある尾去沢銅山に向かった。