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明治四年(1871年)九月。
御親兵を二日でクビになった俺たちは悠々自適に過ごしていた。まあ、クビとはいえ、俺は元御親兵の少尉だ。娘が大きくなった時、胸を張ってこう言える。
「父さんはね、帝を守る御親兵の隊長だったんだよ。」と。なんでやめちゃったの? と聞かれたら、聞かれたら、どうしよう。
ま、いっか。その時は山県閣下を守るため奮戦してけがをしたとか言っとこう。
そんなことを考えて座敷でごろごろしていると容保さまがやってきた。
「松坂、何をしている。次の勤め先を探さぬか! それが上に立つものの役目であろう!」
えっ? と答える俺の背中を押し、「決まるまで帰ってくるな」と追い出されてしまう。マジか! これだからワーカーホーリックは困る。ともかくも一人は嫌なので、トシを捕まえてつき合わせた。
「けどよぉ、旦那、邏卒もダメ、御親兵もダメ、他にできることあんのか?」
「そんなこと言ったってどうしようもないだろ。見つけるまで帰ってくるな、って言われたんだし。」
「とりあえず、西郷、大久保、といった薩摩の連中はもうダメだろ。って事は長州か?」
そんなわけで俺たちはいつも通り大蔵省に向かう。もちろん頼るのは我らが聞多さんだ。
「何をしに来たのですかな? んっ?」
聞多の部屋に行こうとしたところで一蔵さんにばったり。そう、一蔵さんは大蔵卿になっていたのだ。
「あ、いや、そのね。」
「井上さんは忙しい身! 要件なら私が伺いますが?」
「あはは、大久保閣下を煩わせるなんて悪いし、ねえ? トシ。」
「あ、ああ、そうだ。ちっとばかし聞多の顔を覗きに来ただけなんで。忙しいならしょうがねえな、帰るとするか、旦那?」
「うん、そうだね。あはは、一蔵さんも体壊さないようにね。ははっ。」
「お気遣い感謝します。今は、先日の御親兵の件で忙しくありますからな!」
「ははっ、そう、それじゃ俺たちはこれで。」
逃げるように大蔵省を後にする。しばらくここには近寄らない方がよさそうだ。
「どうすんだ?」
「うーん、気は進まないけど木戸の所にでも行くか。」
「だな。他に宛てがねえ。春輔でも居りゃ違うんだろうがな。」
「ほんとだよ、あいつ、こういう時に役に立たないよね。」
通りで人力車を拾い、九段北の木戸邸へ。すっかり新しく建て直された木戸邸は実に豪華な造りだった。
ドアをノックし現れた女中は俺たちを見て、ひぃっ! と小さく叫んだ。ともかく俺たちはずかずかと上がりこむ。
「あ、女中さん、コーヒーね? 木戸は二階かな、あ、案内はいいよ、勝手に探すし。」
手間をかけちゃ悪いからね。俺たちは二階に上がりそれっぽい部屋の扉を開けた。そこでは木戸が新聞を広げ、紅茶を啜っていた。
「……なに?」
「なに? ってずいぶんつれないじゃん。へえ、新聞かぁ、最近じゃ結構取ってるとこ多いよね。鐘屋でも取ってるし。」
そう言って長椅子にトシと二人で腰かけると女中さんがびくびく震えながら俺たちの前にコーヒーを置いた。
「あっ、昼は鰻なんかいいかも。」
「お、いいじゃねえか? 木戸はどうすんだ?」
「じゃ、僕もってっちがーう! なんでいるの? しかもなんで昼飯まで食っていく気なの?」
「いいじゃねえか、細かいことは言いっこなしで。でさ、」
「何!」
「聞いてるかもしれないけど、俺たち御親兵をクビになっちゃって。長州の奴らのせいでさ。ひどいと思わない?」
「思いませんけど! あんた、狂介を大砲に詰めて撃ちだそうとしたんだって!?」
「あれはほら、軍事技術の研究的な? 前向きな努力の結果で。」
「調練中に大喧嘩、上官の桐野少将をぶん殴って、兵部大輔たる、狂介を大砲に詰めて撃ちだそうとした。普通に三回はクビでもおかしくないですからね!」
「あのさ、そういう細かいことにこだわってると禿げるよ? 切り替えていかなきゃ。でね、俺たちは政府の為に働きたいわけ、だけどほら、俺たちって元幕臣じゃん? いろいろ厳しいわけよ。だからさ、ここは木戸閣下の口利きで。」
「あのね、君たちが採用されないのは幕臣とか関係ないから。むしろよく幕府が君たちを抱えてたよね、そっちの方が驚きだよ!」
「え、だって俺、旗本だし。講武所でも剣術教授方の筆頭よ? 見廻組でも与頭だし。幕府は俺を上手に使ってくれてたの。政府にはその器量が欠けてるんじゃない?」
「んっ、んんっ、そうじゃないよね。まあいい、僕の力をもって何とかしてあげたいのは山々なんだけど、今回西郷さんが怒っちゃってるからね。君たちを政府の仕事に就けるのは許さないって。」
「ひどいな、横暴ですよ、それは!」
「横暴は君たち、わかる? ま、とにかく僕も西郷さんに用事があるから一緒に行こうか。そこで君たちが頭を下げれば西郷さんだって。」
「あの人もねちっこいところがあるもんね。」
「いいえ、そういう問題じゃないの。君たちはね、少しは自分のやってきたこと考えた方がいいよ?」
「まあ、いいじゃねえか、木戸。西郷さんだって旦那が悪かったっていや、根に持つようなお人じゃねえさ。鰻でも食って、みんなで行こうぜ?」
「そうだね、カンカンだったもんね。」
木戸のところで鰻をごちそうになり、木戸と一緒に馬車に乗り込んで日本橋にある西郷さんの屋敷を訪ねた。
門を入ると中には数十匹の犬が。わんわん! キャンキャンと見慣れぬ俺たちに絡みつく。
「こら、やめなさいって! 噛むんじゃない! あ、そこはダメ!」
木戸は動物にはなつかれるタイプのようで、犬たちは木戸のズボンのすそを噛んだり、とびかかったりした。
「うわぁ、可愛いねぇ。」
「うんうん、ほらみろ、こいつなんか丸々して、もふもふ。あー、あのちっちゃいの、よーし、いい子でしゅねぇ。」
「なに、お客さん? あら、木戸さん、それに新さんも。まあ、上がってよ、汚いとこだけど。」
出てきた西郷さんが俺たちを屋敷の中に迎え入れる。そこは本当にきったないところだった。何しろ家の中まで犬が走り回り、障子も襖もめちゃくちゃ。
「あー、ほら、ハナちゃん! おしっこはそこでしちゃだめでしょ! ほら、そっちはけんかしないの!」
西郷さんは忙しく犬たちを追っていく。その間俺たちはよちよちと歩いてきた子犬に夢中だった。
「いいなぁ、可愛いなあ! ねえ、松坂さん。」
「ほんとだよね、みて、足なんかぷっくぷく。」
「でもこっちの大きいのも精悍な顔立ちだぜ? きりっとしてて男前じゃねえか。」
「ねえねえ、一匹ぐらいもらっていってもわかんなくね?」
「松坂さん、そのような真似は。あー。でもいいなぁ!」
「西郷さんに言えばくれるんじゃねえか? 俺はこいつがいいな。」
「僕はこの子が。額が白くてかわいい!」
「んじゃ俺はこっちの黒いのかな。」
俺たちが子犬を懐にしまおうとしたときに西郷さんが戻ってきた。
「あはは、ごめんね、騒がしくって。オイさん犬が大好きで。ほら、太りすぎだーってみんなが言うから鹿児島では犬連れて山で狩りしたり、川で魚をとったりしてたの。えへ、可愛いでしょ。」
「うんうん、一匹ちょうだいよ。大事にするからさ。」
「僕もこの子が欲しい。なあ、シロ?」
「俺はこいつがいい。」
そう言うと急に西郷さんの顔色が変わった。
「ダメ、絶対にあげないんだから! ちょっと返して! うちの子たち!」
「えー、いいじゃん! いっぱいいるんだし。」
「ダメです、新さん、この子たちだって親がいるの。そんな勝手にポンポンやりわたしできるはずないでしょ?」
「ちぇ、ケチ。」
「ケチでいいんです! ほら、木戸さんも!」
「……嫌だ!」
「嫌じゃないでしょ! 子供じゃないんだから!」
「僕はこのシロと運命の出会いを果たしたんだ! 誰にも邪魔はさせん!」
「あんたねえ! いい加減にしなさいよ! そもそもその子はシロじゃないから! ツンっていうオイさんがつけた立派な名前があるの!」
「なんだそのへんな名は! この子はシロ、それ以外は認めん!」
このことがきっかけで木戸と西郷さんは大喧嘩。終いには政策がどうのとか、難しい話で揉めだした。
「だいたいですねぇ、西郷さん! あなたは甘いんです! 士族たちの事だって!」
「それは違うよ! 士族たちにだって生きる道が無ければやれ反乱だなんだってなってくるんだからね! あんた、長州でこないだひどい目にあったばっかりじゃない!」
ワーワーと言い争う二人を後目に俺たちは犬と戯れていたが、それもやがて飽きてくる。
「帰ろっか。」
「そうだな。あ、犬の毛がいっぱいついてる。」
俺たちは木戸を置いて馬車で帰った。犬の毛は馬車の椅子になすりつけ、トシと互いに取り合った分は床に散らしておいた。
その日は結局、収穫無し。明日もちゃんと就職先を探すから、と容保さまに言い訳して家に入れてもらった。
それからしばらく、朝になると家を叩きだされ、夕方に言い訳をして帰り着く、そんな生活が続いた。まさに状況は会社がつぶれたサラリーマンである。
「けどさあ、トシ、よく考えりゃ俺たちもいい年じゃん? 雇うなら若い奴をってなるよね。」
「まあな。素直な奴の方が使いやすいのは確かだ。」
「それにさ、幕府の頃だって、職を得るのはやっとだったわけじゃん?」
「そうだな。世に出れねえ奴はわんさかいた。」
「政府だってさ、そう簡単に人を雇えるはずもないよね。容保さまは殿様だったからそういうのわかんないんだよ。」
職を求めるとはいえ、訪ねて回れるところなどそうあるはずもなく、俺とトシは毎日どうやって時間をつぶすかに頭を悩ませていた。金だけはあるので昼飯は良いところで食ったし、買い食いしようと思えば何でも買える。けれどそれだけ。金を使おうにも欲しいものなんてそんなにないのだ。
ともかくも何か仕事になるような事を探す、と言う名目で以前に買い求めた土地を見て回ることにした。
そんなことをしている間にも世はどんどん進んでいく。八月には御親兵の他に鎮台と言うものが新たに再編成された。これは地方軍ともいうべきもので、本営を仙台、東京、大阪、熊本に置き、その近隣に分営がおかれる。東京鎮台の場合は宇都宮、それに新潟にその分営があった。
そして木戸が進めていた華族と平民の縁組も許され、九月になると正午を知らせる空砲が東京城で打ち鳴らされる。これはドンと呼ばれ、昼で仕事が終わる日の事を「半ドン」と呼ぶ習わす事になる。
十月になると、宗門の人別帳が廃止され、寺は戸籍管理の仕事を取り上げられる。単なる宗教施設となった寺の格はまた落ちた。そしてついに邏卒三千人が東京の治安維持に配置された。
「あーあ、俺たちも邏卒がよかったな。軍はどうも性に合わない。」
「まあな、ああもきっちり階級で分けられちゃ面白くもねえし。聞いたか? 宇都宮の分営じゃ、二十歳そこそこの少佐殿がいらっしゃるんだとさ。」
「はは、何の手柄で出世したの? そいつ。」
「聞いた話じゃ山県、それに黒田閣下の推挙があったとか。」
「へえ、絶対俺の方が強いと思うけどな。」
「ま、そりゃそうだ。その少佐殿は長州だからな。いろいろと伝手があるんだろうぜ。」
そして十一月、ついに新橋駅が落成。その落成式をみんなで見に行った。うちの土地は見事に真ん前。すでに駅前開発は始まっているにも関わらず、板塀で囲われたうちの土地だけが草ぼうぼうの荒れ地だった。
「ここに実際に汽車が走って人が集まるようになれば、この土地は垂涎の的、ともなるの。そうなれば一年契約で土地を貸し、毎年値を釣り上げればよいのじゃ。」
うひょひょ、っと板倉さまは下品な笑い声を漏らした。
そしてその十一月下旬、満面の笑みで聞多がうちに訪ねてきた。
「ちょっと、聞いてくださいよ。実はね、大久保さんは岩倉公たちと一緒に洋行、数年は帰ってきません。そして留守を預かるのは西郷さんと木戸、あの二人は実務なんかわかりゃしませんからね。」
「つまり、どういう事?」
「いいですか、私は大蔵大輔。上の大蔵卿の大久保さんは留守なわけですよ。そして今の大蔵省は民部省と合併して絶大な権限を持ってるわけです。」
「もしかしてもしかすると?」
「そう、儲けるなら今でしょ! って事です。」
さすが俺たちの聞多さんだ。大蔵大輔 井上馨。その強欲さは伊達じゃない!