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 明治四年(1871年)正月。


 新たな年を迎えた俺たちは今年の抱負を誓い、安寧を祈願するため、上野東照宮、湯島天神、そして神田明神に詣でた。昨年に生まれた静は律に抱かれ、すやすやと眠っていた。


「奥方、そろそろ疲れたであろう? 静はわしが抱えよう。」


 容保さまは半ば強引に静を奪って抱くととろけた顔でその寝顔を見つめていた。実子も何人かいるのだが生まれてすぐに引き離され寂しいのだろうと、みんなほほえましく容保さまを見ていた。


 そしてトシの所もお琴が妊娠。まだお腹は大きくはないが、いささか体調が悪そうだ。


 こうしてみんな家族が増え、俺たちも今年からは邏卒として働けそうだ。実に充実した正月を迎えられた。


 鐘屋に戻ると雇い入れた乳母が自分の子を抱え、容保さまから静を受け取った。律は乳の出があまりよくない。医者の見立てでは病気とかではなく、体質的な物だろうと言う事だった。


 冬の間は洋室で過ごす。部屋の中にはストーブもあり、実に快適。その上に乗せたやかんがしゅんしゅんと湯気を上げていた。その湯で淹れたコーヒーを啜ると律が身を寄せてくる。


「わたくしも子をなすことができ、こうして隣には新九郎さま。昨日よりも今日が幸せ。今日より明日はもっと。」


「ははっ、俺もさ。」


 そのあとは熱い哲学の時間である。子を産んだ律はますます色気と性欲を増していた。



 そして二月、定さんや、健吉の門弟の所には次々と合格通知が。試験を受けた人はすべて合格との事だ。そしてうちには次のような文が届いた。


『此度はご要望に添う事適わず。貴殿のますますの発展をお祈り申し上げる。』


 俺だけじゃなく、全員に同じ内容の文が届いた。


「あれっ? これってどういう意味?」


「えっと。添いかねるって事はだ。ダメってことか?」


「ふむ、我らが試験に通らぬ、いささか裏がありそうな事よ。」


「ですよね、おかしいですもん。」


「あれだ、政治がらみじゃねえのか? 旦那も容保さまも俺も、なんせとびっきりの賊軍だからな。ほかの連中とはわけが違うだろ?」


「いや、そうであれば初めから我らはダメ、そう伝えるべきであろう? 試験を受けさせた以上は成績で判断するのが道理。これは、問いただす必要があるな。」


「そうですよね! 容保さまは京都守護職、俺は見廻組の与頭で、トシは新選組の副長、市中見廻りとなれば、俺たち以上の働きができる奴なんかいないのに!」


「ほんまえこひいきみたいなもんや。政府がそないな事したらあかんどすやろ。」


「「コロース!」」


 ともかくも文句、いや、問いただす必要があると言う事になって、俺と容保さまが弾正台に赴いた。数を頼んでの強訴、そうみられるのは不本意との容保さまの提案である。


「あ、あはは、その今回は残念な事になりましたけど、松坂さんたちの志は十分に政府に伝わりましたから。」


 安藤さんは俺の顔を見ると、引きつった表情でそういった。


「安藤さん、試験に落ちたことは別にいいんだ。だけどさ、俺たちは剣術でも誰よりも成績が良かったはずだろ? 納得できる理由を聞かせてくれる?」


 俺の後ろでは容保さまが一文銭を軽く弾きながら弄んでいた。


「えっと、そのですね。総合的な判断と言うかなんというか。」


 額に汗をいっぱいに浮かべた安藤さんがその汗を手ぬぐいで拭きながらそう答える。


「それじゃわからないよ。ねえ、容保さま?」


 容保さまは何も答えず、いきなり指弾を発射、それは安藤さんの机に当たり、バンッと大きな音を立てその足を砕いた。がたんっと机が傾いてその上にあった書類が床に散り、割れたインク壺がそれを汚した。安藤さんはひぃっと一声上げて椅子から立ち上がる。


「して、どうなのだ?」


「は、はいっ! そのですね、私もこうしたことは上の判断が必要、そう思いまして! 大久保閣下に判断を仰いだのでありまして!」


「つまり、大久保が我らを採用しなかった。そう言う事だな?」


「私は進言したんですよ! こういうことになるから、もっと穏便にと!」


「そうだよね、おかしいと思った。俺たちの実力を知る安藤さんが試験に落とすなんてありえないもの。それじゃ、行こうか、安藤さん?」


「えっと、どちらへ?」


「決まってるさ、一蔵さん、いや、大久保閣下の所。その存念をしっかり聞いておかないとね。」


「わ、私もですか?」


「だって、大久保閣下、忙しいんだろ? 門前払いとかされたらカチンとくるじゃん。」


「そうだな、大久保の屋敷は今日中に無くなることになる。」


「あっ、はい、そうですよね、そうじゃないかと思ってました。私が取り次ぎますからあとは大久保閣下とお話を!」


 安藤さんが仕立ててくれた馬車に乗り、大久保さんのいる東京城内の太政官に向かう。途中、なんども誰何を受けたが安藤さんが対応、すんなりと通してもらえた。


「ふむ、ここも懐かしいものだな。」


「ははっ、俺なんか家定公の時、お目見えで登城したのと、海舟にくっついて上がったきりです。」


 その太政官、中に入り、大久保閣下の執務室を訪ねる。


「大久保閣下、安藤です。」


「入りなさい。」


 安藤さんの後ろにくっついて、俺と容保さまも一緒に入ってしまう。面倒なやり取りの後で返されでもしたらたまらないのだ。


 そして久々に見る一蔵さん、いや、大久保閣下は俺たちを見ると目を見開き、顔をほころばせ立ち上がった。やはり聞多と同じく、いや、それ以上にやつれていたが。


「新九郎さん! それに、会津候、いやあ、お久しぶりですな。」


 すっかりなまりのとれた一蔵さんはそう言って俺たちに長椅子を進め、手ずからお茶を淹れてくれた。


「安藤君、君は下がりなさい。」


「はいっ!」


 喜んで、と言いそうな顔で安藤さんは部屋を出ていった。


「して、ないごとでごわすか? いやぁ、うれしかぁ! オイも新九郎さんが無事じゃって吉之助サァから聞いちょって、顔の一つでも出さんばち思うちょりました。

 しかし、こん忙しさにかまけて不義理を。申し訳なか。あっ、つい国の言葉が。みなにお国言葉を改めるよう言うちょるオイがこいじゃいかん。あはは。」


「いや、一蔵さんも忙しいって聞いてたからこっちも遠慮しててね。まあ、今のこの国は一蔵さんの肩にかかってるから。」


「そいでごわす、いや、そうですな。数々の不義理を働き、たくさんの人が死んだ。そうまでして成し遂げた維新、国を誤っては私は誰にも顔向けができませんから。色々と不都合な事もあるとは思いますがそれも国の為、どうか堪えていただきたい!」


 机に手をついて一蔵さんは俺たちに頭を下げた。うーむ、困ったぞ。これじゃ文句も言いづらい。そう思って容保さまを肘でつついた。


「うむ、大久保、いや、大久保閣下と言わねばいかぬな。頭を上げられよ。」


「会津候、この通りで。私が長州を押さえきれぬばかりにあれほどに激しいいくさに!」


「確かに会津は大きな傷を負った。だが誰かがせねばならぬ役回りでもあったのだ。世が変わった、そうしたことを示すには戦いがいる。会津の民には申し訳なく思っているが、こればかりは仕方なき事。いずれにしても過ぎた事よ。して、政府はうまくいっておるのか?」


 容保さまがそう言うと一蔵さんは顔を上げ、今の政府の現状を話し始めた。それによれば今年の初め、参議である長州の大物、広沢真臣が謎の死を遂げ、政府は大きな痛手を味わった。維新ののち、横井小楠、大村益次郎、そしてこの広沢と、大きく影響力を持つ人物が三人も凶刃に倒れた。

 その一方で政府内部もなかなか一枚岩とはいかず、佐賀出身の官僚、大隈重信が頭角を現し、参議になりおおせたのだという。これを推した木戸と反対する一蔵さんは大いに揉めたらしい。


「私はこうしたときに皆をまとめるだけの力が。やはり吉之助サァのようにはいかぬのですよ。」


 そして今年中には廃藩置県を行い、通貨も改定する。これを成さねば公卿や大名の横槍は止まらず、維新の実を成すことができない。東京は着々と近代化を進めているが、地方、特に藩知事たちの納めるところは今だ旧態のままだと言う。そして通貨改定、これは外国との取引を円滑に行う目的の他、各藩の藩札の発行を阻止する目的もあるらしい。

 特に廃藩置県は難事業。大名がそれまで保持してきた権益を簡単に手放すはずもなく、大きな反発が予測される。


「して策は?」


「吉之助サァ、それに長州の山県君、土佐からは板垣君が上京しております。今月にも御親兵を編成、その武威をもって一時にと。これを成せれば今の藩閥政治も収まりをつけられるかと。私が官吏にお国言葉を改めるよう指示しているのもこの為。言葉による同郷意識が強くてはいつまでたっても藩閥はなくならず、薩長の出自でなければ要職に付けない。それでは世が変わった意味がない。」


「けどさあ、その大隈さん? その人は佐賀なんだろ。なんでダメなのさ。」


「土佐に佐賀、この二藩は遅ればせながらと、自身の藩閥をこしらえるつもりです。木戸さんは藩閥を保ちたい、だから彼を推す。それゆえに私とは合わぬのです。これからは維新の功臣ではなく、政府での功を上げたものが要職に付かねば。」


 一蔵さんの語る藩閥政治の解消、そのために一番の障害となるのは自身の基盤である薩摩であるという。国の為に今度は故郷に不義理を働かねばならない。そう言って自嘲気味に笑った。


「なるほどな、して、我らも政府の為に、そう思い邏卒に応募したのだが?」


「あ、う、それはでございますな。その。あの。」


 容保さまが本題をズバッと切り出すと一蔵さんは目を白黒させて立ち上がり、机から一束の書類を持ってきた。


「その、でござりますな、容保さま、あなたがもし、もし、私の立場にあったとして、このような事を書いた方を採用されます?」


 拝見、と口にして容保さまはぺらぺらとその書類をめくっていく。横から覗き見ると、それは俺たちの答案用紙だった。


 高橋安次郎 回答欄はすべて「コロース!」としか書いていない。


 渡辺一郎 大砲を味方に向けて撃つとぞくぞくする。と回答。


 内藤歳三 規律の守れない奴は切腹。半分くらい腹を切らせれば規律を守らない奴はいなくなる。そう書き記してあった。


 他の面々も似たようなもので、邏卒になったら人を斬っていいんですよね? とか、斬っていいのは悪い奴と気に入らない奴ですよね? とか書いてあった。


「うわ、ひどいねーこれ。」


 容保さまはプルプルと震え、顔を真っ赤にしていた。そしておもむろに「忘れろぉ!」と叫び一蔵さんの額に指弾を放った。一蔵さんの頭が首がもげそうなほどに弾かれて、戻ったときにはカクっと首が斜めになっていた。薩摩隼人はこれくらいでは気絶などしないのだ。


「して、なぜ我らが試験に通らなかったのだ? 大久保。」


 何事もなかったかのように再び容保さまは問いを繰り返した。


「無理ザンス! そーんな危ない人たち雇えるはずもないザンス! そんなことしたら東京から人がいなくなるザンス!」


 カクカクカクっと壊れたおもちゃのように一蔵さんは答えた。うーん、そうだよね。普通雇わないもの。


「いささか威力が足りなかったようだな。」


 そう言って容保さまが雷光の構えを取ると、一蔵さんは「ひぃっ!」っと縮こまった。その時、ドカドカと足音がして扉がバンッと開かれた。


「一蔵どん! まだ生きてる!? ああ、よかった。オイさん慌てたもの!」


「どういうことだほ? 大久保さんが殺されるわけないだほ。」


 入ってきたのは軍服姿の二人の男、一人は西郷さん、そしてもう一人は初めて見る男だった。


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