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選抜試験、しかも市中見廻りの邏卒隊となれば、その試験は剣術、主に竹刀打ちになるだろう。そうあたりをつけた俺はみんなと共に剣術の稽古に精を出す。
道場は桶町の小千葉道場。そして車坂の榊原道場と二手に分かれる。なぜかと言えば、安次郎以下、うちの連中は小千葉では稽古にならず、かといって健吉の所では腕の劣るトシたちがついていけない。トシ、鉄、それに容保さま。この三人は竹刀打ちがまだまだなのだ。
小千葉の方は教え方のうまい定さんと婿の一郎に師範役を任せ、俺は健吉の所で榊原門下を相手する。そして健吉はうちの連中を鍛えていた。
「ほら、その小手は見え見えだよ、今井さん!」
そう言って今井さんをひっくり返し、面を剥ぐ。
「あはは、まだまだですね。」
「今井さんもそうだけどさ、みんな健吉と剣筋が似すぎ。だから読めるし、怖くないんだよ。」
そう、そして健吉ほど振りが速くない。技においては健吉に勝る。それを再確認できた。
そしてあちらではうちの連中が健吉にばったばったと薙ぎ倒されていた。ともかく健吉の振りはとてつもなく速くて重いのだ。
「ふむ、さすがは元講武所、そして新さんが鍛え上げただけの事はありますな。さすがに私も本気で当たらねば危うい。」
そう言って汗を拭く健吉。まあ、汗をかかせただけでも良しとするべきだろう。なにせ相手は当世の剣聖と囁かれつつある直心影流十四代の榊原健吉なのだから。
「新さん、昼からは小千葉の方に赴いてみませんか? 私も定吉先生の剣を久々に拝見したく。」
「そうね、定さんは竹刀打ち上手だし。」
「今井さん、こちらは頼みますよ?」
「はい、お任せを。」
今井さんのこしらえた握り飯とみそ汁の昼飯を済ませ、満開の桜並木を健吉と連れ立って歩いた。
「こうして二人で歩くのも久しぶりですね。」
「そうだね。で、どう? 健吉、親父殿に追いつけそう?」
「あはは、無理ですね。ただ、山の頂がうっすらですが見えた気はしますけれど。私が仮に追いつけたとしてもそれは剣だけ。体術も人格もとても。」
「そうだね、覚えてる? 築地に講武所があったとき。」
「ええ、忘れようにも忘れられませんよ。海軍に殴りこんだ時、新さんも私も一瞬で先生に打ちのめされて。気って言うんですかね? こう、湯気のようなものが体から発せられているのが見えて。」
「そうそう、一瞬だけしか見えなくて。すぐ気絶したから。」
「それらを含めて追いつけるか、と言われれば。」
「無理だよねぇ、普通に。」
さて、小千葉道場である。そこでは佐奈が面をつけ、因縁の相手、容保さまと立ち会っていた。佐奈は薙刀だけでなく、剣もなかなかにやるようで容保さまをいいようにあしらっていた。
「ほらほら、会津の武士ってのはそんなもんなの?」
「くっ! 許さぬ!」
そしてこちらでは一郎がトシを相手に稽古をつけていた。
「新選組の荒稽古も大したことおまへんなぁ! ほら、面!」
「あー、くそ! もう一本だ!」
「あら、新さん、それに榊原先生も! 見て、結構な熱の入りようでしょ?」
「うん、頑張ってるね、容保さまもトシも。」
「そうなのよ、それにしても一郎さん、強いねえ。トシさんだって剣筋はなかなかよ? それをああも簡単に。」
「まあ、一郎は器用だしね。でも竹刀打ちなら定さんには及ばないでしょ?」
「もう、その気にさせてどうするつもり? お父さんも頑張っちゃおうかな!」
そう言って定さんはいそいそと面をつけ始め、一郎と交代した。だがこちらもトシがにやっと笑う健吉と交代していた。
「え、ちょっと! 榊原先生?」
「一度お手合わせをお願いしたかったのですよ、定吉先生?」
「ううん、お父さんはお願いされたくないんです!」
まあ、いいから、とぶるぶると首を振る定さんを健吉の前に突き出した。ところが定さん、いざとなると強いのだ。すすすっと身軽に動き、その竹刀の先は変幻自在。なんと健吉が防戦一方だ。しかし健吉も直心影流を背負った男。その音速の一振りで小手を決めると定さんは竹刀を取り落としてしまう。
二本目は定さんが華麗に面を決め、三本目は面の相打ち。だが、健吉の方が振りが速かった。
「いやあ、もう、たまりませんよ、実際。榊原先生にも温情の一本をだなんて。」
「いえ、あれは紛れもなく定吉先生の技、私はかわし切れませんでした。」
「そう? それならうれしいけど。けどあれだね、男谷先生は仕方ないとして、そのあとを継いだ榊原先生にも勝てないなんて。こりゃ門弟も減るわけですよ。」
「そこはさ、定さん、健吉はかつて将軍ご指南役だったんだから。仕方ないと言えば仕方ないさ。」
「そう、そうだよね? 町道場のお父さんと、将軍指南役じゃ違って当たり前だもの! ねえ、佐奈? そうだよね?」
「そうですよ。お父さんは十分にお強いですから。」
そのあと俺も混じって稽古して、最後に健吉と立ち会った。
健吉は相変わらずの堂々とした構え。そこから音速の一振りが繰り出される。俺の読みがわずかでも遅れれば勝ちは掴めない。
ピクリっと健吉の剣先が動く。それに合わせて面を打った。だがやはり健吉が速く、俺は一本取られてしまう。二本目は積極的に打って出て、その合間に隙を作り、そこに健吉が打ち込んだところで返し技を決めた。そして三本目、出端の小手を狙ったが、ほんの少しの差で遅れてしまう。結局健吉には勝てなかった。
「いやあ、もう、恐ろしいです。あの返し技、そして三本目の見切り。私が勝てたのは偶然、ただそれだけですね。差と言えるほどのものはもうありませんよ、新さん。」
「けどやっぱり届かなかったさ。その少しが遠いんだよ、健吉。」
「いやいや実に素晴らしい勝負ですよ? お父さんなんか思わず息をするのも忘れてたもの。」
「だな、俺らじゃどうあがいてもあそこには届かねえ。だろ? 一郎さん。」
「そんなん目指す方が間違っとるんどす。あれに加えて組技や拳、それに指弾があるんどすえ? 普通に無理どすやろ。」
「だな、ま、旦那は百人から斬ってんだ。違って当たり前だな。」
「ふむ、剣ではわしは遠く及ばぬな。」
五月になると聞多から文で報せが届いた。邏卒の募集は九月、そして試験は冬の頃。合否の発表は来年の春になるだろうと言う事だ。つまり努力できる時間はまだまだあると言う事。生まれてくる子、そして律の為にも必勝を期さねば。
ともかくも俺たちは努力した。その努力の結果もあって、トシは一郎から数回に一度は一本をとれるようになり、容保さまも佐奈といい勝負ができるまでになっていた。そしてうちの連中もどの道場でも師範が務まるくらいには腕を上げていた。
九月の募集には俺たちだけでなく、健吉の門下や、小千葉も門下もみんな応募した。みんな、どうせなら仕事に剣を役立てたい、それには邏卒と言う仕事はもってこいだ。
そして十月、律は待望の我が子を産んだ。生まれたのは女の子。それこそ鐘屋の連中も容保さま、板倉さまも、定さんも健吉も今井さんもみんな集まってお祝いしてくれた。その子には、親父殿の号、静斎から一字頂いて、静と名付けた。
その静が生まれてからと言うもの暇を持て余すうちの連中は毎日のようにあやしに来る。特に容保さまは親の俺よりも静のそばにいた。おしめを替えたり、乳を吐き戻したとあればそれを片付けたりとびっくりするくらいまめまめしいのだ。
トシをはじめとしたうちの連中は自分も子が欲しいと子作りに励みだす。子供がいる、それだけで雰囲気がびっくりするほど明るくなった。
十二月、小雪降る中、弾正台で邏卒採用試験が行われる。午前は筆記、そして午後は剣術の実技である。採用予定は三千人とあって、数日に分かれて試験が行われた。俺たちはその初日である。
「はい、こちらに姓名を記載してくださいね。」
ほんの少し、イントネーションに薩摩なまりののこる受付の人に促されて俺たちは名前を書いていく。
「はい、次の人。」
次の人は容保さま。松、と言う字まで書いてうーん、と悩んでしまう。だよね、ですよね、松平容保って書いちゃまずいもん。声をかけるのも不自然なのでそのまま見ていたら、なんと、松坂容保と書きやがった。
「はは、あちらにいるのは兄でしてな。」
「そうでしたか、ご兄弟で政府の為に、見上げた心意気です。」
しかもなぜか兄弟設定。やめてよね。天下最強の弟とかいらないし。
「さ、兄上、参りましょうぞ?」
「あ、うん。」
さて、それはそれとして、筆記試験である。法令とかそういうのはないみたいで、元幕臣とかを対象としている為、どちらかと言えば思想チェック? そんな内容だった。
設問1.戊辰戦争の始まりとなった鳥羽伏見、あなたはどこで、何をしていたか正直に答えなさい。
正直にか。そうだよね、警察組織になるわけだし、嘘はまずいもんね。
回答 私は京都見廻組の与頭として幕軍に参加していました。赤池の関所で薩摩の士官が生意気な事を言ったので殴りつけたら何故か戦争がはじまりました。その士官は手柄首として刺し殺しておきました。
設問2.大阪城にいた徳川慶喜公はわずかな手勢と共に江戸に戻りました。そのことについてどう思うか正直に答えなさい。
ううむ、ひっかけ問題のような気がする。ここで慶喜は恭順したのだから逃げて当たり前、と書けば武士としてダメな奴、と思われてしまう。かといって慶喜は情けない、と書けば政府に反抗する気だと取られる可能性が。ううむ、やはりここは正直に。
回答 慶喜はクズで最低の野郎だと思います。ちなみに大阪城に残った物資はもったいないので頂いておきました。ものを大事にしない人っていけないと思います。
設問3.江戸城開城、その時にあなたは何をしていましたか? 正直に答えなさい。
江戸城開城か。うむ、これも正直に。
回答 いとこの勝安房守と薩摩藩邸に赴き、西郷閣下と談義を。西郷閣下の聞き分けが悪かったので指弾をぶち込んでおきました。勝安房守は江戸城に金を残しておいてはもったいないと散財していました。私も五千両ほど頂いたと思います。ほんと勝安房守は最低だと思います。
設問4.宇都宮、そして北陸、会津と戦争が続きましたが、あなたはその時、どこでで何をしていましたか? 正直に答えなさい。
回答 土方とかいうダメな指揮官につけられて大変でした。宇都宮では土佐の赤熊を被った士官を結構な数討ち取りました。ああいう被り物はカッコいいと思います。
まあ、多少は自分の手柄もアピールしておかないとね。
設問5.北海道に渡った榎本率いる脱走艦隊。それについてどう思いますか?
回答 榎本はダメな奴だと思います。松前城では結構儲けました。稼ぐにはいい場所だったかもしれません。それと熊はびっくりするほど強いので戦うのはやめた方がいいと思います。
こんな感じの問題があと十ほど続き、俺は頭を悩ませながら解答欄を埋めていった。
設問15.幕末と呼ばれた一連の動乱。あなたが最も心に残ることは何ですか? 正直に答えなさい。
回答 やはり禁門の変でしょうか。長州から大砲を奪い取り、薩摩の陣に向けて発射したときはすごく気分がよかったです。そのあと大砲に長州兵の遺体を括り付けて西郷閣下に引き渡しました。薩摩が参戦したことで禁門の変は幕府側の勝利となり、当時幕臣だった私としては大きく勝利に貢献できたと思います。上司は認めてくれませんでしたが。
設問16.あなたは邏卒となったとき、どのような活動で政府に貢献できると思いますか?
回答 悪い人を皆殺しにできます。
設問17.万が一、万が一試験が通らなかった時、どうするつもりですか?
回答 私が試験に受からない、と言う事はあり得ないので、その場合は試験官を天誅します。
ふう、慣れないことをするというのは大変だ。試験の時間が終わり、昼休み。みんなでどう書いたか答えを確認し合った。
「やっぱ、正直に、ってわざわざ書いてあったからな。嘘を書くわけにも行かねえだろ。」
「だよね。昔の事だし。」
「そうそう、市中見廻りのお勤めをしようってもんが嘘つきじゃ話にならねえからな。けどあれだ、第2問の慶喜公のくだり、ありゃひっかけだろ? 容保さまはなんて書いたんです?」
「ふむ、普通に最低の男である、と。」
「ですよね、俺も最悪な奴だったって書いちまって。」
「やっぱり? 俺も、クズ野郎と書いちゃった。」
律の持たせてくれた弁当を食い、午後からは剣術の実技。竹刀打ちだ。弾正台の師範相手の試合稽古。俺は早々に師範をぶちのめし、面を剥いで投げつけてやった。
うちの連中もみんな似たようなもの。周りの受験者はドン引きしていたがこういう時は格の違いを見せつけねば。なにせ俺は講武所の剣術教授、そして男谷の免状持ちなのだから。そこに邏卒総長になる予定の安藤さんが防具をつけたまま立っていたので、ついでに思い切りひっぱたいてやった。責任者になる人には俺たちの強さを知っておいてもらわないといけないもんね。
「ま、多分俺たちが一番の成績じゃないかな?」
「だろうな、努力した甲斐があるってもんだぜ。」
「うむ、我らが邏卒、そうなれば静にも胸を張って誇れるな。我らは東京の治安を守っているのだと。」
みんなすでに合格した気分。ま、たいした奴もいなかったし、受かって当たり前だよね。