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 立場と言うものが変わると人間関係も変わるものである。


 トシは函館の頃はなんやかんやと口うるさかったが今はそうでもない。そして板倉さまは明らかに老中だったころよりも生き生きと日々を過ごしていた。そして、問題は容保さまである。


「松坂! お前はまた、そうやってゴロゴロとして! 生まれた子がそんな父の姿をみてどう思う?」


「あ、いや、その、することもないですし。」


「無ければ見つければよいではないか! 政府に掛け合って役目を貰うなりなんなり! とにかくわしはそういう自堕落なのは許さん!」


 このありさまである。口うるさくてたまらないのだ。そういえば京にいたころはそんな感じだったかも。しかも逆らえばゴールドフィンガー。仕方なく俺は就職活動をすることにする。


「はい、集合!」


 鐘屋珈琲店に行き、そこでたむろしているトシとうちの連中を呼び集める。連中はかったるそうにハーイ、と俺の周りに集まってきた。


「……という訳で、何かしろって容保さまがうるさくてね。」


「ま、俺もそれは感じてたとこだ。」


「そうですな。このまま無為に刻を過ごしては先祖に申し訳がたたぬ。」


「ですよね。俺たちも退屈でしたし。」


 口ではそういうが皆、やる気のかけらも感じられない顔をしていた。


「でさ、政府に掛け合ってなにか役目をって。」


「えー、今更ですか? そもそも俺たちにできる事ってあるんですかね?」


「えっと、俺は午後から釣りに行こうかと思ってるんで、その話はまた今度ってことでどうですかね?」


「あ、そうそう、俺も散歩の時間だ。」


「俺たちはこれから寄席に行こうかと。じゃ、そういう事で!」


 ぱぁぁっとクモの子を散らすようにみんないなくなってしまった。


「ふむ、では私も。お琴殿のところで三味線の稽古がありますので。」


 そう言って安次郎まで席を立ってしまった。


「じゃ、俺も。」


 立ち上がりかけたトシの袖をぐっとつかむ。


「ちょっと、離せよ。俺も色々あんだからよ!」


「いろいろあるやつがここでたむろしてコーヒーなんか啜ってねえんだよ! 俺はね、このままじゃ帰れないの!」


「そりゃ旦那の事情だろ! 俺たちには関係ねえよ!」


「ふーん、そう言うこと言うんだ。いいよ、じゃあ容保さまに言いつけるから! 俺がみんなに働こうって言ったらトシに勝手にしろって言われたって。」


「ちょっと待てよ、それじゃ俺がみんなを煽ってるように聞こえんだろ?」


「実際似たようなもんだろうが! 一郎が宿の仕事で手が離せないんだから仕切り役はお前だろ?」


「いや、そりゃそうかもしれねえが。はぁ、いいよ、で、どうすんだ?」


「とにかく仕事を。俺たちもいい年だしさ、昼間っからブラブラってのもね。容保さまの言うように子供にだってよくは思われないし。」


「うーん、けどよ、政府に仕事をもらうってのはちょっと無理があるんじゃねえか? 何しろ俺たちは元賊軍だったんだ。それによ、仲のいい薩摩の海江田さんだって左遷されちまっただろ?」


 そう、俊斎は大村さん襲撃の犯人を庇い立て。しかも刑の執行をも差し止めた。それで政府から左遷され、今は薩摩に返されてるのだ。


「そうなると聞多か木戸? あ、一蔵さんでもいいね、あの人には貸しもあるし。」


「一蔵さんって、大久保閣下か? ありゃ今のこの国を引っ張ってるお人だろ? あんたの事なんかで煩わせちゃみんなが困る。そりゃダメだな。」


「そうなると聞多か木戸?」


「ま、あいつらならいいだろ。どうせろくに国の役になんぞたっちゃいねえんだろうし。」


 ともかくもそういう事になって、最近増えた人力車を捕まえて聞多のいる大蔵省にトシと向かった。


「あ、松坂さん、それに内藤さんも。」


 大蔵省で出迎えてくれたのは渋沢さん。なんだかんだで優秀なこの人は政府が国の基幹産業にするべく力を入れている生糸の製糸を学ぶため、近々欧州に渡航する予定なのだという。


「へえ、さすがだね。」


「まあ、今のところはやりがいのある仕事ですよ。で、井上さんですね? 案内しますからこちらに。」


 聞多は自分で言ったように大蔵省では相当の顔である。その部屋も奥まった分厚い扉の向こうにあった。


「それがしが先に伺ってきますから。」


 部屋の扉をノックし、渋沢さんは中に入っていく。中からは二人の声がかすかに漏れ聞こえた。


「あのですね、渋沢さん。予定にない人の面会とかできる状況じゃないんですよ! わかりますよね?」


「いや、しかし、それがしは。」


「ほら、それ! 前にも言いましたけど、それがし、とかそういう武士言葉は改めないと。世は変わって今は武士もなにもないんですよ? われわれ官職に就くものが率先して範を示さねばならないでしょ? 優秀な喜作さんまでそれじゃ困るんですよ!」


「はあ、しかし。」


「はぁ、じゃないでしょ! 私も色々忙しいんです。用事があるなら事前にアポイントを取って出直すようにその方に伝えてくれます?」


 中から聞こえるやり取りにさすがに気まずくなって、俺はトシと顔を見合わせる。こうして外から見れば聞多も立派な高官。俺たちなんぞが相手にしてもらえずとも当然なのかもしれない。


「……なんか、忙しそうだね。」


「だな。邪魔しちゃ悪い。帰るか。」


 そして再び中から声がする。


「いいんですね、では松坂さんにはそう伝えますから。本当にいいんですね!」


「えっ? お客って新さんなの? もう、早くいってくださいよ。すぐにお通しして! あとそうね、コーヒーなんかもお願いできます?」


「わかりました。」


 部屋から出てきた渋沢さんに通されて、少しやつれ気味の聞多の出迎えを受け、長椅子に座らされた。


「あの、なんか悪いね。忙しいところを。」


「いや、忙しいのは確かにそうですけど、新さんたちを追い返すなんて。なにせ古い付き合いですからね。」


 渋沢さんに命じられた職員が俺たちにコーヒーを出して立ち去ると、聞多はここぞとばかりに愚痴を言った。


「もうね、本当に大変なんですって。一つ片付く前に次はあれしろー、これしろって。おかげで進みかけていたことまで振り出しですよ! まったく大久保さんも木戸も現場の都合ってのを考えないから。ほんと西郷さんが鹿児島に帰っちゃってからずっとこの調子ですよ。」


 聞多が言うには貨幣制度の改定、これだけでも十分に大変なのに、そこに来て鉄道を作る為の外債の発行、さらには北海道と名を変えた蝦夷の開拓。そこにもってきて軍制の改革やら、さっき渋沢さんが言っていた近代産業の育成やら、すべての金の事が大蔵省に。その大蔵省の実質的な差配役の聞多は寝る間もないほど忙しいらしい。


「けどね、渋沢さん、喜作さんも栄一さんも優秀である程度は任せられるからいいんですよ、これでも。なにせ上、今の大蔵卿は宇和島のお大名、伊達宗城様ですからね。頼りにならないっていうか、頼れないですもん。今の政府は上から下まで元官軍でしょ? その、実務経験ってのに欠けるんですよ。だから大久保さんは何度も勝さんを。けど、勝さんはウンと言わない。私らもね、何もかもが手探りなんです。あー、こんな話はやめやめ、どうです、ちょっと外に散歩にでも?」


 聞多も気分転換の必要を感じたらしく、コーヒーを飲み干すと俺たちを誘って外に出る。そして、お堀の端に腰を下ろした。


「あー、なーんでこうなっちゃったんだろ。私はね、そもそもこんなことがしたかったわけじゃない。大蔵省に入ったのもみんなが、昔っからお前は金を用立てるのがうまかったから、とか、そんな理由。そりゃ渡航してたからいくらかは英語もできますよ? けどそれだけ。経済の事なんか一朝一夕に詳しくなれっていう方が無理なんですよ。まあ、それでもいくらかは物が判るようにはなりましたけど。」


「そっか、そっちはそっちで大変なんだね。」


 俺がポケットからシガーを取り出し咥えると、聞多は小さな箱を取り出して、その中の棒を擦り付け火を熾す。ああ、マッチか。


「便利でしょ、これ? こういう便利なものが異国にはたくさんあって、それをこの国でも作れるように。そうじゃなきゃ外国とは肩を並べられない。わかるんですよ? けどね、物事には順序ってものがあっていっぺんにあれこれ言われても。」


 そう言って自分もシガーに火をつけた。


「ま、俺らも函館じゃ大概いろんなもんを見てきたが、国でそれを作るなんてことまでは思いもしなかったな。」


「普通はそうですよ、トシさん。私だって大蔵勤めじゃなきゃそんな事。その異国との取り決めだって私が同席しなきゃいけなくて。」


「ま、英語ができる奴は少ないからね。」


「新さんだってできるじゃないですか。前に横浜で、」


「ああ、俺のはインチキだから。大雑把なところは伝わるけど、細かい話は無理無理。で、異国との話はうまく行ってんの?」


「それがね、全然なんですよ。幕府の頃に交わした約定、ほら、井伊大老の通商条約、あれがとんでもない不平等条約で、それを改定してくれって頼んでるんですけど、話を聞いてくれなくて。洋銀一ドルでこっちの一両ですよ? 向こうは銀、こっちは金。割りが合いませんや。それで今回の通貨改定。貿易には一円銀貨ってのを拵えて、それで、ってはなしですわ。」


「円? ってのはなんだ?」


「今度のお金の単位。一両は一円。一円は百銭で一銭は十厘。そういう風になる予定なんですよ、トシさん。」


「なるほどねえ。」


「そして国内向けには紙幣、今の官札みたいなもんですね。小銭は今まで通り銅貨でって。」


 そして紙幣と引き換えに集めた小判は国で保管。いつでも金額分の金と替えられますから安心してください、と言うやり方、これを金本位制と言うらしい。今まではその金の代わりが米だったわけだ。さすがに外国との交易では米で支払う、という訳にはいかないらしい。


「そうそう、鉄道! 新さん! もくろみ通り私らの買った土地の目の前に鉄道の駅ができますよ! ま、来年か再来年には大儲けって訳で。ところで新さんたちは私に用事が?」


「ああ、うん。そのね、なんていうかさ。」


 俺はごろりと横になり、聞多に心のうちを語る。


「いままでさ、講武所もそうだったし、見廻組もそう、それに鳥羽伏見から函館までも。なんていうか、こう、世の中心で頑張ってた、みたいのがあったんだ。」


「そうだな、俺も新選組、それに函館政府と不満も不服も山ほどあったが生きてるって気がしてた。」


「それがさ、こうして東京に戻ってみると、確かに金には困らないし、律っちゃんたちだっている。それに板倉さまや容保さま、俺が何とか助けたかった人たちも無事だった。本来なら万々歳であとは呑気に暮らせばいいと思ってた。」


「そうですよね、新さんたちは最後まで戦って、そしてこの東京に。私からすれば羨ましい限りですよ。武士としちゃ最上じゃないですか。」


「けどさぁ、なんていうの? こう、今の生活ってハリがないっていうかさ、目的、みたいのが何もなくて。」


「それだな、今までは全力で生きてた。こういう時間を心の底から望みながら。だが、いざそうなっちまうと。」


「そういう事。何のために生きてるのかなって。そりゃ、妻の為、家族の為ってのはあるよ?」


「要は、物足りねえってこった。」


「それでさ、家でごろごろしてたら容保さまが働けって。あの人うるさいんだよね。逆らうと怖いし。」


「で、聞多のところにいい仕事はねえかと尋ねに来たって訳だ。」


 俺は身を起こして近くにあった小石を拾い、堀に投げ込む。


「けどさぁ、俺たちは官軍じゃなかったし、政府の仕事ってのも難しいんだろうなって。正直さ、聞多があれほど大変な仕事してるなんて思わなかったし。」


「聞多と木戸は適当な事でもしてるんだろって、俺も思ってた。」


「あはは、私も好きでこんなことしてるわけじゃないんですけどね。木戸もなんやかんやと忙しくて屋敷にも碌に帰れないみたいですよ。あいつは大久保さんに負けたくないってのがあるんでしょうけど。ほら、こないだの長州騒動、新さんたちも行ったんでしょ? あれがね、負い目になってますます意固地に。」


「木戸もさぁ、悪い奴じゃないんだけど、なんであんなにきりきりしてるのかな、とは思うね。」


「そうだな、自分が出来るってとこを人に見せてねえと死んじまう、そんな感じだ。だから人の手を借りるのを戸惑うんだろ?」


「お前は木戸の参謀役やってたじゃん。俺たちは冷や飯ぐらいだったのにさ。」


「そりゃ、あんだけのこと仕出かしちまったんだ。少しは手を貸してやらねえと寝覚めがよくねえだろ?」


「あれですよね、味方ごと大砲でって。」


「そうさ、一郎さんがな、例のごとく無茶しやがった。旦那たちはあのくれえじゃ死なねえだろうが俺や木戸はそうはいかねえからな。」


「相変わらずすごいですよねー。やることが。」


「なんせ旦那と一郎さんは禁門の変でも長州から奪った大砲を薩摩に打ち込みやがったからな。」


「は?」


「ばっか、そういうことは言わなくていいの!」


「いや、いやいやいや、それが元で薩摩が戦闘に参加して、いろいろ大変な事になったんですよね?」


「昔の話だよ、昔の! で、それはともかくありそうなの? 仕事。」


「うーん、正直ですね、政府の官吏となるのは難しいんですよ。幕臣の新さんたちを故郷で燻ってる官軍の連中より優先して採用した、なんてことになればまた反乱だなんだとなってくるでしょ?」


「まあね。」


 しばらく聞多はうーん、と考えた後、ぼそりと漏らした。


「これはね、私の独り言ですから。政府は東京の治安に頭を悩ませてます。藩兵たちはあくまで軍人。そういう市中見廻りみたいなことは専門外なんですよ。そこで、東京の地理にも詳しい元幕臣や、江戸詰めだった藩士たちを集めて邏卒隊ってのを作ろうって話に。弾正台の方でいずれその選抜試験があるそうなんです。」


「弾正台か。」


「あそこは薩摩が強いところですけど、今回は賊軍だろうが構わないって事です。不平士族の事も何とかしなきゃいけませんしね。」


「なるほどね、トシ?」


「ああ、行ってみる価値はあろうさ。」


「頑張ってくださいね。」


 なんとなく、世の中から爪弾きにされていた感じ、そんな気分が少しだけ晴れた気がした。



「なるほどな、それはいいかもしれぬ。市中見廻りともなればお前たちには慣れた役目でもある。少しばかり、羨ましくはあるな。」


 鐘屋に帰り容保さまに報告すると、そんな言葉を寂しそうな顔で呟いた。


「何言ってんだい、容保さま、あんただって今は殿さまでも何でもないんだ。まだ若いんだし、うちで風呂焚きなんかしてる場合じゃないだろ?」


「女将。」


「それにさ、うちの旦那様とトシさん、それにあの連中じゃまたろくでもない事やらかすに決まってんだ。あんたみたいにしっかりしたお人がついてなくてどうすんだい?」


「しかし、わしは。」


「とにかく、風呂焚きはクビさ。旦那様と一緒に行っておいで。」


 容保さまは少し涙ぐみ、お千佳に腰を折った。


「ほらほら、こんな女に頭下げてる場合じゃないよ! 今日からは風呂の事はいいから、しっかりおやりよ?」


「うむ、任せておくがよい。」



「そうですか、そのような事が。」


「うん、俺もさ、やっぱり生まれてくる子には、働く姿を見せたいし。」


「まあ、この子は幸せものですね。こんな立派な父上をもって。」


「それにこんなにきれいで気の付く優しい母上もさ。俺はね、二人にとってはカッコいい父親、そして夫でいたいんだよ。」


 うふふ、っとにこやかに笑って、律は俺を胸に抱いて眠らせてくれた。


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