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 いよいよ祝言当日となり、俺は朝から風呂に入れられた。この亀沢の道場は内風呂を許され、俺の離れにも風呂がある。下男が沸かしてくれた風呂に浸かり、体を流すと呼んでおいた髪結いが髭と髪を整えてくれる。それが済むと健吉がやってきて、俺の着替えを手伝ってくれた。


「いよいよですね、新さん。」


「うん、なんかすっごく緊張する。」


「どんな人なんでしょうね、奥方になるのは。」


「それが問題だよね。なんせ見たこともないんだから。」


「先生の兄、忠次郎殿のいらっしゃる水戸でお育ちになられたと聞いてますが。」


「ねえ、健吉、こっそりのぞいてきてくれない? ぶっさいくだったら倒れそうだもの。」


「もう、そんなみっともない真似ができるわけないでしょ? 」


 そう言いながら俺に羽織を着せた。俺の松坂家の家紋は男谷と同じ沢瀉。決めたのは当然精一郎さん。文句はないけどなんだかなあ、とは思う。なんだかんだで日も落ちて、そろそろ夜になる。


「さ、そろそろ行かないと。」


「ちょっと待って、心の準備が。あ、そうだ、一服つけてからに。」


 そういう俺をその太い腕で無理やり引っ張っていく健吉。もうね、不安でたまらないの。


 健吉に連れられ座敷を繋いだ広間に行く。そこには友達の定さんや、親族。海舟は長崎に行って不在、松坂の家からは末の兄である川上慎五郎が代表として出席していた。そして新婦の側は精一郎さんの兄、幼い頃に会ったことのある忠次郎さんが何人かの水戸藩士と共にいた。


 新郎の席に着座した俺の隣に世話係として健吉が座る。


 そしていよいよ新婦の登場だ。養父である精一郎さんに手を引かれ、しずしずと現れる。だがそこに違和感があった。顔は綿帽子で良く見えないが、どう見てもサイズがちっちゃいのだ。健吉を見ると、それを咎めるように睨まれたのでおとなしく座っておく。


 そのちっちゃい新婦が座ると新婦の実の父で仲人を務める忠次郎さんが皆に挨拶を始めた。いろんな人が祝ってくれたが俺は何も耳に入らない。だって新婦がちっちゃいんだもん。適当に愛想笑いで答え、健吉の酌で酒を飲んだ。


 そのうちには座が乱れ、定さんは水戸藩士に営業活動を開始する。そういえば亡くなった千葉周作先生も形の上では水戸藩士だったよね。


 兄貴は兄貴で酒に夢中。昔からろくでなしだったのでこんなもんだろう。その兄貴が俺に挨拶にまかり出た。


「新九郎、立派なもんじゃん。親父はなんだかんだと相変わらずうるせえが、腰をやっちまって寝たきりだ。後継ぎの兄貴の子、三郎左衛門はまだ十四。こういう席は早えだろうって事で俺が来た。ま、親父もおふくろもああだが今回の事は喜んでる。祝いの金も預かったし、言葉もな。いろいろ思う所はあるだろうが恨んでやるな。お前はもう、一家の主で部屋住みじゃねえんだから。」


「あ、うん。まあ、俺もろくでなしだったのは事実だし、親父たちにはよろしく伝えてよ。」


「判った。けどお前も立派になったもんだ。小吉伯父さんに引っ叩かれてた頃に比べりゃな。」


 そう言って自分の席に戻り、定さんとあれこれ話し始めた。最後に精一郎さんが俺たちの前に座る。


「新九郎、これでお前もわしのせがれだ。」


「うん、ありがとう、精一郎さん、いや、親父殿。」


 そう言ってやるとうるうると目に涙をためて泣き出した。


「精一郎よ、嬉しいのはわかるがめでたい席だ。なあ、新九郎? こやつはな、自分の剣を伝えしお前がせがれになって嬉しいのだ。律よ。仲良く暮らすのだぞ。」


 産みの親である忠次郎さんの言葉に、新婦はコクリと頷いた。


「ではそろそろ、」


 健吉に促されて俺と新婦は奥に行き、そのまま離れに入った。


「新九郎さま、わたくしはりつと申します。不束者ふつつかものではありますが、二世の先まで宜しくお願いいたします。」


 綿帽子をとり、白無垢の打掛を脱いだ律は幼さの残る声でそう言った。行灯に照らされたその顔はどう見ても子供!


「あ、うん、そうだね。仲良くやろうか。」


 なんとかそう答え、そこにあった酒膳の盃を取ると律が酌をしてくれる。目の前には敷かれた布団。ねえ、この子相手にそういう事していいの? 犯罪だよね。


「あ、あのさ、ちなみに歳はいくつ? 」


「今年で13になりまする。」


「は、はは、13ね。13。」


「わたくしはこのお話を伺った二年前からずっと、新九郎さまとはどのようなお方なのか、案じておりました。」


 何でそっちは二年前? 俺は昨日なんだけど! 


「水戸の父は立派なお方だと言っておりました。剣に優れ、学問も塾頭を務められしほど。さらには此度、ご公儀の開かれる道場の師範も。」


「あはは、で、実物はどうだった? そんな立派なもんじゃなかったろ? 」


 そういうと律は恥ずかしそうに身を縮め、小さな声でつぶやいた。


「その、初めてお姿を伺った時、雷が全身を走りました。わたくしは、律は新九郎さまの妻になる為この世に生を受けたのだと、そうはっきりわかりました。」


「また、そんな大げさな。」


「新九郎さま、わたくしはあなたをお慕いしておりました! 二年前からずっと! 」


 律はそう言って俺に抱き着き唇を重ねた。やだ、この子積極的。そのあとは、もちろん一通りの行為を済ませた。多少の背徳感はあるけど夫婦なんだからいいよね? 13だけど。


 翌朝俺は、律の発展途上の胸に抱かれて目を覚ます。律はくるくるとよく立ち働き、俺の世話も全部してくれる。朝は俺の支度を整えると道場に行き、飯の支度を手伝った。道場で俺が飯を食うと隣に座り、あれやこれやと世話を焼いてくれる。そんな俺たちを精一郎さんは目を細めて見ていた。


 律は日の下で見ると実に可愛い。二重の目は少したれ目で、目元には泣きぼくろ。まつ毛も長く、鼻は小ぶり。口も少し小さめでプルンとした唇がついている。今はまだ幼さが残るが大人になったら間違いなく美人になりそうだ。


 俺は数日休みをもらっていたので、律と一緒に離れで過ごす。律は俺を膝にねかせ、あれやこれやと水戸での事を話してくれた。

 産みの母はすぐになくなり、水戸の男谷家に引き取られたのだが、忠次郎さんの奥さんはものすごくいい人で、娘が出来たと喜んでくれたらしい。忠次郎さん自身も年を取ってできた子とあってそれはそれは可愛がってくれたようだ。

 二人の兄も毎日のように遊んでくれて、義理の母である奥さんに女のたしなみを、兄たちからは剣術を教わって過ごしたという事だ。そういえば律の体は引き締まっていた。


「へえ、そっか。男谷の人はみんないい人だもんね。」


 一部を除いてであるが。


「はい、義父の精一郎さまも何度となくお顔を見せてくれて、いつも新九郎さまの話を聞かせてくれて。」


「あはは、碌な話じゃないだろ? 」


「いいえ、男谷の男はああでなければ、と、いつも嬉しそうに言って。それこそ兄たちがうらやむような口ぶりで。」


「ははっ、なんかいたたまれないね。」


「ですがこうして触れてみれば義父上のお話よりももっと素敵。お顔もお声も律の理想通りで。」


 その日は天気が良かったので律を連れて浅草にいった。屋台で菓子を買い、門前町を冷やかして歩く。そして浅草寺にお参りをして桜の花が咲く中を歩いた。


「ねえ、律っちゃん。どう? 江戸は良い所だろ? 」


「はい、新九郎さまと一緒に、こんな素敵なところを歩けるなんて。」


 律、と呼び捨てるには可愛すぎるので俺はこの妻を律っちゃんと呼ぶことに決めた。


「何か欲しい物とかないの? 」


「わたくしは十分です。こうしているだけで。」


「それじゃあさ、帰りに何か食べて帰ろうか。そばと、天ぷらと寿司、どれがいい? 」


「あんまり食べてはお夕飯が。」


「なら、甘いものにしようか? 」


「はい! 」


 茶店に入り、あんこのかかった団子と茶を頼む。うん、実にいいねこういうの。なんていうの? これがリア充? 


 なんだかんだと楽しんで亀沢町の道場に戻る。律は一息入れると部屋着に着替え、夕飯の手伝いに道場に行った。俺は部屋でキセルを咥え、一服つける。うん、律の夫として頑張らねば。これが重みという奴か。中々にいいじゃない? 


 数日が過ぎ、俺は道場で稽古をつける。


「ほら、そんなんじゃだめだ! 」


「はい! 」


 門弟たちの相手も身が入るというものだ。稽古が終わると授かった夢酔の刀を庭で振る。なるほど、柄が長い分刀の取り回しが楽になる。今までできなかったような動きもできるし、力も入る。試しに畳を斬ってみると思った以上に楽に斬れた。


「新さん、これはいいですね。」


 隣で畳を斬っていた健吉も同じ感想。今では健吉もスパスパと畳を斬れるようになっていた。


「うん、やっぱり親父殿の考える事は違うね。伊達に剣聖と呼ばれてない。」


「ですね。こうした工夫、知ってしまえばどうという事もありませんが思い立つのは至難の業かと。」


 こうして俺は公私ともに充実した日々を過ごした。


 四月二十五日、ついに講武所が開かれる。たくさんの来賓や見物人が集う中、俺たち剣術教授方による試合が行われた。律も門弟たちも見に来ているので当然負けるわけにはいかない。


 試合は勝ち抜き戦で行われ、最初に俺にあたったのは同門、男谷道場の木目鑓次郎。今まで何度も稽古してその癖は見抜いている。簡単に二本とって勝ちを収めた。

 次いで北辰一刀流、玄武館の井上八郎と当たる。竹刀打ちでは押され気味、だが俺には島田先生に鍛えられた柔術がある。竹刀を投げすて組打ちに持ち込み、面をいでやると参ったと言った。次いで心形刀流の松下と当たり、これを撃破する。さあいよいよ決勝戦だ。

 相手は予想通り榊原健吉。今回ばかりは負けられない。


「始め! 」


 審判を務める親父殿、精一郎さんの声がかかり、俺と健吉は対峙する。剣では速度に劣り、組み合えば力に劣る。技に於いては俺が上、そう自負はあるがあと一歩で及ばない。横目にちらりと律の姿が映った。そう、今日だけは負けられない。それを隙と見た健吉が迷いなく打ち込んだ。俺はそれに追いつかんと出端の小手を打つ。両者交錯する中、判定は俺の小手に上がる。


 ふうっと息をつき、二本目。今度は面を打ちあった。やはりわずかに健吉が早く、一本を取られてしまう。


 三本目、やはり面を打ち合うがこれは両者有効にならず、そのあとも互いにかわしつつ、技を尽くした。最後は健吉の小手が決まり、俺は敗退する。


 互いに礼をして俺は宛がわれた席に着いた。勝ち抜いた健吉に対し、今度は親父殿が面をつけ、対峙する。健吉はあっというまに面を打たれ、次に横面を食らってぶっ倒れた。もうね、技とかなんとかいうレベルじゃないから。


 一同からおぉぉっと歓声が上がり、親父殿は来賓に向かって礼をした。俺は健吉を引きずって介抱する。


「あはは、新さん。全然、全然。遠いです。」


「まあ、剣聖だからね。仕方ないさ。」


 そのあとお偉方から挨拶があり、浜辺では大砲の試射が行われた。最後には教授方が集まって宴会。そして解散となる。


「新さん、流石だね。あの井上をあんな風に。」


 見物に来ていた定さんがそう言って声をかけてきた。


「はは、竹刀打ちじゃ及ばないからね。」


「うちは竹刀打ちだけだからねえ。ああいう組打ちなんかは全然だよ。」


「今はさ、剣術と言えば竹刀打ちなんだからそれでいいんじゃない? 俺たちは実際に異国なんかと戦うかもしれない訳だからああしたこともするけど。」


「そうだよね、竹刀打ちの振りじゃ刀は使えない。けれども竹刀打ちじゃないと稽古は難しいもんね。」


「そうそう、こうした試合ができるのも竹刀打ちだからこそさ。」


「でもさ、あの榊原さん? すっごいよね。新さんが一歩及ばないなんて。」


「うん、今日は勝てると思ったんだけどね。ま、いつか勝ってみせるさ。」


「はは、もうね、男谷先生は何とも言えない。あそこまでいくと笑いしか出ないもの。」


「けど俺たちはあれを目指さなきゃね。届くかどうかはわからないけど。」


 そこに律が現れて、定さんにお辞儀をした。


「小千葉の先生。祝言ではお世話になりました。」


「あら、奥方じゃない。今日の新さん、かっこよかったでしょ? 」


「は、はい。その、」


「あはは、じゃあ、たっぷり癒してあげないとね。んじゃ、新さん、わしはこれで。そうそう、引っ越しも済んだから桶町にも遊びに来てよね。奥方も。」


 そう言って定さんは連れていた重太郎や門弟たちと一緒に帰っていった。俺たちも親父殿と一緒に道場に帰っていく。


「わしも面目をほどこせた。なにせ、数ある流派の中でわしのところの健吉と新九郎が勝ち上がったのだからな。」


「もう、先生、俺もいるんですよ? 」


「はは、すまんな、鑓次郎。お前は当たる相手が悪かった。初戦で新九郎ではな。」


「ほんと新さんも容赦ないんだから。」


「だって鑓次郎は癖があるんだもん。何打ってくるかわかっちゃうんだよ。」


「そうですよ。初見ならいざしらず、何度も相手を務めた私たちには通じません。」


「もう、健吉さんまで。」


「でもな、今日は健吉に勝てると思ったんだけど。律っちゃんも見ててくれたし。」


「あれはもう、紙一重ですよ。最後の小手はたまたまです。新さんはそこまで腕を上げなされた。やはり奥方のお力ですかな? 」


「もう、健吉さん、からかわないでくださいまし。」


「はっはっは。いいではないか、律。新九郎はお前の為に頑張った。お前のおかげで強くなれたのだ。」


「義父上さま。」


「わしもお前たちを娶せた甲斐があったというものだ。なあ、健吉? 」


「ええ、誠にその通りです。」


 道場に帰り着き、離れで律と風呂に入る。律は俺の背中を流しながら、何度もかっこよかったと言ってくれた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 急展開の予感。新九郎が立派になっちゃってる。この先を読むのが楽しみです。
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