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「んじゃ突入だ! 人っ子一人外には逃がすんじゃねえぞ!」
「「応!」」
俺は門の前で見張りを務める下足番を殴り倒し、そのまま中に突入した。
「賭場荒らしだ!!」
そう叫ぶ男を背負い投げる。そしてうちの連中をどんどん中に上がりこませた。トシは俺が殴った男を後ろ手に縛り上げて連れてくる。
「あとは連中に任して置きゃいいだろ。旦那と俺はここで逃げ出す奴を捕まえりゃいい。あー、いくらぐらいあるのかな。何しろここの他にも賭場はある。聞いてるだけでもあと三つ。ここの奴に聞けばもっとあるだろうさ。それがみんな俺たちのもん。あー、いいなあ。」
トシは恍惚とした顔をしていたが俺はかなり物足りない。何しろ宇都宮でも松前でも相当な金額を奪ってきたし、散々人も斬ってきた。賭場にはあっても千両くらい、しかも斬るのはご法度となれば獲物も刺激も足りないのだ。
しばらくすると怒号やうめき、悲鳴が止み、すっきりした顔の安次郎がやってくる。
「隊長殿、トシさん、片付きました。」
「んじゃ安さんたちは表と裏の見張りを頼む。うちの方は中の連中をふんじばっとく。」
「わかった。」
トシはうちの連中に指示を出し、中にいた奴らを縛り上げる。当然そこには賭場を開帳する入れ墨の入った博徒の他に、客である裕福そうな旦那衆、それにその旦那たちの世話をする女なんかもいるわけだ。
トシはその縛り上げられた連中の前に俺を立たせ、何か言えと顎で指図した。
「えっと、賭場はご法度、わかるね? だからここの金は俺たちが頂いちゃう。そういう事になりました。」
博徒は殴られて腫れた顔をしながらも俺をにらみつけ、文句を言い立てる。
「ほら、野郎ども、静まりやがれ! こちらにいらっしゃるのは不忍池十二人斬り、さらには京で見廻組の与頭を務め、戊辰のいくさじゃ鳥羽伏見、北陸、会津、そして蝦夷で戦いぬいた松坂様よ。文句があるなら不忍池の鐘屋に来な。刀で相手してやるとさ。」
トシがそう宣言すると全員下を向いてうなだれる。えっ、なんかそれ、すげー悪役みたいじゃん。
「ああ、文句はねえさ、オイラは前にもそのお人には殴られてる。」
賭場の親分っぽい人がそんなことを言い出した。
「えっ?」
「おいおい、忘れたとは言わせねえよ! あんたが勝の先生と一緒にうちの先代を訪ねてきた時だ。まだぺーぺーだったオイラはあんたを睨んで殴られたんだ!」
「あ、俺も!」
「俺もだ! あんときのお旗本じゃねえか! 髷を落としてしかもその面の傷、それじゃさすがにわからねえ!」
そうだそうだ、と博徒どもが騒ぎ立てる。その中で、んっ? っと首を傾げた女が口を開いた。
「あんた、もしかして新さんかい? そうだよ! 新さんっじゃないか!」
「えっ?」
「アタシだよ! 冷たいねえ、散々なじんだ女を忘れるなんて。辰巳芸者だった蔦吉さ!」
ぶーっと思わず吹き出した。まさか、こんなところで?
「あー、そっちはトシさんじゃないか! 懐かしいねぇ、あたしだよ、ほら、豆奴!」
トシもふがっと鼻の穴を膨らませる。
「なんでえ、姐さん方もお知り合いで?」
「そうさ、ずいぶん若いころだったけど、アタシはこの人となじみだったんだ。」
縛られていた蔦吉と豆奴はああだこうだと昔の事を語りだす。
「ねえ、どうしようか。」
「金だけ奪って逃げちまう、ってのはまずいよな。何しろこっちは鐘屋って言っちまってる。」
「お前って、ほんとバカな。」
「ねえ、新さん。ここの金は持って行っていいからさ、アタシの願いも聞いておくれよ。」
「あ、うん。」
ともかくも縄を解いてお茶を出してもらった。賭場の客には今日の掛け金を返してやり、残った金の半分、二百両ほどを全員で等分に分けて、安次郎たちも呼び込んだ。
「アタシもね、いろいろあって。ぷいと消えちまった事は謝るさ。しがないやくざの女房やってたんだけど、旦那はご一新の騒ぎの中で死んじまって。今はこの秀が跡を継いでる。」
「ははっ、そうなんだ。」
「旦那、うちらは先代が死んでからってもの、すっかりよそから舐められちまってる。ほかの組は元岡っ引きだとかを引き込んで小汚いシノギばかりをやらかしてんだ。うちはこの賭場に祭りの出店、そりゃ、ご法度かもしれねえがまだ真っ当なもんですわ。」
「えっ? けど、うちの店の常連が、ここでイカサマされたからって。十両もふんだくられたって言ってたよ?」
「ああ、上野のあの旦那か。ありゃあ、ムキになって張り込むからですよ! 俺たちゃイカサマなんて。」
「あー、そう、そうなんだ、なんかもう、いいや。ね? トシ。」
「だな。んで、願い事ってのはなんでえ?」
そう言うと蔦吉は少し悲しげな顔になって話し出す。ここの組は先代の意向もあって、昔ながらのばくち打ち。弱いもんには救いの手を、そんなNPO法人みたいな事をやってきたらしい。ところがこのご一新で新たなアウトロー、壮士が誕生。彼らは刀に物を言わせて大義の為と称して人々から金を巻き上げる。その壮士を引き込んで、大義だなんだを口にしながら悪さをする連中が増えているらしい。中には若い娘を攫って外国人に、なんてのも。
「なにせ異人の船に乗せちまえば足はつかないからね。自分の国の娘っ子をよその国の男にうっぱらう。そんなとこまで落ちぶれてんのさ。あいつらは。」
「へえ、悪い人もいるもんだね。」
「そんな、他人事みたいに言うもんじゃないよ。いっちゃあなんだけど、新さんたち幕臣がもうちっとしゃんとしててくれりゃこんなことにはならなかったんだ!
アタシらはね、そりゃ日陰者ではあったけれども幕府にゃ何の不満もなかったんだ。おサムライはおサムライ、やくざはやくざ、みんななんとか食ってはいけた。
けど、今の世をごらんよ! おサムライもアタシらも食うや食わずさ! 知ってるかい? 今の吉原は旗本御家人の娘、姫様たちの見本市さ。こないだまで花を埋けたり、茶をたてたりしてたお姫様が、だよ? 代わりに野暮な薩長の奴らが立派なお屋敷なんぞで暮らしてる!アタシはねぇ!」
「姐さん、松坂の旦那は蝦夷まで行って戦いなすったんだ。それ以上は。」
「どこまで行こうが負けちまったら一緒だろ! ねえ、新さん! あんたら幕臣は三百年、三百年もタダ飯食らってたのかい? アタシら江戸の民すら守れないで!」
蔦吉は自分の言葉に興奮して俺をなじった。しまいにはどうして自分を妻にしてくれなかったのだ、とまで言い始める。
「アタシはね! 本気であんたに惚れこんでた! 気難しい先生とつるんでいつも楽しそうに! なんであの時、アタシを貰ってくれなかったのさ! 食えなきゃアタシが食わせてやるって言ったのに!」
「えっと、その。」
そう言い淀んでいるとやはり隣でトシが豆奴に同じようになじられていた。
「さて、我らは帰るとするか。あほらしい。」
「ほんっとばっかじゃないの?」
「奥方様にはきちんと伝えておきますからね。」
「ちょ、ちょっと待ってー!」
俺の悲痛な叫びも通じず、安次郎たちは帰ってしまう。蔦吉に腕をがしっと掴まれた俺は、それを強引に振りほどけるほどの心の強さを持っていなかった。
「――ねえ、新さん。」
蔦吉は俺の前に座り込み、微動だにせず、じっと俺の目をのぞき込む。
「はい、何でしょうか。」
「アタシは年も食っちまった。けどね、今でもあんたを。」
「いや、その、当方には妻もいるわけでありますし。」
「あはは、そんなことはわかってるさ。今更妻に、なんぞとは言わないよ。けどさ、たまには相手してくれたってバチはあたらないんじゃない?」
「ねえ、秀って言ったっけ? あんた! 先代の姐さんがとんでもない事言い出してるよ! ちゃんと止めろよな!」
その秀はあはっ、っと首をかしげて苦笑い。お前の入れ墨はハッタリか!
「秀の事なんかどうだっていいんだよ。ねえ、アタシだってまだまだいけるだろ? 寂しいんだよ、新さん。」
そう言いながらもじもじと体を寄せてくる。ぐはっ、熟女の攻撃力は絶大だ!
「いいえ、その、当方には最愛の妻がおりましてですね。」
「もう、わかんないお人だね。そんなのは織り込み済みさ。たまに、たまにでいいんだよ? 奥方様にだってばれっこないさ。ほら、昔みたいにアタシが膝で抱いてあげる。」
いかんいかんいかん、この世に都合のいい女など存在しない。しかし! 今は哲学を禁止された身でもある。それに蔦吉だって嫌いなわけじゃない。でも、いや。
「ほら、あっちの人だって、豆奴と仲良くやってるじゃないのさ。」
トシは豆奴に抱き着かれ、すでに抵抗をやめていた。
「旦那、ばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃ。だろ?」
「そうですよ、ばれなきゃ何もなかったのと同じ。そうだろ? 秀。」
「えっと、どうなんでしょうね?」
いかんいかん、律は子を宿したばかり。ここで不義など働けば、例えばれずとも心に一生重石を抱えて生きていくことになる。そしてそれは男谷の男の生き方に反するのだ。うん、ここは。
「だめ。俺は律っちゃん以外はそういうことをしない。だから悪いけど帰るね。」
「……新さん。アタシじゃだめだったのかい?」
「そうじゃないさ。蔦吉が俺の妻ならやっぱりほかの女には手を出さない。だけど蔦吉は妻じゃなかった。それだけの事さ。」
蔦吉はその場でぼろぼろっと涙を落した。それを見なかったことにして立ち上がる。トシはほぉ、っとやや感心した顔で、「んじゃ俺も、」と立ち上がった。
「うわぁぁぁん!」と泣く女の声を背中で聞き、俺は歩みを進めていく。あれ、ちょっとカッコよくね?
「に、してもだ、旦那も大したもんだ。年増だがあれだけの別嬪に迫られて振り切るなんてな。」
「まあね、律っちゃんとは天秤にかけられないさ。」
「ま、妻がいてこその俺たちだ。いなくなられちゃ生きる意味も分からねえからな。」
「そういう事。トシこそよく振り切れたじゃん?」
「ま、お琴は面こそ劣るが、女はそれだけじゃねえって事だ。」
ははははっと笑いながら鐘屋に帰ると鬼がいた。不忍池の通りは鐘屋の面々によって封鎖。真ん中には本身の薙刀を地に付きたてた佐奈。いつの間にか後ろには一郎たちが回り込んでいた。えっ? 何。
「隊長はん、あんさんは完全に包囲されとります。おとなしゅう手を挙げた方が身のためどすえ?」
「一郎? 君は何を言っているのかな?」
「決まってんだろ! 律さんを泣かせたあんたは死罪。そういう事。さあ、おとなしく首を差し出すんだね!」
一郎に聞いたはずなのに佐奈から答えが。しかもその内容は死罪。なんてこった!
「いや、それは弁明の余地があるというか、なあ? トシ。」
「そうだぜ? 俺たちゃ何一つやましい事なんかねえ。」
「この場は私に任されてんだ! 散々ひっぱたいた後でならその弁明とやら、聞いてあげる。あんた!」
「はいな! みんな! 逃したらこの先家で飯なんか食わせてもらえまへんで!」
うわっと一斉にうちの連中が俺たちに襲い掛かる。俺は反射的に一郎をぶん殴り、次にきた安次郎をぶん投げた。「あうっ!」っと声がしてトシがうちの連中に叩きのめされる。ほんとトシは弱くて困る。
「へへ、隊長はん、流石どすなぁ。せやけど今回は僕らもマジで行かせてもらいます!」
「そうだな、逃したとあっては家に入れてもらえん! かかれ!」
人殺しの顔をしたうちの連中が俺に迫る。やっべえ、ちょーおっかねえ! だが俺は男谷の男、男谷マン! 誰であろうが負けるわけにはいかない! ともかくも後ろを取られないように壁を背にして構えを取った。そして無造作に突っ込んできた一郎に指弾をお見舞い、一郎は泡を吹いて転がった。
「俺、容赦しないけど、いいよね?」
そう言って取り囲むうちの連中を威嚇する。だが、相手も百戦錬磨。銃で撃たれても平気な生き物だった。みな、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべる。
「あ、あんた! みんな、何やってんのさ! 腰の刀は飾りじゃないんだ!」
「そういう事ですな。隊長殿。」
佐奈の叫びに応じるように心底嬉しそうな顔で安次郎が刀を抜いた。え、マジで?
そして無言で俺に斬りかかる。それをかわし、指弾で対抗。一人、また一人とKOする。やべえ、こいつら本気だ。
「せやっ!」と最後に残った安次郎が裂帛の気合を込めて斬りかかる。そのこめかみを指弾で打ち、安次郎が悶絶したところで、佐奈が前に出た。
「何ちまちまやってんのさ! みんな下がりな。こいつは私が!」
パワー系の佐奈は薙刀使い。そのリーチが最大の武器だ。ならば踏み込んでしまえばいい、そう思ったが相手は薙刀の師範。軽く飛びのき距離を開けられ、鋭い斬撃を見舞われる。何しろ本身の薙刀である。当たれば死んじゃうかもしれないのだ。額から嫌な汗が流れ落ちる。数えきれないほど相手してきたうちの連中ならばその癖もわかるし読みも利く。だが薙刀相手は初めてなうえに、相手は熟達者の佐奈。さすがにこれは分が、っと思ったときに鋭い突きが俺を襲う!
ガッと音がして佐奈の薙刀が俺の後ろの壁を貫いた。それを抜くのに手間取る佐奈。ふっ、これが実戦経験の違いというものなのだよ。俺は余裕の笑みを浮かべ、びじっ、びしっと中指を弾きながら佐奈に一歩近づいた。
「くぞっ! くそっ! なんだってこんな時に!」
「さて、俺も全力でやっちゃうんだから。」
ニヤッと俺が口元を歪めたとき、背中にドカン! っと衝撃を感じた。
「ミュージック!」
軽快な三味線と太鼓の音がする。ふと振り返るとそこには壁を指弾で破壊した容保さまが! お琴のヴォーカルも加わって容保さまは絶好調!
「よこしまな気持ちはNO!NO!NO!」
ムーンウォークからの雷光の構え。容保さまの爪に光が集まる。その光の向こうには最高の笑顔の容保さま。それが最後に俺が見たものだった。




