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年が改まり明治三年(1870年)となる。容保さまは鐘屋に住むこととなり、一郎、そして鉄こと市村鉄之助と一緒にお千佳の指示で宿の仕事に従事していた。
「できる人は何でもできる。」とのお千佳の言葉通り、容保さまは骨惜しみせず、薪割りから風呂の掃除、水汲みと精力的にこなし、さらには表に出ての接客までも率先してやっていた。
お千佳もそんな容保さまが気に入ったらしく、あれこれと面倒を見ているし、町の衆もなんとなく訳ありだとはわかったうえで気兼ねなく接していた。何しろ容保さまは元殿様、そして同じ殿様である板倉さまとは違って品のある美丈夫でもあった。
俺は流石に気兼ねして、何度も止めはしたのだが、容保さまはこうした生活が楽しいらしく、俺の言うことなど聞いてくれない。「もう、殿様生活はこりごりだ。」との事である。
正月の祝いも無事に終わり、容保さまは新たに会津指弾翔鶴流の弟子に迎えた一郎と鉄に稽古をつけていた。俺の習っていたころとは違い音曲も必須科目になったらしく、休みの日にはトシの家でお琴に稽古をつけてもらっているのだという。
月が明けて二月の頭、木戸が聞多を伴いやってくる。
「どうしたのさ、二人とも。血相変えて。」
「新さん、あのね、大変な事が。」
「聞多、いい、僕から話す。」
木戸の語るところによれば、先月、一月の十三日、今は山口藩となった長州でリストラされた奇兵隊やその他の隊の隊士1200人が挙兵、裁判所や山口藩の議事堂を囲み、これに触発された農民の一揆までもが合流、1800人規模となり、包囲を続けているという。
「あらら、大変だね。」
「うん、大変なんだ。この失態て長州は政府内での力を落とすことになるやもしれん。」
「っていうか、そもそもなんでそんなことに?」
「政府には金がないのだ。そして長州にも金がない。そして先の版籍奉還、それにより、長州が押さえていた石見の浜田、それに豊前小倉は政府に返却。財政が厳しくなった藩は人員の削減を行った。」
そのリストラ、これが従軍の功績などは一切無視、元の身分を基準に行われたらしい。平民、そして被差別階級出身で、それこそ各地を転戦し、命を懸けてきた人たちは何の恩賞もないままに失職。藩に金がないのもわかるがさすがにそれは。
そして本来責任者たる大村さんは昨年死亡。奇兵隊の総督である、山県狂介は海外視察中。なので木戸が、と言う事らしい。
「へえ、それで?」
「君には昨年の貸しがある。そこでだ、僕と契約して魔法少女に、ん、んんっ、いや、僕と共に長州にいって、鎮圧に手を貸してほしい。」
「長州に? うーん、遠いなあ。」
「政府の船で行けばすぐだからね! それに長州には美味しいものもあるし、景色だって最高さ!」
「うーん、けどなぁ、いくら借りがあるとはいえタダ働きってのは。」
「あのね! 僕の屋敷、建てたばっかりだったのを粉々にしたよね!」
「だってお前、月に600両ももらってるんだろ? 大村さんはそう言ってたし、そのくらいケチケチすんなよ。」
「すっごく、すっごく高いの! 洋館づくりって!」
「聞多、当然給金的なものは出るんだよね?」
「出ないですよ! もうね、私も無理なの! いろいろと!」
「えー、ともかくみんなに聞いてみないと。ちょっと待ってて。」
そう言って俺は律とトシ、それに一郎、あと容保さまと板倉さまを客間に招いた。
「ふむ、なるほどの。」
板倉さまはそう言って考え込んだ。うちのメンバーだと板倉さまが一番の判断力と知性を備えているのだ。容保さまも頭は良いが、いかんせん殿様育ち。それに人格者だけあって欲と言うものが薄いのだ。
「して、木戸閣下。その議事堂とやらには金があるのかの?」
「板倉さま、聞いてました? 長州には金がないんです! 金があったらこんなことになってませんから!」
「……ならばわしは行かん。ここの仕事もあるしの。あとは主らで決めるがよいの。」
金がない、そう聞いた板倉さまは一切の興味を失ったようで、席を立ってしまった。
「ちょっと! それってどういう事! まさか、議事堂に金があればそれを奪うつもりなの? あの人。」
「ま、板倉さまはそんなもんだ。で、容保さま、どうします?」
「うむ、わしはどちらでも構わぬ。」
「んじゃ、あとは旦那次第って事か。で、どうすんだ?」
「んー、どうしよっかな。」
悩んでいると今まで黙っていた律が口を開いた。
「よいではありませぬか。わたくしも新九郎さまと共に長州に旅行。いろいろと楽しみですし。」
「旅行じゃないからね! って、奥方、あんたも来るつもり?」
「当たり前です。何か問題が?」
「あ、そりゃええどすな。うちの佐奈さんも一緒に。きっと喜んでくれますやろ!」
「だな、俺もお琴に何もしてやれてねえ。長州くんだりまで旅行となれば喜ぶだろうぜ。」
「うむ、お琴が来るならば音曲の稽古も続けられるな。」
こうして満場一致で長州に行くことになった。木戸と聞多は半ばあきらめた顔で「それでいいから。」とつぶやいた。
一応、健吉のところにも声をかけたのだが、金にならないと知った今井さんが参加するはずもなく、普通に忙しいから、と断られた。誘わないで不貞腐れても困るのだ。そして定さんにも声をかけたが、こちらも金のやりくりに余裕がなく、旅行どころではないという。
俺たちは旅支度、いくさ支度を整えて、不忍池を出発する。例によって町衆は大騒ぎで見送りに出る。まずは木戸達と日本橋で合流、そこで昨年から営業を開始した成駒屋の乗合馬車に乗る。馬車は六人乗りで、料金は一人三分とかなりお高め。この成駒屋は横浜で写真屋を営む下岡蓮杖の店なのだという。
もちろん料金は政府もち、俺たちは店があるので留守に残った敏郎を除いたいつもの面々二十四人、それにトシと鉄、容保さまが加わっていた。そして律と佐奈、お琴が一緒に付き添ってきた。ほかの面々の妻たちは仕事があるのだ。
この乗合馬車、西洋ではオムニバス、と言うらしい。元はラテン語。なんとなくなじみのある言葉の語源を知った気がする。これが将来バスになるのだろう。
横浜まではおよそ二刻《四時間》かかるという。歩いていけば一日仕事。実に便利になったものだ。
「はーい、みなさん。船が出るまでは少し時間がかかりますから、ここで自由行動にします。半刻後にここに集合してくださいね。」
すっかり引率の先生みたいになった木戸がそう指示をする。なんだかんだ言って、自分も松子さんを連れてきているのだ。俺は律と共に横浜の街を廻り、ずっと世話になっているアメリカ商人の元を訪ねたり、最近売り出されたアイスクリームを食べたりした。
「うふふ、どれもこれも目新しい物ばかり。新九郎さま、初めて連れて行って頂いた浅草を思い出します。」
「あはは、あの頃は律っちゃんもまだ十三だったもんね。」
「ええ、まだ背も小さくて、新九郎さまを見上げるように。律はあの時も、そして今も、新九郎さまの隣にいられることが何より誇らしく、そして幸せなのでござりまする。」
「俺だってそうさ。でもここも変わったよ。初めて来たときにはさ、藁ぶき屋根の店を派手な色に塗っちゃってて、外人も男しかいなかったからね。今はこうして洋館が立ち並び、異国の女の人も普通にいるし。」
「そうですね、今は東京の市中でも異国の方をちらほらと。」
「あ、どうせなら牛鍋でも食べてみようか。最初に食べるなら本場、横浜の方がいいし。」
「ええ、そうしましょう。」
近くの店で牛鍋を食べ、集合場所に戻る。律は最初こそおっかなびっくりで口にしていたが、慣れるとおいしいと言って残さず食べた。そして政府の用意してくれた船に乗り込み、個室に入るとあとは哲学の時間だ。
木戸が言うには異国との航路だけでなく、こうした国内航路も今は外国資本がほとんどで、これを国内の民間会社に換えていかねばいけないと言う。乗合馬車も当初は異国の会社が始めたが、そうした交通と言うものは国内の会社で、と言うのが政府の方針らしい。交通は軍事に密接した物だけに、外国資本に押さえられてはうまくない、と言う事だろうか。
数日かけて大阪まで行き、そこに寄港。そしてそこからやはり数日かけて長州へ。律と二人で甲板に出て、海の色が変わるさまを眺めていた。
長州着いたのは二月八日。大阪で合流した兵学寮の80名、そして山口藩の常備兵300名と新たに編成された第四大隊250名。他にも援軍が来て、総勢約800名。それらが木戸の指揮下に入った。
藩知事毛利元徳はすでに何度も反乱軍と交渉を行っていた。総指揮官の木戸はもはや話し合いの時ではない、と翌朝奇襲に打って出ることにする。連れてきた律たちを知事公館に置き、俺たちは木戸の指揮の元、出陣する。二月九日早朝、陶垰、鎧ヶ垰を早々に下し、小郡柳井田関門へ進撃した。そこは要所だけの事はあり、固く守りが固められていた。
「君たちは完全に包囲されている! この木戸孝允が話も聞こう! おとなしく武器を捨て、投降……」
「うっほー、最新式の大砲はたまりまへんなぁ!」
どーん、と一郎は砲兵から奪い取った大砲を発射する。向こうからも銃弾が雨あられと飛んできた。
「ちょっと! 何やってんの!」
「ほら、木戸はんも景気よく行かな!」
「ええい! 撃て! 撃て撃て!」
こうしてなし崩し的に戦闘が開始された。
「ねえ、どうなってんの! 僕はまだ合図してないよね!」
「木戸、おめえはこの連中が言うことを聞く、いつからそう思った?」
「いや、だって、トシさん。普通聞くでしょ?」
「それがおめえの過ちだったって訳だな。京でもそうだったし、鳥羽伏見もそう、そして宇都宮も、松前もみんなそう。旦那たちが人の言う事聞いた試しなんぞありゃしねえよ。」
そう言ってトシは薄ら笑いを浮かべ、シガーに火をつけた。
「まあまあ、木戸、そんなに怒るなって。あんな連中容保さまにかかれば一発だって。ですよね?」
「あー、そうだね! 僕の屋敷を吹っ飛ばすくらいだから、あいつらなんか余裕ですよね!」
その容保さま、難しい顔で腕を組んで目を閉じたまま動かない。
「容保さま?」
俺がそう問いかけると、むすっとして目を開ける。
「気が乗らぬな。」
「「は?」」
「もっとこう! 華やかな音曲に乗せて打ち出さねば指弾と言うものは輝かん! こんな銃撃の音しかせぬところではわしの恰好よさが示せぬではないか!」
「えっと、僕の屋敷を壊したときは音曲とかなかったですよね。」
「あれはあれだ! 物を壊すのはあれで良いがいくさとなれば話が違う! わしのカッコよさをその目に刻ませ果てさせねばあまりにも不憫! そうであろう? 松坂!」
「えっと、そうなんですか?」
「そうなの! おまえ、免許皆伝のくせにそんなこともわからぬのか!?」
まったくわからないですけど。
「とにかく、わしはカッコよくないと嫌なの! 五十嵐川でもお前が危機になるのを見計らってたんだから!」
「マジで? あの時完全に死を覚悟してたんですけど!」
「ヒーローとはそういうものだと洋書に書いてあった。とにかくわしの出番はまだだからね。」
「ちょっと! 松坂さん! どうなってんの! おかしい、おかしいですよ! これは!」
「だよねー。」
「うるさい!」
容保さまはそう言って俺と木戸にゴールドフィンガーをぶちかました。俺たちが気絶から覚めても戦闘は継続、すでに数万発の弾丸が消費されていた。とにかく木戸がうるさいので、なんとかすべく俺たちは脇に回り込む。一郎がここに砲撃を加え、混乱した敵中に切り込む作戦だ。作戦立案はトシ、これには容保さまもにっこりと賛同した。
「僕も一緒に行きますからね。」
そう言って木戸までもがついてくる。
「それはいいけど、一郎。」
「なんどすやろか。隊長はん。」
「俺たちに大砲撃ちこむなよな! 絶対だからな!」
「そないなアホな真似、するわけありまへんやろ?」
それが前振りにならないことを祈りつつ、俺たちは身をかがめて移動する。そして配置に付くと予定通り一郎の砲撃が始まった。
どーんと大砲の弾が着弾し、「うわぁぁ!」っと叫びが上がる。
「行くぞ!」
そう俺が指示をだすと、安次郎たちが「コロース!」と叫びつつ切り込んでいく。反乱軍は民兵。扱いのたやすい銃は使えても刀はただのお飾りだ。しかも鎖も着込んでいない。俺たちからすれば据え物斬りも同然だった。そして密集した戦場では両手で使う刀より、片手で使え、短い脇差の方が効果的だ。俺は親父殿の形見、大慶直胤の脇差をふるい、そのひと振りごとに敵の頭を飛ばしていく。こうでもしないと殺人鬼と化した安次郎たちに敵を全部斬られてしまうのだ。チラッと振り返るとすでに腕の劣るトシと、人斬りの経験がない木戸が刀を抜いたまま、何もできずにあたふたしていた。そして――
「刮目せよ! これが真の会津指弾! うぉぉ!」
バン、と音がして敵兵が宙を舞った。容保さまは左右の手を広げ、そこに触れるものをみな宙に弾き飛ばす。敵も味方も一斉に「えっ?」っと振り返った。
「「う、うわぁぁぁ!」」
もはや敵とかどうでもいい! とにかく容保さまから一歩でも離れたい! あんなの食らったらマジで死ぬ! 目が合った敵兵たちも真顔でうん、と頷いて、一緒の方向に逃げていく。
「我が会津指弾翔鶴流は無敵だ!」
容保さまが天を指さし、決めのポーズをとった。その時、遠くから声が聞こえた。
「やったらいかん事ってのは一度はやってみたくなるもんどすえ! 僕の砲弾! ごっついおますでぇ!」
ドン、と音がして、決めポーズの容保さまの後ろに着弾。ボンと土煙が上がり、ちょうど戦隊モノの登場シーンみたいになっていた。
「えっ?」
そう言って振り向いた容保さまのそばにまた一郎の砲撃が着弾する。「はひっ!」と声を上げ、容保さまはその場に倒れこんだ。
「撤収! 撤収! トシは木戸を守って下がれ! 俺は容保さまを回収する!」
敵も慌てふためいて逃げ出したが、こちらもここを守れるほどの余力はなく、一時三田尻まで退いた。その夜、宛がわれた宿舎で一郎は容保さまのゴールドフィンガーを食らい失神、外の木に吊るされていた。
そしてこの日木戸は自らの日記に「今日の苦難語り尽くすべからず。」と記すことになる。