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 容保さまがお預けとなっていたのは数寄屋橋にある池田家の鳥取藩邸。そこに鳥取藩士の定さんの案内で中に入った。


「ほらほら、何してんの、お茶ですよ、お茶。わしが恥かいちゃうからね!」


 定さんは容赦なく鳥取藩士を追い使う。千葉道場の看板は伊達ではないのだ。


「すごいね、定さん。」


「何年も藩の剣術師範やってるのよ? このくらいは当たり前でしょ。仮に、仮にですよ、あーた、講武所が残ってたら新さんだっていい顔じゃない。」


「ああ、そういう事ね。」


「そうそう、藩士は弟子みたいなもんだからね。重太郎がもう少し腕を上げたら、わしは隠居するけど。」


「そうなんだ。」


「藩士ってのも大変、こないだ禄制が変わるってお触れが出て、ただでさえ少ない禄が削られたんだから。もうね、武士やってても食っていけないの。」


「政府に出仕は?」


「うん、みんなそうするって。けどさ、軍に入って長州兵みたいな民兵の下につけられるってのはね。武士の誇りってもんがあるでしょうよ。」


「そうだね。武士ってのは今の世じゃまさに無用の長物、うちの連中もさ、毎日ごろごろして、嫁さんたちの稼ぎで食ってる。」


「それでも新さんのところは良いじゃない。鐘屋は建て増ししても足りないくらいに流行ってるし、コーヒーだって売れてるんでしょ? それに、戊辰戦争で一儲けしたんだし。いいなあ、お父さん羨ましいな!」


「けどさ、やっぱり不安だよね。幕府がなくなって俺たちはみんな無職。貯金を食いつぶして生きてるわけでしょ?」


「貯金があるだけでもいいじゃない。うちなんて大変なんだから! 門下生は減る一方。若い連中は剣術よりも学問だって、みーんな持っていかれちゃう。世知辛い時代ですよ、まったく。」


 茶を飲みながらそんな話をしていると鳥取藩の重役が現れる。俺はわずかに腰を折ったが、定さんは頭も下げず、つーんと横を向いた。


「それじゃ、新さん、わしは先に帰ってるから。」


 そう言ってそっけなく帰ってしまう。


「あらら。」


「はぁ、千葉先生は禄が下がったことに大層ご立腹で。此度のご一新、官軍に付いた我らにも厳しい沙汰ばかりですからな。」


「まあ、武士ってのは食いっぱぐれる。官軍、賊軍問わずにね。そういう事なんだろうけど。」


「わが藩からも華族となったものもおりますが、ほとんどの藩士は食うに困る有様で。そのうえ廃藩置県と来たもんです。藩がなくなれば我らも本格的に食いかねる。

 政府はその辺どうお考えなのか。これなら幕府について討ち死にした方がマシだった、そう公言してはばからぬものも出る始末で。」


「世が変われば割を食うものも出るって事さ。それが今回は俺たち武士だったと。」


「そうですな、しかし、松坂殿は蝦夷までも、武士とはそうあらねばと我らも感心しておりました。」


「あはは、武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候ってね。負けちゃなにも意味などないさ。」


 奥まった部屋は厳重に封鎖され、廊下には見張りの武士がいた。そして襖に取り付けられた竹矢来を外してもらう。


「容保さま、松坂です。」


「うむ、入れ。」


 そう声がして、襖を開く。そこには笑顔が眩しい容保さま、それに直さんこと手代木直右衛門、他にも数人の会津の人がいて、それぞれ手に楽器を持っていた。

「あはは、ずっとこの調子なんですよ。私たちも何も言えずに。」と見張りの武士が俺にささやいた。

 部屋に入ると汗を拭きながら容保さまがそばに来て俺の手を取った。直さんたちも満面の笑顔だ。


「うむ、よく来た、松坂よ。」


「えっと、元気そうですね、すごく。」


「うむ、とりあえず沙汰も決まったことだし、反省ならば十分にした。蟄居の身であるからとは言え、音曲を奏でてはならん、と言う決まりはなかろう。」


「で、どうなったんです?」


「この初夏に生まれたわしの子、容大かたはるをもって家名を存続、陸奥の斗南で三万石と相成った。厳しき土地ではあるらしいがそれでも無いよりはマシだ。

 そして家老であった萱野権兵衛が戦争責任と言う事で腹を切る代わりにわしは、死一等を免ぜられ、永蟄居という訳だな。」


「その萱野さんは?」


「新さん、みんなで平等に決めたことですよ。会津流にね。誰かが責を。殿も含め、みなでしっぺをもって勝負を。萱野は我慢が利かなかった、そういう事。」


「流石に指弾では勝負にならぬからな。最後はわしとあ奴の一騎打ちだった。」


「え、もし容保さまが負けてたら?」


「その時は潔く腹を切る。武士とはそういうものだ。」


「そうそう、代わりに萱野は会津の誉れとして末代まで語り継がれる。羨ましいですな。」


「「ほんとほんと。」」


「本来であれば西郷頼母を、そのつもりでおったのだが、行方知れずでして。」


「え、蝦夷で見かけたけど?」


「そのあとまた身を隠したんでしょうよ、あ奴は会津の恥、この先どうなろうがそれは変わらんよ、新さん。」


「まあ、そういう訳で、わしらは萱野の分まで存分に生きなばならん。」


 よくわからないが会津としてはそれでいいらしい。萱野さん、あんたはえらい!


「それで、松坂、わしに何の用だ? いや、顔を見せてくれただけでもうれしきことではあるがな。」


 容保さまの問に俺は答え、事情を説明する。板倉さまも、それにトシも、別人と言う事でうちに暮らしている、だから容保さまもと。


「しかし、それは政府がウンとは言うまい?」


「木戸とは話がついてて、容保さまの実力を知りたいって。それが判ればやぶさかではないと。」


「ふむ。直右衛門、どう思う?」


「萱野が救ってくれたお命、存分に生かさねばあ奴に文句を言われましょう。」


「そうか。そうだな。」


「それに私たちはいずれ赦免の沙汰が。殿はそうは参りませぬゆえ。」


「うむ、では支度を。しかし、松坂、お前はともかくとして、土方まで無事とはな。新選組、そして函館政府の要職にあったあ奴をよく政府が。」


「殿、どうせ新さんが無茶を。そういう事ですよ。」


「ははは、なるほどな。お前の無茶には大概泣かされたが、今度は政府が泣く番と言う事か。みな、よく聞け。わしはこれより松坂の麾下のものとして生きていく。木戸に実力を認めさせ、あとは。」


「はい、あとの事はお任せを。新さん、殿を、それにわしも赦免が出たら頼っていいよね?」


「えっ。」


「もう、新さん? わしも行くからね! 絶対に行くからね!」


 よくわからないがそういう事になって、とりあえず俺は容保さまを連れだした。容保さまはしゃんとした洋服姿に着替え、総髪になった頭に帽子を乗せた。



「ふむ、久々の外は緊張するな。して、どこに行くのだ?」


「とりあえずは俺のところに。木戸のところは昼からにしましょう。」


「しかし、木戸は待っているのではないのか?」


「大丈夫ですって。」


 ともかく俺は容保さまを不忍池に連れていき、鐘屋に招いた。


「おーい、律っちゃん! お客さん。トシと板倉さまも呼んできて!」


 客間にトシ、それに板倉さま、あとはうちの一郎などが顔を出し、旧交を温め合った。そして律は丁寧なあいさつをしてコーヒーと菓子を用意してくれた。


「うむ、土方、それに板倉殿、そして渡辺。みな、よう働いてくれた。わしは会津で降伏したがそなたたちは蝦夷までも。」


「ま、儲かったしよかったですの。今もこの通り不自由もなく、楽しく暮らせておりますでな。」


「そういうこった。容保さま、旦那も一郎さんも、結局政府には一つも頭を下げちゃいませんからね。俺は死に損ねただけですけど、この人たちは逆に黒田参謀をやりこめて、西郷さんと一緒の船に乗って堂々と江戸に帰ってきた。たいしたもんですよ、まったく。」


「そうだな、土方、いや、内藤か。お前も立派なものだった。斉藤、いや山口も最後まで戦い抜いて生き残った。わしは降伏し、頭を下げたがお前たちはそうではない。まさに会津の誇り、幕府の誇りである。」


「そんなん言われたら照れます。僕らは隊長はんの無茶に従っただけどすえ。」


「そうだな、けど一郎さんよ、それが普通じゃできねえ事だ。俺の奉行としての命には一つも従わなかったがな!」


「あははは、そうだろうな、松坂は誰の言う事も聞かぬ。忘れたか? わしが叱責した当日に、熊本藩邸に乗り込んだことを。」


「そうでしたね。んで、旦那、これからどうすんだ?」


「今から九段北の木戸の屋敷に。そこで容保さまが力を示せばすべて解決さ。」


「力を示すって、アレのことか?」


「そういう事。」


「んじゃ木戸が逃げ出せねえようにしとかなきゃだ。一郎さん、みんなに支度を。」


「はいな。」


 俺とトシはいつものチョッキにコート姿。一郎たちは臙脂羽織を着込んだ。そして俺は以前に容保さまより授かった羽根つきの帽子を坊主頭に乗せた。なにせ訪ねる相手は木戸閣下。身だしなみは整えないとね。


 九段北の木戸邸は真新しい二階建ての洋館。門構えも洋風で、塀の上にはよじ登れないよう鉄の柵がついていた。


「んじゃ、一郎さん、あんたは表、安さんは裏門を。」


「逃げ出す奴は斬っていいのだな、内藤さん。」


「いんや、斬っちゃ後がいろいろ面倒だ。ぶっ叩いてふんじばっとけばいいさ。」


 トシはいつの間にかうちの副長格。一郎も、安次郎もおとなしく指示に従っていた。


「んじゃ俺は旦那と木戸のとこに。容保さま、いきましょうや。」


「いや、内藤、わしはここで。わしの力は言葉では伝わらぬ。」


 そういう事になって、俺はトシと二人で分厚い玄関の扉を叩いた。中から女中が顔を出して、二階に案内してくれた。


「もう、松坂さん! 僕だっていろいろ忙しいんですからね! こんなに遅くなって! で、会津候は?」


「なんか実力を見せるって外に。」


 木戸はとにかく、と俺を長椅子に座らせ、トシは刀を抱えて部屋の入り口に陣取った。


「え、トシさん、そこで何してるの? こっちに座ればいいのに。」


「いや、あんたはお偉いさんだ。何かあっちゃまずいだろ。俺は警護役って訳だ。屋敷の表と裏にもうちの連中を配してある。」


「え、そんなことしなくても、ま、いいや。それで、松坂さん、僕ねいろいろ考えたし、みんなの意見も聞いたんだけど、やっぱり会津候はまずいんじゃないかな。いや、君との約束を破るつもりはないよ? ただ、時期的にね、いろいろと。」


 そこに女が銀のお盆に乗せたコーヒーを運んできた。


「松坂様、いつぞやは大変ご無礼を。木戸の妻、松子にございます。」


「ああ、あんときの、えっと、幾松さん!」


「覚えておいででしたか。ふふっ、もうあれ以来、うちの人が短小で包茎って京で噂に。けれどもおかげで変な女も寄ってくることもなく。」


「んっ、んんっ。松子、今はそういう話はやめなさい。大切な話をしているからね。」


「はいはい。」


 そういって松子さんが去ろうとしたとき、ずっどーんと音がして屋敷が揺れた。


「えっ、何、地震?」


「きゃぁぁぁ!」


 しばらくすると、またズドン、そしてパリンっとガラスの割れる音。木戸夫妻は叫びをあげ、頭を低くしたが、俺は普通にコーヒーを啜っていた。うん、これは容保さまの砲撃が始まったんだね。なるほど、こういう実力の見せ方か。


「た、大変です、旦那様!」


 駆け込んできた女中が真っ青な顔でそう言った。


「何事だ! 一体!」


「その、外から石か何かが、」


「石だと! 石などでこんな!」


 ズドン、と音がしてまた屋敷が揺れた。松子さんと女中がきゃぁぁ! と叫ぶ。


「ま、松坂さん! これはいったい!」


「言ったろ。これが天下最強、容保さまの実力さ。早くしないと屋敷が崩れるよ。」


「えっ? 何、どういう事?」


 そう言って木戸が窓をのぞき込むとそこにスナイパーさながら、正確な射撃がパリンっと窓を割り、その破片が木戸の頬を切った。


「えっ。」


「木戸、こいつが撃ち込まれてる物の正体だよ。こいつをな、デコピンみてえに指で弾くんだ。」


 トシが拾い上げたのは変形した一文銭。木戸がすっと立ち上がるとまたそこにスナイプ! バン、と音がして天井が打ち抜かれた。


「うそ、嘘だよね。」


「これ一発で五、六人は撃ちぬける。旦那もいくらかはできるがあの人には及ばねえさ。」


「うん、及ばないね、完全に。で、どうする、木戸? 容保さまの実力、認めてくれる?」


「あ、あはは、もちろんですとも、認めます、認めるしかないですよね!」


「よっし、じゃ、トシ、そこから合図して。」


「だな、これ以上撃ち込まれちゃこの屋敷が崩れちまう。」


 そう言ってトシが窓に近づくとそこに一発。トシの頬をかすめて、奥の扉を撃ちぬいた。


「えっ?」


「えっ?」


「ばっか何やってんだよ! はやく止めろって!」


「あ、ああ、容保さま! もう終わりだ!」


 ガシャンっと窓が割れ、トシはひぃぃっとうずくまる。俺たちは顔を見合わせた。


「ねえ、どうしようか。」


「ちょっと! どうなってんの! なんとかして、松坂さん!」


「えっと、その。」


 ズドン、と音がして、屋敷がメキメキっと音を立てた。


「無理っぽい感じ? つか、お前! 逃げの小五郎なんだろ! 脱出する方法ぐらいあるんじゃねえの?」


「あ、うん、そうしようか、ここにいちゃ建物につぶされる。こっち、裏から逃げれば平気だから。」


 腰をかがめて廊下に出る、そして窓から外をのぞくとそこは別の意味で大変だった。木戸邸から逃げ出した下男が安次郎たちに殴られているのだ。女中たちは腰を抜かして、あわわっと手を咥えていた、


「えっ? ねえ、あの人たちって松坂さんのところの人だよね。」


「あちゃー、こうなるとはな。さすがの俺も読み切れねえ。奴らにゃ逃げ出すもんは叩きのめせって言ってある。」


「なんで? おかしいよね?」


「いや、木戸が逃げたら困るから。」


「今、別の意味で困ってる! トシさん、先に出てやめさせてよ!」


「ああ、ちっと待ってろ!」


 その間にもズドン、ズドン、と音がして屋敷がぎぃぃっと傾いていく。そして裏門にトシがでると、見境を無くした安次郎たちにフルボッコにされた。


「あーあ、トシ、やられちゃったよ!」


「ちょっと! あ、まずい気がする! 松子!」


 木戸は松子さんをかばうように抱き、そしてズドンと音がする。屋敷がぎぎぎっと急激に傾き、メキメキっと崩れていく。


「「うわぁぁぁ!」」



 げほっ、げほっとせき込みながら、瓦礫の中から身を起こす。木戸も松子さんもともかくは無事、俺は木戸の手を引いて起こしあげた。


「いやぁ、さすがどすなぁ、容保さま。惚れ惚れする業前やったわぁ。」


「ふっ、そう誉めるな、渡辺。」



「……松坂さん、これは貸し、貸しだからね!」


「えっ、いや、うん。ごめん。」


「とにかく帰って! 僕、もう、泣きたい!」


 こうして容保さまはこの日から鐘屋の住人の一人となった。


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