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 ここは洋館であるが、客間は和室である。洋室だと落ち着かない、と言う人もまだまだ多いのだ。とはいえ部屋の隅にはストーブもあり、窓にはガラス。十分に暖かい。すでにそこにはトシがいて、なんだかんだと座持ちをしていた。


「久しぶりだね、桂、じゃなくて木戸。」


 その木戸は七三分けに蝶ネクタイの背広姿。ぷっと思わず吹き出すほどその七三分けが似合わない。


「松坂さんも、それにトシさんも、僕の政府の立場からすれば無事でなにより、とは言えないけれど、旧友としてはうれしく思うよ。」


「最後にあったのは、あれだ、池田屋の時、三条大橋の近くだったな。」


「そうそう、お前、川に飛び込んで逃げちゃうんだもん。そういえばあの芸者さん、すごかったよね。」


「コホン、その幾松は今は松子と名乗り、僕の妻となっている。」


「えっ? そうなの。だって身分差とかいろいろあるんじゃない?」


「華族となった僕だが、そのくらいのわがままは通させてもらうさ。好きな人と結ばれることすら出来ねば維新を成した甲斐がない。」


「ま、この人はそういう自分の意向を通したいのもあって、身分差の結婚を認める法を建白してるんですよ。」


「何を言うか、聞多! 四民平等、それが政府の方針。新たに華族制が敷かれるとは言え、人の身分差があってはならぬ。」


「えっと、よくわかんないんだけど、華族って?」


「ああ、一度にみな平等、それが理想ではあるが、現実はそうもいかない。そこで元諸侯、それに維新の功臣、皇族方、そうした人たちに新たな位を定め、国民の規範となっていただくのだよ。功臣の中には春輔のように、出自が悪いものもいるし、公家も大名もいる。そうした人を新たな位で飾らねば、民はいつまでも幕府のしきたりのまま、大名を尊び、出自の悪い物を軽んじよう。それでは世は変わらぬからな。」


「へえ、それで、長州や土佐、薩摩の下っ端出の奴らを敬えって? けどさ、春輔とかは別として、みんなにその華族さまを名乗るだけの器量があるのかねえ?」


「確かに、確かに君の言うように、位に皆がふさわしい、とは言えぬ。しかしそれでも維新の功臣、賞してやらねば不服も出よう。」


「新さん、そうでもしないと政府はまとまらないって事ですよ。大久保さんにしろ、この木戸にしろ、元は陪臣、帝からすりゃ陪々臣ですからね。新しい決まりってのがなきゃまずいんですよ。」


「君のように旗本として高位にあったものには不服かもしれんが、世が変わった以上、認めるべきは認めてもらわねば。」


「俺は別に構わないけど。旗本って言っても特権がそれほどあったわけじゃないしね。だろ? トシ。」


「いんや、俺たちは世に出たくても術がなかった。それに比べりゃ旦那は恵まれてたさ。」


「そうかなあ? 俺だって元は部屋住みで、誰にも相手にされてなかったけど?」


「てめえの事は見えねえだけさ。そりゃ、旦那にも苦労はあったろうさ、けど、世に出れねえってのはつらいもんだぜ?」


「そういう事ですよ、新さん。今度の政府は四民平等、士農工商なんてのはなくしちゃって、仕事がしたけりゃ誰でもできる。出自を問わずにね。」


「今はその塩梅を探っている。大久保さんとはその塩梅で議論を重ねている最中だ。」


「ふーん、で、何で木戸はそんなに急ぐのさ。聞く限り大久保さんの方が正しいように聞こえるけど?」


 そう言うと木戸は苦々しい顔をして考え込んだ。


「……これには長州の事情もある。長州は維新で多くの人材を失った。そこを民兵で埋めた経緯がある。そして彼らもまた維新の功臣。その彼らをないがしろにしては長州は再び内戦ともなろう。長州が力を落とせば政府は薩摩一強。それを憂慮している。」


「そんなのお前らの都合じゃん。長州は相変わらずこの国に迷惑かけてるねえ。」


「違う! 長州が弱くなればそれはもう、薩摩の独壇場! 対抗する勢力がなければ世は誤った方向に進む。それを僕と大村さん、それに広沢君で! なのに聞多と春輔は!」


「そりゃ木戸の言う事もわかりますよ? けどその為に薩摩の力をそいじゃ世は進まないし、何でも反対じゃ決まり事だって。」


「だからこそ民の起用を! 軍でもどこでも武士優先では何も変わらぬし、数の多い薩摩が! それがなぜわからん!」


「だーかーらー、そういうのはおいおいって事で。」


「何を言うか! すでに海軍は薩摩の川村君! 今度の御親兵だって西郷さんが戻ればあの人に! 絶大な権限を有する大蔵省だって実質は大久保さんの手の内なのだぞ!」


「もう、そんなこと言ったって仕方ないでしょ? とにかく廃藩置県。それが済むまでは今のまんまがいいんですよ。」


「くぅ! こんな時、高杉がいてくれれば!」


「あんなのがいたらもっと大変ですって。ねえ、新さん?」


「だね、ああいうのはどこかに隔離しておかないと。長生きされちゃみんなが困ってたとこだよ。」


「ま、そういう難しい話は政府の中でしてもらえばいいさ。俺たちは庶民なんだからよ。」


「トシさん! あんただって函館じゃ奉行だったよね! だったら僕の言う事もわかるでしょ!」


「そうなんだよ! こいつ、陸軍奉行だなんだって威張り散らして! 大変だったんだから!」


「よく言うぜ! なあ、木戸。俺もあんたの言う事が判らねえわけじゃねえさ。どんな中でも派閥ってのはできるもんだ。」


「でしょ!」


「けどな、俺にはそんな派閥争いしてる暇もなかった。なんせ俺には旦那たちがつけられたからな。ちょっと目を離しゃろくでもねえことばかりしでかしやがる。俺はその尻ぬぐいばかりに追われてたんだよ。」


「ああね。」


「ですよねー。」


「ちょっと! 何その反応! 俺だってちゃんと頑張ってました! 松前だって一番乗りですぅ!」


「それで俺を締め出して、てめえらだけで城の金をかっぱらったんだ、あの時だって俺はみんなに頭の下げ通しだったんだからな!」


「あ、あれは渋沢さんが!」


 そんな話をしていると襖が開いて、お千佳が茶を持ってきてくれた。


「あら、誰かと思えば桂じゃないか!」


「あ、女将さん!」


「なんでもずいぶん偉くなったんだって? 今は木戸って言ったかい? ま、あんたはうちの店でもピカイチの働きだった。偉くなるのも当然だね。」


「女将さん! 僕、うれしいです!」


「お千佳、宿での働きと政府じゃ違うだろ?」


「一緒ですよ、旦那さま。見てごらんよ、板倉さまだって仕事ぶりはたいしたもんさ。できるお人ってのは何やらしても上手なもんさ。だろ? 木戸、いや、木戸なんて呼び捨てちゃいけないね、木戸閣下?」


「そんな、なんか照れますし。」


「ま、今日はゆっくりしていくといいさ。雪も降ってるしね。馬車には明日迎えに来いって伝えて返したよ。せっかく来たんだから風呂に入って、くつろぐと良い。

 お偉いさんになっちゃ碌々休むことすらできないんだろうからね。昔のよしみであたしが背中でも流してやるさ。奥方様が夕餉の支度もしてくれてるよ。」


「えっ、あの奥方が?」


「昔は失礼な態度をとっちまったからって。ま、楽しみにしとくんだね。」


 うん、うん、と木戸は答えて袖で涙をぬぐった。


「それはいいけど何しに来たのさ木戸閣下。」


「やめてよ、今更閣下とか呼ばれるとむず痒いし。」


「そう? で、用事は?」


「ほら、先日の長州兵の件、あれはね、完全にこっちが悪いから。ごめん、この通りだ。」


 そう言って木戸は俺たちに頭を下げた。


「彼らは国元に戻した。だからもう。」


「あいつらはね、民兵だから我慢が利かないんですよ。学もないから勝った自分たちが江戸で何しようが勝手、そのくらいの感覚で。そういうのもあって、みんなゆっくり進めようって。」


「なるほどね。ま、あの件はそれでいいさ。ただ、うちのやってる茶屋が大砲撃ちこまれて大変な事に。それと武器も買い取ってもらわないと。庶民の俺たちが何十も小銃持ってたらまずいだろうし。」


「あ、うん、そうだね。その辺もしっかりしないと。だろ? 聞多。」


「うわー、また私ですか? それで、新さん、ちなみにおいくら?」


「そうだねえ茶屋は建物の修繕と店を開けない間の補償で千両? あとは小銃が一つ三十両で、何丁あったっけ、トシ?」


「確か小銃が80ほどで大砲が一門だな。大砲は三百両ってとこじゃねえか? しめて二千と七百両ってとこだな。」


「……聞多。騒動を起こした兵の数は?」


「50人ですね。」


「うん、そう聞いてる。松坂さん、50人なのに小銃が80? おかしいですよね。それに大砲なんか持ち出してないんですけど!」


「そんなこと言ったってあるんだから仕方ないじゃん? それじゃいいよ。50丁だけ買い受ければ。大砲と残りの小銃はうちで使うし。」


「使うって何に? おかしいですよね!」


「そりゃ気に入らない奴の家にでもどーんって。お前の家で試し打ち、みたいな?」


「やめて! わかりました、全部引き取りますから!」


「ちょっと! そんなお金どこから!」


「それはお前の役目でしょ!」


「やめて! 無理! 絶対に通らない! 三千両なんて金! そうだ! こうしましょう、木戸、あんたが大久保さんに頭下げてお願いすりゃ、大久保さんだって否とは言えないでしょ! うん、それがいい!」


「たわけぃ! そんな事できるはずないだろうが!」


「それじゃ絶対に無理ですからね!」


 うーむ、と木戸は腕を組んで考えた。


「松坂さん、分割とかどう?」


「ダメ。」


「ねえ、いいじゃないですかぁ! 僕たちだってそれしかできないんですから!」


「んじゃしょうがないな、代わりに俺の言うこと聞いてくれる?」


「そりゃ、できることならしますとも、なあ、聞多。」


「そうですよ、別の話で済むならそれで。」


「じゃあさ、容保さまの謹慎、解いてくれない?」


 その瞬間、空気がピシッと凍り付いた。


「ほ、ほら、放免しろって言ってるわけじゃないよ? 責任はとらなきゃいけないわけだし、だから、このトシとか板倉さまみたいにさ、本体は謹慎中って事にして別の人物として出歩くことを許してほしいなって。ほら、暴れん坊の将軍みたいに。」


「……あのね、松坂さん、僕だって会津候が憎いわけじゃないの。あったことないし。けどね、あの頃の京で死んだ連中が多くて、新選組や、見廻組、それに会津を許しちゃ国元の連中が黙ってないってあれ? トシさんは新選組だよね。」


「ああ、そうだ。」


「で、松坂さんは見廻組。」


「そうだよ。」


「それで、会津候? 無理無理無理、僕の身が危ないもの! それだけはぜーったい無理! そもそもなんで会津候を?」


「容保さまはね、この国の役に立つ人だからさ。」


「そりゃ、会津候だもの。影響力だってあるでしょうよ。けどね、そういう大名の影響力をなくすってのが政府の方針なんですぅ!」


「いやいやそうじゃなくて、容保さまは多分天下最強だよ? な、トシ。」


「まあな、さすがの旦那もあの方には敵わねえよ。」


「え、会津候って殿様だよね。それが天下最強? まっさかー。」


「ならさ、こうしようか。木戸の赦しを得て、俺がお忍びで一日だけ外にお連れする。そこで木戸のところに連れて行って、その実力を見てもらう。あとは木戸の判断、そういう事でよくない?」


「まあ、それくらいなら。それを飲んだら分割で良いんですよね?」


「うん。みんなさ、あの頃は尊王だ、佐幕だと争ったけど終わってみればみんないい人さ。京にいたころはこうして顔を合わせるなんてできなかった。けど今は違う。だろ?」


「まあ、僕もお会いするくらいは。けれど長州人としては。」


「わかってるって。会って実力を見てくれればそれでいいから。」


 そこでお千佳がビールとつまみを出してくれ、俺たちは互いに酌をしながらそれを飲んだ。事情はいろいろあるけれど、偉くなったにも関わらず、木戸も聞多もこうして俺を訪ねてくれる。それだけでも十分にありがたい事だ。


「さ、木戸閣下、お風呂の支度が、旦那さまも手伝っておくれよ。」


「あ、俺? 別にいいけど。」


「それじゃ、僕は遠慮なく。」


 木戸孝允、維新の立役者にして政府の重鎮である。その彼をもてなすのだ。細心の注意が必要だろう。


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