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不安が現実に変わったのはそれから数日後の事である。
「見ろ、言った通りだ。長州の奴ら、お礼参りに来やがった。」
敏郎の店の二階、砲台となった部屋から外を見る。そこには一中隊、50人ばかりの小銃を担いだ長州兵の姿があった。
「松坂! 貴殿に話がある! 速やかに出頭しろ!」
胸壁の向こう側、少し距離を置いたところで俺たちが捕まえた長州兵の隊長が怒鳴った。
「ま、こういうこった、んで、どうすんだ?」
「困ったね、ま、下に降りよっか。」
「隊長はん、ここはお任せを。」
にやっと笑う一郎、それにくっついてきた袴姿の佐奈を置いて下に降りた。そこにいた敏郎も、外にいるうちの連中、それに町の旦那衆もみんな好戦的な笑顔を浮かべていた。そしてそこには榊原道場のサイボーグたちを引き連れた今井さんの姿もあった。
胸壁を挟んで長州兵と対峙する。俺が何か言いかけたとき、上から声が聞こえた。
「こういうんは先手必勝や。佐奈、ようみといておくれやす!」
ドン、っと音がして大砲が火を噴いた。「「うわぁぁぁ!」」っと長州兵が逃げ惑う。
「素敵! あんた、カッコいいよ!」
「そやろ? もう一発お見舞いするで!」
ドン、と再び大砲が火を噴き、ギシギシと敏郎の店が軋みを上げる。そう、敏郎の店は普通に木造。大砲の反動に耐えられるはずもない。
「えっ?」
「えっ?」
ガラガラガラッと店が崩れ、素早く敏郎が佐紀を連れて外に出る。
「「ぎゃあああ!」」
一郎と佐奈は崩壊に巻き込まれ悲鳴を上げた。もうもうと土煙が上がり、俺たちも、そして長州兵も何が起こったかわからずぽかんとみていた。その煙の中から鬼の形相の佐奈が肩に気絶した一郎を抱えて出てきた。うん、佐奈って丈夫そうだもんね。
「新九郎さん! 何してるのよ! あたしの一郎さんがこんなひどい目にあわされたっていうのに!」
「あ、いや、それは。」
「もう、一体何事です?」
「あ、律さん! 聞いてよ、長州兵のせいで店はあんな有様に、一郎さんだって!」
「まあ、ひどい!」
町の女たちも何事かとみんな顔を出す。そこに向かって佐奈が長州兵に攻撃されたんだ、と大声で喚いた。
「ち、ちがう! 我々は何もしていない!」
「ちがうもんか! あんたらが大砲を打ち込んで! 最低だよ! 民の家に大砲ぶち込むなんて! それが政府のやることかい!」
「ちがう! われらはそもそも大砲など所持しておらん!」
「言い訳するんじゃないよ!」
そこに遅ればせながら安藤さん率いる弾正台の連中が駆けつけた。
「これは、どういう事でありますかな?」
その安藤さんに向かって佐奈は大声でわめきたてる。いきなり大砲をぶち込まれたのだと。そして大砲の音を聞きつけた江戸の庶民が長州兵の周りを囲んだ。
「ひでえ話だ! なんの咎もねえ鐘屋の店にいきなり大砲? 政府ってのは血も涙もねえ奴らだ!」
「ほんとだよ! 薩長なんてのは所詮野蛮人さね! 人でなしもいいところさ!」
やいのやいのとやじ馬たちが騒ぎだす。
「お、オイたちは違う! オイたちは松坂さんを助けにきたとじゃ! なあ、安藤さん!」
「そうです、私たち薩摩は江戸の民の事を常に。今だってわからずやの長州が狼藉をと聞いて駆け付けたんですよ?」
「なるほど、確かに薩摩の連中は田舎もんだが悪い奴らじゃねえ。上野のいくさの時だってここを守ろうとしてくれたんだ。」
「そうなると悪いのは長州って訳かい? 野暮な連中だよ! まったく。」
図らずも薩摩の連中はこっち側、長州兵と対峙することになる。
「そもそもおはんら! 弾正台の許可もなく銃まで持ちだして、どういうつもりか!」
そう言われると長州の連中も後ろ暗いところがあるらしく、顔を背けた。
「こん事は木戸さんにも報告させちもらう。おはんらは覚悟せにゃな!」
「我らは長州の名誉の為、ここにいる! 薩摩には関係ない!」
そんな言い争いが続く中、俺は安藤さんとトシ、それに今井さんたちと、律が用意してくれた縁台に座り、お茶を飲んでいた。
「新九郎さま、何事もやるうえは勝たねばなりませんね。」
そう言って律はとことこと前に歩き出す。そして「えいっ」っと可愛く声を上げ、指弾を放った。それはぱつん、と長州兵の肩を打ち抜き「ぐぁぁ!」と叫びがあがる。
「もう、話し合いで片付くことなど何もないのですよ?」
「あ、あ、あ、なんじゃそりゃー! 全員構え!」
長州兵が鉄砲を構えており敷くとこちらも「チェストー!」と声を上げた。ぱぱぱぱんっと長州の銃口が火を噴き、やじ馬たちはきゃぁぁ! っと逃げ散った。
こちらからもチェストー! と声がして、旦那衆の持っていた鉄砲を渡された弾正台の連中が胸壁から銃撃を開始する。
「ねえ、松坂さん、これって私の責任問題になっちゃったりするんでしょうか。」
安藤さんは頭を抱えてそう呟いた。
「たぶんね。」
そう答えると安藤さんはすくっと立ち上がる。そして頭を振ると吹っ切れた顔で「チェストー!」と叫び、戦闘に参加する。
「撃て撃て! 長州なんぞに負けっとられるか! 薩摩兵児の力! 存分にみせっど!」
「「チェストー!」」
「あーもう! うるさい! これでは稽古にならないじゃないのさ!」
そう言って出てきたのはお琴。
「いや、お琴、いまそれどころじゃねえんだ、みりゃわかるだろ?」
「歳三さん、あたしらはお弟子さんの月謝で暮らしてんだよ? 稽古ができなきゃ月謝だっていただくわけにはいかないだろ?」
「あ、そ、そりゃそうだが、」
「もう、鉄砲だか何だか知らないけど、うるさいんだよ!」
お琴は平然と鉄砲を撃ち合う最前線に。そしてすぅっと息を吸い込んだ。
「やべえ! 全員耳をふさいで伏せろ!」
トシの叫びにみんな手を止め耳をふさいでかがみこむ。
『うきゃぁぁぁぁ!!』
お琴の音波兵器が発動し、長州兵は「ぎゃあああ!」と銃を取り落として耳をふさいだ。
「今だ! 突入セヨ!」
トシの合図に真っ先に飛び出たのは棒を携えた佐奈、熟達した薙刀の業で次々に長州兵を蹴散らしていく。
「あたしより遅れる奴は許さないよ!」
「「応!」」
「殺したらダメ! いいですね! 絶対ダメ! 私の責任になるぅ!」
安藤さんの悲痛な叫びが通じたのか、うちの連中は刀を抜かずに殴りこんた。そこまではまあ普通。
だが、ここには今井さんをはじめとするサイボーグがいたのだ。ガンっと金属を叩くような音がしてサイボーグに殴られた長州兵が宙を舞う。そりゃ、あんなぶっとい腕で殴られたらそうなるよね。
結局、長州兵は一人残らず弾正台に逮捕され、彼らの持っていた武器はすべてが終わった後に登場した板倉さまが指示を出して回収した。
「いくさと言うものはやる以上利がなければの。」
「ええ、その通りかと。新さん、こないだの分け前と、今回の分、お願いしますよ?」
今井さんは俺から前回の分として三十両の官札をもらい、ほくほく顔で帰っていった。
「さてさて、薩摩か長州か知らんが今回は賠償と武器の引き渡しじゃ。一丁三十両ももらえば割も合うの。うひょひょひょひょ。」
「そうだな、長州兵も懲りただろうし。さって、俺らはあと片付けをしとかねえとな。胸壁やら何やらがあっちゃいろいろとうまくねえ。土は上野のお山にでも捨てときゃいいし、桶も町衆に返さなきゃな。」
「ええ、何事も六分の勝ちが肝要。あとは被害者となればいいのですよ。」
そう言って律は昂った顔で俺の手を引いていく。
俺たちはそれから、すっかり元のだらけた生活に戻っていた。季節はもう冬、俺は律と共に洋館で過ごしていた。冬は洋館の方が暖かい。日本家屋は窓が多く、どうしても寒いのだ。洋館は窓もガラスがはめ込まれ、密閉率が違う。しかもそこにストーブを設置している。外は雪が降り積もっていたが、部屋の中は別世界。
そして俺は律によってベッドに密閉されていた。
「新九郎さまぁ、まだまだ、もっとです!」
律は相変わらず性欲の強い女であった。
哲学の討論が終わり、身づくろいをして隣の椅子のある部屋で昼飯を食べる。今日は最近南伝馬町の風月堂が売り出したという、パン。この風月堂は板倉さまの祖父、松平定信さまが屋号を与えたのだという。それもあって板倉さまにと時折菓子や何かを差し入れてくれるのだ。その風月堂が作ったパンをお千佳が気に入り、宿泊客の朝食に採用したのだ。なので毎日相応の量のパンが運ばれてくる。
そのパンに横浜から買い受けたジャムを垂らして食べるのだ。そして飲み物はやはり最近出てきた牛乳。そして食後にはコーヒーだ。
「うーん、パンもいいけど少し物足りないね。」
「そうですね、けれど、美味しくはあります。それにこうして手軽に食せますからずっと離れることなくそばに居れますし。軽い昼餉にはちょうどいいのですよ。」
律はこうしてたくさんの人を抱える立場になっても俺の飯は自分の手で拵えてくれる。それが楽しみでもあるらしい。
コーヒーを飲みながらシガーを吸い、さて昼からの討論、っと思ったときに来客の知らせがあった。律はややキレ顔でそれが誰かと尋ねると、なんと木戸。それに聞多だと言う。
「そうですか、ではわたくしもご挨拶せねばなりませんね。客間の方にお通しを。」
はい、と伝えに来た鉄が下がる。律は俺に絡みつきながら服を着せ、自分も着物を着つけていく。木戸と会うのも久しぶりだ。気に入らない男ではあるが今はなつかしさが勝った。
この年はパン、それにアイスクリームが初めて売りに出された年。都内でも牛鍋屋が多く開業、そして牛乳
なども飲まれるように。まさしく文明開化の音がしますね。