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さて、翌日である。そこには金をもらえる仕事とあってハイエナどもが集まっていた。誰? って決まってる。金に苦しむ健吉と金に汚い今井さん。そしてバッカみたいに腕のぶっとい榊原門下生である。直心影流ってそういう流派じゃなかった気がするよね。
「流石新さんですね、お金に困る私たちの為にこんな機会を。」
「そうですよ、先生、新さんが私たちを放っておくはずがないじゃありませんか。」
いや、呼んでないから!
そしてうちからは店が忙しい敏郎以外すべて。新しい和風の店も完成し、人手が足りないとお千佳はぶつぶつ言っていたが、一郎も鉄も連れてきた。総勢五十名。
うちの連中は揃いの臙脂羽織を着込み、俺とトシはチョッキの上にコートを羽織った。鉄は敏郎から臙脂羽織を借りたようだ。その姿で不忍池の通りに整列する。町の衆はやんややんやの大騒ぎだ。
十名ほどを率いてきた安藤さんはぎょっとした顔をしていたが、細かい今井さんが五十名の名簿を差し出すと、それをはははっと笑って受け取った。
「ま、安藤さんは監察役って事で。俺たちが壮士とやらを片付けちゃうから。」
「だな。」
「ですね。」
とりあえず三組に分かれ見廻りを開始する。一組は俺と一郎の組。もう一つはトシが安次郎と鉄をはじめとする十人を率いた。そしてもう一つは今井さんが榊原道場のサイボーグたちを連れていく。俺のところには健吉がついた。
そして安藤さんたちも三つに分かれ、それぞれの隊の監察方を務める。
神田方面は今井さん、浅草方面はトシたちが、そして俺たちは両国に向かう。
「ねえ、松坂さん、本当に大丈夫なんですかね? 私、すごく不安なんですけど。」
安藤さんは薩摩隼人に似合わぬ丁寧な言葉、そして姿かたちも男前だ。年は俺よりいくつか上、俊斎が俺の二つ上で、そのさらに上らしい。
「大丈夫だって、要は、不審な奴を斬ればいいんでしょ?」
「えっと、できればその前に捕えるとか、」
「うん、わかった、死ななかった奴は捕えることにしよう。いいね、一郎。」
「わかっとりますえ。」
ともかくも俺たちは空き家を見つけては踏み込んでいく。一つ一つ丁寧に、そして武家町に出ると、屋敷の表と裏に分かれて踏み込んだ。
「御用改めである! 神妙にいたせ!」
そう言いながら中に入っていくといかにも浪人っぽい男たちが攫ってきた女を楽しんでいた。こっちを向いてぎょっとしたところを抜き打ちで首を刎ねる。ぽん、っと首が飛び、しばらくして血が噴き出すと、下にいた女が悲鳴を上げて気絶した。
「やりますね、新さん。私も負けませんよ!」
そう言って健吉は隣の男を袈裟に斬る。ひゅっと音がして、一拍あって、その男の体が斜めに分割され、ずり落ちた。
「流石だね、健吉。」
「やはり巻き藁や畳と違って心地よいものですな、人を斬るというのは。」
「だよね。」
それを見たうちの連中はお預けを食らっていた犬のような勢いで壮士たちに突っ込んでいく。数秒後には壮士たちはすべて体を分割されていた。
「あーあ、これで生きとったら奇跡ですやん。」
「いやあ、実に爽快。さ、隊長、次行きましょう、次。」
気絶した女は薩摩の人が介抱して連れて行った。安藤さんはポカンとしたままでいたが、背中をバンとはたくと、そのままの顔でついてきた。
二軒目、三軒目とこの辺りは全部当たり。どの屋敷にも壮士が搭載されていた。
「榊原先生はずるいですよ! 全部ひとりで斬っちゃって!」
「そうですよ、我々だって楽しみにしていたのに!」
「こういうものは早い者勝ちですよ。新さんにそう習いませんでしたか?」
「次は譲りませんからね!」
「私もですよ。」
そう、健吉は元講武所師範。そしてうちの連中は一郎以外、講武所生徒だった。古い顔見知りなのだ。少し共に動けば自然と連携もできてくる。連携と言うか今は獲物の奪い合いだが。
数軒の旗本屋敷に潜んでいた壮士たちを景気よく始末する。次は大名屋敷、いっぱいいると良いね、などと話しながら俺と一郎は裏と表に別れ、踏み込んだ。
「御用改めである! 神妙にいたせ!」
だがそこにいたのは官軍の制服を着た長州兵。やはり女を連れ込んでいかがわしい事に励んでいた。
「なんじゃ、お前らは。わしらは官軍ぞ? 幕臣かなんかしらんが負けたお前らは大人しくしとれや!」
「へえ、その官軍のお前らは何やってんの?」
「土産話に江戸の女でも味わってやろうと思うてな。邪魔だから帰れ!」
そう言った長州兵の首を刎ねた。
「安藤さん、聞いたよね。」
「うむ。しかし、これは問題になりますよ。」
「なってもいいじゃん。これも職務だよね。」
「そうですな、では私も、チェストー!」
そう言って安藤さんは一人の兵の頭を割った。そこにはほかに十人ほどの長州兵がいたが、隊長らしき一人を残して全部斬った。
「さて、新さん。気持ちよく暴れたことですし、私はこれで。」
「僕らもそろそろ帰らんと女将に叱られてまうし。」
「うむ、一郎の言うとおりだな。」
「それじゃ、安藤さん、俺もこれで。」
そう言って振り向いた俺の肩を安藤さんはぐっと掴んだ。
「えっ?」
「えっ? 当然一緒に行ってくれますよね、松坂さん?」
「どこに?」
「弾正台。いろいろねえ、後始末もありますし。三十人から殺してそのままって訳にも。ははっ。」
すでに健吉と一郎たちはいなかった。俺は安藤さんとその兵に連行される長州兵と共にとぼとぼと戻っていった。
「よう、旦那、どうした、そんなしけた面して。こっちは二十から斬ってやったさ。な、安さん。」
「うむ、ちと物足りぬがな。」
「私のところも同じくらいは。それで、新さんのところは? そういえば先生や一郎さんたちはどこに?」
「あはは、俺のところもいっぱい斬ったよ。主に健吉がね。数は三十くらい?」
「ろくでなしどもが一日で七十から減ったんだ。これで東京もちっとはきれいになったろうぜ。なあ、今井さん?」
「ですね、一人斬って一両、全部で七十両ですか。悪くない話です。」
「えっと、皆さん。さすがにすさまじいお働きでした。ですが、少々、難しきことがありましてね。」
「どうしたんだ、安藤さん。」
「――松坂さんたちが斬った中に、いささか悪さを働く長州兵が。」
「あ、いっけねえ、俺、お琴に呼ばれてたんだった!」
「私も所要が、それでは。」
「まって! まってよ! 俺を置いていかないで!」
「心配すんな、奥方には伝えとく!」
「ええ、私は関係ありませんから!」
なんて奴らだ、あっという間に逃げ散りやがった。
「さ、行きましょうか、松坂さん。」
「……ですね。」
なぜか弾正台で取り調べを受ける羽目になった。しかし、ここは政府の中でもはぐれ者の隔離施設だ。俊斎は京に旅立ってしまったが、残った人たちは俺と安藤さんそして、捕まえた長州兵の話を聞くと大激怒! チェストー! チェストー! っと叫び声が響き渡った。
「そいは松坂さんは悪くなか! そがいな事する長州が悪かじゃ! そっじゃろ、安藤サァ!」
「ええ、私もそう思ったのですが、一応皆さんの判断をと思いこちらに。」
「ほったら、あとは誰に文句をつけるかじゃ! 民を守る役目んもんが民を攫って! そがいなんは承知出来ん! 腰を折っては弾正台の名折れじゃ!」
うわぁっと沸き立つ弾正台。まさにハチの巣をつついたようなありさまだ。
「そうだよね、俺たちは悪くない。ってことはきっちりケリをつけないと。」
「そっじゃ! 黙っとく訳にはいかん!」
「やっぱりここは木戸に文句を言うべきだよね。」
「そっじゃ! それがよか!」
俺は弾正台の連中を率い、まずは大蔵省に行く。ひょこっと顔を出した渋沢さんは危険を感じたのかすぐに顔をひっこめた。
「渋沢さん、聞多呼んで、井上聞多。」
「あ、はいはい。」
渋沢さんが中に駆け込み、しばらくするとイヤーな顔で聞多が出てきた。
「えっと、何です?」
聞多がそう言うと、後ろではチェストーの大合唱。その中で冷静な安藤さんが聞多に事情を伝えると聞多は真っ青な顔になる。
「そのですね、木戸に文句を、と言うのももっともなんですが、」
「「チェストー!」」
「あの、その。」
「「チェストー!」」
「わかりました、わかりましたから。けど、ここは大久保さんに話を通してみちゃどうです?」
「……あ、オイたちはこげんこつしとる場合じゃなか。海江田さんの留守を守らねば。」
「そうじゃった、そうじゃった、あとは安藤サァ、おはんに任せた。」
そう言って弾正台の連中はそそくさと帰ってしまう。
「ちょっと! ちょっと待ちなさいよ!」
安藤さんがそういうも、誰も振り向かずに走り出す。
「さ、大久保さんのとこに。」
「えっと、私も帰っていいですかね。」
「ちょっと! 安藤さん!」
「あはは、大丈夫ですから、ちゃんと給金も払いますし、ね、井上さん? それじゃ!」
そう言って安藤さんまで逃げてしまった。
「で、新さん。何人斬ったんです?」
「七十。」
「……は?」
「だから七十だって。七十両よろしくね。」
「きゃぁぁぁ!!」
聞多は泡を吹いて倒れこんでしまった。
「もうね、このままうやむやって事にしませんか? 七十両は何とかしますから。弾正台の連中もあんな感じだし。」
「それでいいなら構わないよ、別に。」
「ほら、大村さん、死んじゃったでしょ? 狂介は海外にいっちゃって。話の通じる人がいないんですよ。」
「ま、いろいろ大変だね、そっちも。」
そのあと俺は聞多を連れて健吉の居酒屋に行った。そこの料理は今井さんの鍋オンリー。あとは腕の太い榊原門下のサイボーグたちが、あちこちで客と酒の飲み比べをしていた。これじゃ儲からないよね。
家に帰ると律が迎えに飛び出て俺に抱き着く。
「もう、心配したのですよ?」
「あはは、ごめん。」
律は前と同じく和風の建物の奥に作られた離れに俺を連れていく。洋館の部屋もそのまま。気分によって使い分けるらしい。こっちの寝室はベッドではなく、敷布団を何枚も重ねた遊郭風。これはこれでいいものだ。
とりあえず弾正台はその一件でクビ。数日後に現れた聞多も俺たちを政府に雇えばどうなるか身に染みてわかったらしく、その後政府への出仕の話はしなくなった。
そして、どこからかひり出した七十両の官札を俺に渡し、死体の処分が大変だったの、なんだのと愚痴を言い募った。木戸は案の定大激怒、しかし、原因が原因だけにどこにも文句をつけられず、聞多に八つ当たりするのだという。
「もう、ほんとひどいもんですよ。春輔は兵庫だし、狂介は軍事制度の視察とかで渡欧。そうなると私が木戸の相手をしなきゃならなくて。」
そんな聞多の愚痴をひとしきり聞いて、さて、コーヒーでも、と外に出る。
「ほら、そっちじゃねえよ! それはあっち! 二股口でやったろ?」
なぜか外ではトシの指揮の下、うちの連中が町の入り口に土の入った桶を並べていた。
「ねえ、なにしてんの?」
「お、旦那か。それに聞多も。実はな、俺たちも毎日ヒモみたいな暮らしじゃいけねえと、町の衆の為に働くことにしてな。市中見廻りはクビになっちまったから水路のどぶ浚いでもと。」
「で?」
「どぶを攫えば泥が出るだろ? そいつを桶に詰めて並べてんだ。ほら、安さん、それはあっち!」
すっかりそこは野戦陣地に様変わりしていた。
「ただ置いといてももったいねえ、どうせなら胸壁でもこしらえるか、ってな。旦那が長州兵を斬っちまったから、奴らが仕返しに来るかもしれねえし。」
「ははっ、ははっ、ないですからね、この期に及んで町中で銃撃戦とかしたら、政府の威信、がた落ちですから!」
そう言って聞多はふーっと倒れこんだ。
「ま、何事も備えあればって奴よ。」
「トシさん、もう詰める泥がないぞ?」
「ンじゃ仕方ねえ、不忍池の底でも浚うか。こういうことは納得いくまでしておかねえとな。」
数日後、不忍池の街並みは要塞に変わっていた。町の出入り口には関所が設けられ、そこにはうちの連中が交代で詰めていた。ろくでなしっぽいのはそこで問答無用にたたき返されるのだ。なぜか町衆はそれを喜び、差し入れだなんだと持ってくる。町の会合に出たお千佳の話によれば、あてにならない政府など放っておいて、うちに税を納めたほうがいい、そんな話にまでなっているようだ。
そして、とどめとばかりに横浜から、酒に紛れて大砲と数十丁の小銃が届く。町の入り口に近い、敏郎の店の二階の角部屋が改造され、そこに大砲が据え付けられた。
「ま、こんなもんだろうな。明日からは町の旦那衆集めて銃の鍛錬だ。今井さんたちもこっちに来る手はずになってる。」
「ねえ、トシ? ここで何するつもりなの?」
「あ? 単なる備えだ備え。」
上野不忍池界隈は独立国の様相を呈してきた。