STATE2 逃走劇 その3
「くっそ! めんどくせぇっ!! 何だってんだよこんちきしょー!!!」
カシイは右腕で狐の白瀧を、左腕でヘレナを抱え、森を全力疾走で走る。
後ろからは、殺せだ捕縛だ焼き尽くす等の、何とも不吉極まるセリフの数々が小さいながらも確実に聞こえてくる。
「カシイ兄ぃ、こわ、い・・・。」
ガタガタと震える振動が左腕に流れてくる。そこからでも、ヘレナが本気で恐怖しているのが伝わり、それがさらにカシイの恐怖と焦りで埋め尽くされた感情をどんどんと加速させていく。
しかし、ここで俺がガタガタと膝と肩を震わせて、涙を滲ませて命乞いでもするかとヘタレ感満載の発言をしようものならば、それこそヘレナや俺の心が完全に折れたことを示唆したようなものだ、とカシイは咄嗟に判断し、恐怖と焦りその他諸々の感情を押し殺し、ただただ笑いながらヘレナに返答した。
「大丈夫だヘレナちゃん! 俺だって怖いっ!! 怖いけど今は耐えるしかなぁあああああああいっっ!!!」
そのままカシイは走っていく。すると途中、幅の狭い川に差し掛かった。
水流はかなり激しく、川が流れる音が大きい辺りからもそれがうかがうことが出来る。
「んぐっ、ふっ・・・。おい、貴様・・・。今、この状況はどうなっておるのだ・・・?」
ここで、今まで槍の直撃によるショックで意識を失っていた白瀧が目を覚ました。カシイは半ば安心するように息を吐き、その後になんで安心してんだという顔をすると、白瀧の方に視線を移す。
「しゃべるな狐。傷が深いだろうに、死ぬぞ───」
そこでカシイは気付いた。さっきまで大量に流れていた血が完全に止まり、傷がまだ不完全ながらも塞がっている白瀧の姿に。
「なめるなよ貴様。わらわ達の種族は回復能力という基本的体内魔法を持っておる。あんなしけた致命傷、わらわにかかれば十数分かければ常識的に全快できるわ。」
(ふむ、基本的体内魔法が何なのかは知らんが、まさに異能力ということか。これがこのファンタジーワールドの常識なのかぁ・・・。
それにしてもこのちっちゃい狐でこの力・・・。この分だと、とことんチートが横行してそうだな、この世界・・・はは)
カシイは最早ついていけずに、遠い目をするようになる。この状況でもこんな反応が出来ることに驚きもあるカシイだが、それでも、チートという概念をゲーム以外で実際に見たときの脱力感は、いよいよ呆気、呆然のそれに近い。
「おい、わらわが質問した内容を無視するな。一体今どうなっておるのだ?」
その質問に、自分たちが今どのような状況に陥っていたかを思い出したカシイは、咄嗟に後ろを向き、聞き耳を立てる。
ゴブリン達の声は先ほどとそこまで変わらない音量となっている。そこまで距離が縮まったわけでも、開いたわけでもない様だった。
「取りあえず狐。お前の質問はまた後で説明するからさ、今はここから早く逃げ出して、ヘレナちゃんの家に一刻も早く帰れる方法を一緒に考えてくれないか・・・?」
「あ? あぁ、まぁ確かにわらわはここの土地勘があるからな。ここが何処で、どこから出ればヘレナの娘が住まいとしておる巣に帰れるかも知っておる。
・・・ふむ、ヘレナの娘のその狼狽具合と、貴様の体臭から察知できる汗臭さから、わらわが気絶しておる間に何かがあったことは、容易に想像がつく。・・・いいであろう。貴様の願いを、一時的に聞いてやろう。」
そう言うと、カシイの左腕から離れる様に飛び、地面に着地する。
そのまま少しばかり前を歩くと、地面の匂いを嗅ぎ、辺りをきょろきょろと見渡した。
「? 何をしてるんだ狐??」
そうカシイが聞くと、白瀧はカシイに対して不機嫌な顔をしながら振り返る。
「・・・わらわの名前は白瀧。よく覚えておけ人間。」
そう言ってカシイの目を、決して逸らすことをさせない覇気を以て睨んできた。しかし、カシイはその覇気を、引きつった笑顔でもって返す。
「・・・わかったよ白瀧。その代わり、俺の事も、“人間”ではなく、カシイと呼んでくれ」
カシイがそう言うと、白瀧はふん、と鼻を鳴らし、再び地面に顔を近づけ匂いを嗅ぎはじめ、ついてこいと喋る。
その時、カシイの右腕で胴を抱きかかえられていたヘレナがもそもそと動いた。
「カシイ兄ぃ、もう、いいよ? もう、自分で、走れる、よ?」
「お、そうか? でもヘレナちゃん、これから逃げるって時に俺がヘレナちゃんを離しちゃったら、俺からはぐれる可能性だってあるん、だぞっ!!!」
ヘレナの発言に、白瀧を追って幅が狭い川を飛び越えながら答えるカシイは、また走り始めながら答え、ヘレナはその返答に対して、下を向く。
「そう、だね。わかった・・・。」
「うむ、わかってくれればいい。大丈夫だ、ヘレナちゃんは俺が守ってやるから。」
カシイがそうヘレナに言うと、ヘレナは満面の笑みで答える。それを横目で見ながら、白瀧が口を少し釣り上げた。
「急ぐぞカシイ。後々になって気づくことであるから先に言うが、思ったほどに事態は深刻化しておるようだ。」
「・・・、どういうことだ白瀧?」
随分と突然な告白に、カシイは目を丸くする。深刻化という言葉に不安が膨れ上がってくる。
しかし悪い予感と呼ばれる類のそれは、大抵が外れるものであると、カシイはこの時小さく思っていた。しかし・・・、
「貴様ら一体何をしでかした? この匂いは、大量のゴブリンの匂いだ・・・」
この時に限っては、その考えは全く当てはまらない。
カシイとヘレナは、同時に顔面を蒼白させることになった。