授業
第九話。解説的なもの。
「と、何から聞きたいですか?」
何から、と言われてもすぐに言葉は出てこない。
「僕に説明してくださったことを、説明――」
「それは出来ないのですよ?」
イソリが助け船を出すが、にべもなく切り捨てられる。
「五十里くんに説明したことも、結城くんを調べたことで覆されたりしてますからね?」
「そうなんですか……」
「まあ、そのあたりから説明しますか? と、先に自己紹介?」
先生は、出席簿を開くとその中から名刺を取り出した。
「私の名前はミソロギ? 皆からは先生と呼ばれていますので、先生と呼んでください?」
自分のことなのに、ミソロギは語尾を上げて疑問形で語る。理由は、本人曰く生まれつきとのこと。
ミソロギは続けて出席簿から辞典を取り出した。
「言葉については、天使の加護とでもいいましょうか? まあ、大丈夫のようですね?」
辞典を出席簿に戻して、新たに時計のようなものを取り出す。
「時間はあなた達のいた世界とは異なるのですが……どうやら、違和感なく認識できるようになってるみたいですね? 聞きたいですか?」
二人は首を振った。イソリは横に、狼刀は縦に。
ミソロギは苦笑いをして続ける。
「あとで結城くんにだけ説明しますね?」
その話は難し過ぎて狼刀には出来なかったのだが、それはまた別の話だ。
ミソロギは時計を出席簿に戻した。
「本来ならば、あなたの記憶からも元の世界のことも知りたかったのですがね? 鍵がかかったように探ることが出来ませんでした? そもそも、うまく探れない記憶が多すぎるのですがね?」
ミソロギは出席簿から鍵を取り出す。
「五十里くんもそうでしたが、なぜ、知っているかのように動くことがあるのですかね?」
二人は答えない。
「……天使。謎が多い存在ですね?」
それからも、ミソロギの説明は続いた。出席簿から道具を取り出して、時々黒板を使いながら。
元いた世界と同じこと、違うこと。
魔物について。
「君達のいた世界の動物とは違うよ? まあ、狩り取って血肉を食らい、皮を活用することもありますよ? 一部だけですがね? 獣人やエルフなどは人間に近いですしね?」
人間について。
「君達のいた世界の人間とは根本から異なると思うよ? サンプルが二人しかいないから断定は出来ないけれどね? 少なくとも、魔法など存在しないのだろう?」
この地に蔓延る邪神教について。
「今から数世代前の時代に、大神官を名乗る男によって創設されたカルト集団です? 邪神・教と名乗っていますが、崇拝するのは破壊神だとか? 活動が本格化したのは最近ですね?」
長い話に狼刀が飽きてきた頃。ミソロギの纏う雰囲気が変わった。狼刀とイソリは慌てたように姿勢を正す。
「次は、とても大事なことを説明するよ?」
ミソロギは出席簿から狼刀の人形を取り出した。
「君達の体からは、魔力が全く感じられない? もし、あるのだとしても私には確認することが出来ない?」
達ということは、イソリもなのだろうか。
「魔力? って、なんですか?」
この世界に来てから聞いたことがある単語のような気もするが、聞けることは聞いておこうという判断だ。
「説明してませんでしたかね?」
「僕からもお願いします」
イソリの後押しもあり、ミソロギは出席簿から雲のような塊を取り出した。
「魔力とは、世界に存在する魔力因子の中でも、生命体が体内に宿しているものを指します? この世界にいるものは例外なく、魔力を保持しています? つまり、あなたたちはこの世界において生命とはいえません? とはいえ、魔力因子は帯びていますからね? この世界の基準でいうなら、君達の定義は物体といったところでしょうか?」
そこで言葉を止め、タメを作ってから、続ける。
「それが、異世界から来たことを証明しているとも言えますね?」
愉しそうな笑みだった。
「もっとじっくり実験してみればわかるかもしれません? 今後ともよろしくお願いしますね?」
ミソロギは笑顔で手を差し出す。
狼刀はその手を取らなかった。正直いって、あの実験には二度と関わりたくない。
その思いを察したのか、ミソロギは手を引っ込める。代わりに、出席簿から新たな人形を取り出した。
「おや? これは?」
ミソロギはじっくりと人形を見てから、
「おや? これは?」
同じ問いを繰り返す。
それから目を閉じて、頭に手を当てた。
しばしの沈黙。
「なるほど?」
ミソロギは目を開けると、人形を狼刀へと差し出した。
「ここから遥か南東の地、ハルクインという村に、人ならなざる人がいるとそんな噂がありました? もしかすると、あなたたちのような人かもしれませんね? 行ってみるといいでしょう?」
狼刀は差し出された人形を受け取ると、ふくろに入れた。
ミソロギは「もっとも」と前置きをして、蜥蜴のような人形を取り出す。
「魔王のがいる城のすぐ近くですから、すでに滅ぼされているかもしれませんね?」
蜥蜴の人形は魔王らしい。竜の魔王だったり、蜥蜴の魔王だったり、魔王の条件には爬虫類というのでもあるのだろうか。
狼刀は考えてみるが、結論は出ない。
「さて、他に質問はないかな?」
狼刀とイソリが頷くと、ミソロギはパタンと出席簿を閉じた。
「では、授業を終わりますね?」
そう言い残し、教室を後にする。
残されたのは狼刀とイソリの二人だけ。
「どうする?」
端的なイソリの問いかけは、剣術の訓練をするかどうかという質問だ。短い質問だが、狼刀は勘違いしない。
「明日からでいいですか?」
狼刀は苦笑いを浮かべた。連日の疲れは抜け切っていない。時には休むことも大切なのだ。
「じゃあ、明日から全力で頑張ろう」
イソリは笑顔で宣言する。
翌日より、イソリによる剣術指導が始まった。
「もっと速く振って! 遅いよ!」
「そこはそうじゃない! もっと、こう」
「狼刀! 休んでる暇はないよ!」
「ほら、次いくよ! 次!」
訂正。
イソリによる剣術のスパルタ指導が始まった。
反復練習を繰り返すことで、狼刀は片手で刀を振ることに慣れてきた。そんなおり、イソリから新たな試練が言い渡される。
「反対の手でやってみようか」
狼刀は絶句した。
右手では振れるようになったが、左手で振るとなれば話は別だ。利き手じゃないというのもあるし、左右を変えると、重心まで変わってくる。
「ほら、強くなるんだろ」
確かに言った。
「……やってみます」
言った弱みなのか。それとも、狼刀自身も新たな領域に踏み込むことを望んでいるのか。厳密なことは本人にさえわからない。
けれど、修行を途中で投げ出したりはしなかった。
「そうそう。良くなってきたね」
「習うより慣れろ。ってタイプみたいだね」
「右手の時より慣れるのが早いね」
「ずいぶんと様になったじゃないか」
確実に、狼刀は左手でも刀を振るえるようになっていった。
◇
「さあ、実験するよ?」
「え……」
日課となりつつある訓練所へ向かっていると、ミソロギが笑顔で立ち塞がった。狼刀の腕を掴み、細身とは思えない力でもって、実験室へと連れ込む。
「あの、ちょっと……」
狼刀は為す術もなかった。
解放されるのは日が暮れた頃。事情を察したイソリが訓練を終えて戻って来てからのことだった。翌日は、ミソロギの部屋を避けて訓練所に向かったのだが、
「さあ、実験するよ?」
狙い済ましたかのように、ミソロギが立ち塞がる。
「えー……」
結局。狼刀はその日も実験に付き合わせれることになったのだった。
◇
どちらの手でも刀を振れるようになった狼刀の前に、イソリが笑顔で現れた。普段は真面目な顔のイソリが時々見せるその笑顔は、他の兵士達によると良くないことの前触れらしい。
そんな笑顔を浮かべたまま、イソリは狼刀の前に立った。
「さあ、いよいよこれを見せる時が来たんだね」
手には、二本の模造刀。セリフと格好からして、導かれる結論は一つだけ。
「どうだい!」
イソリは二本の刀を八の字に構えた。
二刀流である。それも、一般的な大刀と小刀の組み合わせではなく、同じ長さの刀が二本だ。剣道というよりは、フィクションらしい構えだと言えるだろう。
「カッコイイ……」
「だろ?」
五十里がその剣術を広めようとしたことが、借金苦の発端なのだが、狼刀が知る由もない。
「さあ、全力でかかっておいで!」
「はい!」
狼刀は両手で刀を持って、イソリに向かっていった。
雀百まで踊り忘れずという言葉がある。幼い頃に覚えたことは忘れないという意味だ。同時に、体で覚えたことは忘れないという意味もあるのではないのだろうか。自転車の乗り方などは、たとえしばらく乗っていなくとも忘れないだろう。
閑話休題。
何日間か片手で刀を振る練習をしていても、狼刀の体に染み付いているのは、両手で振る剣道の型だった。
毎日練習していた全盛期には劣るだろうが、素人の領域までは落ちていない。
「そんなもんか! 狼刀」
それを、イソリは軽々と捌いていた。
「くっ……」
実際には狼刀の癖を見抜いていることが一番の理由なのだが、二刀流の強さだと考えるのは当然の流れだろう。
実際、イソリはそう見えるように演出していた。
「これで、終わりだよ」
刀と刀を絡めるようにして巻き上げる。刀は狼刀の手を抜け、宙に舞った。その状態でもう一本の刀を防ぐことは不可能だ。
「……参りました」
狼刀は素直に負けを認めた。
さらに二度の模擬戦を行ったが、結果はイソリの完全勝利だ。狼刀の刀は、イソリの体に触れることすら出来なかった。
そんな狼刀にイソリは笑顔である提案をする。
「君も二刀流をやってみないかい?」
剣道スタイルだった狼刀に片手が空いていることの利点をといた男が、そう提案した。一刀と二刀の違いはあれど、両手が塞がることに違いはない。
狼刀はそんなふうに文句は言わなかった。
「やってみます!」
目を輝かせ、全身からやる気オーラが漂っている。
「よし! じゃあ、刀を二本持ってみて」
イソリは楽しそうに指導を始めた。
五十里流二刀流・改の初の継承者である。自分がアレンジした剣技を誰かに教えることは、イソリにとってこれ以上ない幸福だった。
もう死んでもいい。
前世の最後と同じ思いを、イソリはその時とは正反対の気分で思った。
◇
「さあ、実験するよ?」
「お断りさせていただきます」
笑顔で話しかけてくるミソロギに、狼刀は深々と頭を下げる。
「連れないねぇ?」
ミソロギが残念そうに眉尻を下げて、笑った。が、それ以上は追求してこない。しつこいときはしつこく、狼刀が折れることも多々あるのだが、今回は違ったらしい。
「これをあげましょう?」
ミソロギは本ではなく、白衣のポケットから宝石のようなものを取り出した。形は歪んだしずく型――勾玉と言ったほうが適当かもしれない。
「大切にしてください?」
驚くほどにあっさりと、ミソロギは引き上げた。まるで、勾玉を渡せればそれでいいと言わんばかりである。
らしくない行動に戸惑いを感じつつも、狼刀は深く考えずに訓練所へと向かった。
訓練所で剣技を磨き、ミソロギに実験されつつ、異世界について学ぶ。時に休み、時には遊びながら、毎日が少しだけ違う日々。
そんな風に、時は流れていった。